【5品目】 誰も死なない、誰も血を流すこともない……けれども、誰か彼らを助けてあげて『うちの家には神様がいる』
うちの家には神様がいる
大晦日。
時刻は、午後9時49分。
場所は、西日本のとある地方のさびれたコンビニエンスストアのチェーン店。
黒いダウンコートに身を包んだ会社員トシユキ(52才)と、その息子ユキト(21才)がそれぞれの瞳をキョロキョロとせわしなく動かしながら、人手不足のため清掃が行き届いているとはいえない店内へと滑り込むように足を踏み入れてきた。
彼らのホッとして胸をなでおろしたかのような動きとともに、白い息がそれぞれの眼前で舞ったのを、コンビニ店員エイゴ(26才)もその肉眼でハッキリと見た。
――あれ……? あの2人って、もしかして……
客をジロジロ見てはいけないと思いつつも、エイゴの視線は2人の客を、それほど外見が似ているとは言えない”1組の親子”を無遠慮に追っていた。
エイゴはこの親子と直接の知り合いではない。だが、彼らが親子であることは知っていた。そして、彼らがこの近隣に住んでいることも知っていた。
トシユキもユキトも、ここ数年足を踏み入れることのなかったこのコンビニ内にて、長髪&カラーリング&ピアスの3連コラボでコンビニ店員よりもヘヴィメタルバンドのボーカルの方が似合いそうな若い男性店員からの訝し気な視線を受けていることにはしっかり気づいていた。
でも、自分たち以外の客がいなくなった今こそがチャンスなのだ。
このチャンスをみすみす逃してたまるものか!
タタタ、と店内のカップ麺コーナーへと小走りで駆けた彼らは、”碌に選びもせず”わずか一秒かそこらでパッとそれぞれの手にカップ麺を手に取った。
ただ彼らが選んだカップ麺に共通しているのは「そば」であることであった。
どうでもいいことだが、トシユキが「鴨だしそば」でユキトが「天ぷらそば」であった。
彼らは選んだカップそばを”外から見えないよう”自分の体の影に隠しながら、再びタタタと”レジへと向かって”小走りで駆けた。
まるで万引き犯のような挙動不審さを見せていた彼ら2人であるが、万引き犯では決してない。
トシユキ、ユキトの順で素早くカップそばをレジカウンターに置く。そして、トシユキはレジ近くに配置されていた新聞コーナーより”適当に2紙ほどパパッと取り”自分たちのカップそばを上から覆い隠すように置いた。
迅速さが大切なのだ。
そして、カムフラージュも大切なのだ。
――あ……やっぱ、そういうことか。しっかし大変だよな。この人らも……
学歴はそれほど高くないも、決して頭の回転が鈍いわけではないエイゴは、彼ら親子の意図することを――”彼ら親子の今一番の願い”をくみ取っていた。
カムフラージュのための覆いを崩さないようにし、計4商品のバーコードを読み取るエイゴ。
「436円になります」というエイゴの言葉が終わるよりも早く、トシユキが500円玉をレジカウンターへと置いていた。
現金支払い。
これは足がつかないようにするためだ。クレジットカードなど使ってしまったら、家に届く明細でばれてしまうだろう。
トシユキの迅速さに劣らず、エイゴもお釣りを素早くトシユキに手渡した。
だが、レシートは手渡さなかった。「レシート必要ですか?」と聞く必要がないこともエイゴは分かっていた。
そして――
「お湯はあっちです。あ、でも……ちょっと待ってくださいね」
レジスペースからするりと出てきたエイゴは、店内に常備している電気ポットの位置を移動させた。
「ここなら、”外から死角になってます”から……」
エイゴの目配せ。
ありがたすぎる彼の心遣い。まさに神。彼は神店員だ。
「ありがとう」
「ありがとうございます」
トシユキもユキトも、彼に頭を下げ――本来ならもっと深々と頭を下げたかったが、”外から見えたらマズイ”と軽く会釈をする程度におさめるしかなかった。
「……気持ち分かりますよ。食べたいですよね」
ここはエイゴも空気を読み、わざと彼らから視線を外し、独り言のようにボソリと呟いて、レジカウンター内へと戻っていった。
