第6話 文化祭がやってくる

 体育祭が終わり、中間テストが終わると、一気に秋らしくなり、半そでの制服姿が少なくなって、長袖がちらほら見えるようになってきたころ、文化祭のための学級会が開かれる。

 毎年思うが、文化祭というのはいったい何をすることが目的なのだろうか? 体育祭は、日ごろの鍛錬を披露するのだろう。じゃぁ、文化祭は? 勉強の成果か? それは、参観日というもので見られるだろう。高校で参観日などないけれども。となると、文化祭とはいったい何を、誰に披露するのだろうか?

 太郎は頬杖をついて黒板を眺めていた。

 クラス委員長の梓がてきぱきと進行している。


 秋祭りの次の月曜、梓が一人で居るところを見計らって、もう一度謝る。

「大丈夫、驚いたけど。……でも、もしあれで、他の人が見ていて、大げさに騒がれなくてよかった。だからね、深雪ちゃんがごまかしてくれたから、すごく助かったの。

 私もね、あんなところに立っていたの悪いし。だから、もう、忘れてね」

 忘れてね。という言葉には、事故を忘れてくれと、感触を忘れてくれ。の二つ意味があると太郎でも解った。そして、できることなら、後者のほうを忘れろと言っていることも。

 太郎は頷き、「解った」と言った。

 もちろん口先だけの約束だ。手の甲に残っているあの感触は忘れられないし、忘れられるものではない。と思う。大人になって、誰かと付き合えば、忘れるのだろうか? そんなこと今は解らないけど、たぶん、あの瞬間体を巡った衝撃とかは覚えているんだろうなぁ。

 太郎はふと右手の甲を大事に擦った。


 太郎のクラスは、フランクフルトと、ジュースをセットにして500円で売ることになった。本当は、串焼き肉をしたかったのだが、他のクラスにじゃんけんで負けたのだといった。

 太郎の担当は、前日までの買い出し係となった。

「山辺ぇ、俺ら明日買い出しの荷物持ちだってよぉ」

「あ? あぁ。わかった」

 土曜日の放課後を使ってみんなで分担して買い物に出かける。主に女子が主体で。男子はその後ろを荷物持ちとしてついていく。

 今ではありえないけれど、百円ショップなんてものが無いから、スーパーとか、そういうところへ大量に買いに行く。ただ、中には安く買えれる卸の店。なんてのを知っている奴がいて、そういうやつから情報を得ると、あっという間にその店に同じ制服が集まってきたりするのだ。


 紙コップを前にして女子が不機嫌そうだった。

「なんだ?」

 太郎が聞くと、畠山が言うには、深雪が無地の紙コップばかりを買ってきたというので、なんで無地なんだと問い詰めているようだった。

「安いからよ」

 と深雪はそういいながら、私物のカバンをひっくり返した。出てきたのはシールとか、色ペンだった。

「これでデコレーションするの。たぶん、よそは同じ紙コップばかりになると思うのよ。でも、オリジナリティーでしょ?」

 そういって、深雪は一つを掴み、

「でも、口付けるものだから、できる限り口の部分は触らずに、あと汚れるから、左だけでも手袋していたほうがいいかもね。それで、こうやって、まぁ、適当にね、センスだよ、センス。線を引いて、シール貼って、ほら、かわいいでしょ?」

 と見せた。

 ただの色ペンで引いた線上に星型のシールを貼っただけだが、確かに、他とは全然違うものになる。と女子が嬉々として参加し始める。女子って、こういうの好きだよなぁと眺めている。

「ただし、これをやっているのうちだけだから、ごみ拾いの時大変かもしれないけど、でも、子供とか喜ぶでしょ? そう思わない?」

 深雪に言われ、女子はすっかり同意し、作業の没頭していく。それが面白くて、何の宗教ですか? と思ってしまった。

 深雪は次に「ねぇ、男子ぃ」といって近づいてきて、

「木をちょいと加工してくれない? 技術の授業で電のこ使えるでしょ?」

 と言って図面を差し出してきた。

 そこに書かれていたのは、売り場の会議室の机の上に置く台を作れという。

「絶対に低いから腰が痛くなるって。だからって、当日になって、適当に、そこら辺のなんかを台にしたら、不安定で、倒れるかもしれないから、今から作ってよ」

 そういわれ、技術成績のいい、手先の器用な奴らがそれを引き受けた。ついでに、机の足元を隠すために段ボール看板を作る予定だったが、どうせならとそれも木を雲のような形に切り出し、それに色を付けた。

