第9話 "Conversations with God" Book 1:5章 :P66-73

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┌《注記》

・対話上の「ニールの言葉」には、文頭に「N:」を付けました。

・「P」は原著のページを表します。

・末尾に英文原著を付記しました。

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(5)


第5章


N:神への真の道は何ですか?あるヨ-ガ行者が信じるように、禁欲節制を通じてですか?そして、苦行といわれるものは何ですか?多くの禁欲主義者が言うように、苦行と奉仕が神への道ですか?多くの宗教が教えるように、「善良であること」によって天国への道を得るのですか?あるいは、多くのニューエイジャーが言うように、自分のしたいように行動したり、ルールを犯したり、無視したり、伝統的な教えを捨てたり、身勝手に行動したりしていて、ニルヴァーナ(至福の境地)を見つけることができますか?どちらなんですか?厳格な道徳基準を守るべきなのか、自分のしたいようにしていいのか。どちらなんですか?伝統的な価値観を大切にすべきか、自分で創り出していくべきなのか。どちらなんですか?「十戒」を守るべきなのか、悟りへの7ステップを踏むべきなのか?


あなたは、その方法がどれか一つでなければならないと強く思っている。そうではないかな...それらすべてではいけないのかな?


N:分かりません。私がお尋ねしているんです。


では、あなたがよく理解できるように、答えてみよう。


だが、答えはあなたの内にあることを、今言っておこう。私の言葉を聞き、真実を求めるすべての人々に、このことを言おう。


熱心に尋ねるすべての心には、いずれが神への道かは、示されている。


それぞれに、心からの真実が与えられている。あなたの精神の旅を通してではなく、心の道に沿って私のもとに来なさい。あなたは決して、精神の中では私を見つけられないだろう。


神を本当に知るためには、あなたは精神の外に出なければならない。


しかしあなたは、質問の答えを求めている。私はあなたの真剣な質問から逃げるようなことはしない。


まず、あなたを驚かせ、しかもおそらく多くの人々の感性を怒らせるだろう声明から始めよう。「十戒」のようなものはない。


N:ええっ!十戒はないんですか?


そうだ、ない。誰に私は命じるのだろうか?私自身か?そして、なぜこのような戒めが必要なのだろうか?私が欲するものは何でもある。そうだろう?


だから誰に命じる必要があるのかな?


そして、もし私が戒めを出せば、自動的に守られるはずだろう?


そうなることを強く願って命じておいて、そうならないのを黙って見ているなどということはあるだろうか?


どんな王様がそんなことをするだろうか?どんな支配者がそんなことをするだろうか?


それでも私はあなたがたに言う。私は王様でも支配者でもない。私は創造者だ。しかし、創造者は創造を支配するのではなく、ただ創造し、創造し続ける。


私はあなたがたを、神の姿に似せて創造し、祝福した。


そして私は、あなたがたにある約束をして、言質(げんち)を与えた。


あなたがたが私とひとつとなったとき、あなたがたはどうなるかを、私は平易な言葉で語ったのだ。


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P67


あなたはモーセのように、真剣な探求者だ。モーセも今のあなたのように、私の前に立って答えを求めた。


「おお、父なるわが神よ」彼は叫んだ。


「わが神の神よ、私に示してください。民に語ることができるしるしを、私に与えてください!私たちが選ばれたことを、どうすれば知ることができますか?」


そして私は、今あなたのもとに来ているように、聖なる契約、永遠の約束、確実な言質をたずさえ、モーセのところにやって来た。


「どうすれば分かるのですか?」悲しげにモーセは尋ねた。


「なぜなら私があなたにそう言ったからである」私は言った。「あなたは神の言葉を受けている」


神の言葉は戒めではなく、契約であった。これらは…


「10の言質」だ。


あなたがたは神への道を取ったことを知り、神を見つけたことを知るだろう。なぜなら、これらのしるし、これらの兆候、これらの変化があなたがたに現れるからである。


①あなたがたは、心のすべて、精神のすべて、魂のすべてをつくして神を愛するだろう。私をおいて、ほかに神はない。あなたがたは、人間的な愛や成功、お金、力、いかなるそれらの象徴も、崇拝することはもはやしない。あなたがたは、子供がおもちゃを脇に置くように、これらのことを脇に置く。それらに価値がないからではなく、あなたがたがそれを超えて成長したからだ。


