第四世代人類

第36話「『かろうじて』まだ人の形は残ってる」

 ヨエルのアヴェンジャーと死闘を繰り広げたその月面の戦場からどう帰ったのか、クロウは覚えていなかった。クロウはただ、ユキとミーチャに言われるがままデックスを駆り、その月面の基地に着陸していた『つくば』の格納庫へと戻っただけだ。


 『つくば型』3艦はその船体を月面基地に着陸させ、オーデル指揮下の地球連邦軍艦隊と合流を果たしていた。


 現在、その月面基地には地球連邦艦隊のスペース1(地球圏)に存在する宇宙戦力のほとんどが集結していた。ここに至り、『つくば型』3艦はようやく自身の安全を確保したのであった。


 ユキ達航空隊は、クロウとは異なり『つくば』との通信を途絶させてはいなかった。クロウが初めてデックスで航空隊と訓練を行った際に、航空隊を発見するために射出した情報収集ポットを一定間隔に逐一射出し、それをそれぞれ中継させることで『つくば』との通信と航空隊全体の通信を確保しつつ、アヴェンジャーを追って単機で戦闘を繰り広げていたクロウを追っていたのだ。


 格納庫へとクロウがデックスの足を進ませると、格納庫内では慌ただしく技術科のクルーが行きかっていた。クロウたち航空隊の帰艦を察知すると彼らは手早く彼らを誘導し始めた。


『ケルッコ、そのままハンガーにデックスを入れるな。その抱えた『ヴィンツ』をここに降ろしてから行け!』


 スピーカー越しに叫ぶのは宇宙用の作業服に身を包んだシドだった。彼は格納庫の艦内出入り口に近い場所に大まかに黒板に使うようなチョークで4角形を描いて見せると、そこに『ヴィンツのコックピットブロック』を下すように指示した。ケルッコは静かに、間違ってもそれに衝撃を与えないように慎重にそのコックピットブロックを下していた。


『よし! 『全機』格納完了! 隔壁閉じろ!』


 シドの言う『全機』とは、航空隊全機のことではない。無論その場にヴィンツのデックス、8号機はないのである。クロウは視界の端で全天周囲モニター越しにそのぽっかりと空いたヴィンツ用のハンガーを覗き見た。そして、その代わりに『転がる』のが、ケルッコが置いたヴィンツのコックピットブロックである。


 クロウは堪らず、コックピットハッチを開放し飛び出していた。格納庫のGは地球の約1Gに比べて6分の1程度である。月面へと着陸しており、格納庫が現在重力制御を行っていないからである。普段はタラップを使用しなければデックスからは降りる事が出来ないが、今は容易く格納庫の床に降り立つことが出来た。


 月面では地球と同様に走る事は出来ない。クロウは逸る気持ちを押さえながら、精一杯の速度でヴィンツのコックピットブロックの近くまで到達した。改めて見るそれは、本来球体である形を大きくゆがめ、クロウにはまるで月齢で欠ける『半月』のように見えた。コックピット上部が大きくひしゃげていたのである。


 シド達技術科のクルーはその球状のコックピットブロックが転がらないように四方に輪留めのようなものを設置していた。同時にコックピットブロックに残るリング状のパーツにワイヤーを通して床に固定していく。


「技術長。内部の様子はやはりモニターできません」


 端末を操作しながら技術科のクルーの一人が言う。


「だろうな、全エアブロック閉鎖確認! 格納庫にエアー入れろ! 開けた瞬間窒息で死んだとかって話になったら目も当てられん!!」


 それに応えて格納庫全体にエアーの注入を促す警報が鳴る。


「艦医長は?」


 聞くシドに対して先ほどの技術科のクルーが答えていた。

「そこの隔壁の向こうで既に医療科のクルーたちと共に待機しています。艦長も一緒です」


「全員宇宙服は着てるんだろう? 確認してから全員入れろ」


 しばらく間があって、格納庫にぞろぞろと医療科のクルーとジェームス、そしてタイラーとルピナスが入ってきた。


「技術長。エアー濃度よし」


「よし、全員待て」

 聞いたシドは、自ら真っ先に宇宙服のヘルメットを外す。大きく深呼吸してその格納庫の空気濃度が正常であることを確かめた。


「よし、全員メット取って良いぞ。今からこのコックピットブロックの開放を試みる」


 航空隊の全員はパイロットスーツのヘルメットを外すことも忘れてその光景を見守ることしかできなかった。


「通常の開放は、もちろんダメか。一応コックピットブロックの開放部の形は保っているが……」


 シドは慎重にコックピットブロックの外部端末と、非常用コックピットハッチの開放を試みるが、いずれもコックピットハッチを開けるには至らなかった。


「ベイルアウト(座席のみの緊急脱出)時に使用するハッチパージを試みる! 全員離れろ! ゆがんだハッチがどこにすっ飛んでいくか分からんぞ!」


 言いながらシドは全員が下がった事を確認すると、すかさずコックピットハッチの一部を操作する。


 瞬間コックピットブロックの非常用ハッチの四角い4辺が小さく爆発すると、まるで水道管が破裂した時に水圧で飛ぶマンホールのようにその蓋を格納庫の天井まで飛ばした。それは格納庫の天井に激突すると、やがて月の引力に引かれて格納庫の床に大きな音を立てて激突し止まる。


