第7話 君の声を聞かせて その五


「やめろ。やめろ。青蘭はおれのもんだ。青蘭。青蘭。そこにいるんだろ? 言ってくれよ。そんなやつ、好きじゃないよな? おまえが心を許せるのは、おれだけだよな?」


 龍郎は足元を見おろした。

 切り裂かれて、足首から血が流れている。そのかたわらに、ソレがいた。


 思わず、自分の目を疑った。

 それは、あたりまえのそのへんにいる生き物ではなかった。

 耳だ。人間の片耳に、手指が二本ずつ、両手両足のように生えている。


 声は、そいつの耳の穴から発されているようだ。


「青蘭。そこにいるんだろ? 見えないんだよ。おまえが見えない。何か言ってくれよ。おまえの声を聞かせてくれよ」


 龍郎は気づいた。それが、なんなのか。いや、誰の耳なのか。

 最上だ。

 あの悪夢のような山羊の男の結界のなかで、切りおとされた最上の耳なのだ。


「コイツか。昨日からずっと、おれたちのあとをつけてきてるような気がしたのは」

「うるせえな。このやろう。おれがちょっと目を離したからって、いい気になってんなよ? 青蘭はおれのもんだ。おまえなんかに渡さないぞ!」


 それは耳だから、見ることはできない。だが、こっちの話していることは聞こえるのだろう。


「おまえ……最上だよな?」

「だから、なんだよ?」

「おまえ、自分がどうなってるのか、わかってないんだな?」

「何を言ってんだ? おれはおれだよ。急に目が見えなくなったけど……暗い。真っ暗だ。青蘭。青蘭。そこにいるんだろ? おまえの声が聞きたいんだよ。なんでもいいから話してくれよ」


 その姿は当然、もはや人間ではない。悪魔だ。最上は死んで、この世に遺る未練が形となって、青蘭につきまとっている。最上のことだから、強欲の悪魔だろうと思ったが、涙声で必死に訴えかけるようすは、妙に悲しげだ。


「青蘭。青蘭。おまえの声が聞きたいよ。青蘭。好きだよ。やっぱり、おまえのことが好きだよ」


 青蘭はため息をついて、それを両手でひろいあげた。手の平にのせて、目の高さにまで持っていく。


「耀大。その言葉、五年前に聞きたかったよ。さよなら。僕の好きだった人……」

「青蘭……」


 ふうっと、青蘭が息をふきかけると、この世に遺った最上の最後の欠片かけらは、粉々にくだけた。光の粒になり、青蘭の口に吸われていく。


「青蘭。青蘭。ずっと、いっしょ……おまえと、いっしょ……」


 ささやき声の余韻が消えると、滝の水音があたりに戻ってきた。


 青蘭の双眸から、ぽろりと大粒の涙がこぼれおちる。


「耀大……悲しみの悪魔だったよ」

「そうだね」

「僕がいなくなったから、さみしかったのかな?」

「たぶんね」

「これで、よかったのかな? 龍郎さん」

「うん。おまえと一体になれたんだ。最上も喜んでるよ」

「うん……」


 むしろ、羨ましい。

 もう二度と、最上は青蘭から引き離されることはない。永遠に青蘭のなかに


 あの山羊の悪魔も、最後に青蘭の怒りの炎に焼かれるとき、抵抗しなかった。見た感じ、青蘭に抱きしめられるのを、じっと待っていたようだった。青蘭と一つになることを望んだからではないのだろうか?


 きっと、彼らは彼らなりに、本気で青蘭を愛していたんだろう。それは青蘭を傷つける愛であり、悪魔の論理でしかないのかもしれないが。


 龍郎の胸に、青蘭がとびこんでくる。


「龍郎さん。僕は龍郎さんさえいてくれたらいい」

「おれもだよ。おまえさえいればいい」


 世界は光に満ちている。この光のなかに、青蘭をつれだすことができた。あの暗い闇の底から。

 そのことに心から感謝の念があふれてくる。悪魔たちの手からむしりとり、青蘭を解放することができた。

 青蘭には光の世界こそ、ふさわしい。




 *


 その夜。

 二人は生涯でもっとも幸福な時をすごした。甘い、甘い、蜂蜜色に甘美な時を……。




 了

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