【41】さよならと愛してる

  約束の時間、早朝九時。倉庫にいた類は瞼を開けた。眩しい太陽が双眸に映る。きょうは青天だ。明彦と純希に朝の挨拶をしようとした。だが、ふたりの姿は見えなかった。その代わり、目の前に制服を着た綾香が立っていたのだ。


 (なぜ、ここに綾香が?)


 「どういうことだ?」驚いた類は、咄嗟に腰を上げた。「どうして制服を着てるんだよ……」


 無言で類を見据える綾香のスカートの裾が風に揺れた。


 ここは異世界、死神の島。ゲートを通り抜けて現実世界に帰る。


 何がどうなっているのか……。


 綾香はどのようにして制服を用意したのか……。


 「なんなんだよ……この島は……」周囲を見回した類は、語気を強めて綾香に質問した。「ここはどこなんだ! ここはどこだって訊いてるんだよ!」


 「ここは……」と、綾香は説明しようとした。


 その直後、けたたましい風切り音が聞こえた。この島に人工的な音が響くはずがない。咄嗟に上空を見上げた瞬間、大空を飛行する救助ヘリに驚愕する。


 類は衝撃の真実に息を呑んだ―――


 十三人が彷徨っていたのは、異世界のジャングルではなく、ミクロネシアの熱帯雨林だったのだ―――


 救助ヘリは、幽霊の男が指し示した旅客機が墜落した方向へ飛んでいった。


 類は、小さくなりゆく救助ヘリを見つめたあと、助かったのだと思い、高らかに笑った。


 「なんだ、ここは現実世界の無人島だったんだ! 救助が難航していただけだったのか! こんなときにみんなどこに行っちゃんだよ!」綾香に安堵の表情を向けた。「やったな! 俺たち助かったんだ! レスキュー隊には俺からみんなの捜索を頼んでみるよ! 行くぞ!」


 居ても立ってもいられない。類は綾香の腕を握り、駆け出した。青々とした草木に囲まれたこの場所から、腐敗臭が漂う旅客機の墜落現場へと一瞬で移動した。だが類は、自分がワープしたことにさえ気づいていない。ふたりが立つ大地には、銀蠅と蛆がまとわりついた死体が散乱していた。その周囲を旅客機の残骸が取り囲む。


 機体は墜落の衝撃によって分離し、大破した。類と綾香が腰を下ろしていた座席を堺目にして、前方はすべて吹き飛んだ。だが、十三人が座っていた機体の部分は、ある程度、原形を留めている。


 ふたりの目の前には、自分たちが座っていた機体の部分があった。腰を下ろした状態で絶命した乗客の死体にも、夥しい数の銀蠅が群がっていた。墜落した当日よりも悲惨な光景が広がる。


 綾香は耐え難い強烈な悪臭に顔を歪めたが、類は上空を飛ぶ救助ヘリに手を振り続けていた。


 「おーい! ここだ!」必死に両手を振り回す。「ここだ! 助けて!」


 大破した旅客機を確認した救助ヘリは、ふたりがいるにもかかわらずこの場を去った。風切り音が小さくなっていく。いましがた安堵した類だったが、急に不安に駆られた。


 「どうして? そうか……ここだと離着陸ができない。だから一時的にどこかに行ったのかな? だとしても……生存者を無視することってあるの? まるで俺たちに気づいていないみたいだった……」


 綾香はうつむきながら答えた。

 「気づくわけない。だって……彼らにはあたしたちの姿が見えてないから……」


 綾香の言葉の意味がわからない。

 「え?」


 涙を流した綾香は、類に抱きついた。

 「あたしたちは死んだの―――死んじゃったんだよ―――」


 十三人が死んだ? 


 そんな馬鹿な―――


 綾香の言葉に耳を疑う。死ぬはずがない。死んでいるはずがない。

 「生きてる! 俺もお前も生きてる!」 


 綾香は、意を決してカラクリの答えを言った。

 「真実の中にある現実―――それは死。十三人は死んだの。生きてるって信じていたあたしたちにとって、それは衝撃の真実であり、避けられない現実だったの。カラクリの答えはひとつ。それは死だった。キーワードそのものが答えだったのよ!」


 「ありえない! そんな答え俺は認めない!」


 「飛行機が墜落したときに、あたしたちはすでに死んでいた。生体は不思議な力で守られていると思い込んでいたけどじっさいはちがう。死んで魂になってしまったあたしたちには、生体の命は奪えない。つまり、初めから生と死の明確な境界線が引かれていた。あたしたちが手にできるものは、血の通わないものや生命線が断ち切られたものだけ……」


