胡蝶の生

村はずれの教会に修道女がやってきた。


もう誰もが忘れていた、荒れ果てた教会の敷地から煙が上がっているのを見たらしい。

村長が聞きつけて中に入ると、若くも、老いてもいない修道女がそこにいた。


どうやら隣町からやってきたらしく、手違いで連絡が行き届いてなかったとか。

確認をするあても、手段もない田舎町だから大事にすることもなく、その修道女は村の一員となった。


朝早くから働き、休んでいる姿を見た者はいない。

教会はボロボロであったで清潔で、およそ聖域といっても差し支えない穏やかな空気が流れていた。

教えを広めるわけでもなく、ただ清潔に勤勉に明るく働くのみ。

私たちとの違いは修道服を着ているただ一点だけであり、村の生活者とほぼ変わりはなかった。


曰く、修道女は逃げてきたらしい。

彼女らの教義はただ善く身体を活かすこと。

純粋に、食べること、寝ること、働くことを反芻し、五感を鍛えること。

教えの根幹はそこにあり、その上に飾りのように人間の道徳があるのだと。


道徳を説く悦楽、人に説教をすることは人の内に驕りを溜める。

膿のようなそれは五感を汚し、身体を蝕む。

聖人といわれた彼らも、より高みを高みを目指し、足場を腐らせていった。

家族を、友人を、恋人を、組織を超えて、切断と接続を繰り返し、蝶のように痴呆となる。

故に教皇と呼ばれた者は子供のように無垢であり、気まぐれで、残酷であった。

その惨状を知り、彼女は逃げ出した。


人は生まれながらに目指す天に接している。

ただ、生きることに集中した生は、切断と接続を繰り返す夢のようなものだと。

空にひらひらと飛ぶ私たちは、重さのない不安に根を張り、傷つき、ついに朽ち果ててしまう。

驕ることで天に焼かれ、遜って地に枯れる。

そのどちらも死であるがゆえに、生きていることを誇りに飛べばいい。

そう思って日々を懸命に生きることが私の生だと、自分に言い聞かせるようにつぶやいた。

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