第39話「あまり女を待たせるものでは無いわ」

「クロウ・ヒガシ少尉、他、えっと5名入ります!」


 医務室のドアの前に到着したクロウは、自分の周りにいる人間の数を数えて改めて医務室のコンソールパネルに向かって言う。航空隊の面々はともかく、違う科の人間も交えてこれだけ大人数で移動することも珍しい。


「入れ」


 答えたのはタイラーだった。クロウは安心してドアを開ける。だが、その室内の光景を見てクロウは言葉を失っていた。


 居たのはジェームスとルピナスとシドとタイラーである。だが、備え付けられたベッドに座るタイラーの様子がいつもと異なっていた。『仮面を外して』いたのだ。


 その顔はクロウの知る兄、八郎の顔である。ただし、髪だけはまるで地毛のように金髪であり、それは仮面を付けた状態でもわかっていたが、ともかくクロウは久しぶりの八郎の顔をその目で見た。


 それを見たパラサが慌てて、入り口で立ちすくむ一同を医務室へ押し込んでその扉を閉めた。厳重にその入り口に施錠までした。タイラーの素顔はこの艦の中において『極秘中の極秘』なのである。


「ああ、すまないパラサ。気を遣わせたな。今仮面を付ける」

 言ってタイラーはその素顔を、仮面へといつものように隠した。


「うかつに過ぎます艦長。この艦は既に私達リッツ家の目もあるのですよ?」


「事情を説明するに当たって、見知った顔であった方が便利であろうと思ってね、身内のようなものだしついつい油断していたようだ。まあ、今更『娘』の一人である君の肉親にこの顔を見られたところでどうという事はあるまいよ」


 言いながらタイラーはそっと室内に入ってきたクロウの隣に寄り、その背中を自身が座っていたベッドの隣に置かれている椅子へと押し出した。


「ある程度の事情は説明しておいた。後はお前の方がいいだろう」


 それで、クロウはその椅子が置かれたベッドのカーテンに遮られた先に、誰が居るのかを察した。息を飲んで、ゆっくりとそのカーテンの切れ間へと向かう。


 出迎えたのは、真っ赤な、ルビーを思わせる目である。彼女は昔からこの珍しい瞳を持っていた。その長く何処までも黒く美しい髪は見間違うはずさえも無かった。


「み、つき……!」


「ようやくお出ましね、九朗。あまり女を待たせるものでは無いわ、間を持たせたのが八郎さんで無かったら、その首根っこを掴んで力の限り引きちぎってしまっていたかもしれないわ」


 九朗の幼馴染であり、九朗と八郎が住む家の隣の武術道場の一人娘である美月その人である。その物騒な言葉遣いも九朗の知るそのままであった。九朗はその口振りが、彼女が不安な時に発する強がりであることをよく知っている。ベッドサイドに座る。そのか細い肩をクロウは力の限り抱きしめた。


「ばっかやろう!」


「ふふ、作り物の体でも悪くはないものね。愛する男の抱擁というものは」


 この動作で、クロウと共に部屋に入った少女達にもミツキの顔は露わとなった。


「ああ、私、クロウ君が色仕掛けでなびかない理由わかったわ」


「あんな人が身近にいたらそうなるわよね」

 ユキのぼやきにトニアが応えていた。


 クロウはまったくその美醜に対して無頓着であったが、ミツキのすらりと長い四肢も、整ったプロポーションも同性であっても羨むほどのそれなのである。クロウにとってはひたすら口が悪くて、ついでに性格も悪くて、どこまでも優しくて、とても扱いにくい彼女は、その実、恐ろしい程の美貌を備えていた。


 だが、次の瞬間である。その抱擁し、むき出しになったクロウの首筋に顔を埋めたかと思った美月が思いっきり口を開いてクロウの首筋に噛みついた。


「ま゛っ!!」


 その『久しぶり』の痛みにクロウは思わず抱きしめた手を離し、その状態で固まった。その場に居る誰もが固まった。


 しかも、美月の噛みつき方はまるで愛撫のような甘嚙みでは断じてない。ガチの本気噛みである。その人よりもやや長めの犬歯を容赦なくクロウの首筋に突き立て、クロウの血液がその皮膚との隙間から流れ出すと同時、彼女は思いっきり吸い込んでいた。喉を鳴らして飲み込んでいる。クロウの血液をである。


