第194話・そしてわたしの旅路の果てに その13
それから、目覚めたわたしの見たものは、です。
…見えているものが現のものでないって経験や感覚は、神梛吾子のものを持ち出すまでもなく、夢にみたものに覚えることはあるでしょうけれど、わたしの場合、夢って結構実際にあって忘れてしまっていたことを示唆する場合が多いと思うんです。
だから、まだ水の中にいたガルベルグが撃ち放ったものが自分の身体を貫き、そしてアプロとベルが泣いて喚いて、それでわたしの身体と命を取り戻そうと必死に足掻いてる様は、現実にそこにある光景だって、素直に思えてしまいます。
ごめんなさい。
油断、っていうにはちょっと酷すぎました。
それから、二人にそんな顔をさせてしまった自分の不甲斐なさを申し訳なく思うのです。
きっともう、命失われてしまっただろう、わたしの亡骸と呼べるものを、アプロとベルは奪い合うようにしてマリスたちの元に降りてゆきます。
マイネルの持ち出したものはおそらく、治療のための聖精石なのでしょう。彼に似合わない、心の底から動転した様子で、何か小さなものをわたしの胸に空いた大穴にかざしていました。
でも今はそれどころじゃないでしょう?まだ、ガルベルグが生きてるんです。アレを生きてるとか死んでるとか表現するのは、生きてるものへの冒涜みたいな気もしますけど…。
ヴルルスカ殿下やフィルクァベロさん、マクロットさんといった経験豊かな年長組でしたらそこに気がついてもよさそうなものなんですが、あなたたちまでそんな慌ててどーすんですか。早くしないと、またガルベルグが…ああ、ようやく衛兵隊のひとが気付いたみたいです。なんだか見覚えのあるひとですよね…って、ナジェンダさんじゃないですか。アウロ・ペルニカが襲われたあと、復興の手伝いをしてくれたヴルス・カルマイネの衛兵さんたちをまとめてたひとです。規律正しくとも屈強な衛兵さんたちをまとめてるにしては、なんだか穏やかな学者風でどことなく頼りない感じでしたけど、実際は上からも下からも信頼の厚い、気さくで落ち着いたナイスミドルでしたね。
…あ、ナジェンダさんが呼びかけて、皆も気がついたみたいです。
アプロが、わたしのもう動かない手をとって何か言ってます。仇はとってやる、とか言ってるのでしょうか。
でもそんな泣きながら立ち向かったのでは、聖精石の剣の勇者の名折れです。わたしの仇とかそんなことじゃなくって、あなたにはあなたが自分に課した役割と、その願うところのために戦って欲しいのに。
けれど、そんなささやかなわたしの願いも、もう届かない。
ベルが必死に止めようとして、でもアプロはそれを力尽くで引き剥がして。
それから、わたしのために流してくれる涙を拭って、静かに強く怒って。
一度振り返ったのは、わたしにさよならでも告げたのか、それとも残ったみんなに逃げろとでも言ったのか。
こちらから見えた、寂しげに微笑んだ顔からは、うかがい知れるものではありませんでした。
そうして最後に、剣を大きく振りかぶったアプロの背中を、わたしは目に焼き付けたのです。
・・・・・
ガルベルグは、言った。
我はひとの願いを
ならばその姿は何を掬って在るのか。
【その問いの答えは、結ばれるべからざる二つの世界を跨ぐ処にある】
この世界に持ち込まれた幻想とはなにか。
【往き来無き世界が見た願望と呪い】
…ならば、彼の地にも等しく幻想は残るのだろうか。
【ひとの願いを掬う者無き世界に、幻想は
何故、二つの世界が生まれた。
【生まれた幻想を受け止めたから】
では幻想を打ち砕くは
【生まれた子を親が望むままに扱っていいと思う?アコは】
……なあんだ。じゃあもう答えは出てるじゃないですか。
【そういうこと】
地球のひとたちが見た幻想は、ガルベルグという受け手の現れた「何処か」で形を成し、そしてこの世界が生まれた。
いろいろ歪なとこはありますけれど、願い見た異世界は確かに生まれた。
けど、それを、存在を希ったひとたちが好きにしていい理屈なんかどこにもない。
わたしたちはこの世界で生まれ、育って死んでいく。一度巣立ったものを、生み出した人々が恣にすることなど許されない。
