第19話
無知なため『停学』の意味が分からなかったのかも知れない。ボナレード伯爵令嬢は登校しようとして門兵に止められていた。
「私はこの学院の学生なのよ!」
「まだ登校の許可が出ておりません」
「巫山戯ないでよ!」
「学生だと仰るのでしたら、学生の証明である学生証をご提示下さい」
「そ、それは・・・」
「当学院の学生だと証明出来ない以上、学院に入れることは出来ません。早急にお引き取り下さい」
門兵の言葉に御者が申し訳なさそうに頭を下げると、馬車を静かに走らせて後続の馬車に乗降場を譲る。
「何をしてるの!話はまだ終わっていないわ!止めなさい!」
「他の方々にご迷惑です」
「私のお父様は伯爵なのよ!」
「後続で待たれている馬車には公爵様や王族の方々の紋章が付いておりました。其方の子息令嬢を前にして、同じことを仰って『不敬罪』で処刑されても宜しいのですか?」
向かいに座る侍女に蔑む目で冷たく言われて口惜しそうな表情を見せるが、反論はしなかった。いや。流石に『不敬罪』は知っていたため、反論出来なかった。そして心に誓った。『王族に嫁いで見返してやる』と。
しかし、王族のひとりであるトルスタインと、ノイゼンヴァッハ冷酷宰相に目をつけられて、そんな
「ウル。悪いが
「分かりました。殿下が授業を受けられている間に報告に行かせていただきます」
「ああ。頼むよ」
貴族でも特別科の子息令嬢は侍従・侍女を連れて登校することが許されている。ただし、授業中は教室に入れず隣室で待機するか、用事を片付けるために場を離れる。
ちなみにトルスタインには侍従が3人。リリアーシュ嬢には4人の侍女が付いている。
貴族は『自分のことでも何も出来ないお人形』と言われるが、それは一部貴族だけだ。10歳のリリアーシュ嬢でも、自分で紅茶を入れたり身支度を整えたり出来る。外では侍女が世話をしているが、家では休日にリリアーシュ嬢の淹(い)れてくれる紅茶を頂いている。
侍従・侍女は貴族の長子以外の子息令嬢の就職先のひとつになっている。情報を漏洩しないために住み込みの上、終身雇用が基本だ。別の言い方をすれば、高給な上に衣食住が確保された人気な花形職場。ただし『
「リリアーシュ嬢?どうしました?」
私の背後の馬車から降りる際に手を差し伸べたが、リリアーシュ嬢は馬車から降りたものの、学院から走り去る馬車を不安げな表情で追っていた。昨日のことを思い出したのだろう。
「リリィ。後ろの馬車が詰まっていますよ」
二人っきりの時にだけ、彼女の父と同じ『リリィ』と呼ぶ私の声にハッとして「申し訳ございません」と
気遣うような視線を送られていた。
リリアーシュ嬢の手を取り、共に特別科棟へと足を向ける。リリアーシュ嬢の侍女がひとり、姿を隠している。教務課へ抗議に向かったのだろう。このような事態に形だけでも抗議をしなければ、『ボナレード伯爵令嬢の行動を許す』となってしまう。
昨日の今日だ。彼女の存在が、傷ついた令嬢たちの心をふたたび『ナイフで抉る』事になりかねない。
「・・・トルスタイン様」
小さく震えているリリアーシュ嬢の怯えた目を見て、心の中ですでに何十回目かの『不貞のエステルを滅多斬りの刑』に処していた。
「リリィ。大丈夫ですよ。彼女は『普通科棟』です。滅多に顔を合わせることはありません」
足を止め、リリアーシュ嬢を抱きしめて慰める。此処は特別科棟の専属庭。何時もより少し早目に邸を出たのは、この自然豊かな庭でリリアーシュ嬢の心を慰めるためだ。
「リリィ。大丈夫です。貴女が傷つくことは何もありません」
「でも・・・私の存在が家名を
「リリィ。それは『間違い』ですよ」
「『間違い』・・・ですか?」
「そうです。リリィ。彼女の存在が『間違い』なんです。リリィのクラスに彼女のように『色気のある同級生』がいますか?」
