第39話『さあ、練習しましょう。』

「凄く立派な屋内プールだね!」

「本当に凄いわね!」


 俺による水着姿の写真撮影会が終わり、改めて屋内プールの中を見ると、風花と花柳先輩は興奮した様子に。

 大きな流れるプールをメインに、学校にもあるような25mプール。小さい子でも入れそうな浅めのプール。そして、ウォータースライダーもある。流れるプールやウォータースライダーは結構賑わっている。

 また、入口近くで、屋内プールのエリアで利用できる浮き輪やビーチボールなどを借りられるようだ。


「これだけ立派なら、たっぷりと楽しめそうだね、由弦君」

「そうですね。端の方にはサマーベッドもありますから、そこでゆっくり過ごすのも良さそうです。あと、俺は泳ぎが不安ですし、夏には水泳の授業がありますから、あそこの25mプールで泳ぎの練習もしたいですね」

「分かったよ。私、運動は苦手な方だけど、泳ぎだけはそれなりにできるから何か教えられるかも。ただ、風花ちゃんっていう水泳少女がいるから、風花ちゃんに教えてもらった方がいいかな?」

「あたしが由弦の水泳指導をしますよ。サポートが必要な場面があるかもしれませんから、美優先輩も一緒にいてくれると嬉しいです」

「うんっ、分かった!」


 美優先輩……結構やる気になっているな。


「でも、いいのか? 俺に泳ぎの指導をして。流れるプールやウォータースライダーとかで遊びたいんじゃないか?」

「もちろん遊びたいよ。でも、由弦を泳げるようにする方がもっとやりたいことだから。あと、これは由弦の誕生日プレゼントも兼ねてる」


 屈託のない笑顔で風花はそう言ってくれた。誕生日プレゼントと言われると、とても嬉しくなる。


「ありがとう、風花。美優先輩もよろしくお願いします」


 2人に向かって深く頭を下げた。

 水泳部の風花が教えてくれるのは心強い。今はどのくらい泳げるか分からないけど、ずっと美優先輩と風花に練習に付き合ってもらうようなことは避けたいな。


「じゃあ、あたしは25mプールの近くにあるサマーベッドにくつろぎながら、美優ちゃん達の様子を見ていようかな」

「成実先生はゆっくり過ごすんですね。分かりました。じゃあ、一佳先生。あたしと一緒にウォータースライダーに行きましょうよ。今も、2人で浮き輪に乗って滑り降りてくるのが見えましたし。あたしと一緒に滑りましょう」

「へっ? け、結構凄くないかしら、あのスライダー」


 霧嶋先生、顔が引きつっているな。脚も少し震えているし。

 花柳先輩は今の霧嶋先生の反応を見て何か察したようだ。意地悪な笑みを浮かべる。


「もしかして、一佳先生はスリルのあるアトラクションや絶叫系は苦手ですか?」

「……む、昔は苦手だったわよ。妹に連れられて、文字通りに絶叫しまくったわ。でも、それは幼き日の平成時代の話。元号も令和になったし、25歳だし、教師にもなったんだから多少は強くなっているかもしれない」

「じゃあ、一緒に滑って試してみましょう!」

「え、ええ! やってやろうじゃない!」


 霧嶋先生、見事に花柳先輩の言葉に乗せられてしまったな。さっきの様子からして、実際に滑ったら絶叫しまくる流れになりそうだな。

 それにしても、ウォータースライダーは2人一緒に滑ることができるのか。美優先輩が苦手じゃなかったら、練習した後にでも滑ってみたいな。


「じゃあ、それぞれやりたいことが決まったし、一旦別れましょう」

『はーい!』


 大宮先生の言葉に返事をすると、花柳先輩は霧嶋先生の手を引いてウォータースライダーの方に行った。霧嶋先生、どうか生きて帰ってきてください。

 俺を含む残りの4人は25mプールの近くにあるサマーベッドに向かう。

 流れるプールとは違って、こちらはあまり人がいなくて落ち着いているな。これなら、泳ぎの練習をたくさんしても大丈夫そうだ。


「桐生君。スマホの入った防水ケースは先生が預かっておくわ。練習するのに邪魔でしょう?」

「そうですね。ありがとうございます。よろしくお願いします」


 大宮先生にスマホの入った防水ケースを渡す。

 すると、大宮先生は無くさないためなのか、ケースを首から提げる。そして、サマーベッドに仰向けの状態でくつろぐ。脚を組むのがとてもセクシー。そんな姿を見て、淑女という言葉は大宮先生のような女性のことを言うのかなと思った。