「ちょー! ちょっと何やってるのさ!?」


 慌てたのはユキを含む後から部屋へ入ってきた一同である。


「ああ、普通びっくりするよな。大丈夫だ。クロウもミツキもこれが平常運転だ。挨拶のようなものと捉えてくれ」


 それを見たタイラーが一同をいさめる。


「ロスト・カルチャーの普通がわからない……」


 呟いたのはトニアである。当然、クロウの生きた時代であってもコレは普通ではない。クロウとその兄にとって普通の事であってもだ。


「じゅる。ご馳走様。やっぱり起き抜けは九朗の血に限るわ、とっても甘露。でも他の女の匂いが濃いのは気に入らないわ、それも何、5人かしら? ふざけているの九朗? 私以外の女をこんなに侍らせているなんて殺すわよ?」


 口元を優雅に拭ってミツキは言う。


「あー、びっくりしたけど、いつも通りの美月で安心したよ」


 そう言うクロウの首筋にはあれだけ強かに噛み千切られたにも関わらず、その傷口が存在しなかった。因みに、後半の物騒なセリフは美月特有の照れ隠しだとクロウは思っている。


「そうね、少し喉が渇いただけだもの。私の番(つがい)でありながら勝手に死んだバカを追いかけるのも楽ではなかったけどね」


「ってバカ! だからって自殺する奴があるか!」


「バカは貴方よ九朗。私が血を抜いた位で死ぬわけが無いじゃない。『休眠』状態に入っただけよ。冷凍された時は近くで冷凍されてるアンタを蹴り起こしてやろうかと思ったけど、アンタが死ぬからやめておいたのよ」


 状況に付いていけない一同である。当然だ、4000年も遥か未来の住人である彼らは彼女の異様なその正体を想像する事すら出来ない。


「ええっと、クロウ少尉。申し訳ないのだけど、彼女を紹介してもらっていいかしら?」


 そう言ったのはこの艦の少年少女代表のパラサである。


「ああ、彼女は五鬼上ゴキジョウ美月ミツキ。僕の幼馴染です」


 さらりと答えたクロウに、突っ込むのは問うたパラサと、美月であった。


「や、そうじゃない! この場で説明するのはそこじゃないでしょう?」


「違うわクロウ。郷に入れば郷に従うものよ。私の名前はミツキ・ヒガシ。あなたの番(つがい)以上でもそれ以下でもないわ」


 場が混乱するから、このミツキには一旦黙っていて欲しいと心底パラサは思う。いつもの頭に手を当てるポーズをした。


「ああ、ミツキはえっと、『吸血鬼』って奴の末裔です『自称』。会ったころからこれが普通なんで、結構忘れるんですよね。こいつ別に空とか飛ばないし、お日様で溶けることもないし。ああ、色は白いから日焼けとかは苦手みたいですけど。時々僕の首筋に噛みつく以外は普通って感じです。あと、ミツキ昔から言ってるけど僕は君を番(つがい)だと思ったことはないぞ」


「はぁあ?」


 このクロウの幼馴染の存在は、このSF然とした宇宙歴の中で、ひと際異彩を放っていた。彼女の正体はファンタジーの王道、『吸血鬼』のその末裔だと言うのである。


「よろしくねー」


 と、にこやかにひらひらとミツキは手を振る。パラサやクロウと共に医務室へ入ってきたユキ、トニア、アザレア、エリサに対してである。


「ああ、後。僕の名前のヒガシを勝手に使うのやめてくれないかミツキ?」


「嫌ね」


 無下にも無いとはこのことである。ミツキは新しい自分の名を心底気に入っている様子で繰り返しつぶやいていた。


 クロウにとってミツキはいつも通りマイペースな彼女であるので瞬時に諦める。言っても無駄だからだ。ミツキは嫌だと言ったら絶対に譲らない。


「では、ミツキ・ヒガシ少尉は以後航空隊の所属だ。因みにエリサ二等兵も航空隊の所属になる予定なのでそのつもりでいろ」


「うわぁお、しれっと『二人も』押し付けられちゃったよ。トニアどうする?」


「どうするもこうするも、腹くくるしかないわね……」


 フリーダム過ぎるこの空間に、パラサは激しい頭痛を覚えていた。

「ああ、もういいです。この『つくば』にもはや常識とかそういったものが適応されないのは、よーくわかりました。私はクロウ少尉の時と同じように彼女のあれやこれやを主計科に行って準備しますがよろしいですね?」