私の言葉に小首を傾げて考えるリリアーシュ嬢。その可愛らしい仕草に思わず笑みを浮かべてしまう。
「・・・おりませんわ」
「ええ。私のクラスにも彼女のような女生徒はおりません。つまり、『彼女の存在自体が間違い』なんです」
「・・・そうなのでしょうか?」
「それに『大事なこと』を忘れていますよ」
「大事なこと、ですか?」
不安そうに見てくるリリアーシュ嬢に愛しさが募る。そしてこの愛しい存在を守りたいと思う。
「私が誰よりも愛しているのは『目の前の貴女ただひとり』だけですよ」
私の言葉に目を丸くして、それから花のように可愛らしく微笑んだ。
「殿下。失礼します」
王城に使いに出していたウルティアが二限目の授業後に教室に入って来た。
「此方を預かって参りました」
学院で重要な話をするわけにはいかない。侍従や侍女が何処で聞き耳を立てているか分からないのだ。そのため、重要な案件は手紙でやり取りをする。
手紙は二通。父と義父からだ。二人からの手紙だが封蝋がついていない。封蝋だけで誰からの手紙か分かるからだ。
まず先に父からの手紙を開いた。
『学院より『伯爵令嬢という立場を悪用した』との報告と、貴族の侍従・侍女から苦情が届いている。重ねて、
よって、『王立学院に相応しくない』と判断して此度の編入を拒否する事にした。来年、望むのであれば貴族枠ではなく一般枠での入学で挑むこととなる。もちろんリリアーシュ嬢の一学年下だ。一度『入学不適格者』というレッテルが貼られた以上『特別科』には入れないので安心して欲しい。
追伸
私の『未来の娘』のためなら』
この先は何も書かれていない。たぶん義父に途中で取り上げられたのだろう。
「リリアーシュはウチの娘です」
「将来はトルスタインの嫁じゃないか」
「『殿下の嫁』ではありません。『娘の婿』です」
「私の『義理の娘』ではないか」
「リリアーシュは嫁に出しません。殿下が『ウチの息子』となるのです」
「ズルいぞ!」
「そう望んだのは殿下です。それとも、私の娘から『婚約者』を取り上げるおつもりですか?でしたら陛下には引退を・・・どうせなら『人生』から引退でもしていただきましょうか」
私の脳裏にはこのやり取りが浮かび上がった。
簡単に思い出せる『やり取り』を二人は今まで何度繰り返しているだろう。そしてこれから先、何千回繰り返すのだろうか。それはリリアーシュ嬢と結婚しても、父と義父が隠居しても続くのだろう。
私はもう一通の手紙を開いた。
『朝一番でボナレード伯爵を王城に召喚して問い
伯爵は停学のことも知らず、ただただ驚いていました。何より伯爵自身が『王立学院に入学希望を出すだけで入学出来る』と思っていたようです。そして承諾書を書いておらず、小冊子も見ずに破棄していました。
ウルティアの報告により、門兵とのやり取り、娘を始めとした令嬢たちの混乱。学院からはショックで倒れた令嬢もいたと報告を受けています。殿下の指示で一限目を休講にしたことで、令嬢たちも落ち着きを取り戻し、二限目には全員が授業を受けることが出来たようです。
一学年の令嬢を持つ貴族からの訴えにより、慰謝料が支払われます。
その上でグラセフ・ボナレードには蟄居を命じました。本日中に手続きをして、長女が伯爵位を。次女が男爵位を継ぎます。
なお、餞別として『不貞のエステル』の調査報告書のコピーを差し上げました。ご自宅で開封するように申しましたので、殿下がこの手紙を読まれている頃に、報告書を目にしているでしょう。
追伸
リリアーシュを救ってくださり、ありがとうございました。ですが、不特定多数の目がある場所で娘を抱きしめるのはお控え下さい』
そういえば、学院には父や義父の『手駒』がいるのを忘れていました。今回は大目に見てもらえるようですが注意しなくてはいけませんね。
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