インテリヤクザの試験期間 2

 俺は図書室にやってきて、自分で勝手に定位置と決めている、奥の方のテーブルに座った。特に参考書などを借りたりはしない。授業内容も日進月歩というやつで、最新の試験対策をやりたいなら塾にでも行くべきだし、学校の試験で結果を出すには授業でやったことを完璧にさらえば済むことだ。まあ一人でやってると眠くなるんだが、家よりは集中できるからな。

 試験期間でもバイトには入っているので、閉門時間より少し早く帰り、帰宅途中にコンビニに立ち寄る。二時間でもシフトに入ってくれるとありがたいと言ってもらえて俺も助かっている。

 一応純と一緒に勉強するかもしれないということで、純の苦手科目はまだ手をつけずにおく。俺は全ての科目がさほど苦手ではないが、あえて言うなら家庭科が苦手だ。一年の間しか授業がないので、今は苦しまずに済んでいる――料理下手を何とかしろとは思いつつも、岸川先生に甘えてしまっている。

それに、杜山先生にも。部活に勧誘したいからというだけじゃなくて、俺を餌付けしようとしている節もあるが、どちらにせよ俺は甘やかされてしまっている。

 あれから何度か部活に勧誘されたが、そのついでにだいたいご飯を食べに来ないかと誘われている。

 岸川先生の弁当はどちらかといえば良妻賢母というしっかりした味で、杜山先生はひたすら落ち着く味付けで、食べると癒やされる。どちらがいいというわけではなくて、どちらも俺を魅了してやまない、家庭の味というやつだ。

考えているうちに腹が減ってきた。岸川先生の肉じゃがが食べたいとか、俺は何を考えているんだろう。杜山先生の卵焼きと魚の塩焼きがあれば、俺はもうそれだけでご飯三倍はいける。先生、おかわりを注いでいただけますか。

 そして気がつくと俺は、数式を書くべきところに茶碗の絵を描いていた。無意識に描いたこの絵の芸術性は、我ながらなかなか高いかもしれない。飢えているだけだと言われたらぐうの音も出ないが。

 俺がこんな状態になっていると知ったら、岸川先生も杜山先生も、どんな反応をすることか――そんなに自分たちの料理が恋しいのかと呆れられてしまうだろうか。

 本当は毎日でも、先生たちのご飯が食べたい。

それではただの駄目人間だと言われたら、ぐうの音も出ない。学校の先生に食事を作ってもらっている生徒が、どこにいるのだろう。全国津々浦々を探せば、俺以外にも見つかるだろうか。

ああ、駄目だ駄目だ、気が散ってる場合じゃない。俺は勉強とバイトに打ち込むために杜山先生の勧誘を断ったんだ。杜山先生の料理が食べたいからって、勉強に手がつかないなんて本末転倒にも程がある。

 俺は何とか気持ちを入れ替え、勉強に励む。学校にイヤホンを持ち込むことは自由なので、スマホの音楽アプリを起動して、集中のスイッチを入れた。

 ボーカルのないジャズかクラシックが、一番集中しやすい。音楽の好みは吹奏楽をやめてからも変わることがなかった。


 気がつくと一時間ほどが経っていた。他に勉強しにきていたグループも何組かいたか、すでに誰もいなくなっている。

図書当番の生徒が友人と喋っているが、それくらいは勉強の妨げにはならない。あと一時間半、次はどの授業に手をつけようかと思っていると、

「……あ……」

すらりとした綺麗な立ち姿の女子生徒が、本棚を見ている。本を選ぶ姿がとても絵になっていて、目が離せなくなる。

「うぅん……なかなか興味深いな……いえ、興味深いですね……」

いやいや、何を呆けているのか。そこにいる人に、俺は見覚えがあるというか、気づかずにいられるわけがない。

 眼鏡をかけているので、印象が違って見える。いや、眼鏡だけではない。

 その生徒は、岸川芽瑠先生その人だった。先生を生徒と見間違えるなんてことはありえない、そう、先生がいつも通りの服装だったならば。

 端的に言えば、岸川先生は、うちの学校の女子制服を着ていた。

お世辞などではなく、その変装は見事なもので、一瞬あんな美人の先輩がいたのかと本気で思ってしまった。

 しかし、すぐに正体に気づかざるを得なかったのは、うちの学校でも最も大きい部類に入るだろう――いや、恐らく生徒の中では一番大きい――空野先輩よりも、さらに大きくて豊かな一部分が、どうしても目に飛び込んできたからだ。

