第35話『旅の始まり』

 5月3日、金曜日。

 いよいよ、今日から2泊3日の茨城旅行が始まる。

 伯分寺は朝から快晴。旅先の茨城県御立市も3日間とも晴れの予報。雲が広がる可能性はあるけど、雨が降る心配はないという。まさに旅行日和じゃないだろうか。


「これから旅行が始まると思うとテンション上がりますね! ホテルにはプールがありますし!」

「そうね、風花ちゃん! あたしもとても楽しみだわ! まさか、この10連休に風花ちゃんや美優達と一緒に旅行に行けるとは思わなかったし」


 風花と花柳先輩はリビングのソファーに座りながら、これから始まる旅行について楽しそうに喋っている。

 今回の旅行の移動手段は霧嶋先生と大宮先生が運転するレンタカー。そのため、霧嶋先生があけぼの荘の前まで迎えに来てくれることになっている。

 俺達を乗せ、夕立市という隣の市に住む大宮先生のマンションの前に行き、先生と合流。近くにあるインターチェンジから高速道路に入り、ホテルのある茨城県方面に向かう予定になっている。

 今の時刻は午前9時50分。

 昨日、グループトークで話し合い、午前10時くらいに霧嶋先生は車であけぼの荘にやってくることになっている。もうそろそろかな。


「由弦君、凄く楽しみだね!」

「そうですね。食べ物もそうですけど、温泉もプールも観光地も楽しみです。もちろん、美優先輩の水着姿も。あと、泊まる部屋が美優先輩と一緒のダブルルームですからね」

「うん。私も楽しみなことがたくさんあるけど、一番は由弦君と一緒にお部屋で過ごすことかな」


 美優先輩は頬をほんのりと赤くしながら笑みを浮かべる。俺と目が合うと先輩ははにかんだ。

 美優先輩と一緒の部屋で、しかも2人きりだと色々なことを考えてしまう。ただ、先輩と初めての旅行だし、素敵な時間にしたい。

 ――ピンポーン。

 おっ、インターホンが鳴った。時刻も10時近いし、霧嶋先生が迎えに来たのかな。

 美優先輩がモニターで来訪者を確認する。


「はーい」

『おはよう、白鳥さん。迎えに来たわよ。姫宮さんと花柳さんは来てる?』

「はい、来てますよ。すぐに向かいますね」


 霧嶋先生、無事に到着したか。

 一旦、外に出てあけぼの荘の前に停車している車を確認する。6人で行くからか、霧嶋先生はミニバンを借りたのか。白くて可愛らしい雰囲気だ。

 俺はさっそく高校生4人の旅行バッグを車の荷室に運ぶことに。女性ということもあってか、3人の荷物は俺の荷物よりも重かった。


「これで4人全員の荷物を運び終えました」

「ありがとう、由弦」

「助かったわ、桐生君」

「ありがとう、由弦君」

「いえいえ。ところで美優先輩。電気やガス、水道などは大丈夫ですか? 風花の方も」

「由弦君が荷物を運んでいる間に確認したから大丈夫だよ」

「あたしの方も何度も確認したから大丈夫。忘れ物もないよ」

「それなら良かったです」


 これで、あけぼの荘を出発しても大丈夫だな。


「おっ、いよいよ出発か」

「みんな、楽しんできてね。霧嶋先生と大宮先生が一緒だから大丈夫だと思うけど、気を付けて」


 気付けば、白金先輩と深山先輩が俺達のことを見送りに来てくれていた。

 佐竹先輩と松本先輩はそれぞれバイトと部活があるので、昨日の間に『楽しんできて』という旨のメッセージをあけぼの荘のグループトークに送っていたな。


「俺、温泉饅頭が好きだから、買ってきてくれると嬉しいな」

「いいわね、白金君。私も温泉饅頭は好きだわ。特にこしあん。お土産以上に、旅行中のお土産話や写真とかの方が楽しみだな」

「ふふっ、お土産もお土産話も持って、明後日あけぼの荘に帰ってきますね。あけぼの荘の方で何かあったら、伯父と私に連絡をお願いします。では、行ってきます!」

「いってらっしゃい!」

「みんな、楽しんでこいよ!」


 松本先輩と白金先輩は俺達に手を振ってくる。

 俺達は車に乗る。霧嶋先生は運転席。風花と花柳先輩が後部座席の1列目。そして、2列目に美優先輩と俺が隣り合って座ることに。


