後編

「こんにちは、桐生君。突然のことでごめんなさい」


 霧嶋先生からの電話があってからおよそ40分後。

 スーツ姿の霧嶋先生が家にやってきた。先生はバッグだけでなく、コロッケの材料が入っているスーパーの袋も持っていた。


「いえいえ、気にしないでください。さあ、上がってください。袋、持ちますよ」

「ありがとう」


 霧嶋先生からスーパーの袋を受け取ると……け、結構重いな。


「たくさん買ってきたんですね」

「れ、練習だから何度も失敗してしまうかもしれないし」

「……なるほど」


 失敗の可能性を考慮して、多めに材料を買ってくるところは霧嶋先生らしいと思う。

 霧嶋先生と一緒にリビングへと向かう。


「姫宮さん、白鳥さん、花柳さん、こんにちは」

「こんにちは、一佳先生。お待ちしていました。私がメインでコロッケ作りを教えますね。由弦君もサポートしてくれるので安心してください。風花ちゃんは……もし、失敗してしまったら、それを食べてくれる予定です。瑠衣ちゃんは見守るとのことです」

「そうなのね、分かったわ。みんな、今回はよろしくお願いします」


 急に頼んだのもあってか、霧嶋先生は真剣な様子でそう言い、俺達に向かって深く頭を下げた。

 その後、霧嶋先生はスーツのジャケットを脱ぎ、風花が自宅から持ってきた桃色のエプロンを身につける。


「一佳先生、あたしのエプロンとても似合っていますね!」

「そ、そうかしら? そう言ってくれるのは嬉しいけど、何だか照れてしまうわ」

「恥じらうところも可愛いですよ、一佳先生」

「もう、花柳さんったら。からかわないで」

「本当に可愛いですよ。せっかくですから、写真を撮ってもいいですか?」

「いいわよ、白鳥さん。ただし、不用意にその写真を生徒や先生方に見せないように。恥ずかしくて、私も欠勤するかもしれないから」

「分かりました!」


 美優先輩、風花、花柳先輩はスマホで霧嶋先生を撮影する。

 みんなが撮影していると俺も撮りたくなるけど、エプロン姿の担任の写真がスマホの中に入っているのはまずい気がしたので止めておいた。

 そして、家庭科の教科書に書いてあるレシピを基に、美優先輩の指導でコロッケ作りの練習がスタートする。


「それでは、コロッケ作りの練習を始めましょう」

「お願いします、白鳥先生」

「ふふっ、一佳先生から先生って言われるのっていいですね」


 美優先輩、さっそく楽しそうな笑顔になっている。こんな状況またとないだろうからな。


「まずはじゃがいもを洗って、皮をむいてください。その後に、4等分から6等分くらいに切ってください。由弦君も手伝ってくれるかな。由弦君は上手ですから、一佳先生は由弦君も参考にしてくださいね」

