第ハ話 ロスト人 過去に佇み 懇願す
深雪は今、メタモルフォーシスの前に一人で立っていた。場所は、最初に降り立ったバイパス近くの広場だ。
奈々とリリィには、別れを告げずに来た。
深雪は、ゆっくりとシートに乗り込んだ。満タンまで燃料を補給されたメタモルフォーシスは、少しずつ上昇し始めた。家の方角に視線を向ける。だが、家の屋根も、時生たちの姿も見えなかった。
深雪は頭を振って正面を向いた。離れ離れになっても、心は繋がっている。家族を愛する気持ちは永遠に変わらない。
深雪は小さく頷いて、発進した。
低空飛行から一気に加速しようとした、そのとき、気になる存在が視界に映った。小さな畑に、黒くて丸いものが動いている。深雪は速度と高度を落として黒い物体を凝視した。
「これは、もしかして……人?」
深雪は畑の近くの空き地に着陸し、機体の中から畑の上で動く物体を見つめた。
黒い髪に肌色の肌──。星喰い人ではない。間違いなく、人間だ。
人間は男性のようだ。帽子を深々と被った男性は、何事かと腰を上げて、深雪のほうを向いている。
(なんで、どうして、人間が星喰い星にいるの?)
深雪と同じように、星喰い星に吸い寄せられたパイロットだろうか?
いや、違う。それならば何故、地球に帰還せず畑仕事などしているのだろう。
(話を聞いてみるしかないか)
深雪はヘルメットを外し、シートから降りた。怖がらせないように、ゆっくりと男性に近付いていく。
「こんにちは。あなた、人間ですよね?」
深雪の言葉が良く聞こえなかったのだろうか、男性は金鍬を置くと、無言で深雪を見つめている。やがて、「おお……大人になったな、佐原」と声を張り上げた。
(え? 何故、私の名前を知っているの?)
深雪は歩を止め、男性の顔を探るように見つめた。帽子の
「驚いたぞ。まさかこんな場所で、貴様と再会するとはな」
健康的に日焼けした小麦色の腕を動かし、男性は帽子を取った。
深雪は、幻を見ているのではないかと目を疑った。
「お、岡山隊長……」
「久しぶりだな、佐原」
岡山が和やかな顔つきで近付いてきた。深雪は困惑を隠し切れずに立ち尽くしている。
「なんだ、見かけない機体だな」
深雪は、メタモルフォーシスが現在の最新の星喰い強襲部隊専用機であること、自分が星喰い強襲部隊に配属されたことを伝えた。
「そうか──」
岡山は微笑みを崩さず、腰に手を当てている。
「本当に懐かしい顔だ。とは言っても、星喰い星は時間が経過しない。俺がロストしてからどのくらいの時が経っているんだろうな。貴様と再会するまで、いったいどれほどの時を刻んだのだろう」
「おっしゃっている意味が、わかりません」
たどたどしく尋ねると、岡山は「無理もない」と笑った。
「星喰い星では、誰も歳を取らない。実際は歳を重ねているんだろうが、見た目では判断できない。少なくとも、俺には全くわからない」
「……あの、申し訳ありませんが、岡山隊長。お話が理解できません」
頭蓋骨の内部に竜巻が発生している。全く以て、訳がわからない。深雪は船酔いでも起こしているみたいにグラグラと揺れる頭を右手で支えた。
「星喰い星の一日は、地球の四百年に匹敵するそうだ」
背筋が凍りついた。星喰い星に吸い寄せられてから何時間、経過しただろう。
深雪の表情が面白かったのか、岡山は吹き出すように笑った。
「待てまて、誤解するな。もしも貴様が星喰い星で半日過ごしたとしても、地球に帰還したら二百年後の世界でした、などという状態には陥らない。心配するな」
「いや、今の説明では理解できないか」──呟いたあと、岡山は再び唇を開いた。
「星喰い星の一日と地球の一日には、四百年の差がある。差があるとされているが、実際は、星喰い星は時間の概念を超越している。色彩を失ったこの世界でも、四季は移り変わる。星喰い星の一日を星喰い星の時間に換算したら、何時間になるだろう。そういった時間の概念が、ここには存在しない。星喰い人は時を刻むことなく、永遠に生きている」
「ですが、隊長。実際にはゆっくりとでも時間は流れていて、少しずつでも星喰い人は歳を取っているんですよね? 私は今、二十一歳です。星喰い星で一日を過ごして地球に帰還したら、私は、四百二十一歳になるのでは?」
「星喰い星の一日が何時間なのか明確にされていない以上、自分が今、何歳なのかなど、考える意味がない。星喰い星の時間は止まっている。もう、それでいいじゃないか」
「……この灰色の世界で過ごした時間は、地球では、どれほどの年月になるのでしょう。不安です。私は、母や姉が生きている時代に戻れるのでしょうか」
「戻れるさ。時間について深く考えるな。深く考えなければ、戻れるはずだ」
