第二章

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 時は白夜、冥霞の黄昏の艦隊が仮称A艦隊を撃破してから二週間。

 場所はインド洋。セイロン島沖南約四〇〇カイリ、赤道直下の水深一〇〇メートル。

 海の中を流れに逆らわず真西進む、十匹の鋼鉄の鮫の群れ。今日も獲物を求めて水面を見張る。


「ヒマだな~。これで一月だぞ。何もいないじゃないか」


 薄暗い潜水艦内の発令所。その舵手席に寝転がる男がつまらなそうに言う。

 こちらの世界に飛ばされて一か月。太平洋と大西洋をつなぐインド洋で待ち伏せているが、一向に獲物が見つからない。動力をほとんど使わず、モンスーン海流と反赤道海流に交互に乗って索敵に専念している現状がこれだ。

 今日も何も起こらずに過ぎていくと思いながら、そのまま転寝うたたねをし始めた。


「しれー、しれー。前原しれー。起きてくださーい」


 鈍色のブレザーを羽織った童女が舵手席で居眠りをしている男――前原の体を揺すって起こそうとする。

 何回か繰り返してようやく前原が目を覚ます。


「どーした~? 2501。敵か~?」


「たぶ~ん」


 前原は反動をつけてガバッと起き上がる。先ほどとは打って変わり、目が鋭くなっている。


「2501、位置は?」


「十時の方向、距離は約一〇〇〇メートル、すいじょーです」


「水上か。潜望鏡深度まで浮上」


Jaヤー。ふじょーします」


 前原の座乗するU-2501はゆっくりと水面から潜望鏡が顔を出す程度まで浮上する。

 前原は足元から上がってきた潜望鏡を覗く。そこから見えるのは水面に浮かぶ複数の小さい影。


「2501、距離は本当に一〇〇〇メートルだな?」


「はい。たしかに一〇〇〇メートルです」


 発見した敵艦は一〇〇〇メートル離れているにしては小さすぎる。駆逐艦よりも小さいのだ。


「日本の海防艦か? いや、それでもまだ小さい。――なら、潜水艦か」


 水面から覗く非常に小さい像は潜望鏡だけでは気付かなかっただろう。聞き耳を立てていたからこそ発見できたのだ。


「2501、音紋は拾えるか?」


「この距離ではムリです」


 前原は考える。

 現在の艦隊はUボート十隻。この数でも、水上艦相手に使おうと思っている、大戦時にドイツ海軍が得意とした群狼戦術は行える。ましてや、艦船の数が制限されている今回は特にそうだろう。しかし、最初に攻撃を行う囮は危険だ。敵の駆逐艦を引き付けなければならない。ならば、どうだろう。ここであの潜水艦をこちらに引き込んで二十隻で行うというのは。それだけの数の潜水艦があれば、艦隊を取り囲んでしまえばすぐに撃滅できるだろう。


「――欲しいな」


「へ?」


 前原の呟きに対して素っ頓狂な声を上げてしまうU-2501。


「しれー、まさか……」


「そのまさかだ。あいつらを取っ捕まえる」


「ふぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」


 今度は前原の発言に狼狽し、大声を上げてしまう。潜航中の潜水艦の中であるにも関わらず。


「わめくな、2501。潜るぞ。潜望鏡下げ、深度一〇〇」


「J、Ja。ダウントリム一〇、深度一〇〇」


「あと、僚艦に伝達。合流後、一〇ノットであいつ等のケツを取る」


「つ、つたえます」







「しれー、距離五〇〇。音紋拾えました」


「艦種は?」


「Uボート、1278、1279、1301から1308です」


「ⅦC型か」


 追尾した結果、艦種はUボートⅦC型と判った。こちらは全てUボートXXI型。カタログスペックは全てにおいて勝っている。特に魚雷搭載数はXXI型は二十三本、ⅦC型は十七本。六本の差は大きい。


「陣形を本艦を中心に鶴翼に。全艦、全発射管開放。攻撃準備」


 鶴翼の陣。旗艦であるU-2501を中心に、U-2502からU-2510までの僚艦を数字の若い順に左右交互に、翼を広げた鶴のように並ばせる。後ろから囲んで前方以外に逃げ場を残さない。仮に増速して振り切ろうとしても速力はこちらが勝っている。逃がさない。