「料理部だものね。お願いするわ、桐生君」

「はい。よろしくお願いします。俺にも遠慮なく訊いてくださいね」


 俺がそう言うと霧嶋先生は俺の目を見て、一度首肯した。

 霧嶋先生が買ってきたじゃがいもを洗い、俺は包丁で皮をむいていく。たまに先生の様子を見ながら。


「さすがは桐生君。皮むき上手ね」

「実家にいた頃から、料理をよくしていましたからね」


 そういえば、雫姉さんや心愛と一緒にコロッケ作りを手伝ったことがあったっけ。小さい頃はじゃがいもの皮むきをしているとき、指を切ったこともあったな。

 霧嶋先生の方を見てみると、決して上手ではないものの、皮むき自体はできていた。

 特にトラブルもなく皮むきが終わったので、霧嶋先生はじゃがいもを4等分から6等分の大きさに切り始める。


「おっ!」

「あははっ!」

「こんなことあるのね!」


 力を入れたからなのか、霧嶋先生が切ったじゃがいもが俺の顔に直撃した。それが面白かったのか、後ろで風花と花柳先輩が笑っている。

 風花は失敗作を食べる役目だけど、失敗作は揚げるまでは発生しないので、花柳先輩と一緒に霧嶋先生を見守っているのかな。


「ご、ごめんなさい、桐生君。大丈夫だったかしら」

「大丈夫ですよ。気にしないでください。時には力を入れなければならないときもありますけど、力加減には気を付けましょう」


 ちょっと、先行きが不安になってきた。

 じゃがいもの下ごしらえが終わったので、霧嶋先生は次にタネに入れる玉ねぎの下ごしらえ。

 しかし、ここで事件が起こる。


「いたっ!」


 霧嶋先生は玉ねぎのみじん切りをしている際に、包丁で指を切ってしまう。玉ねぎを切っている途中なのもあって、そのときは両眼から涙を流していた。


「一佳先生。あたしが治療します。まずは切ってしまったところを洗いましょう」

「ええ。……ありがとう、花柳さん」


 花柳先輩が切ってしまった部分をすぐに治療した。そんな助けもあってか、先生はやる気を無くしてしまうことはなく、玉ねぎの下ごしらえをしていった。

 俺がじゃがいもを茹でている横で、霧嶋先生はみじん切りした玉ねぎと挽き肉を炒めていく。いい匂いがしてきた。


「……よし、茹で加減はこれでいいかな。霧嶋先生、じゃがいも茹で上がりました。水気を飛ばして、このマッシャーという調理器具を使ってじゃがいもを潰しましょう。美優先輩、家庭科室にはマッシャーってありましたっけ?」

「うん、あるよ。テーブルの数だけあると思いますけど、もし足りない場合はスプーンでも代用できますよ」

「なるほど。覚えておくわ。では、そのモッシャーを使って潰しましょうか」

「……マッシャーです、一佳先生」


 霧嶋先生は茹で上がったじゃがいもをマッシャーで潰していく。その間に俺はコロッケを揚げるための油を温めていく。


「よいしょっ……」


 真剣な様子でやっている霧嶋先生の横顔はとても素敵に思えた。あと、じゃがいもを潰しただけでも、だいぶコロッケ感が出ている気がする。

 潰したじゃがいもに先ほど炒めた玉ねぎと挽き肉を混ぜ、コロッケのタネが完成する。


「白鳥さん、タネはこれで完成かしら」

「どれどれ、味見させてください。……うん、OKです!」


 笑顔で右手の親指と人差し指でOKマークをする美優先輩が可愛らしい。そんな先輩を見てか、霧嶋先生はホット胸を撫で下ろしている。


「揚げ油が180度まで温まりました、美優先輩」

「分かったよ、由弦君。じゃあ、タネを成形して、小麦粉、卵、パン粉をつけて揚げましょうか」

「分かったわ」


 霧嶋先生はコロッケのタネを小判型に成形し、小麦粉、卵、パン粉を付けてコロッケを揚げていく。

 しかし、コロッケの状態が気になるのか、霧嶋先生は菜箸で油の中に入れたコロッケに何度も触れてしまう。


「一佳先生、そんなに触ったら――」

 ――ポンッ!

「きゃっ!」


 という音が鳴り響き、霧嶋先生は可愛らしい声を挙げて美優先輩のことを抱きしめる。

 鍋を見てみると、先ほど入れたコロッケが破裂してしまっていた。


「そう! こういう爆発が小さい頃にあったのよ! 今回は大丈夫だったけど、当時は跳ねた油が手にかかってヤケドしたの!」


 霧嶋先生は怖がるどころか少し興奮気味になっている。ちょっと音が鳴っただけで、爆発と言うには程遠い気がするが。ただ、小さい頃だと、これを『爆発』だと思ってしまうのかもしれない。手をヤケドしたから、トラウマにもなったのかな。

 美優先輩は破裂してしまったコロッケをすぐに油から取り出して、揚げ網の上に乗せる。


「さっきのように箸でつつくと、衣が破れて中の水分が出てしまうことがあるんです。それが破裂の原因にもなります。コロッケがどんな感じか気になっちゃうと思いますけど、揚げている間は箸であまりつつかず、じっと我慢しましょう」

