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 翌朝、セシルは宮殿に出仕すると、いつも通り、騎士見習いが支度するための控え室へ足を向けた。

 控え室の扉を開くと、そこには既に数人の騎士見習いたちがいる。

 彼らは入ってきたセシルに気づくやいなや、如実にょじつに視線を逸らすような仕草を見せた。

 どうやら騎士叙任の情報は、昨日のうちに騎士見習いたちにも広まったようである。

 これまでも余所余所しいと感じていた彼らの態度は、これから輪を掛けて他人行儀なものへと変わっていくことだろう。


 セシルは早々に自分の支度を調えてしまうと、身だしなみに問題がないかを念のため、もう一度確認した。

 無論、宮殿の中では鎧兜は必要ない。

 騎士団から支給された細身の男性のように見える仕立ての良い真っ白な服が、セシルにとっての制服なのである。


 彼女は自分のえりとズボンの裾が調っているのを確認すると、宮殿の奥へと続く廊下をスタスタと歩いて行った。

 それは、足早ではあるものの、まるで寝静まった子供を起こさぬような静かで優雅な足取りだ。


 彼女がそうして足を進めていくと、廊下の両側に、美しい中庭が広がり始める。

 細かく手入れされた花々の鮮やかな情景は、誰もが一目見れば、その美しさに視線を奪われることだろう。

 だがそんな美しい情景も、セシルにとっては見慣れた日常の風景に過ぎない。


 彼女は宮殿奥にある一つの扉に到達すると、その扉をゆっくりと叩いた。


「殿下、おはようございます。

 セシルです」


「――入れ」


 少しの間があってから聞こえた返事を確認して、セシルは扉を静かに開いて、部屋の中へと入っていく。

 すると彼女の前には、広い机で朝食を取る一人の男性の姿があった。


「おはようございます、殿下」


「おはよう、セシル」


 彼女は一つ敬礼すると、給仕の邪魔をせぬよう、机から離れた場所に控えた。


 ――エリオット第十三王子。またの名を、エリオット騎士公という。

 緑がかった髪に、引き締まった身体。

 見た目は朗らかで、若々しく感じる。

 だが、実際の年齢は三十半ばを超えて、青年と呼ぶには難しい時期に差し掛かっている人物だ。


 本来王族であるはずの彼は、その正直すぎる性格が仇になって、王宮の政争からは爪弾きにされていた。

 結果、エリオットは王都から離れたこの街の宮殿に居を構えている。


 ただ、一人の騎士として優れた能力を持つ彼は、現在この街の騎士団にあって、上級騎士パラディンの中でも特別な『騎士公』と呼ばれる地位にあった。

 目下、このエリオット騎士公の身の回りの世話をするのが、騎士見習いであるセシルの役割だ。


「ん――アルバートと――昨日話した――と思うが」


 食事が終わってから話せば良いのだが、エリオットは口をもごつかせたまま、セシルに声を掛ける。


「はい。急なことで、驚きました」


 エリオットが言っているのは、騎士叙任の話だ。

 セシルは至極率直に、自分の感想を伝えた。


「私が推挙すいきょした。

 君はもう、二十一になるのだったか」


「はい。来月には二十二歳になります」


騎士見習いエスクワイアとしては、ベテラン過ぎるぐらいにベテランだよ。

 何しろ私は騎士家の跡取りが、二十歳を超えて騎士見習いをしている例を知らない。

 そう考えれば君が正騎士になるのは、遅すぎるぐらいの話だろう」


「ありがとうございます」


 自身が女性であることがその理由だと思い当たりながらも、セシルはエリオットの言葉に、素直に感謝の気持ちを返した。


「それと――」


 エリオットはそう言葉を続けると、フォークを置き、グラスに注がれた水に口を付ける。


「――実はな、結婚することになったのだ」


「おめでとうございます」


 セシルは祝福の言葉を、詰まることなく述べた。

 そして今回の件にはがあったのかと気づいた。

 確かにそんな切っ掛けがなければ、今更騎士叙任の話など来るはずがないのだ。


「ありがとう。君に祝福して貰えるのは、素直に嬉しいと感じるよ。

 ――できれば結婚した後も、私を支えてくれると良かったのだが」


 エリオットはそこまでを口にした後、少し興奮するかのように早口でまくし立てた。


も君がちゃんとした騎士見習いであることを、最初は理解してくれていたのだ。

 だが、私が君のことを詳しく伝えた後になってから、どうしても私の側には置いておけないと言い出した。

 どんなに君がではないと言っても、理解を示そうとしないのだ」


「ご事情、理解しました。

 ご推挙いただき、ありがとうございます」


 ――その表現が、言わば浮気相手や情婦を意味していることぐらいは、セシルにも分かる。

 ともすればこの話題は、セシルにとって侮辱とも言える内容だ。


 だが残念なことに、このエリオットという主人は、セシルの感情に対してあまり敏感な方ではない。

 もっとも、セシルはこの鈍感とも言える主人に、既にのような諦めた感覚を持ってしまっているのだが。


「やはり君は美しいだけでなく、とても頭が良いのだな。

 だが、彼女は君の頭が良いだけに、私の近くには置けないのだと言う。

 では頭が良くなければ、側に置いて良いとでも言うのか?