ぽつりと、岡山は呟いた。
「思い出した。この世界は、本当に時を刻んでいない。星喰い星と地球の間には、四百年の時の差など存在しない。星喰い星は、時を刻むのを止めた。季節は変化しているように見えて、実際は四季など存在しない。この世界には時間も、四季も、色もない。我々は全てを失って〝うつろわざる者〟となった。俺も、同じだ」
深雪は黙って岡山の話を聞いた。頭の中は未だに混乱していた。
「人も街も、どんどん増えるだけだ。星喰い星の数も随分と増えただろう。この星の面積では全てを取り込みきれないからな。地球のすべてを喰らいつくし、永遠に停止した時の中で、俺たちは生きている」
「この世界は、永遠の時が流れる場所──?」
「違う。時は流れない。時が停止した場所。それが、星喰い星だ」
岡山は畑の隅に腰を下ろすと、「ほら、座れ」と深雪を促した。深雪は岡山の隣に腰を下ろした。
「おかしな話だろう? 季節が移り変わっているように風景は変化するが、実際は夏も冬もない。人口が増加し建造物もどんどんと増えるが、時間は止まっている。人も車も当たり前のように動くくせに、時計の針だけは動かないんだ」
岡山は軍手を嵌めたまま、両手を広げた。
「俺の姿を見ろ。どこか変わったか?」
深雪は頬に手を当てて考えた。岡山は、ロストしたときの姿、年齢のままに見える。違う部分があるとすれば、日焼けしたことくらいか。
「教えてください。何故、ロストした隊長が、星喰い星にいるんですか」
深雪が問うと、岡山は「ロストしたのは、貴様も同じだろう」と笑い飛ばした。
「私が、ロストした?」
「違うというのか? 戦死していない貴様が、どうして星喰い星にいる? 星喰い人でない事実は、肌や瞳の色を見ればわかる」
肌と瞳の色と聞いて、深雪は岡山の〝変化していない部分〟に気付いた。
岡山には〝色〟がある。髪も瞳も、人間らしい色をしている。身に着けている服は、ライト・ブラウンのズボンと、土の汚れが付いた白いポロシャツ。帽子の色は焦げ茶色で、長靴は黒色だ。土の色は、濃い灰色。天然の土の色ではない。
時生や奈々、近所に住む老婆の肌の色も灰色だった。髪の色はハワイアン・ブルーやエメラルド・グリーンなど、自然な色合いではない。瞳の色も同様だ。犬のリリィの毛は紫色だった。
肌以外の部分には色が付いているが、生命体とはとうてい思えない色だ。
不気味ではない色を見たかと問われれば、一つだけ見た。奈々が身に付けていたパーカーだけは、生前に愛用していたものと同じピンク色だった。
深雪は思いついたままの内容を言葉に表した。
「ロストした隊長には、色があるんですね。星喰い人には色がありませんでした」
「……貴様は、海を見たか? 地球から見上げた星喰い星は、青かった。しかし、実際の星喰い星の海は、灰色だ。この世界には色がないと話しただろう」
「隊長の肌は、肌色です。髪も瞳も日本人特有の色をしています。何故ですか?」
「質問すればなんでも答えてもらえると思うな。俺が全てを理解していると思っているのか? わかるはずがないだろう。俺の色彩が狂っていない理由があるとすれば、俺が星喰い人ではなく〝ロスト人〟だからだろう。話したはずだ。貴様が星喰い人でない事実は、肌や瞳の色を見ればわかると。他のロスト人も、地球人らしい色をしている」
岡山は黒い長靴に付いた泥を叩き落としながら、唇を開いた。
「星喰い星にはロスト人が大勢いる。世界各国のな。だが、誰一人として地球には帰還していない。だから、地球ではロストの謎が解明されていない」
深雪は靴先を眺めながら呟いた。
「何故、ロストした人々は地球に戻らないのでしょうか」
「今の質問は、俺に対するものか?」
深雪は慌てて両手を振った。
「いえ、決して、そのようなわけでは……」
岡山は立ち上がると、西の方角を指差した。
「すぐそこに、俺の家がある。少し寄って行かないか?」
深雪は逡巡した。岡山の話は確かに聞きたい。だが、長居すれば、また帰るのを躊躇ってしまうかもしれない。
深雪は丁重に断った。すると岡山は怒ったふうでもなく、隣の畑から灰色のトマトを二つ収穫し、一つを深雪に放った。
「俺が育てたトマトだ。食ってみろ、甘くてうまいぞ」
深雪はトマトを一口、
「どうだ、うまいだろ?」
岡山はトマトを齧りながら微笑んだ。
「はい、美味しいです」
「俺は、星喰い星に来てからというもの、こうして畑を耕す日々を送っている。小さな畑だが、とても充実した生活だよ」
岡山はダーク・グレーの空を見上げ、右手で庇を作った。
「この星には、俺の女房がいるんだ。空襲で死んでな」
「そう、だったんですか……」