 「そんなわけない! お前は幽霊に騙されているんだ! あの世に連れて逝こうとしている幽霊に騙されているんだ!」


 「ちがうよ……。自分たちの死を理解できずに彷徨っていたあたしたちを幽霊は助けようとしていた」


 ポケットからスマートフォンを取り出した類は、画面を綾香に向けた。

 「島の時間は進んでいるけど、俺たちの年齢は止まってる。俺たちは十七歳のままなんだ。つまり、それは……」


 類は怖くなった。これ以上、言葉を続けると死を認めてしまうことになる。それだけは絶対に認めない。認めるわけにいかないのだ。


 だが、綾香は続けた。

 「ごめんね……類。あたしにはもうスマホの画面表示が見えないの。真っ黒な画面に亀裂が入ってるだけ……」


 「そんな……」類はスマートフォンの画面を見た。しかし、日付と時間が表示されたいつもの画面だ。「嘘つくなよ」


 類に死を理解してほしい綾香は説明をする。

 「嘘じゃない。ありのままの現実を受け入れなければ、真実も現実も見えないの。ここは現実世界、ミクロネシアの島のひとつ。当然、島には時間が流れているけど、死んでしまったあたしたちの体に時間は流れていない。だから、永遠に十七歳のままなのよ。幽霊たちは、それをスマホの画面で教えてくれようとしていた」


 「ちがう! 信じない! 俺は信じない!」


 「それが現実だから信じてくれなきゃ困るの。幽霊の手の感触や温もりを感じられるのも、あたしたちが魂だからなんだよ。だから互いに触れ合うことができる。鏡に見える理沙と触れ合えないのは生体と魂だから。鏡の世界が、この世とあの世の境目なのかもしれない」


 「鏡の世界があるんだ、この島はやっぱり異世界なんだ! 綾香、目を覚ませ! ここは死神の島なんだ! ここが現実なら鏡の世界なんて存在しない!」


 「鏡は霊体の通り道。ここで死んだあたしたちは、意識が……魂そのものが、思い出深い場所にある鏡の世界に移動していた。学校から戻ると、雨が降ったとしても、体が濡れていなかったのはそのせい。ジャングルで雨が降るたびに、ずぶ濡れになっていたけど、それも思い込みだった……。だって、あたしたちには肉体がない……魂なの。だって幽霊なんだから……」

 

 「思い込みなわけない! 椰子の実だって食べた! ジュースも飲んだし、お菓子も食べた! 死んでしまったら、そんなことができるわけない!」


 「残念だけどすべて思い込みだよ。本当は何も飲んでないし、何も食べてない。お腹も空かない。汗もかいてない。尿意も催さない」


 「うそだ……俺は騙されない」綾香の肩を掴んだ。「騙されない! 俺は汗だくだった!」


 「自分の体を見て!」類よりも大きな声を出して説明した。「その証拠にあたしたちは、日焼けひとつしてない! 虫刺されひとつない! 獣にも出くわしてない! 靴擦れすらしてない! 水面に顔が映らない! なぜって魂だからよ! 由香里は自分の姿が映らない水面を見て現実に気づいてしまったの! あたしたちは幽霊なの! お願いだよ、類! 現実を見て、そして受け入れて!」


 「嫌だ! 嫌だ!」類は頬を濡らした。「心の痛みはある……魂なら……どうして涙が出るんだよ……どうして感情があるんだよ……」

 

 「涙は人間特有の感情の表れ。魂にも生前と変わらない心があり、意識もある。天国に逝ったあとはわからないけど……いまは確かな感情がある。汗が出なくても……」綾香は泣きながら言った。「涙だけは枯れないんだね……」


 涙に関して訊いた類だったが、綾香が言った言葉は絶対に受け入れられない。

 「天国? 天国ってなんだよ! 俺たちは『ネバーランド 海外』の脱出ゲームに巻き込まれたんだ! 小夜子と同じゲームに巻き込まれたんだよ!」


 「偶然、ツアー会社が同じ名前だった。あたしたちと同じ島で死んでしまった小夜子もまた、死を受け入れることができずに、鏡の世界とジャングルを行き来していた。小夜子が想いを寄せるひとへの愛と、類が想いを寄せる理沙への愛。鏡合わせのようにふたりの愛が重なり合った。そうよ……すべては偶然。魔鏡と家庭科室の鏡が繋がったのは奇跡的な幸運だった」


