第6話『○○する?』
夕食は美優先輩特製の豚の生姜焼き。事前に俺達きょうだいから母さんの好きな料理をいくつか聞き、その中で自分の得意料理である生姜焼きにしたのだという。
母さんが最初の一口を食べたとき、美優先輩はとても緊張していた。ただ、母さんが、
「とても美味しいわ! 由弦が言っていた通り料理上手ね!」
と生姜焼きを絶賛。すると、美優先輩はほっと胸を撫で下ろし、凄く嬉しそうな笑顔を見せる。
「ありがとうございます! 嬉しいです!」
とても弾んだ声で母さんにお礼を言った。美優先輩の恋人として嬉しく思うと同時に、今の光景がとても微笑ましく思えた。
もちろん、母さんは完食。しかも、俺より早く。母さんは食べるのがそんなに早い方ではなく、実家にいた頃は俺の方が早く食べ終わることが多かったのに。それだけ、美優先輩の作った生姜焼きが美味しかったのだろう。
夕食の後片付けは俺がやり、美優先輩と母さんはアイスティーを飲みながら食卓でゆっくりと過ごしている。話し声があまり聞こえないので内容は分からないけど、笑い声が何度も聞こえるので2人が楽しそうに話しているのは分かる。良かったよ。母さんが家に泊まることが決まってから、先輩は母さんと会う直前まで緊張することが多かったから。
「よし、これで洗うのは終わり」
夏場になると、冷たい水道水が気持ち良くて、他の時期よりもいい気分で食器やキッチン用具を洗えるなぁ。
ふきんで洗ったものを拭いていると、
――ピロン。ピロン。
台所に備え付けられている給湯リモコンから、お風呂が沸いたことを知らせるチャイムが鳴った。後片付け前に給湯ボタンを押したから、このタイミングでお風呂が沸いたか。母さんに最初に入ってもらおうかな。そんなことを考えながら洗いものを拭き、元の場所に戻した。
「よし、これで終わり」
台所を出て、リビングに戻る。
「後片付け終わりました」
「お疲れ様、由弦君。ありがとう」
「お疲れ様、由弦」
「由弦君にも冷たい紅茶を淹れておいたよ」
「ありがとうございます。いただきます」
食卓を見ると、俺が夕食のときに座っていたところに、紅茶の入った俺のマグカップが置かれている。椅子に座り、さっそく紅茶を飲む。
「ほんのりと甘くて美味しいです」
「良かった」
「……今の2人を見ていると、いつもこんな感じなのかなって思うわ。2人の同棲生活をのぞき見している感覚になってる」
ニコニコしながら話すと、母さんは紅茶を一口飲む。
「私が食事を作ったときは、由弦君が後片付けをすることが多いですね。もちろん、由弦君が作ったときは、私が後片付けを。洗い物が多くなってしまったときは、2人で一緒にすることもあります」
「そうなのね。私も主人と2人で暮らしているときはそんな感じだったわ」
母さんの笑みがニコニコしたものから、優しいものへ変わっていく。父さんとの同棲時代や新婚時代のことを思い出しているのだろうか。
実家にいた頃はどんな感じだったかな。母さんの喫茶店のパートがなければ、母さんが食事を作ることが多かったか、パートがあるときは基本的に俺が食事を作っていたっけ。受験生のときもそうで、食事を作るのが勉強の気分転換になっていた。後片付けはみんなやっていたけど、雫姉さんと心愛、父さんがやることが多かったかな。
「2人にとっていい家事のスタイルを作って、必要なときには修正しながら生活していきなさい。私に相談していいからね」
「ああ、分かったよ」
「ありがとうございます。ねえ、由弦君。さっき、お風呂が沸いたのを知らせるチャイムが鳴ったよね」
「鳴りましたね」
「だよね。最初に香織さんに入ってもらおうと思っているんだけど、由弦君はそれでいいかな?」
「もちろんですよ。俺もチャイムが聞こえたとき、同じことを考えました」
美優先輩と意見が一致したか。
「分かったよ。香織さん、一番風呂に入ってください」
「ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうわ。……ねえ、由弦。久しぶりに会ったんだし、お母さんと一緒にお風呂に入る?」
「ううん、入らない。というか、つい最近まで一緒に入っていたような口ぶりで誘わないでくれる? しかも、美優先輩のいる前で」
チラッと美優先輩を見ると……先輩は微笑んでいた。母さんの打診に即断ったからだろうか。変に思われていないようで一安心。
「雫と心愛がここに泊まったときは一緒に入ったから、お母さんも誘えば一緒に入る展開になるかと思って」
「そういうことか。雫姉さんと心愛は、今年になってからも入ったことがあるから抵抗感はあまりなかったけど、母さんと最後に入ったのは7、8年くらい前だからな。それに母親だし。美優先輩と一緒に入りたいし」