そして、あなたがたは自分が神への道を取ったことを知るだろう。なぜなら、


②あなたがたは、むやみに神の名を使わない。つまらないことで私を呼ばない。あなたがたは、言葉の力と思考の力を理解するだろう。あなたがたは、邪悪な方法で神の名を呼ぶことを考えない。あなたがたは、私の名をむやみに使わない。なぜならそれはできないことだから。私の名-大いなる「わたし」は、決してむやみに(つまり成果もなく)使われないし、いつまでも使われることはないだろう。あなたがたが神を見つけたなら、このことを知るだろう。


そして、私はあなたがたに、これらの他のしるしも与えよう。


③あなたがたは、私のために1日をとっておくことを覚えておき、その日を聖なる日と呼ぶ。これは、あなたがたが幻想に長く留まらないで、「自分とは何者か」を思い出すようにするためである。そしてあなたがたは、間もなく日々を安息日と呼び、一瞬一瞬を聖なる時と呼ぶだろう。


④あなたがたは、母と父を敬う。あなたがたが言い、行い、考えることすべてにおいて、父/母なる神を敬う時、あなたがたは神の子であることを知るだろう。あなたがたが母/父なる神を、そして地上の父母を(彼らはあなたに生命を与えてくれたから)敬うように、すべての人々を敬うだろう。


⑤あなたがたは、殺生しないこと(つまり、理由なく故意に殺さないこと)を守るとき、神を見いだしたことを知る。あなたがたは、どんな場合でも、他の生命を終わらせることはできないこと(すべての生命は永遠である)を理解すると同時に、最も神聖で正当な根拠なしに、どんな固有の輪廻を終わらせたり、ある形から別の形に生命エネルギーを変えたりすることはしない。


あなたがたは、生命への新しい畏敬の念により、植物や木々、動物を含むすべての生命を尊重し、至高善のためにのみ生命体に影響を与えるようになるだろう。


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そして私は、あなたがたが神への道にあることを知るために、他のしるしもあなたがたに送ろう。


⑥あなたがたは、不誠実や欺瞞によって愛の純粋さを汚すことはない。これは不義だから。私は約束する。あなたがたが神を見つけたとき、あなたがたはこの不義を行わないだろう。


⑦あなたがたは、自分のものではないものを取ったり、だましたり、はかりごとをしたり、他の人を害したりすることはない。これは、盗むことになるからである。


私は約束する。あなたがたが神を見いだしたとき、あなたがたは盗むことはしない。


さらに、あなたがたは、


⑧真実ではないことを言ったり、それによって偽証したりはしない。


⑨隣人の配偶者を奪うことはしない。なぜ他の人すべてがあなたがたの配偶者であることを知っているのに、隣人の配偶者を望むのか?


⑩隣人の所有物を欲しない。すべての物があなたがたのものであり、あなたがたの物はすべて世界のものであることを知っているのに、なぜ隣人の所有物を欲するのか?


これらのしるしを見るとき、あなたがたは神への道を見いだしたことを知るだろう。


真に神を求める者は、もはやこれらのことはしないと私が約束するからだ。このような行動を続けることは不可能だ。


これはあなたがたの自由であって、強制ではない。これは私の言質であって、命令ではない。神は自ら創造したことに対して、命じることはない。神はただ神の子たちに語るだけだ。これによって、あなたがたは、自分たちは神の元に帰ろうとしていることを知るだろう。


モーセは本気で尋ねた。「どうすれば分かるのですか?私にしるしをください」


モーセは、今あなたが尋ねているのと同じ質問をした。


時の始めから、あらゆるところのすべての人々が同じ質問をしてきた。私の答えは同じように永遠である。しかし、これまでも、そしてこれからも、決して命令であったことはない。私が誰に命じるというのか?命令を守らなかったからといって、私は誰を罰するというのか。


存在するのは私だけだ。


N:じゃあ、天国に行くために十戒を守る必要はないのですね。


「天国に行く」というのではない。あなたがたはすでに天国にいることを知るだけだ。受け入れること、理解することだけで、努力や奮闘があるのではない。


あなたがたは、すでにいる所に行くことはできない。そうするには、今いる所を離れなければならない。それでは旅の目的全体が、無意味になるだろう。


皮肉なことに、ほとんどの人は、自分がいたいところに行くのに、今いるところを離れなければならないと考えている。


そして、彼らは天国に行くために天国を離れる。そして地獄を通過する。


悟りとは、行くべきところもなく、するべきこともなく、今の自分以外になるべき何者もない、ということを理解することだ。


あなたがたは、どこかに行こうとする旅をしているのではない。


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天国-あなたがたがそう呼んでいるところ-はどこにもない(nowhere)。「nowhere」の単語のwとhの間にスペースを入れてみよう。すると、天国とは、「今ここ(now here)」ということが分かるだろう。


N:誰もがそう言います!誰もが!それで私は頭がおかしくなりそうです!もし「天国が今ここにあれば」、どうしてそれが見えないんですか?どうして感じないんですか?どうして世界はこんなに混乱しているんですか?