それぞれをお湯を注いだカップそばを、トシユキもユキトも読むために買ったのではない新聞紙で素早く覆ってくるんだ。
不自然なのは分かり切っているが、そうするしかないのだ。
「「よいお年を」」
「ええ、よいお年を」
このコンビニ店内にて年越し予定であるエイゴは、ただのカップそばを購入するだけであるのに、まるで悪事を働いているかのごとくコソコソと”周りの目”に怯えなければならない気の毒な親子の年の瀬の挨拶に答え、彼らを見送った。
※※※
”あたたかな新聞紙”をそれぞれの両手に抱えたまま、トシユキもユキトも手の内にあるものが”濡れた新聞紙”と化さないスピードでタタタ、と走る。
走り続ける。
彼らが目指す先は、”事前に打ち合わせをしていた通り”この近辺にあるさびれた公園であった。
この地方は雪が降り積もるような地方ではない。
しかし、真冬の午後10時前であるという今の季節&時刻ならびに、本日が大晦日であるということも手伝って、今、あの公園は無人状態であるだろう。
いや、無人であってもらわなくては困る。すごく困る。
誰もが先ほどの神店員のような思いやりと機転を利かせてくれるとは限らないのだから……
幸運にも、予測通り、公園には野良犬1匹すらいなかった。
さびれた公園にふさわしく、物悲しさを加速させている外灯の灯りの下、トシユキとユキトが安堵の息をつく。
だが、完全に安堵できる状態になるまでは、まだまだだ。
「どこで食べる?」
「父さん、あそこはどうかな? ちょっと臭いかもしれないけどさ……」
ユキトは公衆トイレの横を指差した。
臭気は漂ってくるかもしれないが、公衆トイレそのものが冷気よけになる。そして、外灯の光もちょうどいい塩梅であり、あたりを完全に冬の闇の中には落とし込んではいない。
本音はベンチで、このカップそばを食べたい。
いや、その本音の本音は、暖房器具が揃った温かい自宅でこのカップそばを食べたい。
だが、それはできない。”自分たち2人”にはそれが許されない。
「もう3分は経ってるよな?」
「いや……まだ1分半かそこらだと思うぞ、ユキト」
「……たった3分がこれほど待ち遠しくなるなんて……そもそも市販のカップそば1つ食うのに、こんなに苦労しなくちゃいけなくなるなんて想像しなかったよ」
疲れ果てたユキトの白い溜息を見たトシユキの胸が、ズキンと痛みの強度を上げた。
「なあ、父さん……母さんとどうして結婚したの?」
「まあ……母さんは昔から不器用ですごく要領も悪かったけど……何にでも一生懸命だったしな、それが昔は可愛くも見えていたんだ」
「……良く分からないけど……何事にも限度ってモンがあるだろ」
「そりゃ、父さんだって”こうして身に染みて分かってる”さ。”母さんが神様になる前”だったら、父さんだって母さんをちゃんと叱り飛ばして、お前にこんな不自由な思いをさせやしなかった。でも今は……」
言葉につまったトシユキが吐いた息も白く、疲れ果てたものであった。
「ユキト……お前、朝飯とかはどうしてんだ?」
「朝飯ねえ……正直、待ってなんかいられないし、空腹で集中力もガタ落ちだし、毎日イライラしっ放しなんだけど……時々、大学の友達の何人かが、人目を避けて俺の鞄におにぎりとかパンとかそっと忍ばせてくれてる……後から代金はちゃんと支払ってるけど、トイレでそれらを必死で味わう時間もなく食ってるってワケ、トイレ飯だよ」
苦笑したユキトは続ける。
「でも、正直、”母さんが神様になった”のが俺が大学に入ってからだったのは不幸中の幸いだよ。運動部に入ってた高校時代なんて絶対にパワー切れ起こしていただろうし、食事のサイクルが今みたいに狂いまくってたら大学受験だって失敗してたはずだしな……」
一人息子の言葉を聞いたトシユキの胸の痛みの強度はさらに上がっていく。ズキンズキンと。
息子・ユキトは学業成績がそう優秀なわけでもなく、何か一芸に秀でているわけでもなく、いわゆる”表に出ているスペックだけ”を客観的に見たなら偏差値50台前半といった感じだろう。
