ギタリスト

湯上信也

フレット

ギターを買おうと思ったのは、何か特別な理由があったわけじゃない。音楽は昔から好きだったし、たまたま目に入ったアコースティックギターが僕でも買える金額だった。その程度の理由だ。


もう一つ言うなら、暇だったからだ。本当に、何もすることがないから、暇つぶしのためにギターを買った。


薄暗いアパートの一室で初めてギターを握る。初心者用セットみたいなのを買ったので、教本も付いていた。それを見ながらまずは簡単なコードを見様見真似で弾いてみる。


放たれた音は、僕の知っているギターの音じゃなかった。なんだこれ。教本に載っている通りの形で弦を押さえようとしても、左手が思うように動かない。指先が痛い。こんなのどうやって弾くんだ?


それからいくつかのコードを弾こうとしたけど、結果は同じだった。利き手じゃない手で、こんな複雑な動きができるわけがない。ギターが弾ける人は、左手の関節がおかしいんだ、と本気で思ってしまう。


無駄な買い物したな、と思いながら教本をペラペラ捲っていると最後のページにテープで止められた、小さな黒い直方体の物体が目に入った。その物体の周りには、派手な文字で説明が書いてあった。


『あなた専属の講師!AIロボットがギターをレクチャーします!たった一年で、プロ並みの技術が手に入る!』


AIロボット?


聞きなれない言葉に首を傾げる。解説ビデオが付いているなら分かるが、なんでわざわざロボットが付いてる?ロボットに講師なんてできるのか?そもそも、どこにロボットがいる?


様々な疑問が頭を埋め尽くす。怪しいとは思ったが好奇心には勝てず、その黒い物体に手を伸ばす。そこで、ページの端に『一年後にAIロボットは自動消滅します』と書いてある事に気づいた。便利なもんだ。


黒い物体の側面には、スイッチが付いていた。どうやら、これを押すらしい。少し間を置いてから、意を決してスイッチに指をかける。そして、押し込む。


黒い物体から、光が放出された。その光は、閃光弾でも投げ込まれたような強さで部屋を包み込み、眩しさに耐えられず目を閉じる。


次に目を開けた時、目の前に人間が立っていた。

いや、ロボットが立っていた。


真っ直ぐで綺麗な黒髪が肩まで伸び、白く透き通った肌とコントラストをなしている。長いまつ毛の下で、大きなブラウンの瞳が真っ直ぐに僕を見つめている。薄い唇はきつく結ばれ、何か言われるのを待っているようだった。


どう見ても、人間の女の子だ。

しかも、可愛い。


「……君は、だれ?」


やっとの思いで口にする。女の子は綺麗な瞳を僕に向けたまま、口角を上げた。


「ギター講師専用のAIロボット。名前はないから、好きなように呼んで。これからよろしく」


僕は驚いて、しばらく黙っていた。本当にロボットなのか?見た目といい、口調といい、完全に人間じゃないか。黒いパーカーにジーンズというラフな格好が更にロボットらしさを希釈している。


「あなた、名前は?」


僕が混乱しているのを知ってから知らずか、その女の子は軽い口調で聞いてくる。


「……ササキ」


「よろしくね、ササキくん」


握手を求めるように、手を差し伸べてくる。少し冷静さを取り戻した僕は、とりあえず手を握る。人間の温もりがある手だった。


「よろしく、フレット」


「フレット?」


「君の名前。好きなように呼んでいいんでしょ?」


「別にいいけど、あんまりセンスないね」


「うるさいな」


どんな仕組みで彼女が動いているのか、そもそも本当にロボットなのか、そういうことは考えない事にした。考えたって分かる事じゃない。とにかく、彼女は僕にギターを教えにきたのだから、素直に教えてもらえばいい。


「なんでそんな馴れ馴れしい口調なの?」


「嫌だったら勝手に設定して」


「めんどくさいからいいや」


あまり堅苦しくなってもやりにくい。今のままでも十分やりにくいけど。フレットは、「さて」と言って僕の向かいに座った。


「さっそく始めよう。一年で、君をプロ並みにしなきゃならないからね」


「嫌々やるみたいに言うなよ」


フレットは僕の言葉など無視して、「左手見して」と言った。素直に左手を差し出す。しばらく左手の指をいじってから、ため息をついた。


「まずは指のストレッチからだね。柔らかくしないと、コードなんて押さえられないよ」


「普通の人はこんなもんでしょ。押さえられる人の指がおかしいんだ」


「じゃあ今から君の指をおかしくしよう」


いきなり、中指と薬指を引き離すように引っ張った。「痛い!」と言ったら、手を離して、悪戯が成功した子供のような顔をした。

こいつ、粗大ゴミに出してやろうか。


「ひとりでできるストレッチ教えるから、お風呂の中とかでやって。あと、できる限り毎日ギターに触ること。一日サボるだけでも、結構影響でるから」


「……厳しそうだね」


「一年しかないんだから、当たり前でしょ」


フレットはめんどくさそうに言う。やる気があるのかないのか分からないな。


この日から、僕とフレットだけのギター教室が始まった。


「リズムは一定に保つこと」

「ストロークはボディに対して水平に、弦に対して垂直に振り抜く」

「コードチェンジする時は慌てない。最初はゆっくりでいいから、確実に弦を押さえることを意識して」


フレットは細かく、丁寧に教えてくれる。流石はロボットだ。日に日に上達しているのが自分でも分かる。ちょっとうるさい時もあるけど。


ギタリストの真似をして、ピックを口に咥えて指弾きをしていた時のことだ。フレットは僕の口からピックを取り上げて言った。


「カッコつけるのは、カッコよくなってからにして」


若干イラっとくるけど、彼女の言ってる事は正論だ。カッコよくなる努力をするとしよう。


ギターを教えていない時のフレットは、意外にも静かだ。無言でアパートの窓から人々の往来を眺めていることが多い。駅が近いから人通りも多く、色んな種類の人が通るから、見ていると面白いそうだ。


フレットが来て3ヶ月くらい経った頃、練習の休憩中に突然声をかけられた。


「ササキくんって前髪ながいよね。やっぱりバドマンってそういう特徴があるの?」


「僕はバンドマンじゃないし、バンドマンがみんな前髪ながいわけじゃない。人によって違うんだよ」


「へ〜。そうなんだ」


自分で聞いておいてそんな興味なさそうな返事するなよ。でも、フレットの方からギターに関係ない話をするのは初めてだったから、少し、本当に少しだけ、嬉しかった。

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