深雪は、なんと声を掛けていいのかわからなかった。
「毒々しい色をしているが、女房は毎日、元気に楽しそうに暮らしている。地球で生活していた頃と変わらずにな」
深雪は頷いた。
「女房は料理が得意なんだ。最初は懐かしさのあまり、食った途端に泣いたよ」
深雪は、つい今しがた、父親と妹に会った話をした。岡山は驚いた様子で、深雪に視線を向けた。
「そうか、貴様とは同郷だったのか」
「はい、私も驚きました。まさか実家の、こんな近くに、岡山隊長の家があるとは思いませんでした」
岡山は「そうか」と短く呟くと、息を吐いて笑った。
「今、ここで貴様と再会したのも、何かの縁かもしれんな」
「はい、そうですね──」
岡山は、再び深雪の隣に座った。真剣な面持ちで唇を開く。
「星喰い星では、誰も死なない。逝った愛する者たちと、再び共に生活できる喜びがある。この星は平和だ」
岡山は地面に視線を落とした。
「地球では毎日、人が死ぬ。街が消え、悲しみと不幸の底に沈んでいる」
岡山は深雪に視線を向けた。目を細め、訴えるように呟いた。
「貴様も、ここにいろ。もう、戦うな」
深雪の胸に、名状しがたいほどの悲しみが込み上げてきた。かつて一緒に戦った仲間が、戦うなと訴えている。
「岡山隊長……」
(駄目、流されちゃいけない。私はもう、地球に帰るって決めたのよ……)
「頼む、星喰いを破壊しないでくれ。星喰いが撃墜されれば、星喰い星も無事では済まないかもしれない」
岡山は死に物狂いの形相で、深雪の足元に
「俺はもう、誰も失いたくないんだ──」
深雪は蹲る岡山を、じっと見つめた。そうか、星喰いを撃墜すれば、時生と奈々とリリィが、再び死ぬかもしれないのか。
深雪は暗い空を見上げて、深く息を吐いた。
(それでも、わたしは……)
「私は、星喰い強襲部隊のパイロットです。星喰いを撃墜し、地球を守ります」
岡山は頭を下げたまま、細々と声を漏らした。
「星喰い星には、貴様の父親と妹も暮らしているのだろう? また、死ぬかもしれないんだぞ」
「星喰いがある限り、地球で生活している母と姉の命が危険に晒されます」
「父親と妹を、見殺しにするつもりか」
深雪はギリと奥歯を鳴らした。拳を握った右手の掌に、爪がぐっと食い込む。
「私の父は、ブラック・バードのパイロットです。敵として戦場で会えば、たとえ父であっても、撃墜します」
岡山は、しばらく無言だった。やがて、「そうか」と短く呟いた。
「星喰い星は、存在してはならない星です。私は地球を守り抜きます」
深雪が「お会いできて嬉しかったです。それと──」と呟くと、岡山は僅かに顔を上げた。
「私に未来を与えてくださって、本当にありがとうございました」
深雪は
メタモルフォーシスは勢いよく発進した。地面を吹き飛ばす勢いで、猛スピードで上昇した。深雪は、もう、振り返らなかった。
風を切り雲を抜け、猛スピードで上昇していると、突然、視界が左右に揺れた。星喰い星に吸い寄せられたときと同じ現象だ。
視界が横揺れしたかと思うと、今度は回転し始めた。急速に意識が遠退いていく。やがて、深雪の意識は、完全に暗闇の世界に包まれた。
「……、……」
誰かの声が聞こえる。
「……、……!」
我に返って、深雪は目を開けた。
『おい、聞こえるか!』
深雪は目を瞬いた。ここは、どこだ?
混乱しつつ、深雪はフロント・ガラスに視線を向けた。眼前には青々とした海が広がっていた。
『佐原、聞こえているのなら返事をしろ!』
慌てているような、怒っているような女性の声が、スピーカーから流れていた。モンドの声だ。
深雪は慌ててインターコムで応答した。
「はい、聞こえています」
『貴様、ロストしたかと思ったぞ。今まで、どこにいた?』
深雪は、なんと返答していいのかわからなかった。星喰い星で見聞きした内容を話したところで、信じてもらえるのだろうか。
『佐原、どうした?』
深雪は意を決して、唇を開いた。
「モンド隊長。私は、星喰い星にいました」
モンドは言葉を選んでいるようだ。やがて聞こえてきた言葉は、『本部に報告できるか?』だった。
深雪は迷った。話したところで、状況は変わるだろうか。戦争に終止符を打てるのならば話したい。しかし──。
深雪の脳裏に、奈々の笑顔が浮かんだ。奈々の身に危険が及ぶ事態になるのではないのか。
『迷っている理由は、なんだ? 言ってみろ』
モンドの言葉に、深雪は頭を振った。話すしかない。
「いえ、大丈夫です。報告できます」
『よし、一旦、戻るぞ』
モンドに続き、深雪は曙光に帰還した。
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