しかし、性格はのほほんとして真面目で優しく、非行に走って親を困らせたこともなく、トシユキにとってはこれ以上ないほどの息子であった。
仮に、ユキトとの縁が、今生のように父と息子ではなく、同性&同世代の友人として紡がれていたとしても、絶対に仲良くやっていけたに違いないと思うほどに。
そんな彼が、自分たち夫婦の元に生まれてしまったがために、このような目に現在進行形で遭っているのだから……
「もう3分経ったよな」
うれしそうなユキトの声。
「大晦日の夜まで”トイレ飯”とか最悪だけど、父さんと一緒ならまだいいか」
自分たちはトイレの個室の中にいるわけではないが、すぐ近くの公衆トイレからは独特の臭いが、冬の冷気を蹂躙する勢いで漂ってきている。
大晦日なのに、自分たちはなんて惨めなのだろうか。いや、大晦日でなくてもこのシチュエーションは惨め過ぎる。
さらに言うなら、ユキトの通っている大学のトイレの方が清潔で温かいであろうことは、トシユキにも予測はついた。
ユキトの手がカップそばの蓋をパリリと剥がしにかかる。
「父さん、俺のそばについている天ぷら半分やるよ」
「じゃあ、お前は父さんのそばの鴨だしを飲んでみるか?」
同じく、カップそばの蓋をパリリと剥がしにかかったトシユキも言う。
「しまった、さっきのコンビニで歯磨きセットも買っておくべきだったな。家に戻ったら、口からの臭いでバレるかもしれないぞ」
「公衆トイレに水道あるだろ。すっげえ水は冷たいだろうけど、水道で口すすいでおけば、なんとか誤魔化せるよ。カレーそばを選んでたら、ヤバかっただろうけど」
ユキトとトシユキは顔を見合わせて微笑みあった。
それぞれの手にあるカップそばを平らげた後は、氷水でしかない公衆トイレの水道水にて手を濡らし口内をすすぐという軽い拷問のごときミッションがあるも、今から待ち望んでいた至福の時が始まるのだ。
その至福の時をゆっくり味わうこともなく、”まるで競い合うように”早く切り上げなければならないことも彼らは理解していた。
しかし、公衆トイレの臭いと混じり合ってもなお、彼らの喉をゴクリとうなららせるカップそばの芳香が――”大晦日の年越しそばの芳香”が彼らの鼻腔と心までもを満たしてしった。
彼らが各々のカップそばに割り箸とともに顔を近づけたその時――
ビュッという音とともに飛んできた球体が、トシユキの手のカップそばを直撃したのだ!
「熱……っ!!!!!」
弾かれたカップそばは、トシユキの黒いダウンコートの胸元でビシャッとひっくり返った。
そして、新たな音ともに飛んできた2発目の球体は、ユキトの手のカップそばまでをも狙いを外すことなく、弾き飛ばした。
「わあっ!!!」
ユキトのカップそばは、彼の黒いダウンコートにわずかに飛沫を飛び散らせ、彼の足元へとビチャッと転がった。
彼らの至福の時は、無残に奪われた。
しかも、彼らともに、その”至福”には口をつける寸前であった。
わずかな至福を噛みしめて飲み込むことすらできないまま、奪われてしまった。
「「ああああああ…………」」
口から漏れる絶望の声しか発することしかできなくなった彼らの足元を、2つの球体がコロコロと転がっていく。
サッカーボールだ。
自分たちの年越しそばを奪ったのは、このサッカーボールであるのは明白であった。
ハッと顔をあげたトシユキとユキトの目に映ったのは――
さびれた公園のさびれた外灯たちが照らし出していた襲撃者は――
ご近所の皆さんであった。
見知らぬ暴漢に襲撃されたわけではなく、約20名弱のご近所の皆さんが、トシユキとユキトに咎めの視線を揃って浴びせていた。
ご近所の皆さんは、一家総出での家庭もあれば、子供たちは連れてきておらず夫婦のみであったり、またまた奥さんだけといったり様々であった。
「なあ、パパ、ママ。俺と兄ちゃん、すげえだろ。おじちゃんとユキトにいちゃんへの”狙い”を外さなかったろ」
得意気な子供の声。
この声は、トシユキたちの家の2軒隣の家の男子小学生の声だ。