あなたのいら立ちは分かる。これらすべてを理解しようとするのは、誰かに理解させようとするのと同じくらい、いら立たしいものだ。


N:ああ!ちょっと待ってください!あなたは、「神はいら立つ」と言おうとされたんですか?


誰がいら立ちを創造したと思うのかな?あなたは、私ができないことを体験できると思うのかな?


私は言おう。あなたがするすべての経験は、私もしている。私は、あなたを通して自分を体験しているのが、分からないのか?


これらすべてが、何のためにあると思うのか?


私は、あなたがたを通してしか、自分自身を知ることができなかった。私は、「自分とは何者か」を知ろうとして、あなたがたを創造した。


私は、私についてのあなたがたの幻想すべてを、この一つの章で打ち砕くことはするまい。


それで、あなたがたが神と呼ぶ私の最も崇高な形では、私はいら立ちは経験しないと言おう。


N:うわ!良かった。ちょっと、おどろきましたよ。


しかし、それは私ができないからではない。そう選択しないだけだ。ところで、あなたも同じ選択をすることができるのだよ。


N:うーん、いら立つかどうかはともかく、私はまだ天国がここにあるのかどうか疑っていますし、天国を経験もしていません。


あなたは、知らないことを経験することはできない。あなたは、天国を経験したことがないので、今、天国にいることが分からない。分かるかな、それは悪循環なのだ。


あなたは、知らないことは経験できないし、経験する方法も見い出せない。そして、経験していないことは知ることができない。


悟りとは、あなたが体験していないものを知り、それを体験することだ。知ることは体験するための扉を開く。そして、その逆もあることは想像できるだろう。


実際には、あなたがたは経験したこと以上に多くのことを知っている。ただ、自分が知っているということを知らないだけだ。


たとえば、神がいることをあなたがたは知っている。しかし、自分がそれを知っているということを知らないかもしれない。だからあなたがたは、その経験を待ってあたりをブラブラする。


そしてその間ずっと、あなたがたはそれを経験し続けている。しかし、知らずにそれを経験している。それではまったく経験していないようなものだ。


N:おや、私たちはここで堂々めぐりをしていますよ。


そう、しているね。それに、堂々めぐりというより、我々がその輪自体であるかも知れない。これは悪い輪とは限らない。崇高な輪でもありえる。


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N:禁欲節制は、本当の精神生活には必要なのですか?


