Scene 5. 寝不足と、髪。
そんなこんなで、再びヴァースと顔を合わせることなく、ミィヤは訓練最終日を迎えた。
今日は朝礼のあとには地上に着き、搬出の後に解散となる。ミィヤは今にも閉じてしまいそうな目をこすりながら、朝礼の開始に合わせて集会所へ向かった。
扉をくぐると、既に大勢が待機していた。集会場は船の一番上に位置している。珍しく船外を直接見ることのできる部屋で、部屋の天井には大きな天窓があった。入ってきたときに大きなあくびをしてしまったのを見られたらしく、ミィヤと同じ防護専攻のロブソンが声をかけてきた。
「おっすミィヤ。おはよ。寝不足?」
「おはよーロブソン……まあね……」
「大変だな。」
「うん……」
ミィヤは自分と同じ韻を持つ彼の姓、ロビンソンを略して、彼のことは昔からロブソンと読んでいた。本名は、ウェイド・ロビンソンだ。赤みのある茶髪に、幾分幼く見える童顔だったが、がっしりとした体格だ。
ロブソンも訓練校一年目からの仲だったが、正直今は、相手が誰であっても会話する気が起こらなかった。女三人の宿舎のカプセルでの集会から、ミィヤはなかなか寝付くことが出来ず、毎日十分な睡眠時間を取れていない。今はただ、早く六ヶ月ぶりの自宅に帰って眠りたい。ただ、自宅に帰ったところでよく眠れるかは別の話だが。
「おっはよーミィヤ。」
と、勢いよく後ろから抱きついてきたのはビーだ。
「今日もひどい顔してるねぇ。」
「おはよう、ビー……」
いきなり抱きついてきて嫌味を言うビーに答える気力すらなく、ミィヤは力なく挨拶だけ返した。そんなミィヤに、ビーは、耳元で小さく囁いた。
「いいのぉー?そんな顔してて。今日は約束の君に会えるのにぃー?」
「!?ビーっ!!」
まさかわざと周りにバラすようなことをするとは思わないが、こんなところで話題を振らないでほしい。隣にロブソンもいるのに!
幸いなことに、ロブソンにはビーの言葉は聞こえていないようだった。急に怒り出したミィヤを、不思議そうに見ているだけである。もっとも聞こえていたとしても、彼はミィヤ達女同士の内緒話に首を突っ込むような事をする男ではなかったが。
しかし彼女の言うことも一理あると思わざるを得なかった。確かにここ数日の自分はひどい顔をしているに違いない。ヴァースと顔を合わせることになる最終日にそんな状態なのは、心底嫌だった。しかし、そんな状態になったのは、ビーが原因でもあるのに!全く腹立たしかったが、今のミィヤは彼女を攻める気にもなれなかった。
自分のしでかした事の大きさにおののいて二人に事を打ち明けたはいいものの、二人がからかったせいで、ミィヤの感情はより一層カオスと化しただけだった。ぐるぐる考えてしまって、眠いが眠れない。疲れ果てて寝付いたはいいものの、すぐに起きてしまう。また考えてしまう。その繰り返しだ。
もともとミィヤの中では、様々な感情がせめぎ合っていた。あこがれの人とまた二人きりで会えることへの嬉しさと、それを受け入れてくれたヴァースの自分に対する感情への期待と、そこでなにか嫌われるようなことをしてしまわないかという不安と、この事自体が本当なのかという今更な疑いと、上司とそんな関係を期待している自分への背徳感と、忠誠を誓うべく教育された軍での訓練においてそんなことにうつつを抜かしている自分への罪悪感と、それに……こんなに振り回されているのに、相手にとってはさほどのことでは無いのかもしれないことに対する恐怖と。
等々、色々あったのにそこにビーとリディが更に不安を煽るようなことで盛り上がったものだから、いかがわしい想像が加わってしまって手に負えなかった。
そうなの?そういうものなの?このくらい年が離れてるとそのくらい最初から覚悟しなきゃだめなの?っていうか私が遅れてるだけ?どうしよう、私ちゃんと断れる?っていうか断りたいの?だって隊長だよ?別に良くない?好きだし?いやいや、こういうのはきちんと断らないと。いきなりとか無理でしょ?緊張しすぎて死んじゃうでしょ?でもそれはがっかりさせてしまう?青臭いやつだと思われてしまう?引かれてしまう?めんどくさいやつだと?でも優しい隊長に限ってそんなことは。人が嫌がることを強要するはずないでしょう?そんなはずは無い。いやでも、わたしが隊長の何を知っているというの?万が一そんな人だって可能性も?いやいやまさか!!