先ほどのサッカーボール攻撃2発は、何やら学外のサッカーチームにも所属しているらしい年子の男子小学生兄弟によるものであった。
ク〇ガキなんて言葉を使っていけないし、使いたくもないがそう呼ぶことがこれほどふさわしいに違いないク〇ガキは、まだまだ続ける。
「おじちゃんたち、家でせっかく神様が年越しそば作ってくれてるっていうのに、何で家で食べないの?」
このク〇ガキの言葉に、”ホントだよな”&”ホントよね”といった同調のさざ波が広がっていく。クスクスという笑い声までもが、トシユキとユキトのところまで聞こえてくる。
トシユキたちの3軒隣に住む大柄な中年男性――イイダさんが襲撃者たちの代表であるかのように、スッと一歩、歩み出た。
「さっき、お2人がコソコソと出かけるのを私が居間の窓から見ましてね。嫌な予感がしたもんで、うちら近所一同L〇NEで連絡取り合って、お2人を探してたんですよ。まさか、こんな所にいたとは……黒いコートで闇に擬態していたつもりかもしれませんけど、ご近所ネットワークを舐めちゃいけませんよ。”コンビニのいかにも素行が悪そうな若者”の手助けの元、あなたたちは神様が何よりも嫌っているインスタント食品を購入したという目撃情報が入ったのですから。さ、早く帰りましょう。家で神様がお2人の年越しそばを一生懸命に作ってくださっているんですから」
中年男性の言葉を聞いたトシユキも立ち上がった。
コートの胸元からは、カップそばの汁がダラダラと流れ落ちていったが、それに構うことなくトシユキもスッと彼らの前へと歩み出た。
まさか”ついに”殴りかかってくるのでは――という緊張感が冬空の下で亀裂のごとくピシッと走った。
だが、トシユキの行動は違っていた。
トシユキは土下座した。
そして、氷のごとき地に額をつけた体勢のまま、トシユキは叫んだのだ。
「頼む! 俺はどうでもいい! せめて息子にだけは……一口でもいいから何か食べさせてやってくれ! もう限界なんだ!!!」
トシユキの叫びに涙が混じっていることはは、後ろにユキトにも、呆気に取られて彼の土下座を前にするしかない者たちにも分かったであろう。
「…………父さん」
ユキトの声にも涙が滲む。ひもじさと理不尽さ、そして父の愛についに堪えきれなくなったユキトは、すすり泣き始めた。
「おかしいや、おじちゃんもユキトにいちゃんも、なんで男なのに……それに2人とも大人なのになんで泣いているの?」
「情けなーいwww」
ク〇ガキ兄弟がププッと笑う。
大人の男だろうが、泣いてしまうことはある。それに、彼らは人前で涙を流しても無理はないほど異常な状況にいるのだ。
代表格のイイダさんは、彼らの涙にほんの少し怯んだようであったが、先ほどと同じく極めて冷静な口調を保とうと努める。
「”ほんの少しの我慢”じゃないですか? 神様は”あなた方に何も食べさせないというわけではない”でしょう? むしろ、その逆じゃないですか」
「……なら、あんたらは今日の午後6時から、のろのろと作り始めた”手打ちそば”が完璧に完成するまでずうっと待てるのか!? もはや”年越しそば”でなくなったそばを食べるまで何も口に入れなくて、平気なのか!?」
トシユキの喚きのごとき叫びに、イイダさんだけでなくご近所連中一同もたじろく。
それもそのはず、午後10時はもうとうに過ぎているであろう今、この公園に集まってきた者たちは、今年最後の夕食をとうに済ませてほぼ満腹状態であるだろうから。
耐え難い空腹の中にある、トシユキとユキトの状態など体感できるはずがなかった。
「今夜だけじゃないことは、あんたらも知ってるだろ!! ”あいつ”は――妻のキリコは朝飯だって、朝の8時からのろのろ作り始めて、結局出来上がるのは昼過ぎだ!! 俺の職場にも、ユキトの大学にも嬉しそうに手作り弁当を届けにくるけど、朝飯か昼飯か分かりゃしない!! その後は、昼飯か夕飯か分からない飯に、日付が変わる前になってから、やっとありつけるんだ!!」