そうだ。なぜなら最終的にすべての魂は、真実でないものを棄てるし、あなたが歩む人生の中で、私との関係以外は何物も本当のものではないからだ。


しかし、昔ながらの自己否定的な意味での禁欲節制は、必要ない。


真のマスターは、何かを 「あきらめ」ることはしない。真のマスターは、無用なものは、ただ脇に置くだけだ。


自分の欲望を克服しなければならないと言う人がいる。私は、ただそれらを変えなさいと言う。


最初の実践は厳しいしつけ

のように感じるが、2度目は楽しい訓練のように感じる。


神を知るためには、すべての世俗的な情熱を克服しなければならないと言う人がいる。だが、そういう情熱を理解して受け入れるだけで十分だ。


抵抗する相手は、いつまでも存続する。見つめていれば、消えていく。


すべての世俗的な情熱を克服しようと真剣に努力している人は、しばしば一生懸命過ぎて、その努力が情熱になってしまうとも言える。


彼らには「神に対する情熱」がある。神を知ろうとする情熱がある。しかし、情熱は情熱であって、一つの情熱を他の情熱に代えても、情熱に変わりはない。


だから、情熱を感じるものを批判しないことだ。


ただそれに気付いて、そして、自分がこうありたいと思う自分になるために、それが役立つかどうか、考えさい。


覚えておきなさい。あなたがたは常に、自分自身を創造している。一瞬一瞬、自分とは何者かを決めている。

あなたがたは主に、自分が情熱を感じる人や物事に対する選択を通じて、これを決めている。


霊的な道(あなたがたがそう呼んでいるが)を歩む者は、世俗的な情熱や人間的欲望をすべて棄(す)てているように見える。


だが実際にしていることは、情熱や欲望を理解し、幻想を見つめて、自分にとって役に立たない情熱からは離れていることなのだ。


その間、ずっと、幻想が彼にもたらすもの、つまり完全に自由になるチャンスのために、幻想を愛してもいる。


情熱とは、「在ること」を行為に変える愛である。


情熱は、創造のエンジンに燃料を供給する。概念を経験に変える。


情熱は、本当の自分を表現するように、我々を動かす火である。


情熱を否定してはいけない。情熱を否定することは、自分とは何者か、本当は何者になりたいかを否定することだからだ。


悟った者は決して情熱を否定しない。結果への執着を拒否するだけだ。


情熱は行為への愛だ。行為は経験された在り方だ。


しばしば行為の一環として、何が創造されるか?


期待だ。


期待なしに、つまり特定の結果を必要とせずに人生を生きること、それが自由だ。それが神々しさだ。私の生き方だ。


N:あなたは結果に執着しないのですか?


絶対に執着しない。私の喜びは、創造にあるのであって、結果にはない。


禁欲節制は、行動することを否定する決意ではなく、特定の結果を必要とすることを否定する決意なのだ。これは大きな違いだ。


N:「情熱とは、存ることを行為に変える愛である」という言葉の意味を、説明していただけますか?


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「在る」ということは、存在の最高の状態である。それは最も純粋なエッセンスだ。それは「今であり、今でない」、「すべてであり、すべてでない」、「 有であり、無である」という神の側面だ。純粋に「在る」ということは、純粋に神であることだ。


だが、我々にとって、ただ存在するだけでは十分ではなかった。我々は、自分は何者かを経験することを常に切望してきた。それには、「行為」という、神性の全く別の側面が必要だ。


あなたがたは、素晴らしい自己の核心においては、愛と呼ばれる神性の側面である。 (ちなみに、これがあなたがたの真実である)


さて、愛であることと、愛することとは全く別のことだ。


魂は、経験によって、自分自身を知るために、何かしたいと切望している。そこで魂は、行為を通じて、最高の考えを実現しようとする。


「これをなそう」とする衝動は、情熱と呼ばれる。情熱を殺すことは、神を殺すことだ。情熱は、「やあ」と言いたがっている神だ。

しかし、分かるだろう。いったん神(または、あなたの中の神)が、愛を実行すれば、神は自身を現わしているから、それ以上何も必要としないのだ。


一方人間は、しばしば投資には利益が必要と感じている。誰かを愛そうとするのは、それはそれでいい。だが、そのとき相手からも愛が返ってきて欲しいと思う。そんなことを思う。


これは情熱ではない。期待だ。


これが人間の不幸の最大の原因だ。それが人間と神を分かつ違いだ。


悟った者は、東洋の神秘主義者がサマディ(三昧)と呼ぶ経験を通して、この違いを終わらせようとする。それは神との一体化、統合だ。神性と融合し、溶け込むことだ。



したがって、悟った者は結果を放棄するが、決して情熱を放棄することはない。

実際に、マスターは直感的に情熱が神への道であることを知っている。それは自己実現への道である。


世俗的な言い方をしても、何の情熱もないなら生きているとは言えないと、はっきりと言えるだろう。


N:「抵抗する相手は、いつまでも存続する。見つめていれば、消えていく。」とあなたはおっしゃいました。そのことを説明していただけますか?


あなたは、自分が現実だと認めないものに、抵抗することはできない。抵抗する行為は、その物事に命を与える行為だ。あなたがエネルギーに抵抗すると、エネルギーをそこに生じさせる。抵抗すればするほど、相手が何であれ、それを実体化する。


あなたが目を開いて見つめれば、それは消える。すなわち、幻想という姿を保てなくなる。


あなたが何かを見つめるなら、真に見つめるなら、それを見破り、それがあなたに見せている幻想を見抜くから、あなたの目には究極の現実以外は残らない。


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究極の現実を前にすれば、あなたの小さな幻想は力をもたない。幻想は弱った力で、いつまでもあなたをつかんでいることはできない。あなたはその真実を見いだし、真実はあなたを自由にする。


N:しかし、見ているものが消えて欲しくない場合はどうですか?


