第597話

【「ねぇ、本当に僕で良いの……?」


 「あぁ、俺は……お前が欲しい……」


 「……嬉しい……」


 そう言って涙ぐむ彼をベッドの中でそっと抱きしめた青年は、静かに体を起こすと着ている上の服をゆっくり脱ぎ始めて】


「んぐぅっ!!」


「お、おじさん?!いきなりどうしたんですか?その本に何か……」


「な、何でもない!何でもないが、お前はこの本を読んだらダメだ……絶対……!」


「は、はぁ……んん?」


 訳が分からないといった感じで小首を傾げているマホを横目に見ながら読んでいた本を棚に戻していると、書き物机の向こうで満面の笑みを浮かべてるアシェンさんと目が合ってしまった……


「うふふ、いかがですか九条さん。私の書いた本、楽しんで頂けましたか?」


「え、えぇまぁ……あんまりこういう作品を読んだ事が無かったので少しだけ驚いてしまいましたが……あの、お好きなんですか?こういった物語って?」


「はい、大好きです。」


「あ、あははは……そうなんですねぇ……なるほど、なるほど……そう言えば、皆はどんな本を読んでるんだ?」


「はい?えっと、私の読んでいるのは小さな妖精さんが大きな森の中で大冒険をする物語ですね!」


「へ、へぇ……それはまた何と言うか、王道的というか……ロイドとソフィは?」


「私は男装が得意な女性騎士が難事件を解決していく物語だね。謎は複雑だが読んでいたらどんどん引き込まれてしまうよ。」


「……最強を目指して旅を続ける剣士のお話。」


「な、なるほど……本当に色々な物語をお書きになっているんですね……」


「えぇ、頭の中に浮かび上がった物は全て書き上げる様にしているんです。皆さん、もしよろしければそちらの本をお持ち帰りになって頂いても大丈夫ですよ。」


「えっ!良いんですか!?」


「はい。本は誰かに読まれてこそです。ここで棚に仕舞われているよりも、皆さんに読んでもらった方が本も嬉しいと思いますから。」


「うわぁ……!ありがとうございますアシェンさん!えへへぇ……」


「アシェンさん、心からの感謝を。」


「ありがとう。大切にする。」


「えぇ、九条さんも先程お読みになっていた本をどうぞ。」


「あ、あぁ……はぁ……そうですか……まぁ、えぇ、ありがとうございます……」


 アシェンさん……俺にあの本を持ち帰ってどうしろと仰るんですか?もしかして、イリスに運命の人って思われてるから何か勘違いなされているんでしょうかね?いや別に嫌いじゃ無いですよ?昔はそういうジャンルに手を出した事もありますからね?でもですね?俺自身がそうかと問われるとそれはまた別問題と言うヤツでして……


「皆さん、お待たせ致しました。夕食が出来上がりましたので、そちらにある椅子にお座りになって下さい。」


「あっ、はい!分かりました!」


 料理を運ぶカートっぽい物を押しながらイリスとルバートさんが部屋に入って来たその瞬間、反射的に棚に戻した本を取り出してポーチに入れてしまった俺は居心地の悪さを感じながら言われた通りにダイニングテーブル近くの椅子に腰を下ろした。