「父の言う通りなんです! 昔から母はいったん凝り始めると、時間も周りの状況も、僕たちのこんな状態まで目に入ることなく料理に没頭してしまうんです! 母が”神様となってから”というもの、生活サイクルまで狂いまくって、僕たちも本当に限界なんです! 神様の家族であるというだけで、こんな異常な生活まで受け入れなければならないんですか?!!」
ユキトも叫びももはや、喚きであった。
※※※
トシユキの妻であり、ユキトの母であるキリコ(49才)は、今より約2年前に神様となった。
神様。
それは何も、キリコが宗教団体を立ち上げて、その教祖となったことを意味しているわけではない。あるいは、飢えや乾きが絡みついてくる肉体を脱ぎ捨てて、他界してしまったということを意味しているわけでもない。
日本国内、47都道府県において、以下のような試みが2年前に一斉に実施されたのだ。
『各都道府県につき、1名の”神様”を選定する。
皆、神様の言うことに従うべし。神様を敬うべし。神様を愛すべし』
日本国内で合計47名の神様を選定する試み。
誰が言い出したのかも定かでないこの試み。
意図や理由も効果も、全く分からないこの試み。
だが、厳正な調査において、従う&敬う&愛することができる”人格者”を都道府県で1名ずつ選定してくれていたならまだマシであった。
しかし、ある県では、まだ語彙も碌に揃っていない3才の幼児が選ばれた例もあり、誰が選定しているかも定かではない選定結果は「絶対に適当だろ」としか思えないものであった。
その47名の神様の1人に、トシユキの妻であり、ユキトの母であるキリコが選定されてしまった。
神様の言うことには、その各都道府県に住む者たちは絶対に従わなければならない。
それがたとえ、どんなことであっても……
どれだけお金や時間がかかったとしても……
ある県のDQN高校に通っている男子高校生などは、高校の敷地内にボクシングジム、麻雀ルーム、サウナなどを強引に作らせたうえ、明らかに高校生ではないDQN仲間まで呼び込んで夜通しウェイウェイ騒ぎ、校長と教頭をダブルで心労によって倒れさせたとのことだ。
また、アイドルの追っかけが趣味のある県の女性会社員などは、ライブの度に超VIP席やほっぺキス、ハグや一夜を共に過ごす権利を要求したりして、正規のファンの大ヒンシュクならび絶大なる恨みを買い、神様とはいえ殺害予告までされているとのことだ。
またまた、ある県の男性公務員などは、自分とそりが合わなかった元同級生ならび同僚、上司たちを50名近く、その家族もろとも県外追放だけでなく家財や所有地まで取り上げたため、”触らぬ神に祟りなし”とさらに遠巻きにされているとのことだ。
わが県の神様・キリコは、そういったことに選ばれた者の特権を駆使ならびに暴利を貪ることはなかった。
彼女の権利と情熱は外ではなく、全て内へと向いた。
家庭に。それも彼女の手料理に。
キリコは、インスタント食品は絶対認めない。
たまにつまむ程度のお菓子やおつまみも絶対の自分の手作りであること。
厳選なる口コミによって選び抜いた最高の食材と愛によって作り上げたこだわりの手料理を、大切な夫と一人息子に食べさせたいと――
その手料理にかかる時間が、常識の範囲内であったなら「出来た妻であり出来た母、私利私欲に神様の特権を使うわけでもなく我が県の神様は出来た神様」とのいい話で終わっていたであろう。
けれども、キリコは元々から食事の支度に尋常じゃないほどに時間がかかっていた。
1日が24時間なのも、もうすぐ終わる1年が365日なのは誰もが同じである。
しかし、手先も不器用であるキリコは、時間の管理や段取りというものが全くもってできなかった。下ごしらえが必要な素材も、その直前になってから「あら、いやだ♪」と取り掛かる。よって、食事の完成までの時間がますます伸びるという悪循環。
そんな彼女が神様となったことで――夫ですら逆らえない特別な立場となったことで、そのこだわりの手料理にさらなる時間がかかるようになってしまったのだ!