あなたは、常に消えるのを望むはずだ!


現実には、しっかりつかまえておくものは何もない。だが、あなたが究極の現実よりも幻想を選ぶなら、最初に創造したのと同じように、それを再創造するだけだ。


このようにして、あなたがたは、人生において、自分が持とうと選んだものを持つことができ、経験したくないものを人生から排除することができる。


だが、何ものにも抵抗しないことだ。抵抗によってそれをなくせると思うなら、もう一度考えなおしなさい。抵抗すれば、それをその場にもっとしっかりと植えつけるだけだ。すべての考えは創造的であると、私は言わなかったかな?


N:何も欲しくないと言う考えでもですか?


欲しくないなら、なぜそれについて考えるのか?二度と考えないことだ。だが、それについて考える必要がある場合、つまり考えないではおれない場合は、抵抗しないことだ。


むしろそれが何であれ、じかに見つめ、あなたが創造した物として現実を受け入れなさい。それから、それを保持するかどうか、あなたの望むように選択しなさい。


N:その選択は、何によって決めるのでしょうか?


「自分とは何者か」、「自分はどうありたいか」についてのあなたの考え方だ。


これはすべての選択、つまりあなたの人生で行ってきた、そして、これからもずっと行うだろうあらゆる選択を、決めるものだ。


N:それでは、禁欲節制者の生活は間違った道なんですか?


それは真実ではない。「禁欲節制者」という言葉は、間違った意味を持っている。実際には、何かを捨てることはできない。抵抗するものはそのまま存続するからだ。真の禁欲節制者は、放棄することはせず、ただ違ったものを選ぶだけだ。これは、何かから離れる行為ではなく、何かに向かう行為だ。


あなたは何かから離れることはできない。なぜなら、それは、地獄までもあなたを追いかけてくるからだ。したがって、誘惑に抵抗するのではなく、ただそれに背を向けなさい。私と向き合い、私と違うものには背を向けなさい。


だが、これを知っておきなさい。間違った道などはない。なぜなら、あなたが行くこの旅で、「行きつかない」ところはないからだ。


それは単にスピードの問題だ。つまり、あなたがいつそこに着くのかという問題だ。だが、それさえも幻想だ。なぜなら、「いつ」ということはないし、「前」も「後」もないからだ。ただ今があるだけだ。常に自分を経験している、永遠の瞬間があるだけだ。


N:それでは何の意味があるんですか? 「そこに行きつかない」ことがないなら、人生の意味は何なんですか?なぜ私たちは、何をするにも心配しなければならないんですか?


もちろん、心配しなくてもいい。しかし、しっかり観察するのはいいことだろう。自分は何者で、何をしているのか、何をもっているのかを、ただ気づけばいい。そしてそれが、あなたに役立つかどうかを見いだしなさい。


人生の意味は、どこかにたどり着くことではない。


あなたがたはすでにそこにいて、これまでも、そしていつもそこにいたことに気づくことだ。


あなたがたは、いつもそして永遠に、純粋な創造の瞬間にいるのだ。


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したがって、人生の意味は、自分自身を創造すること、そして、それを体験することなのだ。


P73

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"Conversations with God" Book 1:Chapter 5 :P66-73

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《Notice》

The words of Neale on the conversation are expressed by attaching "N:" to the beginning of the sentence.

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P66


(5)


Chapter 5


N:What is the true path to God? Is it through renunciation, as some yogis believe? And what of this thing called suffering? Is suffering and service the path to God as many ascetics say?

Do we earn our way to heaven by “being good,” as so many religions teach? Or are we free

to act as we wish, violate or ignore any rule, set aside any traditional teachings, dive into any self-indulgences, and thus find Nirvana, as many New Agers say? Which is it? Strict moral

standards, or do- as-you-please? Which is it? Traditional values, or make-it- up-as-you-goalong? Which is it? The Ten Commandments, or the Seven Steps to Enlightenment?


You have a great need to have it be one way or the other, don’t you… Could it not

be all of these?


N:I don’t know. I’m asking You.


I will answer you, then, as you can best understand—though I tell you now that your

answer is within. I say this to all people who hear My words and seek My Truth.


Every heart which earnestly asks, Which is the path to God? is shown. Each is given

a heartfelt Truth. Come to Me along the path of your heart, not through a journey of

your mind. You will never find Me in your mind.


In order to truly know God, you have to be out of your mind.