 木にかわいらしい絵を描いたりする作業を始めて見た。という顔で全員が深雪の、何というか、そういう知識に感心した。

「これ? これは、ステンシルっていうのよ。簡単よ、やってみる?」

 たしかに誰でもできるが、誰もが同じものでないところが、何とも言えない味だった。


 誰かが言い出した。確かに、梓はリーダー気質があり、言われたらせざるを得ないが、あまりいい案を示さない。そのかわり深雪はリーダーとしては不向きだが、いろんなことを知っていると。紙で作る花を束ねる前に端に色をつけておけば、グラデーションフラワーになるとか、それを参考に他のクラスも真似するようになっていった。

「タロちゃん、これお願い」

 と言われ、太郎は何も言わずに手伝う。それが、椅子を持って行くだけだとか、椅子を押さえる役だとか、いろんなことなので、いちいちは向かう気もなく太郎は動く。

「山辺ぇ、なかなか尻に敷かれておりますなぁ」

 と畠山に言われてやっと、確かによく動くなと自分のことながら思った。


 「消耗品買い出しに行くよぉ」という声で、買い出しに行くらしく、太郎も呼ばれて階段を降りる。

「本当に、仲いいね」

 急に声を掛けられ横に並んできた梓を見た。

「え?」

「山辺君と深雪ちゃん。うらやましいなぁ」

「野原ならいるんじゃないのか?」

「……居ないよ」

 じっと太郎を見た後で梓はそう言った。なぜあんなに見られたか解らないが、なんとなく、見つめられていても舞い上がることはなかった。―不思議だ。片思いの相手なのに―

 買い物は調味料だったり、色紙だったり、なんだか女子が先陣斬って買い物かごに入れるのを、黙って持たされ、帰りも重い荷物を持って帰っただけだった。

「深雪ちゃんのこと、ずっと大事にしてあげてね」

 教室に入る直前、たぶん、太郎にしか聞こえない声で梓が声をかけた。太郎は教室に入っていく梓の背中を見送った。


 太郎は看板の上に貼る、「5」と書いた段ボールに色を塗っていた。

「いやー。あれだねぇ」

 畠山がしみじみと言い、

「最近の山辺ぇはなんだかつれなくて行かんのですよ。今までなら、俺たちはモテないからな。とか言って、女子とあんまり会話もせず、楽しそうなやつらをひがんでいたんだけども。

 いや、いいんですよ。いいことなんですよ。高校生活謳歌してていいじゃないすか。そうですよ。いいんですよ。いいけど、お前、ほんと変わったよな。あれだな、深雪ちゃんのおかげだな」

 畠山は何度も「いいことだ」と言いながら、それでもどこか寂しそうな感じを漂わせた。

 畠山の言葉に、太郎は少し息苦しさを覚えた。何ということはないのだが、今までできていた呼吸の、ほんの少し、吸いきれていないような気がする。


 息苦しいままの太郎を教室から松山が呼び出した。

 文化祭の準備でごちゃごちゃにぎやかな廊下を過ぎ、少し人気が少ない場所に向かった。どこということはない。ただ人がそこだけ少ないというだけの場所。

 窓ガラスが開いていて秋らしい風が入ってきていた。

「何の用?」

 看板に色を塗っていて、手に絵の具が付いているので、早く洗うか、続きを書きたいと思っている太郎が不愛想に聞く。

「いやね、何というか……、深雪ちゃんのことなんだけど」

「深雪?」

「そう、君は深雪ちゃんの幼馴染だってね?」

「あ? ああ」

 松山の手にカセットがあった。あれは、深雪が借りていたカセットと同じで、つまり、梓のものだと判った。それを手にしてカチャカチャ鳴らしながらしゃべる松山に多少イライラする。