「九条さん、もしお口に合わなければすぐに言って下さいね。僕、運命の人の好みは全て把握しておきたいので。」


「イ、イリス……気持ちは嬉しいがご両親も見てるし……な?分かるだろ?」


「うふふ、失礼しました。でも、少しでも気になったら……必ず教えて下さいね。」


「わ、分かったから!いちいち耳元で囁いてくるんじゃないっての!」


「ふふっ、流石はイリスだね。」


「は、はい……何時もと変わらない所が本当に凄いですよねぇ……」


「お前ら……感心してる暇があるなら何とかしてくれよ……」


 ……なんてやり取りがあったりしながら晩飯を頂く事になった俺達は、用意された料理のあまりの美味しさに感動してあっと言う間に全てを食べ終えてしまっていた。


「ご馳走様。イリスさん、今日の晩御飯は何時もより気合が入っていましたね。」


「うん、皆さんに食べて貰うのに半端な物は出せないからね。でも、だからと言って普段は手を抜いてるって訳では無いよ。ね、父さん。」


「えぇ、作るなら美味しい料理が一番です。それにどうせなら、大切な人には喜んで食べて欲しいですからね。」


「うふふ、ありがとうございますルバートさん。」


「おやおや、何とも羨ましい限りだねぇ。」


「うん、パパとママを思い出す。」


「……おじさんも、何時かこういう日が訪れると良いですね。」


「うっせ、余計なお世話だっつぅの……さてと、ご夕食も頂きましたので俺達はもうそろそろ失礼させて頂きます。」


「えっ、もう帰ってしまんですか?もう少しごゆっくりしていても大丈夫ですよ?」


「いや、そういう訳にもいかんだろ。時間も時間だし、明日の事もあるからなぁ……そういう訳なんで、今日の所はこれで。」


「はい、本日はお疲れ様でした。また明日も……あっ、そうでした。すみませんが、皆さんにお伝え……と言うよりも、お願いしたい事があるので、聞いて頂いても構いませんか?」


「お願いしたい事……ですか?」


「えぇ、実は皆さんに……いいえ、九条さんにもう1つだけお仕事をご依頼したいと思っているんです。」


「仕事の依頼?それってつまり、思い出話をする以外の……?」


「はい。イリスさん、皆さんにご説明をお願いしても良いですか?」


「うふふ、あのイベントについてだよね?分かっているよ。」


 アシェンさんと視線を交わした後にイリスが俺を見ながら微笑み始めたんだが……何故だろう、背筋がゾクゾクっとしてきたぞ……?


「イリス、イベントという事はもしかして……王都で何か開催されているのかい?」


「はい。実は現在、王都では大切な人と素敵な思い出を作ろうというイベントが開催されているんです。」


「へぇ……あっ、だから恋人みたいな方達が大通りに沢山居たんですね!」


「なるほどねぇ……そりゃまたぼっちの野郎に厳しいイベントだ事……」


「ははっ、私もそう思います。独り身の男性は居心地が悪いでしょうね。」


「ですよねぇ……ん?あの、それと俺に依頼したい事をどういう歓迎があ……っ!?ま、まさか……」


「うふふ、お察しの通りです。九条さんにはそのイベントに参加して頂いて、そこで感じた事や経験した事を詳しく教えて欲しいのです。」


「い、いやいやいやいやいや!待って下さいよ!そのイベントに参加って……それ、どう聞いたって1人じゃ参加出来ませんよね?!」


「はい。ですので九条さんは……イリスさんと一緒に、ご参加なさって下さい。」


 ……満面の笑みを浮かべながらさも当然の様にそう言い放ったアシェンさんと目を合わせながら頬を引きつらせていると、マホが凄い勢いで立ち上がり始めた。


「ちょ、ちょーっと待って下さい!あのあのっ!おじさんとイリスさんは男の人同士なんですけど……だ、大丈夫なんですか?そのイベントって大切な人と参加しないといけないんですよね?」


「ふむ、確かに聞いている限りだとそうだね。アシェンさん、それならば私が相手となっても構わないのではないかな?」


「うん、私でも良いはず。」


「そ、そうですよ!それなら私がおじさんの相手をやります!」


「うふふ、すみません。皆さんのお気持ちはありがたいんですが、今回はどうしてもイリスさんでないとダメなんです。実は今度書こうと思っている作品の登場人物像が2人と凄く似ていまして……それでいかがでしょうか、九条さん。」


「いや、いかがでしょうかって急に言われましても……」


「勿論、返事は今でなくても構いません。ですよね、イリスさん。」


「そうだね。イベントは数日前に開催されたばかりなので、時間的な猶予はまだまだありますよ。でも、僕としては一緒に参加出来たら嬉しいなと思っています。」


「お、おう……う~ん……」


 まさかの追加依頼をされてしまいどうしたら良いのか分からずに頭を悩ませたままイリス達に別れを告げる事になった俺達は、吹き抜ける冷たい風を浴びながら宿屋に戻って行くのだった……

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