13

 早朝の稽古場に、澄んだ掛け声が響いた。

 セシルがこうして剣を教わるのは、今日で何日目になるだろうか?

 彼女にとって、この毎朝の鍛錬は、もはや日常の一部となりつつある。


 剣を教わり始めた頃は、セシルはカイから一〇本に一本も取ることができなかった。

 どのような攻撃を仕掛けても防がれて、打ち返される攻撃で剣を弾き飛ばされてしまうのだ。

 だが、それも最近になってからというもの、調子が良ければ一〇本に二本程度は取れるようになってきた。

 それに、近頃はカイがめっきりセシルを注意したり、細かい指示を与えることが少なくなっている。

 そうして彼女は、自分の上達を実感しながら、日々の鍛錬に一層のめり込むようになっていた。


「よし、今日はここまでにしよう」


 ずっと無言で身体を動かすばかりだったカイが、セシルに静かに鍛錬の終了を告げる。

 剣を習い始めた頃は、僅かな時間であっても体力が尽きてしまっていた。

 いつも彼の終了の言葉が出る頃には、本当にへとへとの状態になっていたのだ。

 だが、それも近頃は、朝の鍛錬の時間だけでは徐々に物足りなさを感じるようになっている。

 セシルはもっと鍛錬に打ち込みたい、もっと長い時間、カイから戦う術を学びたいと次第に思うようになっていた。


 ただ、セシルにはそれ以上に、気になっていることがあった。

 先日、壮行会が終わってからというものの、カイはセシルに壮行会のことを何も尋ねようとしないのだ。

 何となくその話題で彼との会話に花が咲くと期待していたセシルは、それがどうしても不満で気にくわない。

 そして、妙に意地になってしまったこともあって、結局セシルの方からも壮行会のことをカイに切り出す機会を逸してしまっていた。

 結果、二人の間では今に至るまで、壮行会がどうだったのかという会話は殆ど交わされていなかった。


 ただ、そうして意地を張っている間にも、叙任式までの時間は刻一刻と近づいてきている。


 この日の朝、避け続けていた現実を直視するかのように、セシルは鍛錬が終わってから立ち去ろうとするカイに声を掛けた。


「カイ、今日の夜だけど、ちょっと時間をもらえないかしら」


「夜?

 店を終えてからであれば、別に構いはしないが」


「じゃあ、今晩、陽が落ちたらに来て。

 折り入って相談したいことがあるのよ」


「――それは夜までもったいぶらないと、話せないようなことなのか?」


 今ここで話せとでも言うように、カイはセシルの顔を見ながら率直な言葉を言い放つ。


「あのねぇ――。

 話すのに準備が必要なんじゃないかとか、そういうことを想像したりはしないのかしら?

 あなたのそういう無神経なところって、ホントに直した方がいいわよ」


「それこそ余計なお世話だよ。

 ――わかった。何の話か知らないが、ひとまず陽が落ちたら、君の自宅を訪ねることにする」


 セシルは呆れた顔をしながらも、内心拒絶されなかったことに、ホッと安堵の息を吐くのだった。





 その日の夕刻が近づいたあたりから、セシルは普段にも増して、そわそわと落ち着かない仕草を見せ始めた。

 その結果、珍しく宮殿でもミスをしてしまって、叱責しっせきの言葉を受けてしまう。

 自身の失敗に溜息をついた彼女は、気分転換も兼ねてカフェに顔を出した。

 するとそこには、窓際の席に腰掛けている空色の髪の青年がいる。


「あら、ヨシュアじゃない」


「やあ、こんにちは。セシル

 ――おや、何か悩み事でもあるのかい?」


 互いにおかしな牽制をした後に、ヨシュアは微妙に冴えない表情のセシルを見て問い掛けた。

 だが、セシルは首を横に振ると、何でもないという風に両手を開くような仕草を見せた。


「ちょっと注意散漫で、失敗しただけなのよ」


「そうか、その程度ならいいけど。

 ――そういや散漫と言えば、近頃セシルが宮殿の外でと会っているという噂を聞いたんだけど。

 叙任式も近づいてるのに、大丈夫かい?」


 思わぬタイミングにヨシュアからその話が出たことで、セシルは一瞬脱力するような反応を見せた。

 だが、それも気にしないでというように、首をすぼめて否定の言葉を伝える。


「単に剣を習っているだけなのよ。

 騎士団の人は、すぐそういうのを悪い噂にするんだから」


 するとヨシュアは苦笑しながら、珍しく忠告の言葉を吐いた。


「でも悪い噂が立つようなら、やっぱりセシルもその人に会うのを、控えておいた方がいいんじゃないかな?