「さあ、由弦。軽くストレッチしたら、さっそく泳ぎの練習を始めようか」

「はい。美優先輩もサポートお願いします」

「はーい!」


 俺は美優先輩と一緒に、風花直伝のストレッチによって体をほぐしていく。風花曰く、ストレッチのやり方を間違えると、ストレッチを全くしないときよりも運動中にケガをしやすくなるという。


「これでストレッチはいいね。とりあえず、今の由弦がどのくらい泳げるかを知りたいな。確か、前に……クロールは何とか泳げるって言っていたよね」

「去年の夏の話だけど。クロールは25m。平泳ぎとバタフライは10m、背泳ぎはクルクル回る」

「なるほどね。学校にあるプールは長水路って言って50mあるの。ただ、確か……顧問の先生の話だと、横幅が25mだから、体育の授業では横の方を使うみたい。美優先輩、そうでしたか?」

「うん、去年の水泳の授業ではそうだったよ。1年のときに同じクラスだった水泳部の子が、横方向だから短いなぁって言ってた」

「ははっ、そうだったんですね。じゃあ、クロールを25m泳げるかどうか確かめさせて」

「分かった」


 俺は水中メガネを付け、プールに入ってスタート地点に立つ。水に入ること自体はいいけれど、これから泳ぐとなると緊張するな。


「由弦、さっそく泳いでみて」

「あ、ああ! よし、いくぞ!」


 蹴伸びをして、俺はクロールを始める。

 クロールを泳ぐのは去年の夏以来だけれど、泳ぎ方ってこれで合っていたっけ。息継ぎをちゃんとできているから合っているよね。

 水中メガネを付けているから、段々とある疑惑が湧いてきた。

 俺、ちゃんと前に進むことができているのか?

 個人的な感覚では全く進んでいない感じがするので、俺は泳ぐのを止めた。


「……あらら」


 ゴールよりもスタート地点の方が近いな。俺、結構泳いだつもりだったんだけど。

 プールサイドの方を見ると、美優先輩も風花も苦笑いをしながら俺のことを見ている。


「……10mくらいしか進んでなかったよ、由弦。水の掻き方や脚の動かし方が良くないからか、蹴伸びが終わったらほとんど進んでなかった」

「でも、蹴伸びは凄く綺麗だったし、息継ぎはできてたよ! だから、結構な間泳ぐことはできていたよ」


 うんうん! と美優先輩は俺のことを笑顔でフォローしてくれる。ただ、必死だってことが分かるから切ない。


「あたしも、蹴伸びが終わったらその場でバタバタしていただけに見えたな。美優ちゃんや風花ちゃんが側にいなかったら、溺れていると勘違いして誰かが駆けつけたかもね」


 大宮先生のその言葉で、心にジワジワとダメージが。

 ううっ、去年は25mを何とか泳ぐことができたのに。泳ぐのは去年の夏以来だし、霧嶋先生の言葉を借りれば……ブランクだな。


「風花、美優先輩。とりあえず、クロールを25m泳げるようになるのを目標にします」

「そうね。25m泳げれば、水泳での成績が赤点になるってことはないと思うし」

「頑張ろうね! 25mを泳ぐことができたら、流れるプールやウォータースライダーで一緒に遊ぼう!」

「はい」


 俺は風花の指導、美優先輩のサポートによってクロールの練習を始める。近くで小学生くらいの男の子が、クロールで25mを楽々と泳いでいるけれど……き、気にするな。


「由弦、膝は曲げないように。お尻から動かすことを心がけて」

「ふふっ、風花ちゃん、本当に先生みたい。由弦君、両手は私がちゃんと持っているから、今は風花ちゃんに言われた脚の動かし方を意識してみよう」

「分かりました」


 美優先輩の両手を掴んでもらい、脚の動かし方を身につけるために風花に適宜、脚を持ってもらう。まるで幼稚園か小学生になった気分だ。

 それでも、水泳部員の風花の教え方が分かりやすく、段々と正しい脚の動かし方に慣れてきた。目の前に美優先輩がいることや、たまに大宮先生が「頑張ってー」とか「良くなってるよー」と励ましの声をかけてくれることも大きい。


