その139 聖涼飲料水

 喉が熱い。口内が焼ける。胃が……異常事態だ!

 まるで塩酸か硫酸でも呑んだような気分だった。身体の全てが焼けてしまうような緊急事態。

 俺は喉を掻きむしりながら声にならない悲鳴をあげていた。


「カヒュ……ヒュ……ッ!」


 身体中の生命力が持っていかれる。誰に? 何に? これはおそらく光の力。

 全ての良魔法、良能力を発動させ身体の機能を向上させるも、この苦痛が消える事はない。

 のたうちまわり、破壊し、息だけの慟哭が最終階層に響く。

 単純な勘違い。慣れという人間の部分が、俺を殺す。そう思った。

 ダークヒールを発動しながら回復を図るも、回復した部分が更にダメージを追い俺に傷みを与えた。傷が塞がり、傷が増え、傷が塞がる。終わりの見えないいたちごっこを、俺は続けるしかなかった。

 しかし、過去無尽蔵に思えた魔力が徐々になくなり始めたのを感じた。残り少ない魔力は、俺に命の危機を知らせた。だが、俺が生きながらえるにはこれしかなかった。

 俺の足りない頭ではそれが限界だった。そうする事でしか生を得られなかった。

 マナポーションを呑むことは出来ない。何故なら喉は炎上中。だから俺は、粘膜摂取すればいいと考え、顔にそれを振り掛け、数回のダークヒール分の魔力を回復させた。

 マナポーションが尽き、残り少ない魔力で最後のダークヒールを掛けた時……ようやく【聖水】の効力が消えた。

 大量の汗をかき、服を濡らしながら倒れていた俺は、噴き出ていた脂汗を拭い天井を見ていた。


「……し、死ぬかと思った……」


 そのまましばらく動けなかったが、十分程だろうか。それくらいぼーっと天井を見上げていたら、体内の魔力も微量だが回復していた。

 身体を起こし、胡座をかいた俺は――、


「死ぬかと思った」


 もう一度同じ事を言ったのだった。

 流石社畜、流石商人なのだろう。俺は【聖薬草】と、作った試作品だけを回収し、転移装置に乗ってダンジョンの外に出たのだった。

 テレポートする魔力もなく、ふらふらと歩きながらミケラルド商店に着く。


「あ、おかえりなさいませ、ミケラルドさ……ま?」


 カミナは俺を見て驚愕した。


「ど、どうしたんですかミケラルド様!? お顔が真っ青ですよ!? それにその顔!」

「……へ?」

「だ、誰にも見られてませんかっ!?」

「え、あぁ。真夜中だったし……」

「戻っちゃってますよ、お顔……」


 カミナが自身の顔まわりを指差し、俺に【チェンジ】の解除を知らせた。

 直後、気が抜けたのか身体の縮小も始まってしまった。


「わ、わっ!?」

「うへへへへへ……」


 本来であればこの台詞は逆なのだろう。下種びた笑いを零したのはカミナだった。

 俺は俺で、を隠し――、


「失礼しましたー!」


 一人応接室へ向かって逃げ出したのだった。

 裸で自宅に戻る訳にもいかず、俺は回復した魔力を使い【闇空間】から三歳児用の服を取り出し……それを着たところで体力も尽きてしまった。


 ◇◆◇ ◆◇◆


 見慣れた天井…………何で?

 翌朝、俺はマッキリーの応接室で目覚めるはずだった。

 しかし、起きたのは実家のような安心感……もとい自宅にいたのだ。


「起きたかミック」


 俺の部屋、俺のベッド、その前にある椅子に腰掛け仏頂面でそう言ったのは、我が守護龍だった。


「リィたん? もしかしてリィたんがここまで運んでくれたの?」

「そうだ。ダンジョンから出た時、三号店にミックの反応を感じたからな。危ないところだったな」

「へ?」


 何故リィたんが俺の窮地を知っていたのだろうか?


