第30話 ミュリカと巧斗

「師匠、気を付けてね。危険だと思ったら相手をぶん殴って逃げるのよ」

「心配性だな、美由。大丈夫だよ、こっちは砦での籠城戦だし、敵と直接やり合うことはないみたいだから」

「もっと危ない奴らが側にいるでしょうが……。一応表面上は理性的だけど、あわよくば手を出そうという抜け目のない二人だからなあ……両方変態だし」


 敵に負ける心配はしていない。

 ギース兄様は剣こそ弱いが戦況を見るのが得意で、采配も的確。今までバラルダと防衛砦だけで国境を守ってきた能力は伊達じゃない。

 そしてもちろんジョゼも、敵味方双方の知識があるし、類い希なる魔法能力の持ち主だ。出仕前の流れの時から引く手数多で荒稼ぎしていた男、ゲリラ戦だってお手の物なのだ。

 後衛に置くにはとても頼りになる二人。


 でも、師匠を側に置くとなると不安しかない。


 それでもジョゼには極力近付かないだろうし、兄様にも先日舐められた記憶があるから、少し警戒しているのがまだ救いか。


「美由こそ気を付けろよ。俺たちと違って白兵戦は一瞬の油断が命取りだ。殿下もお前も、先陣切って突っ込みそうだからなあ……」

「今回は敵の大将を素早く潰すほど残る兵士は多いから、その方がいいでしょ」

「お前、自分の立場を考えろよ。殿下もだが、後々国や街を統べる人間なんだから、自分を大切にしなさい。……一緒に行けるなら、俺が露払いをするんだが……」

「それも問題あるけどね」


 師匠に何かがあると、この主要メンバーの士気に関わる。まずイオリスが許さないだろう。


「とりあえず出立して、早いこと終わらせましょう。私たちは防衛砦を迂回して、オルタの街にいる本陣を攻める。そこを落としたら、防衛砦を攻撃している軍を挟み撃ちにするわ」

「ああ。目的地はそれほど離れていないから、早ければ三日ほどで決着がつくだろう。おそらくその後もヴィアラントからの派兵があるだろうが……まあ、その辺はすでにジョゼが考えてるに違いない。あいつ、結構責任感強いし、国に愛着があるみたいだしな。そこは頼りにできる」


 あれ。何だか師匠がジョゼを語るなんて珍しい。いつも避けたい話題ナンバーワンな感じなのに。


「……師匠ってジョゼのこと評価してるんだ。嫌いな奴なのに」

「嫌い……? うーん、嫌いとは、ちょっと違うかな。ただひたすら怖い。めちゃくちゃ楽しそうに虐めたり嫌がらせしてくるとことか……。でも最近、少し減ったかも。そういや、美由と約束したから虐めないって言ってたけど、何かあったのか?」

「ああ、うん。まあね。……あいつ、今後師匠と仲良くしたいらしいよ? 虐めないし、変な術も使わないって約束したわ」

「えっ!? ほんとに? 怖いことしないなら全然いいよ」


 恐怖の素が無くなると知って、師匠の表情が明るくなる。でも多分、師匠の思っている仲良くしたいとあいつの仲良くしたいは意味が違うんだよなあ。


「……でもまあ、まだ怖くて自分から近付く気にはならないけど」

「うん、それでいいよ。いきなり寄っていったら、あの男調子に乗るから。もうちょっと反省させておかないと。……それにしても、ひどいこといっぱいされたでしょうに、赦して平気なの?」

「こっちに来たばっかりの時、結構世話になったしなあ。世界のこといろいろ教えてくれたし、あいつの稼ぎのおかげで衣食住に困ることもなかったし。あの頃は普通だったんだよ。慇懃無礼ではあったけど」


 この世界に呼び出したのがあの男なのだから、師匠が恩義を感じる必要はないのに。律儀だな。


「それに、ジョゼといたことで大体のことは許せる寛容さが身についた気がするよ。昔に比べると俺ちょっと変わっただろ?」

「いや、ちょっとどころじゃないけどね」

「サラントに行ってからは、すごく生きやすくなった。それまで精神をぱんぱんに張り詰めて生きてたから。もちろん本当に悪いこととかは許せないけど、人間って善悪や正誤のような二極化じゃなく、この緩みというか、遊びの部分が必要なんだよな」


 そう言って笑った師匠には、確かにあまり気負いは感じなかった。


「今の師匠の方が自然なの?」

「そうだな。必要としてくれる人がいて、守りたいものがあって、そのために素直に動いて感情を表して……。この世界に居ると、故郷に帰ってきたみたいに気が楽だ」

「故郷に帰ってきた……か。昔のDNAかな。……あのさ、師匠は前の世界に戻りたいと思わないの?」


 私はずっと師匠のためにも彼を元の世界に帰そうと思っていたけれど、そういえば師匠の気持ちを聞いていなかった。

 今更改めて訊ねてみる。

 すると師匠はそんなこと考えてもいなかった様子で、ぱちくりと目を見開いた。


「日本にか。まあ、良い思い出も悪い思い出もいっぱいあるけど、もうあっちには俺を待ってる人間がいないからな。俺も孤児で施設の出身だし」

「私は五年後に、師匠を日本に帰してあげようと思ってたんだけど……」

「何だ、美由。俺がいない方がいいのか?」


 揶揄うように訊ねる師匠に慌てて首を振る。


「もちろん、違うけど。私とジョゼのせいで無理矢理この世界に呼ばれちゃったし、絶対戻してあげようと思ってて……。もし師匠がここに自分の意思で残ってくれるなら、すごく嬉しい」