「ああ、頼むパラサ」

 静かに頷くタイラーである。


 タイラーにとってもこのミツキの存在は見知った幼馴染であり妹のような存在であるが、それ以上にとっておきのジョーカーに等しい存在だ。


 そのため、この月面に着陸してすぐに、タイラーの命によってランドルとニコラスの諜報班の二名が彼女の身柄の受け取りに動いていた。それは艦長室でオーデルを迎えてすぐのミーティングの後に二人に達していた命令だった。


 タイラーは事前に『つくば』がこの月面に到着する時間を逆算して、この月にも居る協力者にミツキの『再生』を依頼していた。ミツキの身体は彼女の居場所をルウに報告されてすぐに製造されていた。そのクローン体を元とする体に対して『ideaイデア』である彼女の意識を移植すれば、今現在のミツキが出来上がる。


 タイラーの憶測が確かであれば、ミツキの存在自体が場をひっくり返すだけの効力を持つ。今彼の手札には自身であるキングと、エースであるクロウと、ジョーカーであるミツキが揃った。だが、とタイラーは思う。これだけではまだ足りない。それにジョーカーであるミツキはその使いどころが大変難しい。今は、彼女は決してそのトランプの図柄をこの世界にさらしてはいけない。


「言うまでも無いが、ミツキのこの『体質』は、今この場にいる面々以外は『極秘』とする。航空隊の面々と、クロウに近しい者にはいずれ目撃されるであろうとの考えでこの場の同席を許した。見た方が早いからだ。だが、この緘口令は絶対のそれとする」


 その場に居る全員が、特にクロウと共に入室した面々が、何故この場に自分が居るのかを悟った。その秘密を理解し、同時に秘匿とする協力を要請されたのだ。


「艦長、その件に関しては多分ここに居る人たちであれば大丈夫だと思います。僕はそれを信じる」

 言いながら、クロウはタイラーへとまっすぐと顔を向けた。


「お話したいことがあります。多分艦長と、ルピナス、それとシド先輩がいると話が早い」

 先の戦闘の事である。クロウはまだタイラーに報告できていない事がある。


「わかっている。場所を艦長室に移動しよう。ミツキはここに着替えが来るので彼らが着る『常備服』と呼ばれている服に着替えてくれ、パラサ、ルウ、忙しい所申し訳ないが、彼女のフォローを頼む。クロウと違って同性だ。その方が都合のいい事も多いだろう」


 ルウはにこやかに、パラサは渋々頷く。医務室の扉の方向を向いたタイラーとユキの視線が偶然に合った。瞬間ユキは顔を逸らした。心底『やばい』という、都合の悪い顔をしてである。


「トニア少尉! 及びアザレア軍曹!」


 突然タイラーは航空隊2名の名を呼んだ。すっかり油断していた2名は思わず気を付けの姿勢を取る。


「ユキ中尉を『懲罰房』へぶち込んでおけ! ユキ中尉、どうして私が貴様にこの『自由時間』を与えたか分かるか? 武士の情けという奴だ。誰しもが『旅立ち』の前には親しいものの顔を見たいと思うだろう? 貴様もそう思うと思ってな」


 有無を言わさぬそのタイラーの声に、瞬間トニアとアザレアは両脇からがっちりとユキを拘束した。


 タイラーは仮面の上からでも分かるユキに対する軽蔑の顔に歪めながら言葉を続ける。ユキに自身で『分かるか?』と問いながらその実ユキに応えなど求めていなかった。


「私は貴様に反省文を書けと言ったのだ。官能小説を書けとは一言も言っておらん! しかも、貴様の『性癖』は看過できん! あんなにポンポンクロウ少尉を襲われ子供を作られてたまるか! 『つくば』が貴様の遺伝子で埋まるなど神への冒涜だ! 終いには××プレイに×××だと? 私は呆れてものも言えなかったほどだ!!」


 ユキがクロウを襲い、その件に関して作成させたユキの『反省文』をその実タイラーはきちんと読んでいた。その『反省文』のどこかにユキの『反省』を示す何かが含まれていると考えてである。