 自分の伴侶の近くには、利口な人間は必要ないと言うのだろうか?

 まったく、女性というのはよくわからないことを主張するものだ。

 ――いや、君も女性だったな。これはとんだ失言だった」


「いいえ、お気になさらず。

 お気持ちお察し致します」


 話を聞くに、エリオットの結婚相手は、恐らく利口な人物なのだろう。

 仮に王族であるエリオットに浮気相手がいたとしても、それが即座に彼や王家の立場を危うくすることはないと思われる。

 だが、その浮気相手が、人並み以上に頭の回る女性だったらどうなるのだろうか――?

 下手をすればエリオットが操られてしまったり、正妻である自分の地位が危うくなると考えるのではないか。

 そう思えば、結婚相手の側に、自分以外の利口な女性がいるなどというのは、悪夢以外の何ものでもないのだ。


 無論、エリオットとセシルはそういう男女の関係にはないし、感情的プラトニックにも異性の情を抱くような仲でもない。

 ただ、ひょっとしたらセシルを宮殿に送り込んだ彼女の父親は、セシルがエリオットのになることを期待していたのかもしれないが――。


 だが、ことという面で言うならば、このエリオットという王子は朴訥ぼくとつすぎるぐらいに純情だった。

 何しろセシルが知るだけでも、女性からのお誘いアプローチを気づかずに放置した例は、数度という回数では済まない。

 その純粋さたるや――まさにセシルと良い勝負なのだ。


「セシル、それもあって、私は今日この後外出しなければならない」


「わかりました。すぐに出立の準備を致します」


 着替えや持ち物といった、エリオットの本当の意味での身の回りの世話というのは、基本的に彼の回りに配されたメイドたちが行う。

 それとは別にセシルが行うべき身の回りの世話というのは、外出に際して馬車を手配したり、外出の届け出を宮殿に出すことなどを意味していた。


「ああ、頼む。

 それで申し訳ないのだが――」


 言いにくそうにエリオットが頭を掻くのを見て、セシルは彼が飲み込んだ言葉を察知した。


「わかりました。

 ――今日は、私は連れて行けないということですね?」


「本当に済まないな。

 話した通り、君を連れて行ってしまっては、色々と話がこじれてしまうのでね。

 準備だけしてくれたら、今日は休みにしてくれていい。

 どちらにせよ、君は騎士叙任に向けて、色々と用意せねばならないことがあるはずだ」


「はい。それでは、ありがたく休養を取らせていただきます」


 自分がエリオットの結婚相手から情婦のように疑われていることには、正直不満に思う気持ちがある。

 だが、こういう時は無理な主張をせず、素直に引き下がっておいた方が良いのだ。

 それが、セシルが何年も騎士見習いをして、学んだことの一つだった。

 主人である騎士に対して不満を漏らしたり、楯突いたり、考えを変えさせようとしてはいけない。

 そうしたことは、決して自身の評価には、繋がることはないのだから。


 セシルは一度部屋を退出すると、エリオットの外出に必要な手続きをった。

 こうした手配は慣れている。特に多くの手間と時間を要することもない。

 果たして用件を終えたセシルが部屋に戻ると、エリオットはようやく朝食を終えたような状態だった。

 セシルはこれから彼が着替えるのを待ち、出立を見送らなければならない。


 ところが部屋の片隅で待機する彼女に向けて、着替え中のエリオットが思わぬ声を掛けた。


「セシル、今日の外出に見送りはいらない」


「――承知しました」


 セシルは静かに答えると一つ敬礼をして、エリオットの居室から静かに退出していく。


 ――最初に話を聞いた時、正直ここまでとは思わなかったのだ。

 だが、これは完全にエリオットからのが始まっている。

 エリオットが積極的にセシルの見送りを拒否するとは思えないから、恐らくこれは結婚相手から言い含められていることなのだろう。


 元々セシルは、騎士叙任へ向けての道は、決して平坦なものではないとおぼろに予想していた。

 だが、その向かい風はエリオットの結婚という事実を併せ持つことで、激しさを増すのかもしれない。


 セシルは部屋の外で目を閉じると、この後をうれいて、深い溜息と共に肩を落とすのだった。




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