第322話

「ジョッシュ、お客様の為に椅子を用意してちょうだい。」


「分かりました。そのついでに部屋の空気を換気させてもらいますね。」


「あら、それはダメに決まっているじゃない。貴方もそう思うわよね?」


「えっ!?いや……そ、それは………へっ!?」


 この香りのせいなのか思考が全く働かなくてどう返答しようか悩んでいたその時、いつの間にか目の前にやって来ていたドクターが俺の頬に手を当ててきただと!?


「うふふ、どうかしら?私の香りは好みじゃない?」


「あっ……そ、んな事は……無いです……けど………」


「そうでしょう?なら、もっと肺の奥に届くぐらい息を吸い込んで……」


「ちょ、ちょっと!おじさんに何をしているんですか!?早く離れて下さい!」


「お嬢さん、私達は大人の駆け引きを楽しんでいるのよ。だから静かに見守っていてちょうだいね……ってジョッシュ、換気をする事は許可していないはずだけど?」


「ドクター、そうやって誰彼構わずちょっかいを掛けるのは止めて下さいよ。それにクラリスちゃんだって見ているんですから、もう少し大人としての自覚をですね」


「はいはい、分かったからお説教はそれぐらいにしてちょうだい……ごめんなさい、この続きはまた今度しましょうね……んっ……」


「っ!?」


 目を閉じてやれやれといった感じで首を横に振ったドクターと呼ばれている美女は至近距離でニコっと微笑みかけてくると俺の頬にく、唇を押し付けて来て!?!!?


「ままー、どうしておめめをかくすの?みえないよー!」


「ク、クラリス!ちょっとの間だけで良いからこうしていてね!」


「ドクター……そういうのは娘に見せるにはまだ早いので……」


「うふふ、ごめんなさいね。ついつい気分が盛り上がっちゃったみたい。」


「き、気分が盛り上がっちゃって……そんな理由で初対面の人の頬にキスをする人が何処に居るんですか?!それにどうして貴女がおじさんが持っていたはずの袋を手に持っているんですか!?」


「あらあら、そんなに怒ってばかりだと可愛いお顔が台無しになっちゃうわよ。」


「だ、誰が怒らせていると思っているんですか!?って言うか、おじさんもしっかりして下さいよ!」


「…………はっ!?お、俺は………あれ?紙袋は何処に?」


「九条さん、紙袋ならドクターに奪われてしまったよ。」


「えっ!?い、いつの間に……ひぅ!?」


「うふふ……九条さん、これはキスのお礼として貰っても良いかしら?」


「そ、それは……は、はい……どうぞ………」


「な、何を言ってるんですかおじさん!アレはフラウさんに渡すお土産なんですからあげたらダメですよ!」


「そ、それはそうだけど……」


「おやおや、どうやら完全に心が折れてしまったみたいだね。」


「それかあの人の虜になっている。」


「はっはっは!やはりお主にはさっきの接吻は刺激が強すぎたみたいじゃな!」


「ぐ、ぐぅ……!」


 バカにされてるのは分かっているけどその通りすぎて反論が出来ねぇ……!つーかあの人、マジで何の目的があって俺なんかにグイグイ迫って来てるんだよ?!いや、それよりも今はどうにかしてお土産を返してもらわないといろんな意味でマズイ!!


「あら、これってフラウちゃんに渡すお土産だったの。それならこのお土産はお返しするわね。」


「えっ?あぁ、どうもです……ってそうじゃなくて、ドクターさんってフラウさんとお知り合いだったんですか?」


「えぇ、知り合いと言うよりもお友達って感じだけれどね。」


「……ドクター、お喋りはそのぐらいにしてお仕事に取り掛かって下さい。」


「んもう、ジョッシュったらせっかちなんだから……でもそうね、そろそろお仕事を始めるとしましょうか。皆さん、長々とお待たせして申し訳ありませんでした。」


「あぁいえいえ、ドクターがそういう方だと言うのは承知していますから。」


「うふふ、ありがとうございます。それではそちらの椅子にお掛けになって下さい。ジョッシュ、換気はもう充分だから窓を閉めてもらえるかしら。」


「はい、分かりました。それでは皆さんはこちらの椅子にお座り下さい。」


「あっ、はい……」


 ジョッシュさんに促されて出入口近くに置かれた椅子に腰かけた俺達は、これから始まるであろう報告を黙って聞こうとしていたら……


「九条さん、もしよろしければこちらをお使い下さい。」


「へっ?これは……」


「ほら、頬にドクターの口紅が残ったままですから。」


「うぇっ!?す、すみません……ありがとうございます……」


「あーあ、九条さんったら私のキスマークを消しちゃうのね。」


「ドクター……」


「はいはい、無駄話はするなって言うんでしょ。」


「あ、あははは………」


 2人のやり取りに苦笑いを浮かべながら受け取った小さなタオルで頬に付いている口紅を拭っていると、すぐ真横から大きなため息が聞こえてきて……


「な、何だか大人になったイリスさんの相手をしているみたいで疲れました……」


「……確かに、言われてみればそっくりだな。」


「ふふっ、それじゃあ九条さんに夢中になるのも時間の問題かな。」


「ロイド……冗談でもそんな恐ろしい事を軽々しく言わないでくれ……」


 ガクッと肩を落として呟く様にそう言ってから顔だけ上げてみると、小さな黒色のボードとペンを片手に真剣な表情を浮かべているドクターとジョッシュさん、それとその前に並ぶ様に座っているウィルさん達の背中が見えた。


「それじゃあまず、薬を飲んだ時の事を覚えてる範囲で良いから詳しく教えてくれるかしら。」


「分かりました。私達が薬を飲んだのは王都に向かう2日前の事で……」


 それからウィルさん達は薬を飲んでから人間に変化して元に戻るまでにどんな事が起きたのかを事細かに話し始め、ドクターはそれを聞きながら手に持っていたペンを使ってその内容を書き留めていくのだった。


「なるほどね……だとしたら……ジョッシュ、分かっているわね。」


「はい、必要な材料を揃えておきます。」


 ドクターは持っていたボードをジョッシュさんに渡してそう告げると、さっきまでとは違う綺麗な笑みを浮かべながらクラリスと目線を合わせた。


「……クラリスちゃん、もう一度だけお薬を飲んだ時の事をきかせてくれる?」


「うん。えっとねー……おくちのなかがぴりぴりして、うげーってなっちってぜんぶのめなかったの。あじもにがくっておいしくなかった!」


「あらあら、それはごめんなさいね。次はもーっと美味しくて飲みやすいお薬を用意してあげるから、その時は飲んでくれるかしら。」


「うん!いいよ!」


「うふふ、ありがとうね。それじゃあ皆さん、今日はお帰りになって頂いてよろしいですよ。」


「そうですか……ドクター、ジョッシュさん、色々とありがとうございました。」


「いえいえ、また何かありましたら気軽にお立ち寄り下さい。」


「はい、その時は是非。」


 軽い挨拶を交わしてからウィルさん達が立ち上がったのと同時に腰を上げた俺達は閉じていた扉を開けて、ドクターとジョッシュさんに小さくお辞儀をしたんだが……


「九条さん、今度は2人っきりで会えるのを楽しみにしていますね。」


「そ、そうですね!機会があればその時は!それでは!」


「あっ、おじさん?!」


 怪しく光る瞳とニヤリと笑った口元を見て即座に廊下に飛び出した俺はそのままの勢いで建物の外まで走って行くのだった!

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