「…わたしは、ガルベルグのしようとしていることを認めたくありません」
【きっとそれは、このせかいにいきるすべてのいのちと石のねがい】
「そこまで大きく出るつもりはありませんけど、少なくともわたしが大事にしたい世界にとっての答えだと思うんです」
【………じゃあ、どうする?】
「そうですね。わたしは石の尽きるまで、わたしでいられます。ですけどわたしの願いと約束を果たすために消尽してしまうことになるあなたには…申し訳ないって思います」
【いいよ】
根源の答えは、意外とあっさりしたものでした。
「…言い出しといてなんですけど、本当にいいんですか?」
【ぼくは、ぼくだけじゃない。アコがいるから、ぼくがいる】
「逆だと思ってたんですけど。そうでもないんですかね」
【石をかくにもつまじゅうは、せかいにそんざいをしめすことでちからをとりもどす】
「あのー、そうやってこの大詰めでまた新しい設定盛り込むのやめてもらえます?収集つかなくなりますので」
【?…いみがわからない】
「わたしだって分かりませんて。なんだかそんな気になっただけですから」
根源の戸惑った気配が伝わってきます。まあそこは曖昧にしておきましょう?これからわたしのやることにとっては割とどーでもいいことですし。
【まだやるの?】
「やりますよ。だってわたしの身体って、第三魔獣なのでしょう?石が消尽するか、ここに空いた穴が塞がれない限り消えたりしませんし」
と、胸のとこをトントンと叩いて言います。
【なにをするの?】
「まあ、ガルベルグ…じゃないですね。幻想とやらにひとつ、ご退場願って。あとはまあ、もう独り立ちした世界が親離れする手助けをする、ってトコでしょ。幸い親の方はまだ子の存在に気付いてないみたいですし、もうこのまま最後まで往き来しない方が幸せってもんです」
【やくたいもない】
親子の関係になぞらえたのはあなたの方でしょーが、と文句を言っておきます。
「じゃあわたしはそろそろ行きますけど。あなたはどうします?」
【どうもこうも。いまのアコがもどったって、できることがあるとおもうの?】
う、と思わず口ごもります。
まー確かに、魔獣と呼ばれる、石の産み落とす澱に対してなら振るえる力もありますけれど、異界の願いをダイレクトに形にした幻想種なんてものをどーにか出来る力なんかありませんしね…。
どうしましょう?
【ほんとうにアコは、やくたいもない】
ほっといてください…ああウソウソ、何かいい手があったら教えてください。この際あなたお得意の「ヒントだけ」でもいーですから。
【…しかたがない。アコ、よくきいて?】
はい、拝聴しましょ。
【…げんそうをかたどったものは、そのねがいがあればこそかたちをえる。だから、ながれこむねがいをたつことで、それはいみをうしなう】
…つまり、地球世界とこの世界を繋いでいる穴を塞ぐのが先、ってことですか。
アレをそのままにして穴を塞ぐってのも難儀しそうですけどねー…。
あ、でも名前が残ってる、ってことはこれまでも幻想種って存在したんですよね?それってどう対処してたんでしょうか?
【さあ?】
さあ、ってこたーないでしょうが。
【にんげんはきろくをする。きろくをしてたにんげんにとえばいい】
だからその記録が残ってねーんですってば。マリスが知らないってんですから、教会には何も無い、ってことじゃないですか。
【そう。だから、それこそがこたえ】
んな無茶な、と思うのですが、根源はそれ以上語るつもりもないようで、黙して答えず。
…しゃーない、少しは自分で考えてみましょうか。わたしは思慮深いことでも定評があるのです、ってこれ前に言いましたっけ?
【……】
ああはいはい、根源の呆れかえったような空気もすっかりお馴染みになりましたよね、もう。
とにかくですね、記録大好き記録魔の教会に何も残ってないんです。あればあったで何かしら利用しよーとする集団ですから、ないってことは本当に無いんでしょうね。でもどうして?……って、ああわたしアンポンタンですか。教会の記録ってもともとガルベルグのもたらしたものが大半じゃないですか。
で、そこに無いってことは、ガルベルグが教えたくなかった…ってことですよね。どうして?
