Scene 49. 体温と、指先。

ヴァースは脱いだ上着を腕に抱え、出入り口の左右にある観客席に繋がる階段から、軽快な足取りで降りて来た。階段の登り口には一部を除いて柵があったが、それに片手をついてひらりと飛び越えて、広場へと降り立つ。


快い靴音を響かせて意気揚々と自分に向かって来るヴァースを見ながら、ミィヤはまだ動けなかった。しかし驚きで固まった身体に、急に高鳴り始めた心臓から、じんわりと熱い火照りが広がって行く。


「着任おめでとう、初等空士殿。」


笑みを浮かべて、戯けて言いながら、ヴァースは2人に敬礼をして見せた。2人の近くまで来ると、立ち止まる。


「あ、あ、有難うございます!」


マイクが慌てて敬礼を返し、ミィヤは少し遅れて、呆けたようにそれに倣う。ミィヤはヴァースの目を食い入るように見つめて外せなかった。


ヴァースはその目をじっと見返してから、目を細めて微笑んだ。


「新しい制服が眩しいな。似合ってるぞ、ミカエルソン。」


そう言葉をかけられて、ミィヤはまた、全身の血が逆流したような感覚を覚える。少し苦しくなって、視線を落とす。そのまま見つめたままになってしまいそうで、ヴァースも半ば無理やりに視線を外して、マイクに向き直った。その肩に手を乗せて言う。


「お前も。中々凛々しいぞ、カネムラ。制服を着ると急に大人びて見えるな。」

「は、はは。有難うございます。」


ぎこちないながらも、マイクは笑みを返した。少しずつ、連絡船の班長だった頃のヴァースを思い出す。


「珍しいな。ロビンソンは一緒じゃ無いのか。」

「……ついさっきまで居たんですけど。」


少し周りを見回して言ったヴァースに、マイクは答えながら大変な事を思いついて、少し青ざめた。


「はは、せっかく俺が祝ってやろうと思ったのに。」

「すっ、すぐに帰ってくると思いますっ。」


俺たちだけ先輩に会ったとかなったら、あいつになんて言われるか。マイクは心の中で叫ぶ。



早く帰ってこい、ロブソン!!




「先輩も、」


ミィヤが小さく呟いたのを、ヴァースは聞き逃さなかった。視線を外したままのミィヤの方に振り向く。


「着任、おめでとうございます。」


視線を合わせてから、微笑みながらミィヤは言った。声が少し、震えているようだった。


ヴァースはそれに少し面食らう。再度の着任に、まさか祝いの言葉など誰からも期待していなかったのだ。ともすれば皮肉に聞こえるであろうそれも、ミィヤからは他意のない、心からの言葉であるのが明らかで、嬉しかった。ふ、と少し吹き出してから、今度は声を出してヴァースは笑った。


「はは、有難うよ。」


身体を少し折って、無邪気で、僅かに照れたような笑顔を見せたヴァースに、ミィヤは更に胸が苦しくなった。



「ヴァースた……あ、アクレス准将!」


近くにいた、連絡船での訓練の同期数名が意を決して、声をかけて駆け寄って来る。


「ようお前ら。一週間ぶりだな。」


ヴァースはそちらに向き直って、一人一人に言葉をかけ始めた。また別の数名が近寄って来る。しばらくすると、周りにはちょっとした人垣が出来上がる。


元教え子達と言葉や握手を交わし、笑いあうヴァースの側で、ミィヤはまだ戸惑ったままだった。心臓の鼓動の速さは収まらない。



すぐ近くに、先輩がいる。

手を伸ばせば届くくらいだ。


同じ人だ。

私をジェットに乗せてくれた人と。



あれは、夢じゃなかったんだ。


ミィヤの身体の中心から全身に、安堵と、暖かい痺れのようなものが広がって行った。



「お前ら、明日からの任務と訓練も頑張れよ。」

『はいっ。』


ヴァースの声と、一同が同時に発した返事に、ミィヤははっと我に帰る。男子の割合が大きいから、全員の返事は低い唸りのようにミィヤの身体に響く。


ヴァースは一同を見回してから、すぐ隣にいるミィヤに視線を落とす。


「じゃあな。」


そう言いながら、ヴァースはミィヤの頭にポンと片手を乗せる。長身の男性の大きな手から軽く揺するように力を加えられて、ミィヤの頭は首の固定されていない人形のそれのようにふるふると動く。



片手を乗せられた瞬間、ミィヤは反射的に、帽子を持っていない方の手を頭に重ねていた。


ミィヤの小指と薬指が、ヴァースの指に重なった。ミィヤは自然に、その指に少し力を込めていた。僅かに指が絡む。


それを握り返すように、くい、と、ほんの少し、ヴァースの指がミィヤの指を挟んだ。




それは一瞬の事で、ヴァースは直ぐに踵を返すと、コロセウムの階段に向かって行った。


「またどこかでな。」


ヴァースは敬礼で見送る教え子数人の肩を叩いたり、握手に応えたりして激励しながら、その間を縫うように進む。再度柵を飛び越えて階段を登りきる頃には、また帽子を被り上着に袖を通し終えていて、着任したての「アクレス准将」の姿に戻っていた。



ヴァースの姿が見えなくなって、訓練の同期達は途端に、周りからの視線に居心地の悪さを感じ始めた。ヒソヒソと話し声も聞こえてくる。


今のはアクレス准将か?


まさか、そんな人が初等空士と話すわけないだろう。


でも、どう見ても今のは……


あいつらどういう関係なんだ?


同期達はお互いへの挨拶もそこそこに、そそくさとその場を離れて行った。ロブソンを待っているミィヤとマイクだけは、そこから動くことが出来なかったが。


「凄いね、わざわざ声をかけに来てくれるなんて!」


まだ少し興奮したように、マイクが言った。自分を落ち着かせる為なのか、ふうと大きく息をつく。


「そうね。」


視線を合わせずに答えながら、多分真っ赤になっているであろう顔を隠すために、ミィヤは帽子を被り直した。身体が熱い。



待ってろよ。


そう言われた気がした。



ミィヤは思い出す。

言ったじゃない、私。


(待ちます。いくらでも。)




「わりーわりー、待たせたな!」


しばらくしてやっと、ロブソンが姿を現した。随分人気の無くなった広場を、阻まれる物もなく真っ直ぐ駆け寄ってくる。


「いやー参った。迷っちまってよ、反対側まで行っちまったぜ。」


笑いながら言うが、ミィヤとマイクの困った様な視線に合って、不思議そうな顔をする。


「なんだよ、しょーがねぇだろ?」


2人が待たされたことをそんなに怒っているのかと不安気なロブソンに、マイクとミィヤはなんと声を掛けたらいいのか分からず、ただお互い顔を見合わせたのだった。

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