 技術科のクルーたちがそれを回収しに向かったのを見て、シドは開口したコックピットブロックの中を覗き見る。


「おい、クロウ、ケルッコ、手を貸せ。『かろうじて』まだ人の形は残ってる」


 言うなりシドはそ、の小さな非常用の開口部からその巨体を滑り込ませてコックピットブロックへと入る。言われたクロウとケルッコは慌ててそれを追った。


「大丈夫だ。シート自体はそこまで損傷していない。シートベルトもすぐ取れた。俺が頭の方を持つから、クロウお前は足を支えろ。ケルッコは体だ。絶対変なところ触るなよ? 多分千切れる」


 言われながら、クロウはヴィンツの足を持つ。だが、力なく垂れさがる右足があらぬ方向へ曲がり、まるで空気の抜けた風船のように一部陥没していた。ケルッコもその所々潰れるヴィンツの体を支え、三人がかりでコックピットブロックから『それ』を出した。そのまま医療科が持って来た担架へとヴィンツをゆっくりと下す。


 顔が見えるはずのヘルメットのバイザーは今、赤い液体で曇りその中を見る事はかなわなかった。


「な、んで? ヴィンツ! ヴィンツぅううううううううう!!」

 それを見て駆け寄ったのはマリアンだった。


 彼女とヴィンツがどのような関係だったのかをクロウは知らない。ただ、わかるのは、もうこのヴィンツが彼女に語り掛ける事は絶対にありえないという事実だけだった。


「回収、ご苦労だった。よくあの状況で連れ帰ってくれた。改めて礼を言う」


 タイラーはそう言って、ヴィンツのヘルメットを抱きかかえるように泣きじゃくるマリアンの肩へそっと手を置いた。


「マリアン。すまない、だが、決して航空隊の仲間を責めるな、クロウを責めるな、自分を責めるな、責めるなら、指揮官である私を責めろ」


 そう言いながら、そっとマリアンの腕をヴィンツの体からほどき、タイラーはマリアンを抱きすくめた。そうして、再び静かに横たわるヴィンツをじっと見つめる姿があった。ルピナスである。彼女は極めて冷静にヴィンツの体の損傷個所を確認していた。


「うむ、思ったよりは軽傷じゃな。これなら一週間って所かの、じぃじ」

 と、あっけらかんと言って見せた。


 そこに居た航空隊員と、沈痛な面持ちで見守っていた技術科のクルーはこの少女が何を言っているのかまったく理解できなかった。ただ、マリアンを抱き留めているタイラーだけがその仮面越しに冷静にルピナスを見つめていた。それを次の瞬間、医療科の長であるジェームスが当然と言った様子で答えた。


「うぬ、そんなもんだろうな。ルピナス一応コックピット内のブラックボックスを確認してみてくれるか?」


 それを見聞きしたタイラーは静かにため息を漏らした。その小さなため息は、タイラーが抱き留めているマリアンにしか聞こえなかった。


「ほいきた。クロウにぃ、ちと手伝ってくれ。ワシだとこの月面でももしかしたら重いかも知れん」


 言いながら、一同を無視してルピナスはコックピッドハッチから、ヴィンツの体が入っていたコックピット内へと体を滑り込ませていく。


「おい! ルピナス!!」

 クロウは慌てながらもルピナスを追って行く。


 ルピナスはコックピット内に入ると、ヴィンツが座っていたコックピットシートの座面をおもむろに開け、その外した座面をコックピット内に乱暴に放り出し、そのバスケットボール大の黒い球体を取り出した。


「良かった。無事じゃ、思ったより重くも無い。クロウにぃ、申し訳ないがこれを慎重に持っててくれんかの、ワシの腕の長さだと万が一落としたりしたら可哀そうじゃ」


 言われてクロウは、その黒い球体をルピナスから受け取るとコックピットを出た。ルピナスも同時にコックピットから躍り出る。


「じぃじ、大丈夫じゃヴィンツにぃは『無事』じゃった!」


 そして、コックピットを出るなり無邪気にそう言うのである。それに対してタイラーに抱き留められていたマリアンはそれを振りほどき、思わずルピナスに掴みかかった。


「あんた! 何言ってるの!? ヴィンツは死んだのよ? そんな機械が無事だったからって何? ヴィンツはもう帰ってこないのよ!? どこが無事なのよ!! どこが軽傷なのよ! 『どう見ても死んでる』じゃない!!」