そもそも、です。
ガルベルグの狙い…というか、願いって何だったんでしょう。
いえ、それは一度、未世の間での本気で本気の対決をした時に聞き出したはずです。
ガルベルグは、安寧を願ったこの世界のひとびとの願いを掬った。そして、起った。
魔王なる存在を望まれ背負った。
ひとはやがて、それを必要としなくなる。ガルベルグはひとに望まれなくなることを畏れて、迷い、そして自らが生み出した世界に背かれて、壊れた。
壊れた、って言い方はベルの言によりますけど…壊れた、というよりは…。
ふと、わたしの脳裏に浮かび上がった図があります。
きっと神梛吾子の記憶なのでしょうけど、その記憶に強く残るおばあちゃんを困らせていたところです。
いつも家にいない父と母を詰って…神梛吾子にしては珍しく強い調子で…いて、おばあちゃんはどうしたらいいのか、言葉もなくただ哀しそうに、彼女のことを見つめていました。
そして長い時間、そうしていて、その最後におばあちゃんが言った言葉というのが…。
「…独り立ちする世界は、一度だけ、それと向き合わないといけないんですね」
【………】
応え無し。でもまあ、わたしにも至らないとこがありましたし。
そうですね。まあ、それをするのも、世界をそう導こうとするわたしたちの義務ってものです。
やってやりますか。
【もう、いい?】
「いいですよ。まあそうした後で最後まで出来るかどうかは分かりませんけど。あ、そうだ最後にひとつだけ」
【なに?】
わたしは、果たさないといけない約束があったことを思い出して、根源に向き直ります。
「今までありがとうございました」
【………どういうこと?】
おやま。この子がわたしの言動に本気で戸惑ってるとこなんてもしかして初めて?
でもまあ、そういうことがしたかったわけじゃないので。
「いつか言ったじゃないですか。お礼を言う機会をくださいね、って。今がその最後の機会かな、と思ったので」
【…べつにれいをいわれるすじあいはないとおもうけど】
そうは言いましてもね。
わたしからしてみれば、あなたがわたしの根源とかそういうことを含めたとしても、やっぱりわたし以外の存在なんですよ。
石は世界に回帰する力をためる時に澱を落とす。言うなればわたしの如き存在は、その澱みたいなもので、石そのものじゃない。
だからまあ、お礼を言ったりケンカしたり、ときには反発することもあって、だから同一の存在じゃなくってそれぞれに個性を持った、別のものなんですよね。
なので、お礼、言います。ありがとうございました、って。
【………まるでこれがさいごみたいなことを言う】
「最後だと思ってます。これからやらないといけないことを思ったら、それくらいの覚悟決めないといけないんです】
何せ、一つの世界を丸ごと親離れさせよーってんですから。
「じゃあ、これで」
【…どうやってここをでるの?】
「…出してくださらないので?」
【………………ぼくは】
明らかな逡巡の気配。
今までわたしを転がして楽しんだり、呆れかえったり、助けてくれたりしてきましたけど、この子のこーいう雰囲気はまた初めてですね。いかにも最後らしくて、なんだか名残惜しくなります…いえいえ、そーいうことじゃいけません。わたしには、待ってくれてるひとたちがいっぱいいるんですから。
「…もしかして、わたしと別れるのがイヤ、なんですか?」
【そんなわけない。ぼくとアコはひとつのそんざい。どこにいてもぼくはアコで、アコはぼく】
それはわたしと正反対の感想ですよね。
わたしはあなたと違う存在だと思ったからこそ、礼を言いたいと思った。そしてあなたはそれを無下にしなかった。だったら、こうやって向かい合ってる意味は、わたしたちが互いに異なって、そして意志と言葉を交わすことの出来る存在だ、ってことになると思うんです。
別に否定してくれても構いません。でも、こうしてわたした抱いた感謝は、わたし以外の個性に向けられたもの。そこんとこ、譲るつもりはないですから。
【……そう…】
「そうです。だからここから出してください…いえ、違いますね」
【…?】
わたしは、そこに確かにいるという存在感に向けて手を伸ばし、告げます。
「…一緒に行きましょう?わたしにはあなたの力…も、必要なんです」
【…………うん】
何を考えたのか。それは分かりません。
