Section 6. 母艦へと。

Scene 27. 世間話と、帰還。

マザー・グリーン空中船艇軍の防護班の制服は、さまざまな色であるその他の部門の制服とは違って、白で統一されていた。そして士官の制服には、特有の黄色の縁取りが加わる。久し振りにその制服に袖を通して、ヴァースは特別区画に向かっていた。この制服を着ていたのは、軍を抜ける、その更に一年前だ。


マザー・グリーンの士官専用の住居区からの道のりは、ヴァースにとってはこれ以上ない程慣れたものだった。四年経った今でも、目を瞑ってでも歩けそうである。まさかまたこの道のりを歩くことになろうとは。ヴァースは最後にここを通った日が昨日のように思い出されて、四年という月日の短さに驚かされた。そしてその短い月日の、なんと影響の大きかったことか。以前この道を通った自分と、今の自分とは、全くの別人と言っても良いくらいだった。



ヴァースが母艦での復任を決め、着任依頼に正式に返答をしたのはつい最近だった。新しい士官の着任に関しての内示は当然の如くまだ行われていないようで、途中すれ違う軍員たちはヴァースを見て混乱するものがほとんどだった。


ヴァースの顔を覚えているものが多くを占めたが、そうでないものは、身頃の長い将官の制服を着た、初めて見る長身の男に首を傾げていた。覚えているものに関しては、最高責任者に対してのみ行うはずである最敬礼をすべきか否か決めかねて、挙動不審になるものが多かった。立ち止まって、呆気にとられたままヴァースが歩いていくのを見送る者もいた。複数人で歩いていたものに関しては、ヴァースが通り過ぎた後に囁き声が交わされた。



こういった反応は予想できていたので、ヴァースはマザー・グリーンに登る際には士官専用船ではなく、大きな一般用の連絡船を使って来ていた。私服で帽子を目深にかぶれば、士官以外の空士や観光目的の一般人相手であればまず気づかれはしない。ミィヤに貸したものとは別の、無輪ジェットに乗るときに使っていたジャケットの一つを着て、ボストンバッグだけを担いでの軽装だ。元々身の回りのものは少ない方だが、必要なものは別の便で送ってあるし、地上の自宅もそのままなので運ばなくてはいけないものも少ない。まさか前艦長が、護衛も付けずに一般連絡船で来るとはおそらく誰も思わないだろう。



「おう。」


と、連絡船内の指定席に座り出発を待っていた時に、見知らぬ男が隣の席に座るために声をかけて来た。おそらく同年代か、少し年上だろうが、少しお腹が出ている。ヴァースは隣の席に乗せていた荷物をどかしながら答えた。


「よう。どうだい調子は。」

「まあまあだな。良くも悪くもねぇよ。」

「そいつは……悪くないな。」


社交辞令で聞いたつもりだったが、一瞬返答に困って、おかしな返し方になってしまう。


「見ねぇ顔だな。何処の所属だい。」


見ない顔だと言われて、ヴァースはふと、連絡船に乗るものたちは皆顔見知りなのだろうかと考える。マザー・グリーンの船員達は数万人に上るだろうに、乗る場所や時間帯で、大体決まってくるのだろうか。士官専用の連絡船でなら、不思議ではないのだが。


ヴァースは事の追求は諦めて、話を合わせる事にした。


「防護班だ。出戻りだよ。」

「へぇ、そいつはご苦労なこった。なんでまた。」

「色々あってな。あんたは休暇かい。」

「あぁ、ガキが生まれてよ。」

「そいつはおめでとう。男か?女か?」

「ありがとよ。男さ。へへ、2人目でやっとだぜ。」

「よかったな。上は幾つだい。」

「ふたつになったばっかさ。全く、可愛いもんだぜ。」


男は聞いてもいないのに、腕時計から出るホログラムのスクリーンに、数カットの動画を映して見せてきた。新生児を抱いた男と、アイスクリームを口の周りいっぱいにつけた幼児を少しふくよかな女性が抱いて、一緒に映っている。幼児の顔のあまりにも盛大な汚れ具合に、ヴァースは思わずふっ、と吹き出した。