「分かったわ。じっと我慢ね」

「風花ちゃん、失敗したからさっそく食べてくれるかな?」

「分かりました!」


 待ってましたと言わんばかりの表情で、風花はお皿と箸を持ってやってくる。美優先輩が破裂したコロッケをお皿に置くと、風花は何もかけずに食べていく。


「早い段階で破裂したからなのか、衣がサクサクしていないですね。でも、タネは結構美味しいですね」

「あたしも一口。……うん、中身は美味しいですね」


 風花と花柳先輩は破裂したコロッケを笑顔で食べていく。


「タネが美味しいって言ってもらえるだけ良かったわ。では、白鳥さんがさっき言ったポイントを踏まえて、コロッケを揚げていけばいいのね」

「はい! 気を取り直してコロッケを揚げましょう!」


 それからも、霧嶋先生はコロッケを揚げていく。油の音と香ばしい匂いに食欲がそそられるなぁ。

 美優先輩のアドバイスを守ったこともあってか、ここにいる5人分の美味しそうなコロッケができあがった。


「明日の調理実習で作る予定のコロッケ。みんなのおかげで完成したわ」

「うわぁ、美味しそうですね! 早く食べたいです!」

「破裂した失敗作を一口食べたからか、あたしお腹減っちゃった。いい匂いがして食欲そそられるよね、風花ちゃん!」


 風花と花柳先輩は目を輝かせながら、完成したコロッケを見ている。風花なんて危うく涎が垂れてしまうところだった。


「美味しそうにできましたね。じゃあ、食卓に行ってみんなで食べましょうか!」 

「そうね。何だか緊張するわ」

「みなさん、先に座っていてください。俺、寝室から自分の勉強机の椅子を持ってきます」


 食卓の椅子は4つしかないからな。

 俺は寝室から自分の勉強机の椅子を持ってきて、リビングの扉に近い場所に置いた。俺が座ると、美優先輩が俺の目の前にコロッケを乗せた皿と箸を置いてくれる。

 食卓を見ると、それぞれの席の前にはコロッケが乗った小皿が置かれており、中央にはソースと塩が。


「まずはあなた達4人が食べて」

「分かりました。では、みなさん。いただきます!」

『いただきます!』


 美優先輩の号令で、霧嶋先生以外の4人はコロッケを一口食べる。

 ――サクッ。

 衣を噛むときのそんな音が、俺の口からだけでなく、美優先輩達からも聞こえてくる。いい音だ。


「うん、凄く美味しいです! 破裂した失敗作と比べて衣はサクサクしていますし、中のタネも甘く感じられて」

「風花ちゃんの言う通りね!」


 風花と花柳先輩は幸せそうな様子でコロッケをパクパクと食べている。彼女達を見ていると、俺まで幸せな気持ちになってくるな。


「何もかけていませんけど、それでもとても美味しいですね。俺は好きです」


 そんな感想を伝えると、霧嶋先生は頬をほんのりと赤くし、俺のことをチラチラ見てくる。


「美味しいだけでなく、好きと言われるのもいいわね。白鳥さんはどうかしら」

「とっても美味しくできてますよ!」

「良かったわ。では、私も食べようかしら」


 霧嶋先生はほっと胸を撫で下ろして、コロッケを一口食べる。2、3回咀嚼したときに、霧嶋先生から笑みがこぼれる。


「美味しくできてるわ。白鳥さん達のおかげだけれど」

「サポートはしましたけど、材料を切ったり、じゃがいもを潰したり、コロッケを揚げたりするのは主に一佳先生がやっていましたよ。教科書にレシピが載っていますけど、作るときのポイントを書いたメモを後で渡しますね。明日の授業で参考にしてください」

「ありがとう、白鳥さん。みんなのおかげでコロッケ作りを学べて、不安がだいぶ取れたわ。大人になっても、誰かから学ぶのって大切なのね。あなた達に相談して良かった」


 そう言って、ニッコリと笑ってくれる霧嶋先生。普段はここまでの笑顔を見せないから、不覚にもキュンとなった。

 霧嶋先生を含めて、みんな笑顔でコロッケを食べているな。明日の調理実習でも、コロッケを作って、こういう風に楽しく食べられればいいなと願う。ごちそうさまでした。



 ちなみに、夜になって、


「それじゃ、これから保健のお勉強をしようか。先週、由弦君が風邪引いたから、キスより先のことをするのは久しぶりだよね。だから、今夜は私をたくさんいただいてください」

「……いただきます」


 お風呂から出た後、夕方の約束通り、美優先輩と一緒に保健の勉強をしたのであった。




 翌日。

 大宮先生は熱が引いたものの、喉や鼻の調子が悪いため欠勤。なので、予定通り霧嶋先生が調理実習を担当することに。

 昨日、コロッケ作りの練習をし、作る際のポイントをまとめた美優先輩のメモのおかげで、特に問題なく教えることができたそうだ。調理実習を行なったクラスにいる風花の部活友達曰く「コロッケを美味しく作れた! 一佳先生の教え方が上手で、エプロン姿がとても可愛かった!」とのこと。それを知って、俺達はとても安心したのであった。




特別編2 おわり

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