Yet your question begs an answer, and I will not step aside from the thrust of your

inquiry.


I will begin with a statement that will startle you—and perhaps offend the sensitivities

of many people. There are no such things as the Ten Commandments.


N:Oh, My God, there aren’t?


No, there are not. Who would I command? Myself? And why would such commandments be required? Whatever I want, is. N’est ce pas? How is it therefore necessary to command anyone?


And, if I did issue commandments, would they not be automatically kept? How could

I wish something to be so so badly that I would command it —and then sit by and

watch it not be so?


What kind of a king would do that? What kind of a ruler?


And yet I tell you this: I am neither a king nor a ruler. I am simply—and awesomely—

the Creator. Yet the Creator does not rule, but merely creates, creates—and keeps

on creating.


I have created you—blessed you—in the image and likeness of Me. And I have

made certain promises and commitments to you. I have told you, in plain language,

how it will be with you when you become as one with Me.


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You are, as Moses was, an earnest seeker. Moses too, as do you now, stood before

Me, begging for answers. “Oh, God of My Fathers,” he called. “God of my God,

deign to show me. Give me a sign, that I may tell my people! How can we know that

we are chosen?”


And I came to Moses, even as I have come to you now, with a divine covenant—an

everlasting promise—a sure and certain commitment. “How can I be sure?” Moses

asked plaintively. “Because I have told you so,” I said. “You have the Word of God.”


And the Word of God was not a commandment, but a covenant. These, then, are

the…


TEN COMMITMENTS


You shall know that you have taken the path to God, and you shall know that you

have found God, for there will be these signs, these indications, these changes in

you:


1. You shall love God with all your heart, all your mind, all your soul. And there shall

be no other God set before Me. No longer will you worship human love, or success,

money, or power, nor any symbol thereof. You will set aside these things as a child

sets aside toys. Not because they are unworthy, but because you have outgrown

them.


And, you shall know you have taken the path to God because:


2. You shall not use the name of God in vain. Nor will you call upon Me for frivolous

things. You will understand the power of words, and of thoughts, and you would not

think of invoking the name of God in an unGodly manner. You shall not use My

name in vain because you cannot. For My name—the Great “I Am”—is never used

in vain (that is, without result), nor can it ever be. And when you have found God,

you shall know this.


And, I shall give you these other signs as well:


3. You shall remember to keep a day for Me, and you shall call it holy. This, so that

you do not long stay in your illusion, but cause yourself to remember who and what

you are. And then shall you soon call every day the Sabbath, and every moment

holy.


4. You shall honor your mother and your father—and you will know you are the Son

of God when you honor your Father/Mother God in all that you say or do or think.

And even as you so honor the Mother/Father God, and your father and mother on

Earth (for they have given you life), so, too, will you honor everyone.


5. You know you have found God when you observe that you will not murder (that is,

willfully kill, without cause). For while you will understand that you cannot end

another’s life in any event (all life is eternal), you will not choose to terminate any

particular incarnation, nor change any life energy from one form to another, without

the most sacred justification. Your new reverence for life will cause you to honor all


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life forms—including plants, trees and animals—and to impact them only when it is

for the highest good.


And these other signs will I send you also, that you may know you are on the path:


6. You will not defile the purity of love with dishonesty or deceit, for this is

adulterous. I promise you, when you have found God, you shall not commit this

adultery.


7. You will not take a thing that is not your own, nor cheat, nor connive, nor harm

another to have any thing, for this would be to steal. I promise you, when you have

found God, you shall not steal.


Nor shall you…


8. Say a thing that is not true, and thus bear false witness. Nor shall you…


9. Covet your neighbor’s spouse, for why would you want your neighbor’s spouse

when you know all others are your spouse?


10. Covet your neighbor’s goods, for why would you want your neighbor’s goods

when you know that all goods can be yours, and all your goods belong to the world?


You will know that you have found the path to God when you see these signs. For I

promise that no one who truly seeks God shall any longer do these things. It would

be impossible to continue such behaviors.


These are your freedoms, not your restrictions. These are my commitments, not my

commandments. For God does not order about what God has created—God merely

tells God’s children: this is how you will know that you are coming home.


Moses asked in earnest—“How may I know? Give me a sign.” Moses asked the

same question that you ask now. The same question all people everywhere have

asked since time began. My answer is likewise eternal. But it has never been, and

never will be, a commandment. For who shall I command? And who shall I punish

should My commandments not be kept?