 「幸運? どこが……」


 「もしも小夜子に会っていなければ類は魔物に……死神になっていた。鏡の世界で生体を殺めると、そこに幽閉されて永遠に出られなくなる。自我は失われ、鏡に近寄る者の命を奪い続ける。思い出深い場所に取り憑く地縛霊であり、死神のように悍ましい存在になってしまう。類……お願いわかって……理沙は連れて逝けないの……」


 地縛霊であるのと同時に死神だ、と変貌した小夜子が言っていた。


 目の中に死神が棲み始めている……。


 俺は理沙の命を奪おうとしていたのだろうか……。


 いや、ちがう―――


 俺は理沙を愛してる―――


 守りたいんだ―――


 ゲートは通らない―――

 

 絶対に通らない―――


 永遠に鏡の世界に留まる!


 「嫌だ! 嫌だ! 俺はここに残る!」


 囁き声が聞こえていると、すぐにわかった綾香は、焦りを感じた。いま囁きに支配されては厄介だ。


 「類! しっかりして!」


 そのとき、綾香の手が光り始めた。


 (マズい! 時間がない! ここで天国に逝くわけにはいかない! 類を連れて逝かないと!)


 綾香は力強い眼差しで類に声を張った。

 「絶対に小夜子にはさせない!」


 「小夜子になってもかまわない!」


 「駄目! お願い、理沙を連れて逝かないで! 理沙を殺さないで! 一緒には逝けないの!」


 類は、魔鏡の世界から抜け出すときに聞こえた奇妙な囁き声を、綾香の言葉で思い出した。


 連れて、一緒に、殺す、殺すんだ―――と何度も繰り返す囁き声が聞こえた。あのときは意味がわからなかった。


 だが類は、囁き声の本当の意味を理解する―――

 

 じっさいにとらなければならない言動と真逆の言葉を囁いてくるわけではないのだ。そして、もうひとりの自分が囁いているわけでもなければ、ゲートを通らせまいとするセキュリティでもない。


 ゲートを通ればこの世には留まれない。ゲートの向こうは天国だ。死にたくないと叫ぶ、心の苦悩と葛藤の表れだったのだ。


 「俺は理沙を連れて逝こうとしていた。だから自分の声だったのか……」


 綾香は声を張った。

 「理沙を守れるのはリアルな人間だけ! 類は理沙を傷つけようとしている!」


 「俺が理沙を傷つける?」


 「いまの類は理沙に取り憑いた地縛霊でしかないの! 理沙を殺そうとしている死神でしかないのよ!」


 「理沙……」涙がとめどなく溢れ出す。「理沙……」


 「あたしにはカラクリの答えが見えてる! 明確な答えが見えてる!」自分たちが乗っていた機体を指さした。「見て! 見るの!」


 類は、恐る恐る機体に目をやった。すると、自分が座っていた座席に、腐敗した自分の死体が座っていたのだ。機体が墜落する瞬間に強い衝撃を感じた頭部は、機体の部品によって貫かれていた。


 腹部に痛みがあると言っていた綾香の脇腹も大きく裂け、腐敗した内臓が垂れ落ちていた。脚が痛いと言っていた光流の脛もおかしな方向に捩れていた。


 落下した天井の下敷きになった純希も、全身に機体の破片を浴びた結菜も死んでいた。ほかの搭乗客と同じように、十三人も無残な死を遂げていたのだ―――


 小夜子は行動をともにしたアメリカ人から死んでしまった事実を何度も説明されたが、残酷な現実を受け入れられなかった。


 現実を受け入れなければ、現実を見ることができない。それは耐え難い真実であり現実だ。そのため、自分の死体が目に映らなかったのだ。


 「嘘だ! そんな、こんなことがあるわけない!」類は自分の死体に駆け寄り、腐敗した足を掴んで揺さぶった。「動けよ! 俺の体! 動けぇ! 嫌だ! 死にたくない! 死にたくない!」


 「動かないの! 体の機能が停止してしまったの! もう腐った器でしかないのよ!」


 すさまじい形相で声を荒立てた。

 「理沙と離れない! 絶対に! 俺が一生理沙を守る!」


 泣き喚く子供を宥めるように静かに言った。

 「理沙を解放してあげて……お願いよ……理沙を愛しているなら……殺さないで……愛しているなら……」


 「解放……」


 理沙……


 愛してる……


 愛……してる……


 「理沙を守れるのは生きた人間だけ。類は幽霊なんだよ―――」

 