 それはその場に居た誰もが、ヴィンツの姿を見て確信したことだ。あの潰れた水風船のようになった人間を指して、普通生きているとは言わない。


「マリアンねぇ、落ち着くのじゃ。ああ、確かにヴィンツにぃは死んでおる。それはもう生物的には間違いない。でも無事なのじゃ」


 そんな訳の分からない事を言うルピナスに、完全に混乱させられたマリアンはその場で泣き崩れる。その様子に、たまらずクロウは語気も強くルピナスを窘める。


「ルピナス。いくら何でも悪ふざけが過ぎるだろう? ヴィンツはどう見ても死んでいる。何も、それを悲しむ人の心をほじくり返すような真似をする必要が何処にある!」


「おぬしがそれを言うのか、クロウにぃ。ではクロウにぃはどうなのじゃ? 借り物の体で生きるおぬしは生きる死体そのものではないか」


 言われて、クロウはぎくりと思う。今の今まで忘れていたが、クロウ自身の体は4000年も前に死んでいる。今の自分の体は冷凍保存された遺体から作られたクローン体を元に様々な改造が施された『第四世代人類』である。


「クロウにぃは、どうして自分がクロウにぃ自身であると言い切れるのじゃ?」

 矢継ぎ早に、ルピナスは問う。


 それはクロウ自身にもわからない。知識はインストールさえしてしまえばいくらでも誤魔化せる。記憶もVR体験さえさせてしまえば誤魔化せる。今の自分を、自分足らしめている根拠などどこにも無いのだ。


「すまん、意地悪し過ぎたのじゃ、安心せい。クロウにぃは間違いなくクロウにぃじゃ。それはクロウにぃをこの時代に再生させた『ワシ』が責任を持って保証するのじゃ」


 言いながら、ルピナスは時折見せるその『酷く大人びた』表情でクロウを見た。そしてクロウ自身を再生させたのはどうやらこのルピナスその人であったようだ。


「のう、マリアンねぇ。事情を知らぬマリアンねぇに無神経な事を言って申し訳なかった。だから一つだけ、質問に答えてくれるかの?」


「ひぐっ、何よ?」


「もし、もしじゃヴィンツにぃが生き返るとしたら、マリアンねぇは『悪魔に魂を売れる』かの?」


 そんなふざけた問いかけを、ルピナスは本当に真面目な顔でマリアンに問うた。瞬時にマリアンはルピナスがふざけて言っていない事を悟る。


「……るわ」


「もっとじゃ、はっきり言え」


 泣きながら絞り出したマリアンのその声に、ルピナスはさらに促す。


「何だって売ってやるわ! 魂でも体でも好きなもん持っていけばいいじゃない! ヴィンツがいないこの世になんて意味なんか無いわよ!!」


 マリアンの心からの叫びだった。彼女はそう言うと再び泣き始めた。


「よし。では悪魔に代わってその願いワシがしかと聞き届ける。代償はいらんぞ、艦長が乗組員全員分ずっと前に払っておる」


 ルピナスは言いながら泣き崩れたマリアンの背中をさする。


「ざけんな……」


 そのやり取り聞いたクロウは思わず口に出さずにはいられなかった。たとえ相手がルピナスであろうとも『言っていい事と、悪い事がある』と思ったからだ。

「ふざけるなルピナス! 死んだ人間は二度と戻らない! だから、『人間』は精一杯生きるし、必死でもがくし、『人間』として死んでいくんじゃないか!!」


「クロウにぃ! それは『第一世代』の、クロウにぃの時代の死生観じゃ! ワシら『第四世代人類』は違う! そしてクロウにぃ! それは今のクロウにぃも一緒じゃ!」

 クロウの叫びを、ルピナスは即座に否定した。そして静かに続ける。


「わしもその考え方は好きじゃ。そうとも、だからこそ人間はこんなにも弱く、強く。醜く、美しい。だから、みんなが『絶対に死なないように』ワシとタイラーパパはありとあらゆる準備をしたのじゃ」


 ルピナスは決してふざけてなどいない。だが、その言葉はこの場においてあまりにも荒唐無稽だった。


「のう、クロウにぃ。いや、この場にいる全員に聞いて欲しいのじゃ! 自分を自分足らしめているのは一体『何』だと思う?」

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