第35話 ジョゼに食事を

「師匠、大丈夫? 顔が赤いけど」

「ああ、うん、何でもない」


 宿に戻る途中、美由に顔の熱を指摘されて慌てた。

 ギースに免疫のない触れ方をされて言葉を掛けられて、未だに動揺が抜けない。

 そんな俺の様子を見た美由は少し心配顔だ。


「私が軽くGOサイン出しちゃったからなあ……。師匠、何か嫌なことされそうになったら、ちゃんと拒否するのよ? 兄様たちは本当に師匠が嫌がることはしないから」

「……たち?」


 彼女からも複数人を示す言葉が出たことに目を瞬く。


「ギース様も『僕たち』って言ってたけど……他にも誰かいるのか?」

「まあ、いるわね。師匠がちゃんと認識してないだけで。でもその辺は師匠が自分で気付かないとね」

「そういうの、俺よく分からないんだよなあ……」


 つい情けなく眉尻を下げる。

 昔からモテなかったし、女性に興味がなく、性欲も薄かった。だからきっと、このまま枯れていくんだろうなあと、どこか諦観に似た気持ちでいたというのに。


「うーん、もしかすると、昔から師匠が女の人に興味なかったのって、『女神の加護』の女性性によるものかもね」

「じょ、女性性? お、俺は別に、男女限らずそういうの全般が苦手で」

「まあ今までは、ね。でも、師匠はもっと自覚を持って愛されて良いと思うわ。それこそ、男女限らず」

「いや、愛されてって……俺なんか、もうおっさん……」

「おっさんなんて気にしてるの、師匠だけよ」


 狼狽えてあわあわする俺を、美由は軽くぶった切った。


「今の師匠には免疫と自己肯定と自覚が必要ね。特に余計なことは考えないで、まずは来るもの受け止めて、嫌なものは拒否して、経験値溜めるのが肝要だわ。……とりあえず、この後はジョゼにご飯作って癒やしてあげるんでしょ? 頑張って」


 そう言って、何故か彼女は励ますように俺の背中をぽんぽんと叩いた。

 何だかどっちが年上か分からない。


「私は師匠が愛されて幸せになる手伝いをしたいの。だから何かあったら頼ってね。私が何者からも守ってあげるから」


 ……俺の弟子は、なんでこんなに男前なんだろう。


**********


 こちらの世界に来たばかりの頃、俺はよくジョゼにご飯を作っていた。

 その時にあいつが気に入っていたのは、キノコとチキンのホワイトシチュー。

 あまり食に興味がなかったジョゼは、それまで片手間で食べられるような、バゲットに干し肉と葉野菜を挟んだだけのサンドイッチくらいしか食べていなかったらしい。しかし、それを食して以来はきちんと食事の時間を取るようになった。

 はずなのだが。


 オルタに来てからのジョゼは、全然ちゃんとした食事をしなかった。常時国境で作術作業をしているか、ギースと進捗について話し合いをしているか、部屋にこもって魔道書とにらめっこだ。

 その合間に、適当な水分と、パンや糖分を摂るための菓子をつまむだけ。正直、それでよく動いていられると思う。


 そういえば当時から、あの男がゆっくりと休んでいる姿なんて見たことがない気がする。

 いくら貪欲なほどの知識お化けだと言っても、そりゃあ疲れもするだろう。


 俺は久しぶりにキノコとチキンのシチューを作ると、それにコーヒーとバゲットを付けてトレイに乗せ、ジョゼの部屋に向かった。


 そして扉の前で一旦深呼吸し、気合いを入れる。

 大丈夫だ、美由と約束したとかで、最近のジョゼは俺を一切虐めてない。そう自分に言い聞かせ、覚悟を決めてドアをノックした。


「ジョゼ、食事を持ってきたんだけど……」


 少しだけ気後れしつつも、部屋の中へ声を掛ける。

 すると、中からバサバサと本か何かを落としたような音がした。

 何だ? 慌ててる? もしかして機密の文書でも読んでいたのだろうか。


「……ありがとうございます。どうぞ、入って下さい」


 わずかな間を置いて、部屋の中から返事が来た。それを受けて扉を開けると、ジョゼはテーブルの上に乗っていた魔道書を片付けているところだった。


「……タイミング悪かったかな? 重要書類でも読んでた?」

「いえ、そういうわけじゃありません。ただ、その、あなたが来ると思わなかったので驚いて……。珍しいですね、どういう風の吹き回しですか?」

「俺たち明日サラントに戻るからさ、最後くらいはと思って。……その、俺、ジョゼにあんまり近付かないから、全然癒やしてやってなかったろ?」

「ああ……それは律儀に、ありがとうございます」


 俺の言葉に笑ったジョゼは、やはり表情に疲れが滲んでいる。そんな男の前のテーブルに、俺は持ってきた食事を乗せた。


「久しぶりに、キノコとチキンのシチュー作ってきたんだ。良かったら温かいうちに食べてよ」

「これは……! 嬉しいですね、私の好物を覚えていてくれたとは。さっそくいただきます」


 素直に嬉しそうなジョゼは珍しい。

 俺はすぐに食事に手を付け始めた彼の向かいの椅子に、若干距離を取って座った。

 そういえば、こんなふうに普通に会話をするのもだいぶ久しぶりな気がする。

 俺はそれに緊張と気詰まりを感じて、少しそわそわしながらジョゼに訊ねた。


「……なあ、今この距離でこの状態で、あんたのこと癒やせてる?」

「まあできてますよ、じわじわとですが」

「じわじわ……やっぱり、女の子じゃないと能力の効きが悪いのかな。おっさんが持つには無理のある能力だもんなあ『女神の加護』って」

「いえ、あなたの『女神の加護』との親和性はかなりのものですよ。……あなたが私をうまく癒やせないのは、私のせいです」

「ジョゼのせい?」


 意味が分からず首を傾げると、ジョゼは一旦スプーンを置いて苦笑した。


「『女神の加護』の癒やしは、味方にしか効きません。……つまり、私はあなたにきちんと味方だと認めてもらえていないということです」

「え!? 俺、ジョゼはアイネルを守る味方だと思ってるよ!?」

「そういう対外的な問題じゃなくてですね。あなた個人の感情として、私に心を許していないということですよ」

「あー……」


 確かに今この時点でも、早くジョゼを癒やして、即刻逃げたい気分でいる。一緒にいて安心できる人間ではない。


「まあ、正直な反応ですよね」

「じゃあ、俺が来ても意味なかったのか……」

「いえ。この食事で大いに元気になりましたし、少しずつですがちゃんとヒーリングが効いています。……少し前までは癒やしの恩恵が全くなかったので、それを考えたら喜ばしいことです」

「……喜ばしい?」

「私にとっては重要なことですのでね」


 そう言って再びジョゼが食事を始める。

 何だろう。意地悪も言わないし、いつもみたいに追い詰めるようなこともしないし、拍子抜けだ。それどころか、あたりが優しくすらある。それもまた、若干の恐怖ではあるのだけれど。

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