 何しろ今は騎士叙任を控えた重要な時期な訳だし」


 彼からすれば、それは何気なく伝えた言葉だったのかもしれない。

 だが、セシルはそれを聞いて、如実に不快感を表明した。


「ヨシュアもみんなと同じことを言うのね」


「一応、ボクは君を心配しているつもりなんだけどね」


 セシルは目をつむって首を横に振ると、ヨシュアに自分の非礼を詫びて謝罪の言葉を口にした。


「いいえ――ヨシュア、ごめんなさい。忠告はありがたく受け取っておくわ。

 でもね、剣を習っているというのは事実なのよ。

 それをダメだと言われたら、それはそれで困ってしまうわ」


「――セシル、ボクでも良ければ、剣を教えることぐらいはできるけど」


「ありがとう。

 でも、今は気持ちだけ受け取っておく」


 セシルはそう言い放つと、微笑みながらヨシュアに手を振って、そのままカフェから出て行ってしまった。

 結局彼女はカフェに顔を出しただけで、休憩することもなくエリオットの部屋へと戻って行ったのだ。

 それだけに彼女は、残された空色の髪の青年が見せたに気づくことができなかった。


 それは、彼の涼やかな髪色に似つかわしくない――少しかげりをもった表情のように思われた。






◇ ◆ ◇






 その日の夜、カイがアロイスの家に姿を見せたのは、陽が沈んでから随分と時間が経ってからだった。

 ずっと落ち着かない気分で待ち構えていたセシルは、あまりに遅すぎるカイの訪問に、容赦なく不満の表情を見せる。


「すまない。仕事が立て込んでいて、すっかり遅くなってしまった」


「もう――。

 まあ、いいわ。人の目も気になるから、取りあえず中へ」


 セシルはカイを自宅に招き入れると、彼を応接室へといざなった。

 どうやらカイは、いつもとは違うセシルの女性らしさが際立つ恰好に、視線を奪われているようである。

 セシルはカイを応接に座らせると、一旦部屋から出て、そこで深く一息、ホッとしたように息を吐き出した。


「まあ、お嬢様が殿方を家に招かれるなんて――」


 コッソリと様子を窺っていたリーヤが、驚きと喜びに満ちた声を上げる。


「リーヤ、お願い。そういうのはやめて。

 今日はで来てもらった訳ではないのよ」


 できるだけ変な意識をしないでいたのに、リーヤがからかう言葉はいつも通りだ。

 お陰で平常心を装っていたはずなのに、セシルの顔は微妙に赤らんでしまった。


「わかっていますよ。

 では、はお部屋に運び込めばよろしいのですね?」


「お願い」


 セシルがそう頼むと、リーヤは何かの準備をするために、一旦その場を離れていった。

 そして、セシルは再び応接室に戻ると、ソファに腰掛けたままのカイに向けて語り始める。


「今日、カイにわざわざ来てもらったのは、壮行会の話をしたかったからよ」


「そうか。伝えはしなかったが、実は遠巻きに様子を拝見させてもらったよ。

 恰好はさておき態度としては、上級騎士パラディンとも見紛うような堂々としたものだったと思う。

 騎士の風格というのは見た目じゃない、心意気の問題だと改めて感じさせられたよ」


 素直に賞賛されたセシルは、再び恥ずかしそうに頬を染めた。


「見ていたのね――。

 でも、ありがとう。そう言ってくれると嬉しいわ。

 でもね、あれは一度きりのお芝居でしかない。

 どうやらエリオット殿下の結婚相手は、わたしの存在がどうしても気に入らないらしいの。

 だから、わたしをさげすむために、わざわざあんな場を用意したんだわ。

 それに対してわたしは、自分の尊厳を守るために、ああいう選択をするしかなかったの」


「それで、わざわざ形見の鎧を選んだのか」


 そこで初めてあの鎧が意味することに気づいたのか、カイは得心するように何度も頷いた。


「他の鎧を着て行ったら馬鹿にされるだけでは済まなくて、何故そんな鎧を着てきたのかと、罰まで与えられていたかもしれない。

 でも、いかに不恰好なものであったとしても、父親を尊ぶものに罰なんて与えようがないわ。

 だって、それは騎士の理念を考えれば、あり得ないことなんですもの。


 ――本当は、わたしはあの鎧を、二度と目にしたくないと思ってた。

 でも一方で、あれは父の忘れ形見でもある。

 そして、壮行会のあの日に、わたしの尊厳を守ってくれた大切な鎧でもあるわ」


「なるほど。

 ――いや、今更だが、君の意図が深く理解できた。

 それに、思いついたとしても、実行するのは簡単じゃない。

 改めて君の勇気に、感服したと言ってもいい」


 少々自分のことを褒めすぎなのではないかと思ったが、今は何より彼の評価が嬉しかった。

 セシルはその喜びを実感しながらも、染めた頬を隠すように、くるりと横を向く。


「あ、ありがとう――。

 でもね、わたしは小さい頃からあの鎧がだったのよ。

 何故なら父は、いつもあの鎧を着て、長い期間出かけてしまうんですもの。

 一度遠征に出てしまったら、何ヶ月も帰ってこないなんてことも、ざらにあった。

