Scene 3. 成功と、ご褒美。
ミィヤはすぐに動く気にはなれなかった。解除されていたのはほんの僅かな時間だったのに、煩わしくさえ感じる重力に逆らわずに、シートに身を沈めたまま力を抜く。「やったな!」と言って、何人かの別の訓練員がミィヤの顔を覗き込んでは肩を叩いていった。試験でいつも失敗して落ち込んでいたことを、気にかけてくれている者たちだった。「ありがとう。」と、ミィヤはそれには笑顔で答えたが、その後を追うには、ミィヤは疲れ切っていた。ミィヤを残して、皆司令室を後にした。
失敗し、ヴァースに呼び出され、ずっと気を張っていたところに急に実践の防護対処が飛び込んできたのだ。それも、失敗続きだったシミュレーションの本番だ。昨晩も、呼び出された不安でうまく眠れなかった。
スクリーンが消えて、背後の壁が露になる。中央のホログラムも消えていた。使用されていたプログラムの終了処理と、それを終えた機械の電源の切れる音が続き、やがて室内は物音一つしなくなった。ミィヤは、そのまましばらく、ぼうっとすることにした。
大丈夫、司令室は緊急時にしか入れないけど、出ていくのは数分遅れても問題はないはず。予め前日に、翌日来るようにとヴァース班長に呼び出されていたから通常業務のシフトは変えてもらっていた。今日はこの後急ぐ必要はない。わたし、頑張った。今日はうまくいって、本当に良かった。もし今日失敗していたら、私は本当に……
「あ。」
ぼんやりと、頭の中に自分をねぎらう言葉を思い浮かべながらそこまで考えて、ミィヤは思い出した。
再試、評価…… そうだ、ヴァース隊長!
勢いよくミィヤは立ち上がる。
「ミカエルソン?」
突然名前を呼ばれて、ミィヤは弾けるように振り向いた。誰もいなくなったと思った司令室の入口付近に、ヴァースが立っていた。
「隊長!」
「なんだ、まだそこにいたのか。」
笑いながら、ヴァースはミィヤに歩み寄った。ミィヤは慌てて、上官の前の訓練員らしく、居住まいを整える。背筋を伸ばして、まっすぐに立った。
「どうした、気が抜けたか。お前はもしかして、追い詰められると本領を発揮できるタイプか?」
微笑みながらからかうように言われ、ミィヤは恥ずかしさでまた何も言えなくなってしまう。この人はどうしてこう、いつも人の図星をついてくるんだろう……。なにか返さなければと焦ったが、つい先ほど考えていた事を思い出す。
「ヴァース隊長、あの、」
「うん?」
「今日は、ありがとうございました。」
と、言ってしまってから、まだ評価について実際にヴァースから言及されていないのに礼を言ってしまうのは厚かましかったのでは、と気づいて焦った。
「あの、チャンスをくださると言ってくださって、ありがとうございました。」
仕方がないので、改めて言い直した。評価を書き換えてくれる事自体ではなくて、自分を信じて挽回のチャンスをくれた事自体に、感謝の意を伝えたかった。
それに、今日の実践が上手く行ったのは、間違いなくヴァースが信じていると言ってくれたおかげだ。そのたった一言が、ミィヤにとっては、信じられないくらい心強いものとなったのだ。しかしそれが自分ひとりに向けられたものではないので、そのことについては言及するのは憚られた。そのことについてもお礼を伝えられないのは、なぜか少し苦しい気がした。ヴァースは優しく微笑んだまま返す。
「ああ、約束通り、昨日の試験結果は合格だ。実践で申し分ない働きをしたんだ。何も問題はない。今までのもの全て書き換えとは行かないが、終わりよければすべてよし、だ。着任希望先への推薦も問題ないだろう。成長したのだと判断してもらえる。」
そう言ったヴァースを、ミィヤは拝みたい気持ちだった。このまだ年若い隊長は、なんと思いやりに溢れた人なのだろう。だからこそ、隊員からの人望も厚いのだ。もうすぐ訓練期間が終わることを考えると、個人的な感情を抜きにしても名残惜しいくらいだった。流石に拝むのはふざけている気がしたが、なにか動作に表さずにはいられなくて、ミィヤは空挺軍に共通の敬礼をしてみせた。せめて心からの感謝が、伝わりますように。ヴァースの目を見てしっかりと言う。
「本当に、ありがとうございます。」
「ああ、今日は本当に、よく頑張ったな。ちゃんと見ていたぞ。」
ちゃんと見ていたぞ。
その言葉に、ミィヤは顔が熱くなるのを感じ、胸元はぎゅうと締め付けられるようだった。このひとは……ほんとにいちいちわたしの気持ちを揺さぶるようなことを言う。少し控えてもらわないと、ほんとに勘違いしてしまう!と、ミィヤは一変、内心でヴァースを責めたい気分になってしまった。ああでも、もうすぐこれともお別れなんだ、と、同時に寂しい気分にもなった。
本当に、振り回されっ放しだなぁと、ついにはそんな自分に呆れてしまう始末だ。
「今日の働きは、本当に素晴らしかったぞ。いつもの試験に比べたら、見違えるようにスムーズだった。ご褒美をやりたいくらいだな。」
ヴァースはそう言ってまた笑った。度が過ぎるのではと思ってしまうくらいの美辞麗句を並べて褒めるヴァースにますます赤くなりながらも、ミィヤの意識にはある一言が引っかかった。
ご褒美。
「じゃあ…… 」
魔が差したとしか思えなかった。
ちょっと疲れていたし、正直眠かったし。周りにだれもいなかったからって。いくらもう会えなくなるからって。それにしたってご褒美なんて冗談に決まっているでしょ?真面目に訓練に取り組んできたのに、その評価をぶち壊してしまいかねないじゃない。ちょっと頭がおかしいんじゃないって思われても仕方がないよ?ほんとに、何考えてんの?
と、直後にミィヤは後悔することになる。しかし時すでに遅し、である。
ミィヤは言ったのだ。残念なことに、ヴァースにもしっかりと聞こえてしまう声の大きさで。
「わたしと、デートしてください。」
と。
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