「うん、バタ足は随分と良くなったよ! あとは、クロールでの腕の動かし方だね。最初に美優先輩が言っていたとおり、息継ぎは良かった。だから、進まなくてもずっと泳いでいられたんだと思う」


 風花は褒めてくれているんだろうけど、あまり褒められた感じはしないな。


「きゃあああっ!」


 定期的に、ウォータースライダーの方から女性の黄色い悲鳴や、男性の野太い絶叫が聞こえてくるけれど、今のは特に凄い女性の悲鳴だったな。ただ、何となく……この悲鳴の主が誰なのか想像できてしまった。美優先輩と風花も同じなのか苦笑い。


「あらあら、ふふっ」


 大宮先生も悲鳴の主に感付いているようだけど、彼女は上品に笑っていた。

 その後、風花によってクロールでの腕の正しい動かし方を教わる。肩から動かすといいそうだ。そのおかげで、最初に比べたら前への進み方が明らかに違うことが分かった。


「うん、大分良くなったよ。じゃあ、最後にクロールで25mに挑戦してみようか」

「分かった」

「じゃあ、ゴールで私が待ってるよ」


 すると、美優先輩は俺達から離れて、ゴールである25m先で俺達に手を振ってくる。


「美優先輩がゴールだとやる気が上がってくるな」

「そうね。一度も脚をつかずにゴールして、美優先輩の胸の中に飛び込めるように頑張りなさい」

「ああ。よし、やるぞ」

「頑張って。それじゃ、スタート!」


 俺は最終試験である25mのクロールに挑戦する。

 最初と同じように蹴伸びの間はよく進んでいる。ただ、勝負はその後だ。

 俺は風花から教わった腕や脚の動かし方を思い出して、クロールで泳いでいく。

 最初に泳いだ頃に比べると、体がすっと前に進んでいるのが分かる。水中メガネをかけていることもあってか、美優先輩の姿が段々と大きくなっているのが見える。


「由弦、いいよ! フォームも綺麗だしちゃんと進んでるよ! その調子!」

「由弦君、頑張って!」

「桐生君、あと少しよ!」


 息継ぎをするからか、3人のそんな声がはっきり聞こえてくる。それだけ余裕があるのだろうか。さっきは必死に泳いでいたけど、今はとても気持ち良く泳ぐことができている。

 そして、ゴールである美優先輩の腕を掴むことができた。

 美優先輩の目の前に立ち、水中メガネを外すと、そこにはとても喜んだ様子の彼女の姿が。


「由弦君、やったね!」

「ええ、25m泳ぐことができました!」

「おめでとう!」


 美優先輩は俺のことをぎゅっと抱きしめてくる。練習の疲れがどんどん取れていく。

 風花と大宮先生は拍手をしながら俺達のところにやってくる。


「よくやったわ、由弦。おめでとう」

「ありがとう、風花。風花の教えのおかげで、凄く気持ち良く25m泳ぐことができたよ」

「それなら良かった。今日教えたことを忘れなければ、水泳の授業でもきっとクロールを25mは泳ぐことができると思うよ」

「ああ」

「桐生君、おめでとう。泳げない桐生君も可愛かったけどね。風花ちゃんの指導の下で、すぐに泳げるようになったのはさすがだと思うよ」

「本当にみんなのおかげです。ありがとうございました」


 風花が分かりやすく教えてくれたことはもちろんのこと、美優先輩のサポートや、大宮先生の応援がなければ、ここまで早く習得することはできなかったと思う。水泳の授業でも泳げるように頑張ろう。


「由弦君、本当によく頑張ったね。私、感動したよ。ご褒美に私の胸の中でたっぷり休憩してね!」


 そう言うと、美優先輩はとても嬉しそうな笑みを浮かべながら俺のことを抱き寄せ、俺の頭を自分の胸に埋めさせてくる。

 今までは服を着た状態で顔を埋めていたので、これまで以上に美優先輩の胸の柔らかさや甘い匂いを感じる。25mを泳ぐことができて良かったとより強く思うのであった。

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