There is only Me.


N:So I don’t have to keep the Ten Commandments in order to get to heaven.

There is no such thing as “getting to heaven.” There is only a knowing that you are

already there. There is an accepting, an understanding, not a working for or a

striving.


You cannot go to where you already are. To do that, you would have to leave where

you are, and that would defeat the whole purpose of the journey. The irony is that

most people think they have to leave where they are to get to where they want to be.

And so they leave heaven in order to get to heaven—and go through hell.


Enlightenment is understanding that there is nowhere to go, nothing to do, and

nobody you have to be except exactly who you’re being right now. You are on a

journey to nowhere.


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Heaven—as you call it—is nowhere. Let’s just put some space between the w and

the h in that word and you’ll see that heaven is now… here.


N:Everyone says that! Everyone says that! It’s driving me crazy!


N:If “heaven is now here,” how come I don’t see that? Why don’t I feel that? And why is the world such a mess?


I understand your frustration. It’s almost as frustrating trying to understand all this as

it is trying to get someone to understand it.


N:Whoa! Wait a minute! Are you trying to say that God gets frustrated?


Who do you suppose invented frustration? And do you imagine that you can

experience something I cannot?


I tell you this: every experience you have, I have. Do you not see I am experiencing

my Self through you? What else do you suppose all this is for? I could not know

Myself were it not for You. I created you that I might know Who I Am.


Now I would not shatter all of your illusions about Me in one chapter—so I will tell

you that in My most sublime form, which you call God, I do not experience

frustration.


N:Whew! That’s better. You scared me there for a minute.


But that’s not because I can’t. It’s simply because I don’t choose to. You can make

the same choice, by the way.


N:Well, frustrated or not, I still wonder how it can be that heaven is right here, and I don’t

experience it.


You cannot experience what you don’t know. And you don’t know you are in

“heaven” right now because you have not experienced it. You see, for you it is a

vicious circle. You cannot—have not found a way yet to—experience what you do

not know, and you do not know what you have not experienced.


What Enlightenment asks you to do is to know something you have not experienced

and thus experience it. Knowing opens the door to experience— and you imagine it

is the other way around.


Actually, you know a great deal more than you have experienced. You simply don’t

know that you know.


You know that there is a God, for instance. But you may not know that you know

that. So you keep waiting around for the experience. And all the while you keep

having it. Yet you are having it without knowing—which is like not having it at all.


N:Boy, we’re going around in circles here.


Yes, we are. And instead of going around in circles, perhaps we should be the circle

itself. This doesn’t have to be a vicious circle. It can be a sublime one.


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N:Is renunciation a part of the truly spiritual life?


Yes, because ultimately all Spirit renounces what is not real, and nothing in the life

you lead is real, save your relationship with Me. Yet renunciation in the classic sense

of self-denial is not required.


A true Master does not “give up” something. A true Master simply sets it aside, as he

would do with anything for which he no longer has any use. There are those who

say you must overcome your desires. I say you must simply change them. The first

practice feels like a rigorous discipline, the second, a joyful exercise.


There are those who say that to know God you must overcome all earthly passions.

Yet to understand and accept them is enough. What you resist persists. What you

look at disappears.


Those who seek so earnestly to overcome all earthly passions often work at it so

hard that it might be said, this has become their passion. They have a “passion for

God”; a passion to know Him. But passion is passion, and to trade one for the other

does not eliminate it.


Therefore, judge not that about which you feel passionate. Simply notice it, then see

if it serves you, given who and what you wish to be. Remember, you are constantly

in the act of creating yourself. You are in every moment deciding who and what you

are. You decide this largely through the choices you make regarding who and what

you feel passionate about.


Often a person on what you call a spiritual path looks like he has renounced all

earthly passion, all human desire. What he has done is understand it, see the

illusion, and step aside from the passions that do not serve him—all the while loving

the illusion for what it has brought to him: the chance to be wholly free.


Passion is the love of turning being into action. It fuels the engine of creation. It

changes concepts to experience.


Passion is the fire that drives us to express who we really are. Never deny passion,

for that is to deny Who You Are and Who You Truly Want to Be.


The renunciate never denies passion—the renunciate simply denies attachment to

results. Passion is a love of doing. Doing is being, experienced. Yet what is often

created as part of doing? Expectation.


To live your life without expectation—without the need for specific results —that is

freedom. That is Godliness. That is how I live.


N:You are not attached to results?