「可愛いな。」

「へへ、だろう?」


男は照れたように鼻をかいて言う。粗野なイメージだった男の顔が、くしゃりと笑みの形に歪む。


「ゆっくり出来たのかい。」

「まさか。3日だけ一緒にいて、とんぼ返りよ。」

「それは忙しいな。」

「全くだ。管理班も楽じゃないぜ。」


こぼしたのは愚痴だったが、男の声はまだ笑っていた。



機内アナウンスが入り、安全確認が促される。既にベルトを締めてあったヴァースは必要なかったが、男はごそごそと動き始める。ベルトを締めながら、男はまた聞いてきた。


「あんたはどうなんだい。」

「何がだ?」

「ガキだよ。男前が、いねえのか?」

「やもめなんでな。残念ながら。」

「そいつは……悪かったな。」


聞いてしまって、と、男は決まり悪そうに謝った。ヴァースは気にするな、と言うように、肩をすくめた。



前の座席に目を逸らしてふと思う。そうか、自分は子供がいてもおかしくない年齢なのか。むしろ、いない方が珍しいのかもしれない。


盲目に与えられた目的だけを目指していた自分には一緒になった女性が過去にいたわけだが、まともな関係を築けていたとは到底思えない。そんな状態で子供がもし出来ていたら、果たしてその子供は幸せだっただろうか。自分はこの男のように笑っただろうか。



母親を殺したも同然の父親を、その子供は愛しただろうか。



そんな事を考えると、自分に今子供がいない事は正しいことのように思える。そして、一度何もかも捨てた自分が家庭を持つなんて事も、上手く想像出来なかった。


ふと、昨日会ったばかりの女の子の顔が浮かぶ。女性と呼ぶにはまだあどけなさの残る容姿だが、あの子もいずれ子供を抱くのだろうか。彼女が、さっき男が写真で見せたくらいの子供と笑い合っている様子を想像してみる。そう言えばあの子の家にも小さい子供がいて、慕われているようだった。



あの子はきっといい母親になる。



ごほ、と急にヴァースが咳き込んだので、隣の男は少し面食らってしまった。激しく咳き込みながら、ヴァースは片手を挙げて、男に驚かせてしまった事に対する謝罪の意を示す。



お前、それは飛ばし過ぎだろう。


と、ヴァースは心の中で自分に言い聞かせて、帽子をさらに深く被り直し、腕を組んで眠ったふりをする事にした。




連絡船から降りる際、男がまた声をかけてきた。


「サイラスだ。色々頑張れよ。」

「ヴァースだ。あんたもな。」


握手を交わして、お互いの肩を力強く叩く。奥さんと子供を大事にな。とは、ヴァースは自分が言うのはふさわしくないような気がして言わなかった。


「マザーのご加護を。」

「そっちもな。」


と、母艦でお馴染みの挨拶を交わして、2人は一般の連絡船プラットホームで別れた。




そう言えば、あんな風に軍の人間と世間話をしたのは初めてだったかもしれない。子供の話題も、ご加護を、なんて言葉も。


そんな風に自分の変わりようを感慨深く思いながら、ヴァースは特別区画に向かうためにエレベーターに乗った。その区画は、マザー・グリーンのほぼ中央にある。ドアの横にいくつもあるボタンのうちの一つを押してその階を選択すると、ボタンを上下に挟まれて真ん中あたりにある、透明なガラス板が緑に輝いた。その階に向かうための権限を求められているのだ。ヴァースが手のひらをガラス板にピタリと付けると、赤い光の線がそれをスキャンし、認証を示す機械音がして、エレベーターは動き出した。


目的の階へたどり着いてドアが開くと、背の低い青年が手元の電子ボードを見ながら立っていた。前方のヴァースに気付かずそのまま入ってきそうになって、ぶつかりそうになる。すんでのところで気づいて顔を上げ、慌てて謝った。


「うわっ、す、すみませんっ……」


青年は顔を上げて、ヴァースを認めると、ピタリと凍りついた。その手元からこぼれ落ちた電子ボードは気にもとめず、信じられないと言った様子で目の前の人物の名を呟く。


「……あ、アクレス……前艦長!?」

「ようベール。」


足元に落ちたボードを拾ってやりながら、ヴァースは古い顔見知りの名前を呼んだ。彼はヴァースが艦長だった頃から、特別区画で事務を行なっている者だった。それなりに年が行っているのに、顔立ちが幼く少年のような印象の青年。


「順調に出世したな。」


ヴァースは、事務員の制服のバッジを見て満足そうに言う。ボードを手渡されたベールは、返事も出来ずに唖然としていた。ヴァースはベールの肩を叩きながらエレベーターを出て言った。


「今度は『准将』だそうだ。宜しくな。」



全く、身の回りのものにも伝えていないのか、あの人は。



今から会う人物に対する愚痴を思いながら、ヴァースは通路をまっすぐに進んで目的の場所へ向かった。その後ろ姿を呆けて見たままのベールの後ろで、エレベーターの扉は誰も乗せずに閉まってしまう。ベールは見たものをまだ信じられず、固まったままだ。そして目を瞬きながら思う。


あのひと、あんな気さくに喋る人だっけ?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る