第7話 騎士の誇り
白鞘の剣
ある晴れた昼下がり、いつもの様にテオの背中に寝転がったシオンは、退屈そうにしていた。
「まだ次の街に着かないの?」
「あぁ。せめて暇をしている奴が地図を持てば、こんなに歩く事にはならなかったがな。」
「地図は好きじゃない。迷う事も、旅の醍醐味でしょ?」
「俺は迷う事は好きじゃない。地図を広げて想像を膨らませる方が、旅の醍醐味だ。大体お前は自由すぎる。もっと考えて」
「はいはい...分かったから歩いて。」
テオはシオンの態度に苛立ちながらも、足を止めることなく歩き続けた。
かれこれ2日も歩き続けている。テオもシオンと同じく街に着いてほしいと願っていた。
テオは足早に小高い丘を越えた。そこには思いがけない事に、白く輝く美しい街が広がっていた。その中央には、見たことも無い程の美しい城が立っている。
その白さは、長い間旅をしているシオンや、人より長い時を生きるテオの視線を釘付けにした。
「綺麗...」
「外壁まで白いな。あの街は何なんだ?」
「分からない...行ってみよう。」
シオンとテオは驚きと喜びを隠せなかった。
テオは全速力で走り、街の検問所を目指す。
検問所に着くと、純白の鎧を纏った騎士が立っていた。テオが少し距離を置いて足を止めると、シオンが背中から降りて手続きを始める。
「美しい街だね。」
「この街は、エリアス国王様の血族が住まわれている街となっています。旅の者、くれぐれも変な気を起こさぬよう、お気を付けください。」
「心配要らないけど...一応見せておくよ。」
シオンはテオの背中から銀色のケースを降ろすと、中から1枚の丸められた紙を取り出した。
騎士に紙を手渡すと、すぐに広げて紙に書いてある印を見ると、騎士は慌てて敬礼をした。
「この光景...どこかで見た事がある気がする...」
「失礼しました。聖都の魔女様ならば、信用しましょう。どうぞ、魔女様に我らがエリアス国王様の加護があります事を祈っています。」
騎士が敬礼を解くと同時に、白い外壁に取り付けられた木製の巨大な門が開き始めた。
街の中に入り、案内人を探したが何処にもいなかった。
この不思議で幻想的な白い街を、シオンとテオだけで散策する事にした。
「案内人が居ないなら仕方ないな。」
「でも、こんな時は大体...あった。」
門を通り抜けてすぐの場所に、街の地図と施設の名前等が書かれた案内図が置かれていた。
「案内図か。ありがたいな。」
「えーと...見えてるから、あの城に行こう。城の前にある広場で、劇団が演劇をしたり、多くの旅芸人が集まるらしいよ。」
「演劇か。久しく見てないな。」
「テオはどんな劇が好き?」
「そうだな...どれも好きだが、特に好きなのは悲恋の話は好きだ。」
「へぇ...以外だね。どうして?」
「演者の演技だな。あそこまで感情を作り出す事は、簡単にできる事じゃない。悲しくもないのに涙を流し、憎んでもいない者に憎しみの目を向ける。あの人間達は見ていて面白い。全ての人間がああなれば、俺も好きになれる。」
「無理だよ。演者は自ら演じるけど、人間の中には演じることを強いられている人もいる。それは、やめようとしてもやめられない。そういう人は、向けられた期待は絶対に裏切ることは出来ない。」
「まるで劇に出てくるような人間だな。」
「確かにね。でも、生きている者たちは、自分の劇を演出している。そう考えると面白いとは思わない?」
「確かにな。一生を掛けた劇か...」
「そう。同じ物語は無い。面白い人が居るかもしれないし、探してみれば?」
「その必要は無い。幕引きまで見る劇は決まっている。」
その言葉の意味を理解したシオンは、顔を隠すように帽子を深く被り直した。
テオが笑っていると、風に吹かれた1枚の紙がテオの顔に張り付いた。
「ぐぁ!?シオン!取れ!」
「そのままでも良いと思うけど。」
「早く取れ!」
慌てるテオを横目に、シオンは顔に張り付いた紙を取った。紙には号外と書いてある。
「はぁ...何だったんだ。何か書いてあっただろ?読んでみろ。」
「分かった...テオ、残念なお知らせ。広場で劇は見れない。」
「...何故だ?」
「今日は近衛騎士団のアルナが、王妃様から宝剣を受ける取る儀式...佩剣の儀式を行うらしいよ。」
