第六話 ラビリンス
第6話 ラビリンス その一
天使の羽が舞いあがり、悪魔の
龍郎にはわかった。
二人の手がかさなった瞬間、これまで経験したことのないほど強大な魔法が発動したと。
龍郎の力なのか、青蘭の力なのか、あるいは二人のなかにある賢者の石がオートマチックにその力を生んだのか。それは、わからない。
ただ、一瞬にしてその力が時空をねじまげ、島を包みこんだことが感じとれた。
爆風のような魔力の暴発。
その一瞬がすぎたあと、気がつくと、龍郎は一人で立っていた。
屋敷の玄関ホールだ。
まだ火事になる前の贅をつくした
(これは……時間を飛んだ、のか? それとも?)
とにかく、まわりにいたはずの人たちはどこへ行ったんだろう?
青蘭は?
(青蘭の誤解をとかないと)
きっと青蘭は龍郎が心変わりしたと思ったのだ。絶望的な拒絶が瞳のなかに、かいまみえた。
いったい、どうして、そんなふうに思えるのか。たった一日やそこらで、龍郎の想いが変わるだなんて?
(そんな軽い気持ちで、おまえを好きになったりしないよ。それくらい、わかるだろ?)
広い屋敷のなかは無人のように静かだ。高い位置にある窓から澄んだ陽光がふりそそいでいる。早朝らしい。外から鳥の鳴き声が聞こえる。
龍郎はさっきの子ども部屋をめざした。そのとき、前方から女が歩いてきた。地味な黒い服にエプロンをつけて、どこから見ても家政婦だ。むしろ、メイドと言ったほうが、しっくりくる。女は龍郎を見ても何も言わない。いや、もしかしたら、龍郎の姿が見えていないのかもしれない。屋敷のなかを見知らぬ男が歩いているのに、見向きもしないのだ。
試しに女の前で手をふってみる。が、やはり、まったく反応しない。龍郎の姿が目に入っていないようだ。
魔法で時間をさかのぼったのなら、今の龍郎は霊的な存在なのかもしれない。一般人には見えないということだ。
(まあ、それはそれで便利だけど)
屋敷の住人に遭遇するたびに泥棒あつかいされたのでは、めんどうでしかたない。その心配はなさそうなので、安心して奥へ向かっていった。
青蘭の部屋と思えるドアの前にたどりついた。距離と方向から、このへんだろう。ドアノブに手をかけると、霊的な存在のはずなのに、ドアをあけることができた。法則はわからないものの、人間には見えないが、物理的に影響をおよぼすことができるらしい。
そっとドアのすきまから室内をのぞく。アメリカ映画で見るような、可愛い子ども部屋だ。青地に白いストライプと星の模様が入った壁紙。白い家具。部屋中にたくさんのぬいぐるみが置かれている。
(青蘭好みの部屋だ。やっぱり、以前の自分の子ども部屋が記憶のどこかに残ってるんだな)
龍郎が入っていくと、青蘭はベッドのなかで寝息を立てていた。だが、探している青蘭ではなかった。それは、大人になった現在の青蘭ではなく、五歳の子どもの青蘭だ。大きなユニコーンのぬいぐるみを抱えている。
あどけない顔だ。
同時に、ビックリするぐらい綺麗な子どもだ。子どものくせに神秘的。妖精の子どもなら、こんなふうなのかもしれない。
(なんて幸せそうな寝顔だ。ずっと、このままなら、よかったのに)
年齢より少し幼いようにも見えるが、おそらく、これは火事の直前の屋敷だ。青蘭はこのあと、地獄を味わうことになる。今が幸福そうなだけに、見るのがツライ。
枕元に座り、青蘭の髪をなでる。
このまま、この時間のなかからつれだしてやりたい。どうにかして、過去を変えることができるのなら。
もし、その力が龍郎にあるのなら。
切ない気持ちで見つめていると、青蘭は目をさました。お人形のように可愛らしい大きな瞳で、龍郎を見あげている。
(あれ? 見えてるかな?)
龍郎の疑問に答えるように、青蘭が口をひらいた。
「お兄ちゃんは誰?」
「やっぱり、見えるんだ」
「ぼくのお友達?」
「いいよ。友達になろう」
「うん」
なんて、ひとなつっこいのだろう。
今の青蘭とは大違いだ。
本来の青蘭は、こんなふうに甘えん坊なのかもしれない。誰のふところにも、ひといきに飛びこんでくる。
「お兄ちゃんのお名前は?」
「龍郎だよ」
「たつろう兄ちゃんだね。ねえ、お兄ちゃん。遊びに行こう」
青蘭は立ちあがると、パジャマのままベッドからとびおりた。龍郎の手をひいて走りだす。小さな手。この手をにぎったまま、どうにかして現在に戻ることができないだろうか?
その方法を龍郎は模索する。
廊下に出ると、さっきの家政婦が青蘭を見て金切り声をあげた。
「坊ちゃん! いけませんよ。ちゃんとお着替えしないと。廊下を走るとおじいさまに叱られます」
「おじいさまはアメリカだよ」
「昨日の夜遅くに、こちらへ来られたんですよ」
「そうなの? じゃあ、いい子にする」
「そうですよ。ほら、着替えましょうね」
「うん」
青蘭は残念そうに家政婦につれられて、もとの子ども部屋へ戻っていく。龍郎もついていった。でも、あいかわらず家政婦は龍郎に気づいていない。子どもなのにお仕着せではないテーラードの服を着せられて、青蘭はやっと自由になった。
「じゃあ、坊ちゃん。朝ごはんを持ってきますね。待っててくださいね?」
「うん」
家政婦が出ていくと、また龍郎の手をひいて部屋をぬけだす。なかなか要領がいい。
「お兄ちゃんも、ぼくにしか見えないんだね」
「お兄ちゃんも? おれのほかにも、大人には見えない人がいるの?」
「うん。ぼくのね。お友達。たまにしか来てくれないんだよ」
「そうなんだ」
青蘭は霊感の鋭い子どもだったようだ。龍郎も幼時にそうだったというから、何か霊的なものが見えているのだろう。
「ねえ、たつろう兄ちゃん。こっち来て」
「どこへ?」
「いいもの見せてあげる。みんなにはナイショだよ?」
「うん。わかった」
青蘭に手をひかれ、玄関ホールの螺旋階段をあがっていった。
迷路のような屋敷だが、玄関の周辺だけは、なんとかわかる。
しばらく進むと、青蘭は見るからに堅固な両扉の前で、あたりを見まわした。
「ここね。おばあさまが眠ってるんだよ」
龍郎はドキリとした。
問題の天使が、ここにいるらしい。
謎の一画にたどりつけるだろうかと、ドキドキが止まらない。
重い音を立てて、扉がひらいた。
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