一章 マーダー 3—2


 なまぬるい水をかきわけて進んでいくと、どうにかドームの外側まで辿りついた。

 手さぐりでゲートを探しているところに、パールもやってくる。

 二人は岩だなを這うカニみたいに、横ばいに歩いていって、ゲートの前に立った。


 センサーにIDをかざす。

 ゲートがひらき、二人は内部に流れこむ水流に押されて、ウォーターシティーに入った。


 といっても、まだ水から解放されたわけではない。


 ウォーターシティーの最下層は潜水ボート発着場みたいになっている。湖水で満たされたプールだ。ゲートの開閉で水が入りこんだとき、自動で一定の水深に保たれるよう制御されている。

 プールから一階、上に通じるハシゴをのぼっていくと、やっと水のない場所だ。


 そこまで来ると、送風機の前に急いで立った。髪をしぼり、服もぬいで乾かし、耳の穴からオイルを抽出して、念入りに水を押しだす。

 それでやっと、閉じていたシャッターをすべて、ひらくことができる。


「息がつまるよ。まったく」

「ほんと。でも、行きはまだいいわ。乾燥室もあるし」

「それもそうだ」


 シティから出ていったときは、自然乾燥に任すしかないのだ。


「さてと、じゃあ、マーブルに面会を申しこむかな。君はどうする?」

「こみいった話でしょ? あたしは、そのへんをブラブラしててもいいわ。二時間後に、ウォーターパークの入口で落ち合いましょうよ」

「二時間後ね」


 体内時計の表示は午後一時二分四十八秒だ。

 ジェイドはシティへの入場手続きをして、パールと別れた。


 マーブルを呼びだしたジェイドは、驚きで、つかのま声が出せなかった。

 通話中は気がつかなかったが、マーブルは背中に小さなガラスの羽をもっていた。

 小柄なマーブルには、透き通るカゲロウのような羽は、妖精みたいでとてもよく似合う。


 羽やツノなどの飾りを体につけるのは、ここ一、二年に流行りだした最新モデルである。

 キューブシティーでは、まだ、その前の流行のメタルボディーやスケルトンのほうが多く目につく。


「やあ、羽、カワイイね。似合うよ」


 ジェイドが言うと、マーブルは複雑そうな顔をした。

 そういえば、おとなしい性格のマーブルは、人目をひくハデな姿には気おくれするたちだった。


「今のパートナーの趣味なのか。でも、ほんと、似合う」

「ありがとう。どこで話したほうがいいかしら」


 ウォーターシティーは別名、クリスタルパレス。

 隕石の直撃でもヘッチャラな特殊強化ガラスでできている。


 だから、水中の景色がどこからでも眺められる。

 シティの中心を水力発電の水流循環システムが通っているので、複雑な水の動きがなんとも美しい。

 都市の内外、どこもかしこも水で満たされているような、クリスタルパレスの異名に恥じない水中都市だ。


 美しいことは他のどの都市よりも群をぬいているが、そのかわり個人のプライバシーはない。居住スペースの壁も、みんなガラス製だ。


「そうだな。そのへんのオープンカフェなんかじゃ、ちょっとマズイ話なんだ」

「それなら、うちへ来て。今、EDはいないから」


 新しいパートナーの名はEDらしい。やはり、Eタイプだ。


「じゃあ、おじゃまするよ」


 マーブルにつれられて、ジェイドは中央循環水槽に接したガラスのエレベーターに乗った。

 循環水槽のなかを掃除するクラゲ形のロボットが、半透明の花みたいに、水中を浮いたり沈んだりしている。


「ここよ。入って」


 鳥の巣箱みたいに並んだコンパートメントに案内された。

 そこは、どう見ても単身者用のコンパートメントだ。二人で住むには狭すぎる。


「セキュリティシステムに、あなたのIDを読みこませて。登録するから」


 個人住居にはID登録していない人物は入れない。シティのマザーコンピューターのセキュリティに守られているのだ。


 ジェイドは手首のIDをあてがってから、マーブルのあとについて入った。


 水中都市は、家具もほとんどガラス製だ。しばしば鏡も使われていて、頭上からふりそそぐ光が乱反射している。

 青白い光が波紋のように室内に踊って、まるで水中そのものに漂っているような錯覚におちる。


「キレイだなあ。けど、おれはやっぱり落ちつかないかな」

「住めば、なれるわ。座って」


 壁ぎわのガラスのソファーを示されて、落ちつかない気分で座った。


 壁の向こうをなんだかわからない大きな魚が泳いでいった。

 湖水は植物プランクトンの死骸で白く濁って、遠くまでは見通せない。プランクトンが舞うたびに、雪が降っているようにも見える。

 水族館に遊びにきたと思えば、悪くない眺めだ。


「オイルでも飲む?」

「いや。じつは友人を待たせてるからさ。ウォーターパークで落ち合うことになってるんだ」


 そう言ったあと、気の重い沈黙が二人のあいだにおりた。

 口をひらいたのはマーブルだ。


「話して。エヴァンのこと」

 それだけ言うのが、やっとのようだ。


 ジェイドはなるべくマーブルにショックをあたえないよう努力しながら、エヴァンの死のようすを語った。


 マーブルは聞くうちに青ざめ、急激に体内蓄電量が低下したように見えた。


「大丈夫? マーブル」


 マーブルがフリーズしてしまうんじゃないかと思ったが、どうにか、マーブルは意識を保った。


「エヴァン……」


 ポロリと大粒の涙が、両眼からこぼれおちてくる。


 ジェイドはレザースーツの二重になったポケットの内側に、防水ケースに入れてきた、エヴァンのチップをとりだした。


「これ、君がもらってくれ。エヴァンのチップ。残ってたのはこれだけだ」


 エヴァンのチップをにぎりしめて涙を流すマーブルが落ちつくのを待って、ジェイドはベースキャンプの場所を聞きだそうと思っていた。


 だが、そのとき、とつぜん、マーブルのコンパートメントに無断で入ってきた男があった。もちろん、セキュリティにひっかからなかったから、入室許可リストには入っている人物だろうが。


「誰だ?」


 冷たい目をして、ジェイドをにらむ。

 それがマーブルの言っていたEDであることは一目瞭然だ。

 Eタイプのマスクをしていたし、それに……。


(こいつはまた、スゴイのが出てきたな)


 EDは全身が最新流行のスタイルで、目をみはるように美しかった。かつては、エヴァンがそうだったように。


 EDはまるで、古代神話に聞く天使のような姿をしていた。ガラスの天使だ。

 全身がくまなくガラスでできていて、肌は半透明なオパールのように、乳白色に透き通っていた。


 背中には巨大な一対の翼がある。

 クリスタルガラスが骨格を作り、そこに大きさや形のことなるガラス玉を編みこんだような、きわめて装飾的な羽だ。


 あざやかなエメラルド色の瞳はエヴァンと同じだが、ガラス繊維の髪は白銀に近いプラチナブロンドだ。


 羽も体も光を反射して、見る者を圧倒する。おしつけがましいほどの美しさだ。


(そういえば、エヴァンも、みえっぱりだったっけ)

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