「……もう美由は忘れてると思うけどさ。施設の伝手で俺に武道を習いに来たばかりのころ、寂しがったお前は俺にやたらと懐いて、家族になってって言ったんだよな。俺も孤児だったから、あれがすごく嬉しくて。……向こうに戻っちゃうと、守る家族もいなくなってしまうんだよ」

「……それ、覚えてる」


 そんな昔の子供の一言を覚えていてくれたとは。


「ダン様もさ、俺がお前の師匠だと知ったら、『娘を育ててくれたお前は俺にとっても家族だ!』って言ってくれて。だから俺はここでサラントという家族を守りたいんだ」

「くうう、師匠ってば律儀で男前可愛い……」


 嬉しそうににこにこと言う師匠が可愛くて困る。

 師匠こそ、こんなに可愛いといつ悪戯をされるか分からない。


「私も、家族として力一杯、師匠のこと守るからね!」

「そうか、ありがとな」


 意気込む私の頭を撫でる師匠は、きっとこの真意を分かっていないだろうな。


 まあとりあえず、このヴィアラントとの一戦を終えて、師匠を安全なところに連れ帰ろう。それまでは気が抜けない。


 私はそう決意して師匠と別れると、イオリスとともにオルタへと向かった。


**********


 思った通り、戦いは至極あっさりとアイネル軍の勝利で終わった。

 自軍に大きな損害はなく、敵兵も無抵抗で投降した者が多数。トップの者の求心力のなさが窺える。


 ジョゼはその兵を集めると、オルタに住まわせることにした。


「オルタは国境の街ということで、そこそこ大きい。廃墟にはなっていますがきれいに整備すれば住めないことはない場所です。農地もあり、時間を掛ければ復興も可能……。ヴィアラント兵にはしばらくここで、街の再生と修練に当たってもらいます」

「じゃあ最初はバラルダから少し物資を運ばせよう。喫緊の作業は城壁の修繕かな。生活苦から戦に加わった民兵の中に、土建屋や大工がいるかもしれない。それを充てれば早い」


 ジョゼとギースがさくさくと話を進めていく。

 こういう話になると、王子や私は門外漢だ。


「……私たち、もう必要なくない?」

「俺もすることがないなら一度戻って父上に報告をしてくる」


 オルタの街の領主館跡地に張った陣幕の中。私とイオリスがそう言うと、ジョゼがこちらに視線を向けた。


「殿下はもう役に立たないのでお帰りいただいて結構です。お疲れ様でした。ミュリカ殿は一応用心棒的に居ていただいてもいいですが、無理にとは言いません。ただ、巧斗は置いていって下さいね。ここからが彼の本領発揮なので」

「貴様の言い方、いちいち腹立つなあ……」

「本領発揮って……ああ、もしかして師匠に兵の修練させるの?」

「それももちろんですが、とりあえず兵たちの反骨心をごそっと削ぎます。一般兵なら、大体巧斗が近く通っただけでも落ちますので」

「まあ、癒やしオーラ全開だもんね……」


 とりあえず師匠が留まる必要があるのなら、私も去るわけにはいかない。師匠の貞操も心配だが、ここは対ヴィアラントの最前線、いつ敵が攻めてくるかもわからないのだ。


「ところで師匠はどこに行ったの?」

「街の様子を見てくると言って出て行きましたけど」

「ええ? 危ないなあ、どこで男に襲われるかわからないのに」

「あなた、どれだけ過保護なんですか。巧斗もそれなりの剣の使い手なんですから、そうそう襲われませんよ」

「だったら、俺が探してくる。出立の挨拶もしたいし」


 この場にいる必要がなくなったイオリスが、どこかそわそわした様子で立ち上がる。


「殿下が探してくれるの? じゃあ見付けたら、早めにここに戻ってくるように言ってもらえます?」

「分かった」


 短く返して、王子はすぐに陣幕を出て行ってしまった。


 その背中を見送ったジョゼが、何故か眉を顰めて小さく唸る。


「うーん……殿下、行かせて大丈夫ですかね」

「何が? あんたらよりよっぽど安心だけど」

「巧斗が『女神の加護』持ちだと分かる前なら問題なかったでしょう。しかし……王家ではあなたの『神の御印』と同時に、『女神の加護』についての能力も教え込まれている。……場合によっては巧斗を襲うかもしれませんよ、殿下は脳筋だから。殿下相手だとさすがに巧斗も危ないですね」

「……あのヘタレの殿下が師匠を襲う?」

「ヘタレほどぷっつんすると暴走するものです。……だからあまり殿下には巧斗が『女神の加護』持ちだと教えたくはなかったんです」


 ジョゼは面白がって言っているわけではないようだ。表情が何だか険しい。

 マジなのか。


「ちょっと心配になってきた……。私も探しに行ってくる!」


 慌てて私も立ち上がる。

 陣幕の外に出るともうイオリスの姿は見えなかった。


**********

**********


突然ですが、ここでミュリカ主人公パートは終わりです。

次話から巧斗が主人公になります。

カクヨムの方ではあまり露骨なR18表現は削るつもりですが、一応そういう展開が来ましたら18禁タグを付けさせていただきます。

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