だから、トシユキとユキトが完成までおそらく6時間以上は近くかかるであろうキリコの年越しそばより、たった3分で食べることができるカップそばを求めてしまったのは無理もないことであった。当たり前のことであった。
さらに言うなら、キリコの作る料理は自分の胃袋に合わせているため、彼らには正直、物足りない量なのだ。例外はあるとはいえ、男と女の食べる量を考慮する必要性についても、彼らと20年以上ともに暮らしているにもかかわらず、キリコは理解していない。
トシユキもユキトも、格別に意地汚いわけでも、某大手掲示板で言われる”食い尽くし系”でもない。彼らはただ、適切な時間に適切な量の食事をとりたいだけであるのに。
彼女が神様となる前なら、トシユキもユキトも自分でトーストを焼いたり「今日も朝はどっかの店でモーニング食べるから」や「今日も昼飯は購買でパン買うから500円」などで、各々の食事サイクルと生活サイクル大幅に崩すことはなかった。
夕飯時もキリコがあまりにものたのたしていると、トシユキが「店屋物、取るからもういいよ」と言ったことや、ユキトの学校行事の弁当が間に合わずトシユキが慌ててコンビニ弁当を買ってきてお弁当箱に詰め換えてやったなんて可哀想なことは数えきれないほどであった。
この公園に駆け付けてきている近所の者たちも、キリコの調理時間が常軌を逸していることについては分かっているであろう。だが、キリコは他県の神様のように”家の外で”我儘を押し通して暴利を貪ることはなく、”家庭内だけで問題はおさまっている”。
自分たちに直接の害はない。
何より神様の近くにいれば、つまり神様に気に入られれば、自分も何か特権が神様よりプレゼントされるかも、とハイエナのごとく群がっているだけなのだ。
だから、トシユキとユキトが隙を見て、買い食いや外食をしようものなら、今日のように密告が入ってしまう。
先ほど自分たちをかばってくれた、あの一見アウトローっぽい外見のコンビニ店員の彼こそが”神のごとき者”であったというのに、あの彼をも巻き込んでしまうことになった。本当にすまない。
※※※
「……お2人の辛さは、今の話でよく分かりました」
分かってなどいないくせに、イイダさんが言う。
「しかしですね、神様だって、何も食べずにあなたたち2人と食べる年越しそばを作っている最中なんですよ」
確かにキリコは今、調理中だ。
しかし、こだわりぬいた手料理を完成させるためには”味見”が必要不可欠である。
「あら、イヤだ♪ ちょっとお出汁の味が……」などと言いながら、バクバクつまんでいるのは間違いない。
自分たちのように、完全な空腹状態が何時間も続いているわけではないというのに。
「ほら、早く神様のいるご自宅に帰りましょう。ここには子供たちもいるんですし、この寒いなか、子供たちに風邪をひかせるわけにはいかないでしょう」
イイダさんは、ク〇ガキたちを振り返った。
面白がってついてきたに違いないク〇ガキたちは――子供だということを笠に着ているク〇ガキたちは、得意気にニンマリと笑った。
トシユキもユキトも、ズルズルと――啜られているお蕎麦のごとく、自宅へと引きずり戻されていった。
無惨に奪われた彼らのひっくり返ったカップそばの後片付けをするものは誰もいなかった。
トシユキとユキトが、そう美味しくもない年越しそばをやっと口にすることができたのは、年も明けた深夜2時前であった。
彼らは涙を流しながら、そばを啜った。
頬をひりつかせるほどの熱い涙を流しながら、すでに伸び始めているぬるいそばを啜ったのだ。
ちなみに……
神様・キリコの”お正月のお雑煮ならびおせち料理”は、その品数が多いことも影響し、1月3日の朝にやっと完成したことを、念のためお伝えしておこう。
―――完―――
【ややホラー風味な】うちの家には神様がいる【ショートショート第21弾】
https://kakuyomu.jp/works/1177354054888047304
(公開日:2019年1月4日)
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