テオは話を聞いて、分かりやすく落ち込んでいた。
旅をしていると劇団に会うことは少なくは無いが、実際に演劇を見る事は滅多に無い。
シオンもテオの数少ない楽しみを見せてあげたいが、こればかりはどうしようもなかった。
「ほら、佩剣の儀式も珍しいよ?」
「好きにしろ。」
テオは先程とは変わって、重い足取りで広場を目指した。広場に着くまでに、シオンはテオを何度も励ましたが、テオの落ち込んだ気持ちは戻ってくることは無かった。
そうこうしている間に、広場に辿り着いた。
広場には街中の人が集まり、アルナと王妃の登場をいまかいまかと待ち侘びていた。
「これは流石に...見えるね。」
テオの背中が足場となり、広場から城に向かう鎧騎士が整列した広い道を見ることが出来た。
暫く待っていると、突然歓声が上がった。
鎧騎士達が道を開けると、白銀の鎧を見に纏った騎士が中央を歩いた。堂々と歩くその姿を見た街の人々は、歓声を上げることを忘れ、アルナに釘付けになっていた。
「綺麗な鎧。鉄や銀じゃない。あれは...」
「あれはビャクだ。鉄にビャクと呼ばれる液体が混じると、鉄はあの様に美しい白銀の輝きを放つ。この街の外壁や家にもビャクが使われているのだろうな。」
「私も知らないことを良く知ってるね。」
「自然の事なら知っている。人の作ったものは分からないがな。」
シオンとテオが話していると、アルナは道を進み、城に行く事のできる橋の前で止まった。
整列していた騎士達は己の剣を抜き、両手で柄を握ると、空へ向けて刃を突き上げた。
「見事だな。一糸乱れぬ動きを出来ることは認めよう。だが、感動が足りない。」
「まだ演劇が見れない事を引きずってるの?」
「...気にするな。独り言だ。」
アルナが橋の前で待つと、護衛に護られ、豪華なドレスを見に纏った王妃が現れた。その隣に立つ騎士は、白鞘の剣を持っている。
アルナは王妃の前に跪いた。
「あれが宝剣だな。」
「静かに...儀式が始まる。」
シオンがテオを黙らせると、王妃の後ろから執行人が現れた。
「これより、佩剣の儀式を執り行います。騎士よ、顔を上げよ。」
アルナが顔を上げる。アルナの黄金色の髪が風に揺らめき、蒼色の瞳が執行人の顔を見つめた。
「国王陛下は、そなたの騎士としての活躍を認めた。その証としてこの宝剣を王妃様からそなたに授ける。」
王妃が剣を受け取ると、白鞘から剣を抜いた。まるで、硝子のように透き通った刃は、あらゆる宝石と比べても引けを取らない美しさを持っている。
群衆は目を奪われた。しかし、誰も剣を欲しいとは口にしなかった。
その剣の放つ輝きは、群衆の欲望さえも切り裂いた。
「私は今まで剣なんか欲しいと思ったことは無い。でも、あの剣は何か惹かれるね。」
「お前も欲深いな。」
剣は鞘に収められ、王妃からアルナに剣が手渡される。
アルナは剣を受け取ると腰に差し、右手で拳を握り胸に当てた。
王妃が何か言っているが、その声は小さく、聞こえた者は王妃の周りにいる人間と耳の良いテオだけだった。
「...期待を裏切るなか。」
「誰の言葉?」
「あの王妃だ。騎士に向けて言ったんだろうな。」
「期待...人によっては枷となる言葉だね。」
王妃が人々に向けて手を振ると、再び歓声が上がった。
「喧しいな。」
「そうだね。もう用もないし、宿を探しに行こうか。」
「ちゃんと地図を見ろよ?」
「分かってる。この案内図によると...少し西に行った場所にあるみたい。」
「向かうぞ。早い方が良い。」
「そうだね。向かっていいよ。」
テオはシオンの言葉を信じて西に向かう。しかし、宿と呼べるようなものはどこにも無かった。
「おい。また地図を読み間違えたな。」
「そんなことは無いよ。ここを左に行って...」
「文字が上下逆さまだが、それも合っているのか?」
「...文字は逆さまでも読めるよ。」
「はぁ...この辺りには宿は無いのか?」
「うーん...テオが入れそうな場所は...この先を右に...」
「見せてみろ。」
シオンがテオの顔の前に案内図を出すと、テオは地図をじっと見つめた。
「それだな。」
鼻先でもういいと言わんばかりに地図を払うと、テオは歩き始めた。
「読めるの?」
「人間の描いたものだ。理解出来ない訳が無い。」
「人間嫌いなのに、人間のことを知ってるよね。」