「……あっ」

 今気がついたというように、先生がこちらを見やる――反則的なまでに制服が似合いすぎている。

二十四歳という年齢はまだ制服を着ても大丈夫なのだと、先生に言ったら怒られそうなことを考えているうちに、先生は俺の目の前までやってきていた。

 第一声が全く想像できないので、先生の出方をうかがう。眼鏡をしているのは変装としては効果てきめんで、いつも鋭い先生の眼光が和らげられて、大人しそうな印象を受ける。

 しかし間違いなく岸川先生であって、謎の先輩ではまかり通らない。

「……初めまして、三年生のき……石川、えるです」

聞き逃しようもなく、先生は自分の名前を名乗りかけた。偽名を今の今まで考えていなかったとは、普段生真面目な先生らしい。

 岸川先生は嘘をつくのは苦手というのは良く分かった。俺は先生に合わせてあげるべきなのか、冷静に岸川先生ですよねと指摘するべきかを悩む。

究極の選択というほど、大げさなものでもない。しかし、どう呼べばいいんだろう。その前に、初対面の体で話しかけてきてるから、自己紹介したほうがいいのか。

「え、ええと。俺は、海原……涼太です」

「二年生ですよね、海原……ううん、涼太くんは。時々体育の授業で……そ、そうではなくて……」

先生の演技が拙いので、見ているこちらがハラハラする。俺が気づいてないフリをすれば済む話ではあるが。

 最初はあまりの事態に混乱したが、先生は悪意があるわけではなくて、むしろ俺のために制服を着てきてくれたのではないかと思えてきた。

「そ、そう、インテリ……ではなくて、成績が良くて、とても気持ちのいい性格の男の子だと聞いて、一度お話してみたいなと思っていたんです」

今、インテリヤクザって言いかけましたね。いいんですよ、先生なら。

 心の中でツッコミを入れつつも、俺は思う。こんなふうに岸川先輩というか、石川先輩のような美人に声をかけられたら。彼女が本当にうちの高校の生徒で、上級生だったとしたら、俺はどんな受け答えをしただろう。

「え、ええと……石川先輩は、図書室に何を? 本を探してるみたいでしたが」

「ええ、ちょっと詩集に興味があって。でも良さそうなものは借りられているみたいなので、本を借りるのはまた今度にします。涼太くんは、試験勉強ですか?」

 だんだん先生の演技がこなれてくる――というか、本当に先輩なんじゃないかと思えてきてしまっている。自分のちょろさが愛おしいというか、我ながら単純すぎる。

「あ、あの……すみません、涼太くんという呼び方は馴れなれしかったですか」

「そ、そんなことはないですよ。でも俺は、芽……える先輩って呼ぶのは、少し照れますね」

「ふふっ……今日会ったばかりですからね」

 石川先輩は、自分の演技に自信をつけてきているようで嬉しそうにしている。むしろ気づいていないと先生に思わせている俺の方が、実は役者向きだったりするかもしれない――二人して何をやっているのか、というツッコミはなしとする。

「っ……石川先輩もここで勉強するんですか?」

 座るとしても向かい側だろうと思っていたら、石川先輩は隣に座ってきた。そして眼鏡の位置を直しつつ、俺が何を勉強しているのかを覗き込む。

思わず声が出そうになる。そう、岸川先生はパーソナルスペースに俺を無自覚に入れてしまう傾向にあり、つまるところおっぱいが二の腕に当たっている。全神経がそちらに向かってしまうのをどうにもできない。

「数学の勉強をしていたんですね。試験の順番通りにやっているんですか?」

「は、はい、これは二日目の一つ目の試験ですね」

 なんとか初手を乗り切った。おっぱいが気になって何を喋っていいのか分からなくなったとか言ったら、さすがに先生も呆れてしまうだろう。

「まだ試験前期間の初日なのに、そこまで進めているんですね……偉いです」

「っ……え、偉いというか、みんな頑張ってますから」

「いえ、私のクラスの子は授業が早く終わるからと、遊んでいくような子ばかりで……海原くんみたいに真面目な子をぜひ見習って欲しいです」

 三年で遊んでいるのもどうかと思うが、この場合は「岸川先生」の立場で、自分が担任のクラスのことを言っているのだろう。

「あ……よ、良くなかったですね、みんなのいないところでそんなふうに言ったりして。せっかくだから遊びたいっていう気持ちも、本当は分かるんです」

「確かに……高校生活は一度きりですからね。でも俺は、試験でいい成績を取るために頑張るのも、それはそれで面白いと思うんです」

「面白い……そう思えるのも、一つの才能ですよ。私の現役時代は、本当に勉強嫌いで大変で……あっ……」

「石川先輩が勉強嫌い……それは、ちょっと意外ですね」

 もう先生の素が出てしまっても、気づかないふりで通すことにする。先生は安心したように胸を撫で下ろしていた。

「ですが、頑張った甲斐あって、後輩の涼太くんには教えられると思います」

「本当ですか? それじゃ、ここの方程式なんですが……」

 参考書の問題を一つ、先輩に解き方をレクチャーしてもらうことにする。

 自分で考えても何とかなるだろうが、せっかくなので、岸川先生の解き方を参考にしたいと思ったのだが――。

「……あっ、この展開では詰まってしまいますね……では、違う考え方で……」

 先輩は難しい顔で問題と向き合っている――行き詰まるとシャープペンシルをカチカチとするのが、彼女の癖のようだ。

「あ、石川先輩の解き方を見ていて、ピンと来ました。こういう感じでどうですか」

「あっ……凄いです、これであってますね。きれいに解が出ました。では、この問題はどうですか?」

「この問題はですね……」


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