「カミナが今にもミックを襲うところだったぞ」


 本当に危ないところだった。


「目はギラつき、涎を垂らし、指の動きはまるで触手のようだった。新手のモンスターかと見紛う程だったぞ」

「それ、カミナの話だよね?」

「うむ、拳骨で黙らせておいたぞ」

「あ、はい」

「しかし無防備だったな? 私が抱きかかえたというのに一切起きなかったぞ?」

「あぁいや……昨日は疲れちゃってさ」

「ほぉ、それ程ダンジョンに潜ったのか? いや、でも私より早く切り上げていたしな……ふむ?」

「あぁ、ダンジョンには全然潜れなかった。いつもの半分くらい」

「どういう事だ?」


「うっかり聖水呑んじゃった♪」なんて言おうものなら、俺はリィたんに怒られてしまうだろう。


「ミック、隠すなら上手い嘘を吐くんだな」

「……まだ何も言ってないけど?」

「これから嘘を吐く顔をしている」


 一体どんな顔だろう。


「正直に話せ」

「怒らない?」

「私はミックの味方だ」

「うっかり聖水呑んじゃった♪」

「な、何を馬鹿な事をしている! ミックは魔族なんだぞ! 【聖水】がどれ程危険なものかわかってるのか!? それでなくても吸血鬼は聖水に弱い種族だ! 身体に掛かるならともかく体内に入れただと!? どんな感性こじらせたらそんな事になる!?」

「ちょ!? 怒らないって聞いたじゃん!」

「怒らないとは言ってない!」

「もっと確認すればよかったよ!」

「それでも商人か!」

「なったばかりだもん!」

「この! あぁ言えばこう言う! そんなミックには、こうだ!」


 俺はリィたんに抱えられ、万力のような力で固定される。


「ちょ!? な、何する気っ!?」

「エメラが言っていた……! 言う事をきかない子供には……おしおきが必要だと!」


 リィたんの右手が振りかざされる。向かう先は……俺の臀部ナイスヒップ

 現代日本でこれをやればきっと児童相談所に通報されるであろう、昔ながらのしつけ法の一つ。通称――おしりぺんぺん。

 リィたんの力は、人間の力を超えているというか、圧倒的に凌駕している。まさに龍の一撃。その力で俺の尻を叩くとどうなるか。

 最初の一撃で、まず窓が割れた。


「あひっ!?」


 次の一撃で、クロード家の窓が割れた音がした。


「おっふっ!?」


 平手の風圧で部屋の中にある全てが吹き飛び、壁にめり込む。


「ちょ! 痛い! 痛いってば!? リィたん!? リィたん様!?」

「聞こえんな! 悪い事をしたら何と言うのだ!? んんっ!?」

「ごめん!」

「ごぉめぇんんん!?」

「ごめんなさい! すみませんでした! 申し訳ありません! もうしません!」


 次の一撃を振りかぶっていたリィたんに謝罪それが届くと、リィたんは鋭い視線のままピタリと止まった。そして――、


「あいてっ」


 最後は手加減した平手を尻にペシンと打ち込んで言った。


「うむ、わかればよろしい」

「ほぉ~……痛い痛い。尻の感覚がないよ……」

「龍の一撃を受けて生きてるのだ。ミックは成長している」

「え、本気で打ったの!?」

「五割程度だ。エメラにそう教わったからな」

「それは人間の膂力でって意味だと思うけどな……」

「何? そうなのか!?」

「うん」

「うーむ……中々に難しいな」

「窓ガラス、修理リペアで直さなくちゃ」

「それで、聖水からはどんな能力を得たのだ?」


 リィたんが変な事を言い出した。


「へ?」

「自分の能力を忘れたのか?」

「あれは血だけでしょう?」

「自分でスケルトンの骨を砕いたり、モンスターの体液を舐めてたりして能力を得ていただろう。【聖水】は魔を払う能力がある。それを摂取し、生き残ったのであれば何らかの能力を得ていて然るべきだろう」


 なるほど、盲点だった。

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