ヤドリギの巣を「こころ」と呼ぶ

最近読んだ二冊の本にシナジーがあると感じて言葉にしてみる。


分人化。


コミュニケーションの間に生まれる、「あなた専用の私」を作ること。


高校生の私と、今の私は同じ人間だけれども違う。


それは、高校生の時と、今の私とでは取り巻く人間関係が違うからだ。


隣人の集合によって今の自分が構成される。

それが分人化の考え方だ。


今の自分が好きならば、それは回りが好きな人間で囲まれているからだ。

今の自分が嫌いならば、それは回りが敵に溢れているからだ。


形成変化


自己と対象の間を=で結びつつ、こころに新しい根を増やすこと。


私と羊が同じ場所にいたとする。


※ハチャメチャな事を書く。言葉でそれを表現するのは難しいから。


私は羊を見て、羊になることが出来る。

私は羊になるために、まず自己の枠を捨て、受け入れる。

何かになるためにはまず、私が世界に表現することを一旦捨てなければならないから。


私は羊になって、羊を考える。


私にしかわからない感情で(※一個人が分人化の蓄積によって浮かんだ始まりの感情)泡のように無意識から浮かんだ表層の泡を感じとる。


それで、私は羊になる。

私と羊の間に分人化を通した原初の泡が生まれた時点で、私と羊の間に秘密が生まれる。


それは普遍的な価値を持たない秘密。

秘密の多さと質に比例して、根は太くなり、自己が確立される。


もとより自己なんてものは無く、幹のないヤドリギの集合体こそが自己なのだ。


恋人や親友と心が通じたと思う瞬間。

言語化しなくても意図が伝わる、あるいは言語化して伝えようとするイメージが限りなく近いものならば、そこに喜びがわく。


それは自己と他者の間に共通の秘密を持った喜びであり、秘密の多さでしか、愛が深まることはない。


いつも3人で会う友人ならば、共通の体験によって育まれるのは「3人で紡いだ秘密」であって特定の2人の友人間で作られた秘密ではない。

そこに1人を欠いた2人になることで発生する居心地の悪さはそこに由来する。


世界を理解するために形成変化を行い、その蓄積を試すように分人化を行う。


このくりかえしによってヤドリギは自己を持ったように勘違いをして、安息を得るのだと感じる。


好きなものを見つけ、人と出会い。

人間関係を選定してヤドリギは育つ。


自分探しなどする前に、好きなことをすればいい。

あなたはまるで悪くなく、悪いのは隣人だ。

あなたが悪いのは嫌いなものと一緒に、心のなかで赤子を作るからだ。

腹が立つのは当然だ。


好きなことをして、好きな人と幸せになればよい。

絡まりあうヤドリギのひとつひとつが、互いに愛し合えるものならば、きっとそれは素敵な木になるのでしょう。

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