「ふふっ。じゃあ、今回はお母さん一人でお風呂に入るわ」
「今回はって。まあ、ゆっくり入ってくれ。静岡から来たんだし、三者面談もあったから」
「そうさせてもらうわ」
「じゃあ、その間に母さんが寝る布団をリビングに敷いておくよ。実家から持ってきた俺の布団でいいか?」
「もちろんよ。息子の布団で寝る日が来るなんて。今夜はよく眠れそう」
嬉しそうな様子で言う母さん。そんな風に言われると、実家の俺の部屋にあるベッドで寝ているんじゃないかと疑ってしまう。雫姉さんや心愛に比べれば可能性は低そうだが。
「分かった。俺の布団を敷くよ」
「ありがとう」
「じゃあ、由弦君が布団を敷いてくれるかな。私がお母様に洗面所や浴室の説明をするから」
「分かりました」
母さんが入浴に必要なものを準備した後、美優先輩は母さんと一緒に洗面所へ、俺は寝室へと向かう。
ロッカーから自分の布団一式とマットレスを取り出し、リビングへ運ぶ。ソファーの近くにマットレスと布団を敷いていく。
「これでいいかな」
リビングに布団を敷くのは……ゴールデンウィークに俺の姉妹と美優先輩の姉妹が泊まりに来たとき以来か。あのときは先輩と俺がリビングに敷いた布団に寝たんだよな。2人きりになった途端にたくさんキスして。あれが1ヶ月半前のことなのか。色々あったからもっと前のことのように思える。
あとは……美優先輩に告白する前夜にも、自分の布団をリビングに敷いたっけ。先輩への好意を自覚して、寝室ではドキドキし過ぎて眠れないかもしれないからと。
「おっ、いい感じに敷けたね、由弦君」
気づけば、美優先輩がリビングに戻ってきており、俺の近くに立っていた。そのことにドキッとして。
「ここに何度か敷いたことがあるので、すぐに敷けました」
「そっか。ありがとう。お母様に洗面所と浴室のことを簡単に説明してきたよ」
「ありがとうございます。母さんが出てくるまで、ソファーに座ってゆっくりしますか」
「うん、そうしよっか」
俺達はソファーに腰を下ろす。体が触れるほど近くで。
母さんが来てから数時間ほどしか経っていないけど、随分と久しぶりに先輩と2人きりでゆっくりしている気がする。
「由弦君のお母様、本当に素敵な方だね」
「美優先輩にそう思ってもらえて良かったです。それに、会う直前までは緊張しているようでしたけど、すっかり打ち解けたみたいで」
「うん! 由弦君とかの話をしたり、一緒にみやび様のアニメを観たりしたからね」
「良かったです。安心しました。あと、美優先輩と母さんと、アニメを観る展開になるとは思わなかったですよ」
「ふふっ、そうだね。由弦君とお母様が一緒にいるところを見ていたら、早くお母さんに会いたくなったよ。三者面談だけど、明日はお母さんに会えるし、風花ちゃんのお母さんにも会えるから楽しみだな」
「そうですか。明日は三者面談……頑張ってください」
「ありがとう」
美優先輩は優しい笑顔を俺に向けながらそう言った。
既に三者面談を受けた花柳先輩の話だと、2年生も中間試験の結果や部活中心に学校生活のことについて話すらしい。あと、陽出学院高校は3年生の進級時に文理選択をするので、そのことについても話すのだとか。美優先輩は中間試験の結果が良かったし、担任は大宮先生なので、平和な面談になるんじゃないだろうか。
「あとさ……由弦君」
「何でしょう?」
美優先輩は頬をほんのりと赤くし、俺のことをチラチラと見てくる。
「明日、お母様は夕方に静岡へ帰られるじゃない。私のお母さんはここに泊まらないし。それに、金曜日だから夜は由弦君と……したいです。お母様流に言えば……愛を育みたいな。どう?」
はにかみながらそんなお願いをしてくる美優先輩。首をちょっとかしげる仕草が可愛くて。そして、お願いの内容に凄くドキッとして。愛を育むという言葉もあって、全身が強くて優しい温もりに包まれていく。
「もちろんいいですよ、美優先輩」
肯定の返事を口にして、ゆっくりと首肯する。すると、美優先輩はとても嬉しそうな笑顔を見せてくれる。
「ありがとう! 約束だよ」
そう言い、美優先輩は俺にキスしてきた。その瞬間に紅茶の香りがふんわり香ってきて。あと、俺の体はこんなに熱いのに、触れる先輩の唇からはさらに強い温もりが伝わってきて。それがとても愛おしく思える。
美優先輩から唇を離すと、そこには俺をうっとり見つめる先輩がいて。そんな先輩がたまらなく可愛くて、今度は俺からキスをした。
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