第4話

 コンペから二日たった土曜日の今日も、空は不機嫌そうに曇っている。もはや太陽が死んでしまったのではないかとさえ思える。


 結局、わたしのデザインは不採用となった。デザインの解説資料をコンペのあと和幸さんに渡したものの、徒労に終わった。


 体調不良も続いている。昨日は薬指にもしわの症状が急に現れ、その際、他の三本も感化されたようにうずき出した。急いで大学病院で脳の検査をしてもらったが、異常なしの診断がくだった。


 けれど安心はできない。ここまでかゆみが生じる経験など一度たりともなかったのだ。むしろ、普通の検査では発見できない病気が体をむしばんでいるのではないかと恐怖がつのる。


 定時過ぎの午後六時半。胸に重いくさびが刺さったまま、わたしはデスクでペンタブレットを操っていた。冬に向けたベビー服のデザインだ。


「橘さん、お先でーすっ」


 後ろで桜井さんの声がした。振り向くと、彼女はすでに出入り口にいた。


「お疲れ様」


 返事は出入り口の扉にはばまれた。


「……和幸さん、今日は夕食どうするのかな」


 スマートフォンを手に取り、メッセージを送る。デザイナーの居残り組がわたしと及川さんだけになった頃に届いた返事は、『今日は旧友の家に泊まることになった』。簡素なものだった。


 わたしはパンプスの爪先を目で追いながら、ドアがあきっぱなしの給湯室に向かった。コーヒーを自分のマグカップにれる。ミルクを混ぜる気にならなかったせいで、いつもより苦い。


 背後で給湯室のドアが閉まった。


「橘さん」


 そこには、ドアノブを後ろ手にした及川さんが立っていた。


「どうしたの」


 わたしはマグカップを置いた。


「あのコンペ、私は納得できません」


 彼女は前置きなしにいい切った。


「凄くいいデザインだったのに、採用されないなんておかしいです。実際、皆さんの反応も良かったですよね。なのに」


 及川さんがくちびるを引き締めた。相当悔しかったのだろう。わたしは励ましの言葉をかけた。


「わたしも、あなたのデザインはとても良かったと思うわ。お世辞じゃなくて、本当に。でも勝負は時の運ともいうし」


 及川さんが首を振った。


「違います。橘さんの話です」


「え?」


「私、橘さんのデザインを見て、やられたって思いました。あたたかみがあって、テーマの取り入れ方も上手いし……なにより、一番シンプルで親しみやすかったです。私のデザインはそこが足りなかった。悔しいですけど、認めます。今回も橘さんに決まるかなって、他の二人も諦めてました」


 彼女の眉間がけわしくなった。


「なのに、よりにもよって桜井さんが選ばれるなんて、絶対におかしいです。オリジナリティの欠片もなかったじゃないですか」


 そう、あのコンペは桜井さんが勝ち取ったのだった。


「橘さんもそう思ってますよね。なにかがおかしいって、もう気づいてるんじゃないんですか」


 息が止まった。


「私、見たんです。旦那さんが桜井さんと一緒にいるところ」


 舌の奥が苦みを訴えた。


「私の家、彼女のアパートと近いんです。あのコンペの日、コンビニに寄った帰りに、たまたま姿を見かけました。二十時くらいだったと思います」


 わたしが、指の異常が脳の障害ではないかと怯えていた頃だ。


「彼女、旦那さんと腕を組みながら駅の方へ歩いてました」


 及川さんは拳をかためていた。


「だからコンペの結果は、出来レースだったんですよ。信じられない。二人して橘さんのことを裏切って……!」


 怒りに満ちた桜井さんの言葉を、わたしは黙って聞いていた。


「私、さっき彼女が電話で話してるの聞いたんですけど、今日は電話の相手と家でお祝いするみたいですよ」


 コーヒーの湯気が大きく揺れた。


「橘さん。今日はもうお帰りになってください。スマホで彼女の住所送ります。だから、白黒はっきりつけて——って橘さん、大丈夫ですか!」


 ぐらりと世界がかたむいた。気づけばわたしは床にへたりこんでいた。


 右手の小指がかゆい。異常なまでに。確認すると、やはり小指の先にも迷路じみたしわができていた。


 及川さんの呼びかけにまともな返事もできず、わたしはかゆみがおさまるまで悪寒に体を震わせ続けた。

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