第5話 天使と悪魔 その三



 アンドロマリウス。

 それは、青蘭に取り憑いている魔王だ。青蘭が火事のとき、契約したという悪魔。自分の肉体を失った恋人のために、その魂のいれものとして、青蘭の体を代償として求めている。青蘭は魔王の魔力を借りるたびに、体の一部をアンドロマリウスに渡している。


 その魔王アンドロマリウスが、じつは青蘭の実の祖父?

 それは、いったい、どういうことなのだろうか?

 もう、わけがわからない。


(青蘭のおじいさんが人間じゃなかったとしたら……青蘭にも悪魔の血が入ってるってことかな?)


 これまで、退治してきた悪魔の多くは、死んだ人間が悪霊化したものだった。だから、実体を持たず、浄化すれば消えた。青蘭によれば、魂はふたたび人に転生するらしい。


 しかし、一部の悪魔には実体があった。悪魔のなかでも、とくに魔力の高い上級クラスの悪魔、および魔王たちだ。魔神と言っていい悪魔たちである。


 つまり、悪魔も天使もクトゥルフの邪神も、この世の外の宇宙的な存在だというなら、あの実体を持つ悪魔たちこそ、真の意味での“悪魔”なのだ。

 人ではないもの。

 どこか遠い宇宙の深遠から訪れた異世界の産物。


 実体があるということは、やつらには肉体がある。地球や太陽系の理にのっとっていないから、ときに摩訶不思議な現象を起こしはするが、それでも、身体を持っている。体を傷つけられれば、死ぬ。


 そして、この悪魔の血を引いた者は、肉体的に悪魔の特徴を受け継ぐ。かつて、忌魔島に住みついていた者たちが、そうだったように。


(青蘭のおじいさんは魔王……おばあさんも、もしかしたら……)


 龍郎の考えが正しければ、青蘭の母は人ではない。悪魔と天使のハイブリッドだ。青蘭はその母の血を半分、継いでいることになる。

 もしかしたら、青蘭が悪魔を惹きつけるのは、体内にある快楽の玉だけが要因ではないのかもしれないと、龍郎は思った。


 あのホストクラブの帰り道、青蘭と話したときのことを思いだす。



 ——ほんとに僕が無一文になっても、ずっとそばにいてくれる?

 ——もちろん。

 ——僕が……ほんとは化け物でも?

 ——どんな姿でも、好きだよ。



 そうかわした言葉を。

 あのとき、青蘭はどんな気持ちであれを言ったのだろう?


(おれは、たとえ、おまえがどんな姿でも……)


 忌魔島で見た化け物たちの姿が一瞬、脳裏に浮かぶ。しかし、龍郎はそれをふりはらい、意識から締めだした。


 ぼんやりしていると、ふいに神父が言った。


「写真がある。見るか?」

「えっ? なんですか?」

「写真だよ。サー・アーサー・マスコーヴィルの写真」

「サー・アーサー……ああ、青蘭のおじいさんですか?」

「マスコーヴィルきょうの出身はイギリスだからね。貴族の御曹司だ」

「へえ。アメリカ人だと思ってた」

「経営の活動拠点がアメリカだったからだな」

「写真、見せてください」

「ああ」


 フレデリック神父はポケットに手を入れた。とりだしたのはスマートフォンだ。写真をスクロールして、一枚を選ぶ。


「これだ。かなり若いときの写真だが」


 古い豪華本の著者近影にでも載っていそうなバストショットだ。

 だが、なんだろうか?

 それを見た瞬間に、なぜか、背筋がゾクッとした。


 少しウェーブのあるブラウンの髪。

 瞳は青い。

 瑠璃色がかったような独特な色合い。

 顔立ちはノーブルに整っている。

 口元にふくまれた笑みは、どこかシニカルだが、全体には外国映画の俳優のようだ。そうとうに自信家で傲慢な男だったのではないだろうかと、その表情からは読める。


 それにしても、なぜ、こんなにも寒気がするのだろう?


「……なんか、迫力がありますね」

「ふつうの人間なら、自然に目をそらすよ」

「視線に威圧感があるせいかな」


 しかし、見たところは、ただの人間だ。魔王のようには見えない。


(これが、アンドロマリウス? 青蘭ならアンドロマリウスの姿を知ってるんだろうか? それとも化身した姿と本体は違うのかな?)


 一つわかったのは、青蘭の光に透けると瑠璃色に見える瞳の色は、祖父譲りだということだ。アーサー・マスコーヴィルは、青蘭と同じ瞳をしている。


「青蘭のおじいさんは生きてるって噂でしたよね?」

「まあ、それはあくまで噂だ。彼の側近だった人物の数名が、マスコーヴィル卿の死後に彼の声を聞いている。電話で話したという者がいるんだ」

「えッ? 電話?」


 妙に気になった。

 腹の底がムズムズする。


「そう。電話」

「姿を見たって人は?」

「何人かいるね。ただ、目撃者はあまりマスコーヴィル卿と親しい人ではない。だから、見間違いという可能性もある。電話を受けたと言ってるのは側近だからな。聞き違えるはずはないんだ。録音された音声だったのかもしれないが」

「なるほど。録音なら、生前に遺しておける。ところで、青蘭のおじいさん、声に特徴がありますか?」

「ある。一度でも聞いたことがあれば間違えることはないね。ひじょうに低いハスキーボイス。私は星流の結婚式のときにスピーチを聞いたが、ガラガラで割れたような……そう。悪魔っぽい声だった」

「音声は……持ってないんですか? 動画でも?」

「私は持ってない。星流が本部に報告したもののなかにはあるだろうな」

「そうですか」


 やっぱり、そうだ。

 アンドロマリウスだ。

 青蘭がアンドロマリウスに操られているときの声。青蘭のつやつやと甘いテノールとは、まったく異なる。しわがれた老人のような、あの声。


 青蘭のなかにいる魔王は、祖父の霊なのかもしれない。

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