その752 オリヴィエの場合

 ◇◆◇ オリヴィエの場合 ◆◇◆


 淡々とこなす公務。

 お父様がやれと言えばやり、やるなと言われればやらない。

 ただそれだけの人生。

 わたくしの人生には、何の決定権もない。

 この十三年、ただひたすら父ゲバンの命令を聞き、生きてきた。

 クルスおじい様、アイビスおばあ様に何の期待もない。

 してはいけない。

 あのお二人は、わたくしに何もしてくれない。

 単純な謁見さえお父様に止められてしまうのだから。

 あのお二人のせいではないのに。


 最後に会ったのは……十歳の記念パーティーの時でした。

 クルスおじい様が、わざわざわたくしにご挨拶へやってきてくださいました。

 それでも、話せたのは二言、三言。

 アイビスおばあ様もそうだった。

 かわるがわるやって来るわたくしの花婿候補の波に、お二人は追いやられてしまった。当然、あれもお父様の仕込み。

 わたくしの全てはお父様のほんの一部。

 わたくしのお母様ですらお父様の道具に過ぎない。

 わたくしはただ道具、ただの操り人形、心のない木偶でく


 今日もまた、お父様のご命令でミナジリ共和国までやって来た。クルスおじい様へのお手紙に書いてあった事は本当なのでしょうか。

 クルスおじい様とアイビスおばあ様が、お父様に嘘を吐くというのは……いえ、あの暴挙をしでかしたお父様ならば或いは……。

 ですが、わかりません。

 お二人がわたくしに嘘を吐く理由がありません。

 ならば、本当にミケラルド・オード・ミナジリがわたくしに好意を?

 ……いえ、それこそが嘘なのかもしれません。

 嘘の理由がわかりませんが、ミケラルド様がわたくしを呼んだ事は確かです。

 何故なら彼は今、わたくしの前で食事をとっているのですから。

 取り繕ったかのような笑み、ぎこちないテーブルマナー、宰相のロレッソ殿に心配されるような振る舞い。

 クルスおじい様、アイビスおばあ様とご友人と聞いていたのだけれど、やはり噂だけの話なのかもしれません。

 ですが、この方が法王国を救った事は疑いようのない事実。

 あの日、ホーリーキャッスルの離れからわたくしは見ました。空を浮かび、南門から東門の全てのモンスターを食い止めていました。


 ――曰く、法王国の英雄。


 あんな事、クルスおじい様やお父様ですらできっこありません。

 お父様はミケラルド様の功績を隠したがっていますが、あれ程の功績、隠し通せるはずもありません。


「く、くそ……箸さえあれば……!」


 ですが、蓋をあけてみれば、ナイフすらまともに扱えない殿方です。

 ……本当に彼は、吸血鬼なのでしょうか。本当に彼は、法王国を救った英雄なのでしょうか。本当に彼は……わたくしに好意があるのでしょうか。


「……ど、どうかしましたか?」


 笑顔がとてもぎこちないです。

 社交界では笑い方など基本中の基本。

 ミケラルド様の功績は数知れませんが、武力だけ、という事なのでしょうか。いえ、いかに強かろうとたったそれだけでリーガル国から成り上がるなど不可能です。

 やはり彼には彼にしかない特別なお力があるのでしょう。


 ◇◆◇ ◆◇◆


 何事もなくミケラルド様との会食が終わりました。

 会食の後、ミケラルド様はロレッソ殿に「ミックスマイル出てなかった?」と仰っていましたが、一体どういう事なのでしょう。ロレッソ殿は珍しくもぎこちない笑みで「反省は後程」と仰っていました。

 あのやり取りは、わたくしへの作戦が失敗したという事でしょうか。ですが、それはわたくしも同じ。

 わたくしは彼を誘惑し、篭絡しなければならないのです。

 お父様の要求に応えなければならないのです。

 わたくしには、どこにも逃げ場などありません。

 自分の部屋でさえ、心が休まる事はありません。

 作戦時のこういった迎賓館の一室の方が、幾分かまだマシなのかもしれません。

 法王国に帰れば、心が重く、つらくなるだけ。


「誰かに助けて欲しい――というのは、強欲というものですよね……」


 そんな不満とも、願いとも言える言葉を零した。

 零してしまった。

 いけない。誰かに聞かれでもしたらことです。

 いつも通り、いつものわたくしでいいのです。

 お父様のため、ただの操り人形として生きて行くだけ。

 それがわたくしの宿命。

 でも……もう少し違う人生だったのなら、この木偶でくも救われたのかもしれません。

 そう自嘲気味に笑った瞬間だった。

 突然、甲高い音を発して窓ガラスが割れました。


「呼ばれて飛び出てべいびーちぇけらっちょ!!」


 目を丸くしたわたくしの前に現れたのは、あの……篭絡対象。


「え……え?」


 何が何だかわかりませんでした。

 何故、ミナジリ共和国の元首が、深夜にこんなところへ?

 彼は、闇魔法【闇空間】を使い、「えーっと……あ、これこれっ!」と言って、わたくしの前で手品のようにポンと一凛の花を差し出したのです。

 それは、特徴的な垂れ下がった紫色の花びら。


「……カキツバタ?」


 わたくしはカキツバタの花を持つミケラルド様を見て、コトリと首を傾げた。

 カキツバタ……確か花言葉は、【高貴】、【贈り物】……そして、【幸せはあなたのもの】。

 ……ほんの一瞬、わたくしは気を抜いてしまいました。

 殿方に花を頂くのはこれが初めてではありません。

 けれど、気を抜いてしまったのです。

 この時、このような状況だからこそ。


 ――なんてうさん臭い……と。


 ほんの一瞬の表情の機微。

 世界最強ともうたわれるミケラルド様が、見紛みまがうはずがありませんでした。

 一瞬のしかつら――そんなわたくしを見て、ミケラルド様は先程のわたくしのようにコトリと首を傾けました。

 驚く事に、彼も同じような表情になり……その内、この世の全ての後悔を集めたかのような顔となったのです。

 わたくしの失敗を受け、彼は失敗を悟った。

 それはすぐに理解出来ました。

 けれど、この次は、この次だけは理解出来ませんでした。


「……すんません。もう一回やり直していいですか?」


 どうやら彼は、もう一枚窓ガラスを割るそうです。

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