ですが、確かに頷いた気配と、どこか心地よく懐かしい心持ちが、わたしを覆います。
そして、何も無き暗闇が、光に包まれました。
それはわたしと根源を歓喜で言祝ぐ、この世界を生んだ、別の世界からの力強い励ましのようでもありました。
【アコ。ぼくはきみのなかにあって、ぼくでありつづける。いい?】
「覚悟が出来てるんなら大歓迎です。最期まで、共にあってくれればそれで充分ですから」
【うん。ぼくは、きみとともにほろびるゆいいつのそんざいでいつづけることを、ちかうよ】
おーけー、相棒。
さあ、やってやろーじゃありませんか。
・・・・・
「アコぉっ!……見てろよ、アイツを討ち滅ぼして…手向けにしてやるから…っ」
目を覚ましたわたしの耳に、アプロの泣き声が聞こえてきました。
つーかですね。
「勝手に殺さないでくださいっ!死んでませんってばっ!!」
目を開けて起き上がり、そう言った時の皆の顔ときたら…うん、どうにか語り継いで、アウロ・ペルニカで語り草にしてもらいましょう。
「ア…コ……?」
「はい、アコです。ごめんなさい、ちょっといろいろ折り合いつけてたので遅くなりました」
「アコぉっ!!」
「アコ、アコ……アコぉ……」
右と左、両側からアプロとベルに抱きつかれます。わーお、わたし両手に花なんてもんじゃないですね、コレ。
「冗談言ってる場合じゃないよっ!」
「………何が起こるのか分からんが、こちらを向いたぞ」
はい、分かってます、とわたしは二人を引きずりながら立ち上がり、鎌首もたげたよーな格好のガルベルグに、相対します。
体を伸ばして崖を登ってきたようです。なんて器用な。
『…………』
そしてその瞳に燃えさかる、憎悪。
わたしは今から、その怒りを、祈りへと代えに、往きます。
「アコ…?何をする…の?」
わたしの首にぶら下がったアプロが、戸惑い半分怯え半分みたいな声で言います。ていうかあなたわたしより背が高いはずでしょーに、この体勢はどういうことなんですか、まったく。
「アプロ、ベル。お願いがあります」
「…アコ、させない」
わたしが何か危なっかしい真似をしようとしてるとでも思ったのか、ベルは頑なな顔をしてました。
「……これからガルベルグに接します。手が届くまでの間に消し炭にされたら困るので、守ってくださいね」
「やだっ!!……アコ、アコぉ…助かったんだから、死ななかったんだから、もう逃げよ?逃げて三人で静かに…暮らそ?」
「それがいい…私もそうしたい……アコとアプロがいれば、わたしはもう何もいらないから…」
ごめんなさい。
本当に、ごめんなさい。
あなたたちにそこまで言わせてしまったわたしで、ごめんなさい。
でもこれは、やらないといけないんです。
「ガルベルグっ!!」
怒鳴りつけたわたしの声に、両側の二人はビクッと身を竦めます。
でもそれで、察してくれたのだと思います。わたしが決して、引くつもりのないってことを。
【アコはおとこまえ】
うるさいですね。同じ体になっての第一声がそれですか。もーちょっといいこと言えないんですかあなたはもー。
「……備えよ!針の英雄を援護するぞ!」
ありがとう、ヴルルスカさん。
少し離れた後背に響いたその声に、アプロとベルもわたしから離れ、互いに顔を見合わせ大きく頷きます。
「…アコ。何をする気か知らねーけど、こうなったらしょーがねー」
「…うん。道を拓けばいい?」
「そんな難しく考えることじゃないですよ。わたしは、ただ…」
ただ、なに?
そんな二人の声が聞こえた気がしました。
ですけどそれが耳に入らなかったのは、目の前にいるガルベルグの、大きなドラゴンの鼻先にもう既に、手が届いていたからです。
「え?」
きっとアプロのものと思われる、驚いた様子の声がこの際きもちいーくらいです。体の動きでアプロを出し抜けたのなんて、これが初めてですからね。
「どうも。お久しぶり、ってのもおかしいですけど」
ドラゴンの鼻の頭ってひんやりしてて少し濡れてるんですね、犬の鼻みたいです、などと呑気なことを考えてる場合じゃないんでしょうけど。
そして、ひとりの子供の、旅立ちのための、別れの儀が始まります。
「…わたしはただ、礼を告げたいだけなんです。どうか、聞いてください」
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