 そのとき、類の手が金色に光り始めた。

 「俺は……死にたくない……」


 「受け入れて! ここには留まれないの! 死神になっちゃ駄目なの! 理沙を連れて逝かないで!」


 「もうやめろ! やめてくれ! わかったから、もう聞きたくない! もうたくさんだ!」


 類が悲痛な叫び声を上げた瞬間、死臭が消えた。ふたりは、一瞬にして倉庫に移動していた。汚れたジーンズ姿の類は、いつもの制服姿になっていた。


 類は鏡に目を転じた。そのとき、衰弱した理沙の姿が双眸に映った。みんなが言っていた比喩のとおり、まるでゾンビのようだった。


 驚いた類は咄嗟に鏡を叩き、「理沙!」と声を張り上げて呼びかけた。その直後、室内の片隅に置かれた見慣れないバケツに目が留まる。


 今朝まではなかった……。


 そのバケツの中には、排泄物が溜まっていた。現実が見えていなかった類には、バケツが見えていなかったのだ。


 (鏡の世界にいる俺は、理沙に取り憑いた地縛霊であり、命を奪おうとする死神でしかなったのか……。俺に取り憑かれた理沙は、トイレにすら行けなかったんだ)


 綾香は現実を説明した。

 「理沙は、類やあたしたちを想う気持ちと気力だけでここに座っていた。やりとりをしているあいだ笑顔に見えていた理由は、あたしたちが現実を受け入れようとしなかったから見えていた光景なの。本当の理沙は衰弱しきっていた」


 「こんなに暑い場所で飲まず食わずで過ごしていたのか。かわいそうなことをした。傷つけるつもりはなかったんだ……」


 「あたしたちもそれに気づかなかった。もう少しで骨と皮になってしまうところだった」


 小夜子が変貌する直前、 “気づいたときには骨と皮だった” と叫び声を上げていた。自分自身が死んでしまった現実を理解できずに、現実世界にいる愛するひとの命が尽きるまで、鏡の世界でやりとりを続けていたのかと理解した。


 「理沙……ごめんな……」


 綾香は類の背中を優しくさすった。

 「類……」


 「中学の校庭にあった桜の木の下で初めてのキスをした。桜が満開ですごく綺麗だった。その日から理沙とつきあったんだ」


 「知ってるよ、何度も聞いたから。本当に好きだったのも、ちゃんと知ってる」


 「ガキのころから思い描いていた未来は当たり前のものだと思っていた。ゲームクリエーターになって、楽しいゲームをたくさん創って、理沙と結婚して、家庭を持つ。ずっと、ずっと……理沙と一緒に生きていく未来が当たり前だと思っていた……」声を詰まらせた。「でも、ちがったんだな……。こんな人生の結末、考えもしなかった……」


 綾香も同じ思いだ。弁護士になっていつか自分の法律事務所を持つ、それが綾香の夢だった。けれども、類を責める気はない。なぜなら一生の親友だからだ。


 「どうしてだよ! くっそ! こんな別れ方、納得いかないよ! ぜんぜん納得いかないよ! こんな人生の終わりにも納得いかないよ! 愛してるのに! こんなに愛してるのに! どうして別れなきゃいけないんだよ!」嗚咽をかきながら泣く類は、何度も拳で床を叩いた。「結婚の約束までしたのに! ありえないだろ! こんなのありえないよ!」


 綾香も涙が止まらなかった。

 「類……」


 「最後に理沙の温かさを感じたい……それすら無理なのか……」類は理沙の顔を撫でるように鏡に触れた。「なぁ……綾香。死と引き換えにひとつだけはっきりしたことがあるんだ」


 「はっきりしたこと?」


 「神なんかいやしないってことだ。もしも、神がいたら俺たちは死ななかった」


 「神様はいるよ」と後方から由香里の声がしたので、ふたりは振り返った。すると、涙を流した全員が揃って立っていた。


 類が言った。

 「由香里……」


 「お祖母ちゃんがね、言ってたの。神様が創造した天国は、この世にはない永遠の楽園だって。そこには痛みも悲しみも存在しない。だからね……類の心の痛みもいつか癒えるはずだよ。臨死体験で天国を見たからまちがいないよ」


