第20話心を知りたいけれど3

 ひび割れた大地がどこまでも続く。空と呼べる部分からは、熱すぎる光が射し込み、大地を更に焦がす。




「どうして?私治したはず……………」




 乾いた地面を踏み、あの鎖に捕らわれた岩が無いのを確認する。


 何だろう、この感じ。


 風景通りなら、蘇芳の心はカラッカラッだ。




 潤いはどこにいったのか。


 以前は酷く心が縛られていた状態だったにも関わらず、鏡のように透き通った大地があった。




「治療するべき、かな?」




 私が見てきた人々の心の傷は様々な形を取っていた。


 蘇芳のように鎖だったり、楔だったりすることが殆どだが、中には血塗れの本人自身の形を取っていたり、凍った壁だったりする者もいた。


 多くを見たわけではないけれど、乾いた大地は初めてだ。




「乾いているってことは、何か足りないってこと?」




 考えながら歩いていたら、足元に違和感を感じた。


 柔らかい?




 見ると、私が踏んでいる部分だけ草が生えて湿っている。後ろを振り向くと、私の足跡の形に芝生のように短い草と色とりどりの小さな花が綻んで点々と続いている。




 もしかしたらと、そこに座り両手を大地に付けると、案の定草花がじわじわと芽吹く。




「蘇芳……………ルーファス」




 呼んでみると、一瞬で草花が大地を巡り草原へと様変わりした。


 見覚えのある風景は、一緒にピクニックをした場所だった。




 もう一度呼んでみたら、応えるように草花が風で一斉に靡いた。




 心は偽れない。これが彼の本心だというなら、どう捉えたらいいだろう?




「私を、必要としてくれるの?」


『欲しいんだ』




 返ってきた声に驚いて、辺りを窺うと、木の下に人影を見つけた。


 怖い感じはなくて、近付いてみたら蘇芳の姿をしていた。ただし傷痕は全くなく、文句のつけようがない美形だった。




 見惚れていたら、スッと音もなく私との距離を縮めて、迷うことなく抱きしめられた。




『君が欲しい』




 真実の言葉だと思ったら、精神体であるにも関わらず心臓が大きく跳ねる。




「な…………なっ?」


『あんな男と結婚なんか許さない。リナは僕のものだ』




 遠慮も建前も気遣いにも包まれていない本音は鋭い刃のよう。




『帰ることなんて許さない。もしそうなれば、どこまでだって追いかける。絶対に捕まえる』


「すお…………う?」




 彼に触れられた部分が熱い。




『誰にもどこへも渡さない。リナ、リナ』




 息苦しいと思えるぐらいの力は、まるで現実だと錯覚するようだった。


 これが本当の包み隠さない彼の想いだと分かって、私は身震いした。




『リナ、好きだ好きだ。欲しい、君の全部が欲しくて堪らない。僕だけを見て、好きだと言って』


「こ、怖いよ、蘇芳」


『愛してると言って』




 彼の身体の周りに炎のイメージが浮かび上がる。衣のように炎を纏いながら、蘇芳は私にも炎を行き渡らせようとするかのように腕で包んだまま。




 バタン、と扉が閉まる音がして、辺りの風景が一変する。くすんだ石造りの小さな部屋には小窓。


 前方に堅固な柵を見て、私は茫然とした。


 ここは塔の最上階の牢で蘇芳が育った部屋だ。こんな忌まわしい場所を、なぜ彼は思い起こすのだろう。




「蘇芳?」


『君がどうしても僕を拒むなら、いっそ閉じ込めてしまおう。僕だけしか見れないように、誰にも会わないように』




 低く静かに告げられて、私は思い知った。


 蘇芳に、自分の満足の為に優しく接してきた私の浅さが恥ずかしい。軽くて矮小な思いは、彼の前では塵と変わらない。




 私は、こんな怖いぐらいの想いを知らない。




 ぐっ、と後頭部に手を添えられ上向かされて、私はようやく彼の顔を見ることができた。




「あ…………」




 水色の瞳は氷のように冷えて私を射抜いていた。動けないように繋ぎ止めるような鋭さで、それなのに激しい熱を湛えていて、息が詰まった。




『逃がさない、逃がすものか、君は僕だけのリナだ』




 彼が私の頭と腰を固定して、強引に唇を寄せるのを見て、思わず両手を彼の胸に突っ張った。




「消えて!」




 傷ではないと分かっていたが、怖さのような焦りに動かされ聖女の力を放った。




 蘇芳は怯みもしなかった。


 構わず私の手を掴み、乱暴に唇を塞いだ。




「うっ、んんっ」




 彼の心の中で、実体ではなく妄想の類いに過ぎないというのに、感触を伝えるほどに生々しかった。




 やめて!やめて!!




「やっ……………!」


「リナ!」




 ハッとして目を開くと、最初に彼の胸に片手を置いた状態のままでベッドに腰かけていた。




「あ……………わたし」




 荒く息をつき、現実を確認するため周りを見渡す。




「大丈夫、リナ?」


「…………………………」




 ノロノロと跪ずく彼に目を向けると、蘇芳は片手で自分の顔を覆ってしまった。




「ごめん…………………見たよね?僕は、その………………」


「ごめんなさい」




 立ち上がり、私は彼の言葉を待たずに部屋を飛び出した。




「あっ、リナ!」




 ただ怖かった。


 あんなにも激しい想いを向けられているなんて知らなかった。どうしていいか分からない。分からなくて怖い。


 私には受け止めきれない。




 廊下を走り、自室に入るや扉に鍵を掛け床にへたりこんだ。




 醜い獣だと思い知らされた。彼ではなく、私がだ。




 彼に比べ、こんなに弱くて、勝手で、卑怯な、醜い醜い私の心。


 あんなに強い想いを向けられるのは、私には不相応だ。私にはそこまでの価値はない。


 だから怖い。


 自分の醜さを見せつけられるようで。


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