「家も隣だって?」

「ああ。それが?」

「深雪ちゃんのことをよく知ってるよね?」

 太郎が眉間にしわを寄せ松山を見返した。―何が聞きたいんだ?―そのカセットを片付けろ。と思いながら少し斜に構える。

「深雪ちゃんは、今付き合っている人とか、好きな人とか、居ないのかな?」

 太郎は松山を見つめた。―こいつは野原が好きなんじゃないのか? なんで深雪のことを聞く?―不審な顔をする太郎に松山は少し微笑み、

「俺じゃないよ。他の奴がね。ただ、ほら、深雪ちゃんて、自分のことあんまり話さないし、話しかけようとするとどっか消えるんだよ。解るかな? トイレとかね、それで、仲いい奴が、君と話している俺に聞いてくれないかって聞いてきて、」

 と言ったが、真相はどうか不明だ。深雪は居なくならないし、話しかけてくるやつを選んだりしない。そういうやつじゃない。もし、避けられているというなら、それは嫌われている証拠だ。と思ったが口にせず、

「なるほど、で? なんだっけ? 付き合ってるやつ? さぁ、そんなのいないんじゃないのか? 好きな奴とかも聞いてない」

「そうか……、あぁ、そいつがね、告白するとき何か渡そうと思っているようなんだけど、好きなものとかあるか?」

「好きなもの?」

 太郎の頭の中ビジョンに深雪の母親? が雪ウサギを喜んでいるのが見えた。でもあれは。だけども、なんで深雪の母親が喜んでいる姿が見えたのか不思議でならない。そもそも、深雪の母親が好きかどうかすら知らないのに、あんなに喜んでいる姿も見たことはないのに、不思議な画だ。

「いやぁ、知らんなぁ」

「子供の時から好きなものとかは?」

「知らねぇ」

「幼馴染だろ? 家も隣なんじゃないのか?」

「幼馴染だろうと、隣人だろうと知らないよ。そこら辺の女子と同じものが好きなんじゃないのか?」

「……聞いて悪かったよ。あ、本人には言わないように」

 言わないよ。と思いながら、内心で舌を出した。―一体何なんだ?―


 畠山の言葉と言い、松山の質問と言い、太郎のを窮屈にさせる。

―幼馴染だから、隣人だからって、好きなものを把握しているほうが気味が悪いだろ? 年頃なんだぞ、子供のころから好きだったものなんか変わるだろ? 子供のころにあいつが好きだったものは……あいつが好きだったもの? 好きだったもの? あいつが、子供だった頃?―


 太郎は最近呼吸困難で目が覚めるようになった。

 朝の六時少し前に目が覚め、寝汗をかき、心臓だけがどくどくといっている。

 それもこれも、畠山と松山の所為なのだと解っている。解っていて、それを考えると、不快で、気分が悪くなる。考えないようにすると、動悸と、呼吸困難が襲う。

「俺、どうした?」


 文化祭を週末に控えて、ますます準備や、テンションが上がる。そんな中、太郎は寝不足と、呼吸困難の所為で背中を丸めて歩いていた。

「山辺ぇ、どうした?」

 畠山が心配した顔を見せる。

「なぁ、お前が前に言っただろ? オレが変わったって。深雪のおかげだって」

「あぁ、言ったなぁ」

「深雪のおかげって変だと思わないか? もし、深雪のおかげなら、なんで急に変わったとお前に言われるんだろうか? あいつは幼馴染で、隣人だぞ?」

「……そうだなぁ。そうだ、そうだ。でも、深雪ちゃんのおかげということは変えられんが、……去年は、俺に近かった。うん、近かった。うん……でも、深雪ちゃんのおかげだな」

「おかしいと思わないか?」

「思わないぞ」

 畠山が言い切った途端、太郎に呼吸が戻ってきた。ただ、胸に妙な気持ち悪さを残して―。







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