手抜き

サンダルウッド

第1話「屈折思考」

 睫毛まつげを抜くのが、山城やましろの悪癖だった。

 

 眼球に何か塵芥じんかいでも入ったと思われるときや、あるいはそうではなかろうという見通しのあるときでさえも、山城はたびたび睫毛を抜いた。


 芳江よしえは今日も朝早くに、睫毛を盛って仕事に出掛けた。

 立派な接客はまず見た目から、という善人ぶったポリシーを時折口にして、毎朝少なくとも一時間半は鏡に向かって化粧に努める芳江を見るたびに、山城は哀憐や侮蔑や嫌悪などで纏綿てんめんした居心地の悪さを覚える。そんな感情を抱くほど自分がたいそうな人間でないことは自分でも判っていたが、気付いたときには睫毛を抜いてしまっているように、そうした感情も無意識的に降ってかかる。

 

 百貨店での化粧品売りというのはそういうものなのかもしれないと考え、最初の数年は目をつむっていた。なにしろ山城は男なので、普段そのような場所へ足を運ぶことはない。不意に催して用場ようば探しに奔走しているときでもなければ、そもそもそういう類のフロアに降りることさえなかった。まれにそのような局面に遭遇したときの山城が、いらっしゃいませ、といっさい空気を読まずに発した売り子の顔に一瞥いちべつをくれる余裕などなかったことは、類似した経験のある男女であれば想像に難くなかろう。


 自らの睫毛が人並みよりもいくぶん長いことを、山城は人づてに知った。

 学生時代のクラスメイトや友人の発言に、山城はその都度意表を突かれた。同居していながら母子と関わりに乏しかった父はさておき、人並みの愛情や過保護さを備えた母の口からは聞いたような気がしないでもなかったが、山城の記憶は実に曖昧模糊あいまいもことしていた。

 

 自身の器量が周囲の男たちと比べて劣っていることに、山城は幼いころからぼんやりと勘づいていた。小学生や中学生の時分、女子生徒に対して同じような言動をとったときに、自分に対する彼女らの反応が他の男たちへのそれよりも往々にして冷ややかなものであったことは内面的素養だけが理由でないことを察する程度には、山城は勘のいい子どもであった。

 

 睫毛が長いか短いかということは瑣末な問題だった。

 山城の次元では、そこの差異により局面が変動することはなかったのである。思春期を過ぎても辺幅へんぷくを飾ることに無関心だったのも、同様の理由だった。睫毛が長いというのが一応の褒め言葉であることは山城とて判っていたが、それを聞いて嬉しいと感じることはなかった。むしろ、そういった些事さじを取り上げることでしか長所を語ることができない相手に対して不快感さえ覚えた。

 その感情は至極屈折しており、それにより話し手に対する礼節を損なうだけでなく自身の内部をもおとしめることを山城は重々承知してはいたが、そうした思考は四十を過ぎた今でもめ直される兆しはなかった。

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