◆その489 聖騎士クインとシギュン

 他の聖騎士が見上げる程の巨躯。

 小麦肌の上にまとう聖騎士の鎧は光り輝き、廊下を歩く優雅な姿。


「【クイン、、、】、これからシギュン様のところか?」


【クイン】と呼ばれた女が振り返り、同僚の聖騎士に言う。


「そうだ」


 聖騎士はクインの顔を見て一瞬ビクつく。


「な、何か良い事でもあったのか?」


 何故ならクインの表情は、聖騎士に振り向く以前からニヤケていたからだ。


「わかるか?」


 表情筋が顔に浮き上がる程の筋肉質。

 太く逞しい首と腕。豊満……ではなく隆起している胸板。

 クインという女は、男に囲まれる聖騎士団の中にいてなお、男以上に目立つ体躯をしていた。丸太のような腕と太腿ふともも。背中にたずさえる大剣は自分用に聖騎士の剣をオーダーメイドしたものだ。


「はは……そんなに笑ってたらな」

「シギュン様にお会い出来るのだ。至上の喜びと言えよう」


 聖騎士の男より野太い声でクインが言う。


「まぁ確かにな、羨ましい限りだよ」

「精進を忘れぬ事だ。シギュン様は全てをご覧になられている。強く忠義に厚い者には必ず声を掛けてくださるのだ」

「わかってるさ。っと、そろそろ行かなくちゃ。またなクイン」


 聖騎士の男が手を挙げ去ると、クインはまたニタリと笑って歩き出した。

 向かう先はシギュンの副官執務室。

 聖騎士団長の副官として働くシギュンの執務室はホーリーキャッスル内にある。とはいえ、聖騎士団管理下にある一画は、王族が住まう中央部からは離れている。

 数分の事ながら、クインが歩く姿を見て身体をビクつかせる者は多数見受けられた。しかし、クインにはそんな事はどうでもよかった。

 気を抜けば鼻歌でも歌い出しそうな程の高揚感と幸福感。

 シギュンの姿、優しい声。それらを思い浮かべながら副官執務室へと向かうクイン。

 しかし、執務室に近付けば近付く程、その笑みは曇り、険しくなっていった。


(…………何だ?)


 不穏な気を感じたクインの反応。


(これは……シギュン様……?)


 クインは負が宿る魔力を浴びると同時に、上官であるシギュンの顔が脳裏に横切った。だが、ホーリーキャッスル内で、これだけの重々しい魔力を感じ取った事がなかったのだ。


(いや、私がシギュン様の魔力を間違えるはずがない!)


 クインはかぶりを振り、足早に執務室へ向かった。

 扉の前に立った時、クインはピタリと固まってしまった。


(何だ、この寒気は?)


 ゾクりとした悪寒を背に感じ、硬直していたクインに扉の奥から声が届く。


『クインね、入りなさい』


 それは紛れもなくシギュンの声だった。

 しかし、シギュンを敬愛し、崇拝しているクインは気付いた。


(いつもより……余裕がないような……?)


 だが、そんな事を考えている暇はなかった。

 クインにとってシギュンの時間を奪う事はあってはならない。シギュンの思い通りの時間でなくてはならないのだ。自分はシギュンの歯車の一つ。そう自分に言い聞かせ、クインはドアノブに手を掛けた。


「失礼致します!」


 扉を開けた瞬間、クインが感じたのは凍てつくような寒さだった。

 無論、それはクインのイメージである。しかし、クインの目に映るシギュンの背に、絶対零度と言うべき冷たいナニカを感じ取ったのだ。


「シ……シギュン様……?」


 恐る恐るうかがうようにクインは声を掛けるも、シギュンからは何も返って来なかった。

 シギュンは、クインに背を向けたまま、自身の机に右手を載せたまま動かない。

 上官から指示がない限り、クインはその場から動く事は出来ない。

 だが、次の瞬間クインは大きく動いてしまう事になる。

 クインの視界にはシギュンの右手が映った。それは今の今までシギュンの机にあった右手である。それがいつの間にか天井に向かって振り上げられていたのだ。

 直後、机が大きな音を発し、粉微塵になって割れたのだ。


「っ!?」


 クインは見ていた。

 それは確かに、シギュンが自分自身で起こした破壊行動だった。

 シギュンの隠すような荒い呼吸。

 これを見てクインは知った。シギュンの荒れ狂わんばかりの憤怒ふんぬを。

 クインはハッとした様子で慌てて背にある開いたままの扉を閉めた。

 やがて近付いて来るいくつかの足音。机の破壊音を聞き、心配した聖騎士たちがシギュンの執務室前まで駆けつけたのだ。


『シギュン様! ご無事ですか!?』


 扉の奥から聞こえるのは、部下たちの心配する声。

 シギュンはこれにも何の反応も示さなかった。

 クインは扉を少しだけ開け、そこから顔を出して聖騎士たちに言う。


「すまない、シギュン様の激励に感極まって、私が机を破壊してしまった」

「はぁ?」


 無理のある嘘だった。

 しかし、クインはこれを押し通す他なかった。


「悪いが新しい机を用意してくれ」


 相手が後輩聖騎士だった事もあり、威圧的な視線を向けると聖騎士たちは見合ってから言葉を呑み込み、クインに頷いた。


「わ、わかりました」

「後程、私が部屋に机を入れる。持ってきたら壁に寄せておけ」

「はっ!」


 聖騎士たちが遠のき、ホッと一息を吐こうとしたクイン。

 しかしその背には、恐ろしい程の濃密な魔力を執務室中に漂わせているシギュンがいるのだ。安堵出来るはずもない。


「クイン」

「は、はっ!」


 入室後、ようやく声を掛けられたクインはその場にひざまずく。


「毒を用意して頂戴」

「……毒、にございますか」

「えぇ、とびっきりの猛毒を」


 クインに見えるシギュンの表情。

 それは笑みか、それとも怒りか。


「一体……いかがされたので?」


 ようやく切り出したクインの質問に、シギュンは顔をヒクつかせながら言った。


「お茶にね……誘われたのよ……」


 その言葉の後、シギュンの魔力圧によって執務室は軋み出したのだった。


「ミケラルド・オード・ミナジリ……!」

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