 「俺は、俺は! 生きていたかった! 天国が楽園だろうとなんだろうと、この世で生きていたかったんだ!」


 「しかたないの……天国はあたしたち死者の魂を温かく迎え入れてくれる。あたしたちはどこにいても友達だよ」


 綾香は、由香里と斗真に訊いた。

 「ふたりともどこにいたの? ずっと捜してたんだよ」


 斗真が答えた。

 「ごめんな、カラクリが解けてから由香里のお祖母ちゃんと三人でジャングルにいた」


 由香里が言った。

 「お祖母ちゃん……あたしのことを心配してずっとそばにいてくれたの。みんながカラクリを解いたって、まなみさんから聞くまでずっと」


 斗真は言った。

 「そのあとすぐに墜落現場に向かった俺たちは、みんなと合流した」


 明彦が言った。

 「そして答えを確認したんだ」


 道子が泣きながら言った。

 「あたしたちは本当に死んじゃったみたい……」


 泣き続けていた類は、はっとした。苦しんでいるのは自分だけじゃない。元はと言えば、モニターツアーの登録が原因で起きた惨事だ。申し訳ない気持ちでいっぱいになった類は、一同に頭を下げた。


 「ごめん! みんな、ごめん! 俺のせいで! 俺が胡散臭い無料のモニターツアーなんかに誘わなければ、こんなことにならなかった! 俺がみんなを殺したようなものだ! 本当にごめん!」


 明彦は言った。

 「そんなに謝るなよ。誰も類を責めたりしない。俺、類に出会えてよかったって思ってるんだ。ぼっちだった俺の人生に光をくれた最高の親友だ」


 温かい言葉に救われた。

 「明彦……」


 みんな類を責める気はない。全員が明彦の言葉にうなずいた。


 綾香は言った。

 「あたしたちはずっと親友。もちろん、これからもずっと……」


 明彦は涙を流しながら類に頼む。

 「どんなかたちであれ命をまっとうした俺たちと、自殺者が一緒の場所に逝けるとはかぎらない。だけど、フレンズで出会ったあいつが天国にいたら……そのときは友達にしてやってほしい」


 「もちろんだ」


 「ありがとう」


 「なぁ、明彦。ゲートは見た?」


 「見てないよ」


 一同は窓越しに広がる空を見上げた。すると、雲の切れ間から眩い金色の光が射していた。太陽とはちがう、月ともちがう、見たこともない美しい光。


 類の目から涙が零れ落ちた。

 「新学期を迎えたかった……。そのために現実世界に戻るゲートをずっと探し続けてきた。でも、俺たちが探していたのは、皮肉にも天国への入り口だったんだな―――」


 類は理沙に目をやった。虚ろな目でこちら側を見ている。理沙から離れることが愛。それが理沙の命を守る最善の方法なんだ。


 本当は生きて守ってあげたかった。


 これが最後……。


 もう逢えない……。


 伝えきれないほどたくさんの想いがある。


 俺のことを忘れないで……いつか誰かと恋をしても記憶のどこかに……俺の生きた証を残しておいてほしい……。


 「ごめんな、理沙」涙が止まらない。「死んじゃってごめんな……」


 綾香の頬に涙が伝う。

 「みんな、理沙に寄せ書きしよう」


 明彦も涙を流した。

 「そうだな……」


 ひとりひとりが鏡に息を吐きかけて寄せ書きをする。


 《ありがとう 綾香》


 《ずっと友達だ 明彦》


 《忘れないでね 結菜》


 《あたしのことも忘れないでね 美紅》


 《大好き 由香里》


 《人生楽しめよ 純希》


 《長生きしろよ 斗真》

 

 《体に気をつけて 健》


 《仲良しだよ 道子》


 《元気でね 翔太》


 《いつも一緒だよ 恵》


 《心はともにある 光流》


 最後に類が鏡に息を吐きかけて別れを告げた。

 《さよなら》


 理沙は類の言葉に戸惑う。

 「なんなの? どういう意味? どこに行くの?」


 「理沙……一緒にいたかった……」


 類は身を引き裂かれる思いで鏡から離れた。


 この世から去らなくてはならない。これから旅立つ場所は未知の世界だ。不安と恐怖によって全員の体が震えた。互いの顔を見ながら、勇気づけ合う。ひとりではないのだ。みんなともに天国に逝く。


