◆その627 若き日の思い出5

 クルス王子の決意。

 それを聞いた瞬間、聖女アイビスはバッと後ろを振り返った。

 他者の耳に拾われるという恐れがそうさせたのだ。しかし、そこにいたのは二人の男女のみだった。

 筋骨隆々の大男、神風しんぷうアーダイン。

 それとは正反対のような、幼女の如き華奢な体躯の白き魔女リルハ。

 二人はアイビスの横を通り過ぎ、クルスの隣へと歩いて行く。

 再びクルスを見るアイビス。


「何故、このお二人が……」


 アイビスがそう聞くと、クルスは言った。


「この二人だからだ。冒険者として名を上げた【キングリベリオン】。その中でもアーダインとリルハはSSSトリプルを冠するまでに成長した。この二人が私を王位継承候補へと押し戻すのだ」


 クルスにそう言われた時、アイビスは先程ヒルダに言われた事を思い出したのだ。


 ――法王陛下が王位継承を外したのは彼のせいでも、法王陛下の判断でもないわ。


「じゃ、じゃあ……王位継承を外れたのは……」

「私が進んで退しりぞいたのだ。冒険者として目に見える実績をホーリーキャッスルに持ち帰るために。表向きには候補除外という名目でな」

「では、法王陛下は……」

「無論知っている。兄のラルフは気性が荒く粗雑。弟のカリムは頭こそ良いものの病弱。父は常々私を後継者にと望んでいた」

「では何故……」

「後継者争いは貴女が想像出来る程、生易しいものではない。他の後継者候補からの嫌がらせを超える殺意の如き奸計。食事は毒見を済ませたものでさえ危うい。どこに間者がいるかもわからない状況下、常に牽制し合う兄弟のなんとみにくき事か。……井の中のかわず大海を知らず。兄はおろか、弟でさえ戦う場所をホーリーキャッスルだと思い込んでいる。窓の外を見下ろせばそこに戦場、、が広がっているというのにな」


 夜空をあおぐクルスを見て、アイビスが感嘆の息を漏らす。


(……凄い、この人は既に民衆に目を向け、法王となるべく動いている。でも……この二人は……?)


 アイビスがアーダインとリルハを見ると、その視線に気付いたリルハが気を利かせて言った。


「【キングリベリオン】は間もなく解散する予定さ」

「ぇ……えぇっ!?」


 あまりの衝撃に、大きく驚いたアイビスは自身の口を抑えた。

 そして、周囲を窺うように小声で言ったのだ。


「い、一体どうしてなんです……?」

「骨組みが出来たからだよ」


 リルハの言葉に、小首を傾げるアイビス。

 すると、アーダインがそれを補足するように言った。


「冒険者ギルドで名を上げた事で、その知名度を世界的なものになった。これを利用しようとするのは誰でもやる事。我々はその動きを待っていた」

「知名度を利用する者……?」

「ギルドそのものだ」


 アーダインがそう言うと、アイビスはようやくその意味を知った。


「っ! もしかしてお二人は……!」

「そうだ、私は冒険者ギルドに、リルハは商人ギルドに幹部待遇でスカウトされている」


 そしてアイビスは再びクルスを見る。


「これが……クルス王子の狙い……」

「そういう事だ。私はアーダイン、リルハの協力を仰ぎ、この法王国を立て直す」


 手の平をグッと握り、クルスは強い決意を示す。


「二十年、いや、十年の内に我々は法王国の流通、武力を牛耳り、大貴族や貴族を牽制し、圧する。内から私が、外から二人が、真綿を締めるようにじっくりとな」


 ゴクリと喉を鳴らすアイビス。

 その壮大なる計画は、アイビスにとってあまりにも大きすぎる話と言えた。

 しかし、アイビスが気になる事はまだあった。


「『何故私に?』……そんな顔をしているな」


 くすりと笑ったクルスに、アイビスは首を縦に振る。


「聖女や勇者は清廉潔白。誰もがそう信じ、その偶像ぐうぞうを崇拝している。しかし、私はそうは思わない。勇者は勿論、聖女は人間。人間にしかなり得ぬ存在だ。無論、貴族はその偶像を求めている。聖女と結婚? 素晴らしい、国家をあげての祝宴だ。聖女の子供? なんと神秘的じゃないか。いずれにせよ、聖女を手に入れた貴族は、その大きな力を手に入れたも同義。だとすれば、先にも言った通り、これから聖女へのアプローチは頻発する事だろう。それはもう……熱烈な程にな」


 ニヤリとアイビスを笑い見るクルス。


「ぅ、そ、それはちょっと嫌ですね……」

「であろう?」


 今度は明るい笑みを綻ばせるクルス。


「な、何ですか……?」

「別に貴女に味方になって欲しいなどと言うつもりはない。ただ一つ、お願いしたい事があるのだ」

「……と、言うと?」

「しばらくの間……そう、【聖なる翼】が法王国に縛られている間だけで構わない。貴女の帰る家をホーリーキャッスルとして欲しい」

「こ、ここへ……帰る?」

「ここに住んで欲しいという話だ」

「それは一体何故でしょう……?」

「まず第一に、貴族からのアプローチが掛けづらくなる。第二に、私が管理する住居に住んでくれるだけで、それは聖女が私の庇護下にあるという牽制に繋がる。これはまぁ私の利ではある。しかし、貴女にも利はある」


 再び喉を鳴らすアイビス。

 再びニヤリと笑ったクルスは、三本の指を前に出しこう言ったのだ。


「三食昼寝付きだ」

「……………………は?」

「三食昼寝付きだと言っている。その間、私は貴女に近付かないし、そこで自由に過ごしてもらって構わない。聖女は人間。たまの故郷だ、自堕落に過ごすのもいいだろう。家に帰り、本を読み、風呂に浸かり、茶を呑み、昼寝をする。これがどれ程魅力的な事か貴女には――……」


 と、言いかけたところで、クルスは言葉を止めてしまった。

 それは、視界に映ったアイビスが、クルスの魔法の言葉によりうっとりとした表情をしていたからに他ならない。


「……ふっ、それでこそ人間だよな、聖女アイビス」


 ハッと我に返ったアイビスが邪念を追い出すように頭を振った。

 しかし目の前には、クルスの右手が差し出されている。


「これは一種の契約だよ、アイビス殿。決して後悔はさせない」


 聖女アイビスがこの右手をとるのか否か。それはクルスにもわからなかった。

 しかし、後の歴史は知っている。

 この日、この場でアイビスが動いた結果こそが、今の法王国を造ったのだと。

 法王クルス・ライズ・バーリントン、皇后アイビス・ライズ・バーリントンが歩む軌跡は、まだまだ終わらない。

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