 父親が恋しい時期もあったのに、わたしはにいつも、父をどこかへと連れ去られてしまっていたのよ」


 カイは言葉の続きを待つように、セシルを見たまま無言で佇んでいる。

 セシルはカイと視線を合わせると、彼の目を見つめたまま、再び静かに話し始めた。


「二年前――。

 結局、あの鎧は、父をわたしの手の届かないところに連れて行ってしまった。

 父は病気を押して遠征に参加した。

 でもその先で、父はあの鎧を着たまま、帰らぬ人になってしまった。

 わたしは父に導かれるままに騎士に憧れたし、騎士見習いにもなったわ。

 でも、あの鎧だけはどうしても、好きになることはできなかった。

 だから、その鎧を自分で纏うというのには、それなりに勇気と決心が必要だった。

 そしてあの時、わたしは自分の中で、もう一つのをして父の鎧を着ることを決めたの」


「もう一つ――?」


 カイの視線が説明を求めていた。

 セシルは彼に正対すると、心を決めて、自身の考えを淀みなく語る。


「わたしがどんなにであろうとしても、周りはわたしを色眼鏡で見ているの。

 わたしがどんなに目立たない努力をしても、みんなわたしをすぐに見つけちゃうのよ。


 女だからいつまでも騎士になれない。

 女だから剣を教えてもらえない。

 女だから金属鎧プレートメイルを、作ってもらえない――。


 今回の騎士叙任の話は、そうやって差別され続けたはずのわたしが、初めて掴んだ絶好の機会だわ。

 もちろん、切っ掛けはエリオット殿下の結婚だったから、それはわたしの実力ではないのかもしれない。


 でもね、わたしは思ったのよ。

 わたしはこの好機を掴んで、と。

 きっとそこに至るまでは、想像もできないような障害があるに違いないわ。

 だって、今までもそうだったんですもの。もはや、何が嫌がらせだったか、わからないぐらいの経験をしてきたから」


 そう言ってセシルは小さく微笑むと、再びソファに腰掛けたカイをしっかりと見つめた。

 その瞳には決意に似た、淡い光のようなものが宿っているようにも感じる。


「元々、どうしても騎士になりたかったのは、この家に奉仕してくれる人たちに報いるためだった。

 騎士になれば、この家の生活を、ぐっと楽にすることができるから。

 ――でもね、女のわたしが騎士になろうとすると、騎士団や宮殿の人たちが、力一杯阻止しようとするの。


 だから、わたしは決心した。

 わたしが女であることは、残念ながら今から変えることはできない。

 だから、むしろわたしは、女性であることを活かして『特別な騎士』になろうって。


 わたし、これまで努めて普通でありたいと願っていたわ。

 女性であることも隠して、他の騎士見習いと同じように見てもらおうって思ってた。


 でもね、恐らくそんなものには何の価値もない。

 だってわたしは女性である時点で、他の男性騎士たちとは違うわ。

 だって、わたしはセシル・アロイスであると同時に、・アロイスでもあるんですもの。


 だから、わたしは普通の騎士を目指さない。

 普通じゃない騎士になって、多くの人を見返したい。

 自分たちが蔑んでいた相手が、本当は特別な存在だったんだって、見せつけてやりたいの。


 そのためには、わたしは十分な注目を集める必要がある。

 だからそのために、をするの」


 セシルがそこで一旦言葉を切ると、リーヤたちが部屋に大きな箱のようなものを運び込んできた。

 そしてその箱が開けられると、中から父親の鎧が現れる。


「叙任式まであと三ヶ月を切ったわ。

 時間は掛かったけど、わたしは考え抜いた末、決心した。


 わたしは、この鎧を――あなたに


 この鎧を使って、わたしのために特別な鎧を作って欲しいの。

 できることは何だってするわ。

 カイ、お願い。

 これを使って、わたしのために、『最高の鎧』を作って」


 その言葉が発せられた後、部屋の中の空気がしばらくしんと静まり返った。

 セシルもカイも言葉を発せず、ただお互いを強く見つめ合うだけになる。


「――本当に、俺にゆだねていいんだな?」


 絞り出すようなカイの声を聞いて、セシルは優しく微笑んだ。


「ええ。あなたの手で、この鎧を生まれ変わらせて欲しい。

 この鎧をなくしてしまうんじゃない。この鎧から新しく、わたしの鎧を欲しいのよ。

 カイ、あなたならきっとそれが、できるのだろうと思ったから」


 セシルの言葉を聞き遂げたカイは、自身の表情を隠すように少し俯いた。

 それは震える身体を、抑えるような仕草でもある。


 そして、彼はその場で立ち上がると、ゆっくりと品定めするように形見の鎧の側に立った。

 彼は形見の鎧をしばらく観察すると、セシルの方へと向き直って、力強く宣言する。


「わかった。引き受けよう。

 俺が、君のために――の鎧を作ってやる」





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