第2話 空家の怪 その五



 そのときだ。


「龍郎さん。す、すいません。あのぉ……」


 清美の声がして、龍郎の肩をそっとゆさぶる。緊縛がとけた。

 ハッとして、龍郎は目をあけた。清美が覗きこんでいる。


「す、すいません。トイレ、いっしょに行ってください」


 四囲を見まわすが、清美以外には誰もいない。怪異も感じられない。


(夢……?)


 夢にしては生々しかった。だが現に異変はない。不思議に思いつつも寝袋のジッパーをさげて起きあがった。

 懐中電灯を片手に廊下へと出る。

 トイレに行くには一回、外へ出なければならない。


 廊下をまっすぐ歩いていくと、土間の台所があり、勝手口が真正面に見えていた。


「あっ。靴、玄関から持ってこないとね。待ってて。清美さんのも持ってくるよ」

「あ、ありがとうございます……でも、早めにお願いします。怖いです」


 玄関へひきかえし、二人の靴を手に戻っていく。懐中電灯を清美に預けたので、手さぐりだ。


 廊下の途中で、急に懐中電灯の明かりが見えなくなった。清美が物陰に移動でもしたのだろうか?


「おーい、清美さん? 暗くて見えないんだけど、光をこっちに向けてくれないかな?」


 返事がない。

 かわりに、どこからか妙な音が聞こえる。


 カタタタタタ……カタカタ、カタ……。


 龍郎は音のするほうをながめた。

 あの書斎の方角か?

 暗闇をじっと見透かすと、廊下の端から何かが転がってきた。ころころころ。ボール——いや、手毬てまりだろうか?


 てん、てん、てんと、わずかにバウンドしながら、それは龍郎の足元で止まった。よく見ようと覗きこんだ龍郎は、「わッ」と声をあげて立ちすくんだ。


 それは、人間の頭だった。

 月代さかやきをそった、ざんばら髪の男の生首。緑色の皮膚の、ドロンと白く眼球のにごった、死人の頭だ。


 龍郎が硬直していると、台所から清美がやってきた。

「どうかしましたか?」

「いや、あの……ちょっと、懐中電灯をあそこに向けてくれないかな?」

「こっちですか?」


 清美が光をさしつけたときには、すでに生首は消えていた。


「何かあったんですか?」と言うので、いたずらに怖がらせることもあるまいと、首をふる。


 そのあと二人で庭に出た。

 裏のトイレは思ったとおり、水洗ではなかった。今どき、くみとり式だ。長いこと使ってないようで、暗い穴のなかはカラになっている。


「ああ、これ、使うとたまるのか。近所から匂いのことで文句言われても困るなぁ。清美さんが、さっき言ってたようにしたほうがいいか」

「えっ? さっきって?」

「寝る前に」

「なんて言ってましたか?」

「えっと……」


 寝る前と言ったって、ほんの一時間か二時間前のことだ。たっぷり一晩、寝たわけじゃない。

 清美はもう忘れてしまったのだろうか?


「いや、その……」

「じゃあ、ここで待っててください」


 こう言ってはなんだが、日本昔話に出てきそうな古い木造のかわやは、男の龍郎が見ても、用を足すどころか失禁してしまいそうな迫力がある。とにかく真っ暗だし、殺人事件の現場かと思うような凄みだ。


 にもかかわらず、清美は平気な顔で、そのくずれかけた小屋のなかへ入っていった。これなら、龍郎がついてくる必要はなかったんじゃないだろうか?

 申しわけないが、龍郎は庭木のあいだで立ちションした。


 裏庭は裏手の山と一体化した林だ。熊はともかく、猿や狸くらいなら迷いこんでくるだろう。


 どこからか、ヒイイッ、ヒイイッと女の泣き声のようなものが聞こえてくる。風の音だろうか? 三月とは言え、まだ風は強い。


 清美さん、遅いなぁと思いながら待っていると、母屋のあたりが、ぼうっと光った。丸い青白い光が等間隔にならんでいる。光は壁や柱など建物の影に黒くさえぎられている。どうやら、屋敷の表側が光っているようだ。


「清美さん。まだかな?」


 声をかけるが返事がない。


「清美さん? なかで倒れてないよね? 返事してくれないかな?」


 返事がない場合、安否を確認してみたほうがいいかもしれないと思っていると、とつぜん、背後でカサリと音がした。ふりかえると、清美が立っていた。


「わッ。ビックリした」


 よそみしてるうちに出ていたようだ。


「なんだ。言ってくれたらよかったのに。清美さん、あの光、何かな? ちょっと玄関のほうにまわってみてもいい?」


 清美がうなずくので、庭を通って表口へまわっていく。玄関横の広間の縁側あたりが光っている。まるで青白い提灯を等間隔に置いたように、いくつもの光がならんでいる。


 さっきの手毬のことがある。そこに何があるのか、なんとなく予想はついた。

 近づいてみると、やはりだ。縁側に生首がならんでいる。無念の表情で斬首された首である。


(くそッ。悪魔の仕業だな。おれたちを怖がらせて家から追いだしたいのか?)


 しかし、反撃したくても本体がわからないと手の打ちようがない。試しに右手を生首にかかげると、熱で溶けたボールのように歪んで消えた。


 広間に何かあるのだろうか?

 龍郎は靴をぬいで縁側から家のなかに入った。


「清美さん。懐中電灯を貸して」


 手を伸ばしたが、清美は無表情なまま立ちつくしている。なんだか、ようすがおかしい。


「清美さん?」


 妙な三白眼で龍郎をにらんでいた清美が、とつじょ襲いかかってきた。

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