「Ja。艦隊鶴翼。全発射管注水――――開放。攻撃準備、かんりょーです」


「2501、艦隊全艦に繋げてくれ」


「Ja」


「艦隊諸君。初めての実戦だが、今回の目的は撃破ではなく捕獲だ。命令なしに沈めないように注意しろ。通信終わり」


 念のため、僚艦に注意しておく。こちらの駒にするのに、そのほとんどを沈めてしまい、手に入るのが十隻中たったの数隻ではあまり意味がない。


「目標の位置は?」


「前方四五〇メートル、深度五〇です」


「2501、2504、2505、2508、2509、深度五〇」


「Ja、アップトリム五、深度五〇」


 指定された艦は五〇メートル浮上する。


「よし、2508、2509、アクティブソナー打て。同時に魚雷二本ずつ発射」


――ピィィィィィィィィン


「目標十隻全艦探知しました」


「あちらさんに通信だ。降伏勧告といこう」


「Ja」







――ピィィィィィィィィン


「な、なによ!?」


「潜水艦からのアクティブソナーです! 探知されました! 敵潜水艦、十隻! 後方四〇〇メートル! 深度五〇と一〇〇に五隻ずつ! 囲まれています!」


 旗艦U-1301が自艦隊の指揮官に自分が得た情報の全てを伝える。


「潜水艦ですって!?」


「魚雷航走音! 左右から二本ずつ! これは当たりません!」


「後部発射管発射! 急速潜行! 最大戦速!」


「J、Ja。後部発射管発射! ダウントリム二〇、最大戦速! それと司令、敵艦から通信が来てます」


「なによ! こんな時に! 繋げなさい!」


 U-1301は指示通り、通信を繋げる。


『やあ、こんにちは。日本語通じてる? 僕は前原壱成いっせい。今君たちを追いかけている鮫たちの飼い主だ』


「ええ、通じているわよ。私も日本人だからね。なんの用かしら。私は誰かさんのせいでとても忙しいのだけれど」


『質問に答えるのはいいけど、まだ僕は君の名前を聞いていないよ』


「――奥平おくだいら彩良さらよ」


『では、奥平提督。降伏を勧告する』


 彩良は急に頭が真っ白になり、壱成に言われた言葉が頭の中で木霊こだまする。


『その場で君の艦隊に所属している艦艇全ては、無条件にて浮上し、我が黒鮫こっこう艦隊の軍門に下れ』


「なにが降伏よ! なにがコッコウ艦隊よ! こっちは微塵も戦闘力を失ったわけじゃないんだから!」


 確かに先ほど放たれた魚雷は彩良の艦隊の両端をなぞるように駆け、命中はしなかった。そのため、艦隊には一切被害がない。すなわち、一〇〇パーセントの全力で戦闘が行える。


「――そうか、残念だ」


――プツッ


 通信が切れる。


「艦隊、急速回頭、一八〇度! 前部発射管開放!」


「Ja。回頭一八〇度! 前部発射管開放!」


 彩良は艦首を敵がいる真後ろに向け、敵艦隊に攻撃をしかけようとする。しかし、これは悪手だ。


「突発音! 敵艦隊魚雷発射! 数四! 目標は――」


「目標はッ?」


「目標は1278及び1279!」


「回避させなさい!」


「ムリです。間に合いません!」


 こちらは回頭中で愚かなことに敵に腹を向けている。魚雷の発射から命中までタイムラグがあろうとも、これでは避けられない。


――ドーーーーーーーンッ


「……U-1278及びU-1279、信号途絶。撃沈されました」


「……」


 彩良は膝から崩れ落ちる。

 失敗だ。反撃しようとして、逆にこちらがやられているではないか。降伏勧告を蹴った瞬間に魚雷を打ってきた。ならば、こちらの潜水艦は全て探知されていることになる。あのアクティブソナーは合図だったのだ。こちらをとっくに見つけているという。おそらくこのままやり過ごすことも無理だろう。ならば――。


「全艦隊、機関停止。浮上よ。1301、コッコウ艦隊に打電。『我レラ貴艦隊ニ降伏シ浮上スル』」


「――司令……」


「妹たちにも伝えて、浮上して降伏しなさいって。――負けたのよ、私たちは……」


 U-1301は顔をくしゃくしゃにして、目に涙を浮かべている。無理もない。たった一度の攻撃で、二人の姉を失ったのだから。

 彩良にはそんなU-1301を抱きしめることしかできなかった。

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