「嫌いだからよく知っているだけだ。」
「好きにならないの?」
「なる訳が無い。」
「じゃあ、いつか私の事も嫌いになる?」
「...人間になればな。」
「そっか。それは嫌だな...」
シオンはテオの背中に抱きつくように倒れ込むと、力強く抱きしめた。
そのまま歩いていると、少し古いが大きな宿が見えた。
「着いたぞ。」
「ありがとう。」
シオンが背中から降りて宿の中に入ると、ロビーの受付にいる女性が頭を下げた。
「ようこそお越しくださいました。」
「2人で入れる部屋はある?」
「お連れの方は...えぇ!?」
「俺だ。少し狭い部屋でも我慢する。」
受付嬢はテオの姿を見て驚いた。受付嬢は失礼を働いたと思い、何度もテオに謝罪をする。
「気にするな。コイツがちゃんと説明しないからだ。」
「私のせい?」
「いつもだろ?」
「あ、あの...お部屋は一つだけ空いております...そこで宜しいでしょうか?」
「構わない。案内してくれ。」
「あと...決して隣の部屋を覗かない事を約束してください。」
「良いよ。分かった。」
「では、案内致します。この方達を案内してください。」
受付嬢が受付の奥の部屋に声を掛けると、まだ齢10にも満たない少年が現れた。無口な少年はテオに少し驚きを見せるも、終始無言で部屋まで案内した。
部屋の前に着くと、少年はロビーに戻っていき、シオンとテオだけが残された。
「無口な人間だったな。」
「テオは話さない方が楽でしょ?」
「俺は楽で良い。それよりも隣の部屋が気になるな。」
「見てきてもいいけど、警備隊に捕まっても知らないよ?」
「見に行くとは言っていない。」
「じゃあ、早く荷物だけでも降ろそう。」
シオンとテオは部屋の中に入ると、テオの背中から大量の荷物を降ろした。
「枷が外れた気分だ。俺に乗っているだけのお前は楽でいいな。」
テオが伸びをしながらシオンに話しかけるが、シオンは覗くなと言われた部屋と、シオンのいる部屋を隔てる壁に触れていた。
「何をしてるんだ?」
「調査だよ。調査。」
シオンが笑みを浮かべると、壁一面に円形の魔法陣が展開されていく。魔法陣が完成すると、魔法陣を通して隣の部屋の声が聞こえてきた。
「お前...この魔法陣はなんだ?」
「増幅術式を詰め込むだけ詰め込んだ魔法陣。壁一枚隔てた隣の部屋の小さな声でも、簡単に聞くことが出来る。」
「受付の人間に言われただろ?」
「覗いてない。聞いてるだけ。」
シオンが耳を澄ませると、声がききとれた。どうやら、ボソボソと何かを言っているようだった。
「どうして私が...私なんかが...皆が...期待している...裏切ることなんて...できない...」
「独り言が凄い人だね。」
「お前も独り言は多い方だぞ?」
「うぅ...こんな剣を貰っても...私は...強くないのに...」
「おい...まさかとは思うが...」
「そのまさかじゃない?隣の部屋に居るのは、近衛騎士団のアルナ。」
「だが、こんな場所で独り言を言うのか?」
「さぁ?それは分からないけど...確かめてみる?」
「少し気は引けるが...気になるな。」
「じゃあ、行ってみよう。」
シオンは数ある荷物の中から、銀色のケースだけを持って部屋を後にした。
テオもシオンの後を追って、アルナと思われる人がいる部屋の扉の前に立つと、シオンは扉を叩いた。
「私はシオン。少し話をしない?」
返事はない。もう一度扉を叩き、声を掛ける。
「少し話がしたいんだけど...」
「何の用だ?」
暫くして扉が開くと、そこには広場で見た鎧姿のアルナが立っていた。
堂々とした立ち姿から、先程聞こえていた声が嘘のように思えた。
「おい...慎重に話をしろよ。」
「分かってる。」
「何をコソコソと話している。話すなら堂々と話せ。」
「どうして、あんな弱気な言葉を吐いていたの?」
「慎重に話をしろと言っただろ...」
アルナは目を丸くして驚いていたが、段々と顔からは血の気が引いていった。
シオンが謝ろうとすると、アルナがシオンの腕を掴み部屋の中に引きずり込んだ。
部屋の中で倒れたシオンを見て、咄嗟にテオも部屋の中に飛び込むと、アルナは扉を閉めた。
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