「貴様には『地獄』でも生ぬるい。『天国』コースだ。『VR禅寺荒行60倍』の刑に処す!」


 この『つくば』の懲罰房は営倉の真横に設置された、いわば処刑場であった。


 営倉で『更生』が認められなかった『問題行動者』に対して『VRシミュレータ』を使用して懲罰を行うのがこの『懲罰房』である。


 通常、『懲罰房』が利用されることはほとんどない。大抵場合は営倉で反省が見えるからである。ところが、ユキはこの度『反省文』を通して『まったく反省する気などない』ことを自ら示して見せたのだ。


 さすがのタイラーは呆れた。


 そこで『懲罰房』を使用することにしたのである。房と名前が付きながらその室内にはVRシミュレータ用のリクライニングシートが一つ設置されているだけである。それ以外は必要ないからである。


 そしてこの『懲罰房』で執行される刑には通称『地獄』コースと、その上の『天国』コースが存在した。


 『地獄』コースとは『市中引き回しの上打ち首獄門』などという、タイラーが知る遥か太古の刑罰をそのままVRシミュレータで忠実に再現するという、すさまじい懲罰であった。因みにそこに登場する登場人物たちは全てその受刑者の親しい『つくば』乗組員が再現された。それをVR特有の倍速も駆使して繰り返し、繰り返し行うのである。大抵の受刑者は心が折れた、それを受けた経験のあるクルーは口をそろえて「あれをもう一度受ける位なら死んだ方がマシ」と言わしめる程である。


 だが、その上が存在するのだ。『地獄』すら生ぬるいと認められた特別なクルーに特別に実施される『天国』コースである。これは上記の『地獄』コースとは全くアプローチを変えた代物である。タイラーの性格の深さというか、その人生経験の全てを詰め込んだ、とっておきがこれであった。


 『天国』コースを受けて、『性格が変わらなかった』受刑者は居ない。『天国』コースは文字通り天国を体感できる『強制的に仏門に下る』コースだった。


 これを受けた受刑者は一様に『悟る』。


 もはや生き神のような姿になって帰って来た。文字通り生まれ変わる刑であった。


「おいおい、冗談じゃない! あれを受けて『無事に帰って来た』奴なんていないんだぞ?」


 ユキは完全に顔面の血の気を引きながら言う。その『懲罰』の意味を知らないクロウも無視した。今クロウは忙しい、というか関わり合いになりたくない。生前から本気で怒った兄である八郎、つまりタイラーがとんでもない折檻を考え出してはそれを実行していたからである。さすがに死ぬことこそ無かったが、クロウは何度か『死ぬかと』思った。その時と同じ空気をタイラーから感じていた。


「ちょっ、待って! 本当に反省したから『それ』だけは許してぇええええ!!」


 そのユキの悲痛な叫びは、その医務室に居る全員に無視された。それを聞いたクロウは思う、その一言はこの場において『地雷』であると。


「トニア少尉! 及びアザレア軍曹! 刑罰の内容を変更する。『VR千日回峰行コース600倍」のスペシャルコースだ。艦内のコンピュータリソースの1割をくれてやる!」


 特に『千日回峰行コース』はその中でも飛びぬけて厳しいコースである。1日48kmの山道を1,000日間歩き続け、その行が終わると、今度は9日間『飲まない』『食べない』『寝ない』『横にならない』という修行を続けるのである。これを実行するためにはとても60倍では倍速が足りない。実質受刑者は3年近い体感時間をその刑に服さなければいけないからである。


 また、『疲労』や『体調の変化』、『空腹』に至るまで忠実に再現される。ちなみにこの刑を受けたクルーは今のところ存在しない。『千日回峰行』はその修行の性質上、中断が許されない。中断する場合には『短刀』で自らの腹を切り『切腹』して絶命しなければならない。VRの性質上死ぬことはないが、その場合は最初からやり直しとなる。あまりの苦行ゆえに設定だけは存在したが『実行された者』はいないのがこの懲罰であった。


 神妙にお縄についたとは言えないユキに対して、タイラーは止めの一撃を放った。それ以上の刑罰はこの『つくば』艦内に存在しない。


 では、行こう。そう言ってタイラーは医務室のドアから先頭に歩き出した。クロウはその背中を追いながら、今トニアとアザレアに両脇からがっちりと拘束され項垂れるユキを見ながら、せめて彼女が死ぬことがないようにと祈った。

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