Absolutely not. My joy is in the creating, not in the aftermath. Renunciation is not a

decision to deny action. Renunciation is a decision to deny a need for a particular

result. There is a vast difference.


N:Could you explain what You mean by the statement, “Passion is the love of turning being

into action”?


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Beingness is the highest state of existence. It is the purest essence. It is the “nownot

now,” the “all-not all,” the “always-never” aspect of God. Pure being is pure Goding.


Yet it has never been enough for us to simply be. We have always yearned to

experience What We Are—and that requires a whole other aspect of divinity, called

doing.


Let us say that you are, at the core of your wonderful Self, that aspect of divinity

called love. (This is, by the way, the Truth of you.) Now it is one thing to be love—

and quite another thing to do something loving. The soul longs to do something

about what it is, in order that it might know itself in its own experience. So it will seek

to realize its highest idea through action.


This urge to do this is called passion. Kill passion and you kill God. Passion is God

wanting to say “hi.”


But, you see, once God (or God-in-you) does that loving thing, God has realized

Itself, and needs nothing more.


Man, on the other hand, often feels he needs a return on his investment. If we’re

going to love somebody, fine—but we’d better get some love back. That sort of

thing.


This is not passion. This is expectation.


This is the greatest source of man’s unhappiness. It is what separates man from

God.


The renunciate seeks to end this separation through the experience some Eastern

mystics have called samadhi. That is, oneness and union with God; a melding with

and melting into divinity.


The renunciate therefore renounces results—but never, ever renounces passion.

Indeed, the Master knows intuitively that passion is the path. It is the way to Self

realization.


Even in earthly terms it can be fairly said that if you have a passion for nothing, you

have no life at all.


N:You have said that “what you resist persists, and what you look at disappears.” Can You explain that?


You cannot resist something to which you grant no reality. The act of resisting a

thing is the act of granting it life. When you resist an energy, you place it there. The

more you resist, the more you make it real—whatever it is you are resisting.


What you open your eyes and look at disappears. That is, it ceases to hold its

illusory form.


If you look at something—truly look at it—you will see right through it, and right

through any illusion it holds for you, leaving nothing but ultimate reality in your sight.


P71

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In the face of ultimate reality your puny illusion has no power. It cannot long hold you

in its weakening grip. You see the truth of it, and the truth sets you free.


N:But what if you don’t want the thing you are looking at to disappear?


You should always want it to! There is nothing in your reality to hold onto. Yet if you

do choose the illusion of your life over ultimate reality, you may simply recreate it—

just as you created it to begin with. In this way you may have in your life what you

choose to have and eliminate from your life what you no longer wish to experience.


Yet never resist anything. If you think that by your resistance you will eliminate it,

think again. You only plant it more firmly in place. Have I not told you all thought is

creative?


N:Even a thought that says I don’t want something?


If you don’t want it, why think about it? Don’t give it a second thought. Yet if you

must think about it—that is, if you cannot not think about it—then do not resist.

Rather, look at whatever it is directly—accept the reality as your creation—then

choose to keep it or not, as you wish.


N:What would dictate that choice?


Who and What you think you Are. And Who and What you choose to Be. This

dictates all choice—every choice you have made in your life. And ever will make.


N:And so the life of a renunciate is an incorrect path?


That is not a truth. The word “renunciate” holds such wrongful meaning. In truth, you

cannot renounce anything—because what you resist persists. The true renunciate

does not renounce, but simply chooses differently. This is an act of moving toward

something, not away from something.


You cannot move away from something, because it will chase you all over hell and

back. Therefore resist not temptation—but simply turn from it. Turn toward Me and

away from anything unlike Me.


Yet know this: there is no such thing as an incorrect path—for on this journey you

cannot “not get” where you are going.


It is simply a matter of speed—merely a question of when you will get there—yet

even that is an illusion, for there is no “when,” neither is there a “before” or “after.”

There is only now; an eternal moment of always in which you are experiencing

yourself.


N:Then what is the point? If there is no way not to “get there,” what is the point of life? Why should we worry at all about anything we do?


Well, of course, you shouldn’t. But you would do well to be observant. Simply notice

who and what you are being, doing, and having, and see whether it serves you.


The point of life is not to get anywhere—it is to notice that you are, and have always

been, already there. You are, always and forever, in the moment of pure creation.


P72

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P73


The point of life is therefore to create—who and what you are, and then to

experience that.


P73

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