でも断って冷めてしまったら?っていうかデートで何かしでかしてしまったら?いやそもそもそんなにわたしに興味があると思ってるの?自惚れ過ぎじゃない?もっと軽い気持ちだったら?いやでも興味がなかったらデートの誘いを受ける?デートってだってそういうものでしょう?え、もしかして興味があるとしてもそんなことだけ?もしかしてわたし重い?いやいや、悲観的になっちゃだめだ自分!あのひとがそんな人間なわけない!というかわたしは?だって興味が無いわけじゃないでしょ?逆にそのへん興味がわかないとか言われたらショックでしょ?やばいでしょ?実は嬉しいでしょ?正直抱かれたいでしょ?いやでもこういうのは段階を踏まなきゃでしょ?だって受け入れて軽いやつだと思われたら?飽きられたら?だからそういう人じゃないでしょ?っていうかわたしちゃんとできるの?いやだからわたしはなんてことを考えてるの?……
と、全く切がなかった。堂々巡りで終わりがない。それに加えて今は、間もなく二人きりではないにしろ顔を見ることができるという嬉しさと、せっかくヴァースと会えるというのにひどい顔をしていることへの憤りと、朝礼の間起きていられるかという不安と、寝落ちてヴァースに呆れられたらという恐怖と、軍の訓練の最終日でこんな事になっている自分への危機感が加わっていた。
しかしそろそろミィヤの精魂が尽き果てていた。許容過多だ。とにかく眠い。なんかもうそろそろなにもどうでもいいかもしれない。
「整列!」
と、部屋の隅で一人の指導員が叫ぶ。時間だ。雑談を楽しんでいたものたちはおしゃべりをやめ、休んでいた者たちも重い腰を上げる。ミィヤは、ほとんど最後の力を振り絞って周りに倣った。ほどなく部屋の中で、訓練員たちは整然とした列を作る。まっすぐと背を伸ばし、後ろで手を組んで朝礼の開始を待つ。ミィヤの横で、ロブソンが「今日でこのメンバーも最後かぁ……」と感慨深そうにつぶやいたが、ミィヤはそうだなぁと思っただけで、相づちを打つことは出来なかった。
程なくして、室外から足音が聞こえて来た。シュ、という音がして自動ドアが開き、上官たちが入ってきた。指導員数人に、副隊長である髭の男性が続き、その後には……
「え。」
「あっ。」
「ええっ!」
「きゃあ!」
突然、部屋のそこかしこで小さな驚きの声が上がった。特に女性訓練員からは、押し殺してかすれた悲鳴が続いた。ミィヤは周りがなぜどよめいているのを怪訝に思ったが、眠くてそれどころではなかった。思いまぶたが落ちないようにするので精一杯である。上官たちが、訓練員たちが並んでいる正面の、一段高い場所に登った。
それを目にして、ミィヤはやっとざわめきの理由を理解した。
「……え。」
見ているものが信じられなくて、まばたきを何回かした。
隊長の、
髪が。
帽子をかぶらずに現れたヴァースは、頭を綺麗に刈り上げていた。上の方は髪が立つほど短い。襟足は剃りこんである。トレードマークだった長い髪を綺麗さっぱりなくしたヴァースは、最後だからなのか身につけた、副隊長と揃いの軍服の正装と相まって、より軍人らしい出で立ちとなっていた。いつも以上に露になった顔は、更に精悍に見える。清々しい様子で顎をあげて堂々と立つ姿に、何人かの女性訓練員は人知れず卒倒しそうになった。
ざわめきがまだ静まりきらないうちに、果敢にもいつも場を盛り上げるひょうきん者の男子訓練員が叫んだ。
「イケてます隊長!!」
部屋中に聞こえる大きな声だ。隣のものが「バカお前!」と小さく言いながらその腕を乱暴に引っ張る。後ろのものはその頭をかなり良い音がするくらい思い切り叩いた。周りにくすくすと押し殺した笑いが広がる。別のものが便乗して吹いた、鋭い口笛が響く。合いの手を叫んで、手を叩くもいた。
それを聞いてヴァースは、諌めるどころか少し笑い、
「当たり前だ!!」
と、声を張り上げた。室内に、ひとしお大きな笑いがどっと湧いた。
ざわめきが少し収まるのを待って指導員が静粛を促し、敬礼の号令で朝礼が始まった。進行役は副隊長だ。襟元のボタンで拡声器のスイッチをいれると、
「やあ、お前ら俺が髭を揃えたのによく気づいたなぁ。そんなにかっこいいか。」
と、わざととぼけたことを言って更に笑いを誘ったのだった。
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