 「類!」理沙は泣きながら呼ぶ。「さよならってどういうことなの? 類、答えて!」


 「ごめん……理沙」涙がとめどなく流れる。「ほんと……ごめん」


 綾香が類に言った。

 「“さよなら” のひとことでいいの? これが最後なんだよ」


 類は言った。

 「最後……言われなくてもわかってるよ……」


 明彦も言う。

 「わずかだけど時間はあるんだ」


 全員の視線が類に集中した。理沙に愛を伝えてあげて―――言いたいことはみんな同じ。


 由香里が言った。

 「いま気持ちを言わないと後悔するよ」


 「いいんだ……どうせ……理沙には俺の姿が見えないんだから……」

 (後悔してもしきれない……。『ネバーランド 海外』のモニターツアーに登録したあの日に戻りたい……)


 由香里は、それ以上何も言わなかった。

 「…………」


 天国へ逝く時間が迫り、全員の体がゲートと同じ金色に光り始めた。緊張と不安で鼓動が速まった、そのとき、理沙がこちらに向かって声を張った。


 「類! みんなが見えるの! 金色に光って、すごく綺麗!」


 類は訊く。

 「理沙……俺のことが見えるのか?」


 理沙は目を見開いた。

 「声も聞こえる」


 理沙から俺の姿が見える―――声も届くなら―――本当は最後に伝えたいことがある―――


 類は優しく微笑み、話しかけた。

 「理沙、愛してる。誰よりも愛してる。だから……幸せになれよ……」


 類の言葉の意味がわからない。

 「何言ってるの?」


 類は続けた。

 「そして、約束だ。俺たちの分まで生きろ。何があっても生きるんだ。俺たちの人生はなんとかならなかったけど、お前の人生がなんとかなるように、ずっと見守っているから……」


 「類?」


 「理沙……人生が辛いときには俺の口癖を思い出せ」


 いまなら奇跡が起きるかもしれない。光に包まれたいまなら、理沙の温もりを感じられるかもしれない。


 唇の温もりが恋しい―――


 最後に理沙とキスを交わしたかった類は、鏡に手を伸ばした。


 その瞬間―――無情にも旅立つ時が来た―――


 眩い金色の輝きに包まれた十三人は、一筋の光になり、わずか数秒で天国へ吸い込まれていった。その後、理沙の視界に、自分ひとりだけが映る鏡が広がった。


 「類? どこに行っちゃったの?」眩暈を感じた理沙は、鏡に手をついた。「類が帰ってくるまで頑張るの……」そのとき、床に放置していたスマートフォンの受信音が鳴った。「類からだ! きっと、救助されたんだ!」


 スマートフォンを手にした理沙は、LINEを確認した。それは類からのLINEではなく、同級生からの連絡網だった。内容は十三人の悲しい訃報。スマートフォンが手からすり抜け、床に落ちた。

 

 ずっとここで類とやりとりをしていた。それに、いままで目の前にいた。


 (あたしは幽霊になった類と過ごしていたの? 類は異世界にいて……もうすぐ帰ってくるって……)


 

 「嘘だ……嘘だ! 嘘だぁ! 類、そこにいるんでしょ! 返事してよ!」鏡を叩いて類を呼んだ。「類! 類! 嫌だ! 結婚するって約束したのに! 類がいないと……類がいないと生きていけない!」大声で泣き叫んだ。「どうしてぇ! 類! あたしを置いて死んじゃ嫌だよ! 戻ってきて、類! 幽霊でもかまわない! 類!」


 


・・・・・

 

 

 泣きじゃくる理沙の華奢な背中すら抱きしめられない。ちっぽけな俺が腕を伸ばしても、この手は下界に届きそうもない。


 それに……理沙を抱きしめられるのは魂の俺じゃないんだ。いまは無念な気持ちでいっぱいだ。


 でも、いつの日か……悔しさや未練が心の中から消えていくのだろう。


 そう……いつの日か……。


 俺は天国から理沙を見守る。


 十七歳という若さで死んだ俺たちは生きていたかった―――この想いもいつの日か消えていくのだろう―――


 それでも理沙への愛は永遠に不滅だ。


 だからときどき、姿を変えて逢いに行ってもいいだろうか? 


 理沙……お前の目に俺は映らないかもしれない。


 だけど、ずっとそばで見守っているから。


 守護天使のように寄り添い―――


 光となり、風となり、雨となり、理沙のそばに―――


 いつまでも愛してるよ―――


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