「みんな、忘れものはないかしら?」

『大丈夫です!』


 いよいよ旅行が始まるからか、女子高生3人は元気よく返事しているな。


「桐生君は?」

「大丈夫です。それよりも、先生って運転できるんですね」

「大学生のときに免許を取って、学生の間は実家の車をたまに運転していたわ。ただ、就職をして今の家に住むようになってからは、今回が初めてだけれど」

「……なるほど」


 つまり、最長で3年ほどのブランクがあるわけか。嫌な予感がするけれど、車には特に傷はなかったし大丈夫だと信じよう。あとは、あおり運転のする車と遭遇しないことを祈ろう。


「じゃあ、まずは成実さんの住むマンションに向けて出発しましょう」


 霧嶋先生の運転により、いよいよあけぼの荘を出発する。見送ってくれた松本先輩と白金先輩の姿が見えなくなるまで手を振り続けた。

 霧嶋先生の話によると、大宮先生の住むマンションまでは20分くらいで到着するらしい。


「ついに、旅行がスタートしたね、由弦君」

「しましたね。高校生になって初めての旅行に、1年生のゴールデンウィークで行くとは思わなかったです。帰省を除いたら、高校生の間に行く旅行は修学旅行や料理部の合宿くらいだと思っていたので」

「ふふっ、そうなんだ。私も帰省や料理部の合宿を除いたら、高校生になってからの旅行は今回が初めてかな。修学旅行は今年の秋だし。瑠衣ちゃんとか、友達の家に泊まったことは何度もあるけど」

「そうなんですか。お互いにとって、高校生初の旅行なんですね」

「そうだね。その旅行が由弦君と一緒で嬉しいな」


 そう言うと、美優先輩はゆっくりと俺と手を重ねてくる。嬉しさからなのか、重ねた手から伝わる温もりは普段より強い。


「さっそくイチャついていますね、瑠衣先輩」

「ええ。この調子だと、2人はホテルの部屋ではイチャイチャしまくりそうね」


 前の列に座る風花と花柳先輩は、こちらをチラチラと見ながらそんなことを話している。ホテルの部屋では美優先輩と2人きりの時間を堪能したいと思っているけれど、花柳先輩にイチャイチャしまくりそうとか言われると恥ずかしいな。

 美優先輩の方を見てみると……彼女は顔を赤くして緩んだ笑みを浮かべている。彼女も色々と考えているのかも。

 そういえば、車に乗ったのはひさしぶりだな。東京に引っ越してきてからだと初めてか。まさか、恋人やクラスメイトや先輩、学校の先生と一緒に行く旅行という形で乗るとは思わなかった。しかも、同乗者は全員女性。そう考えると、ほのかに甘い匂いが。

 引っ越してきてから、伯分寺市以外の場所にはあまり行っていないので、車窓から見える景色は既に初めてのものだった。だからか、個人的にはさっそく旅行気分になり始めている。


「ふふっ、由弦君は景色を見るのが好きなのかな?」

「初めての景色なので、つい。引っ越してくるときも、トラックの中でおじさんと話ながら車窓から景色を見ることが多かったですね」

「そうなんだ。色々な景色を堪能するっていうのも、旅行の楽しみの一つだよね」

「ですね。地元が海沿いだったので、ホテルの部屋から見える景色を楽しみにしてます」

「そっか」


 オーシャンビューとのことなので、広い景色を見ることができそうだ。御立市も晴れの予報なので、青く綺麗な海が広がっていることに期待したい。


「そろそろ、成実さんの住んでいるマンションに到着するわ」

「私が成実先生にメッセージを送っておきますね」


 そう言って、美優先輩はスマートフォンを手に取る。

 そろそろ着くってことは、ここはもう夕立市なのか。そういえば、この前、デートで花宮市に映画を観に行く途中、停車した駅の1つが夕立駅だったな。駅から見えた景色がとても綺麗だったことを覚えている。

 それから数分後にマンションの前に停車する。霧嶋先生が住んでいるマンションよりは小さいけれど、灰色を基調とした落ち着いた外観だ。

 霧嶋先生が車から降りて、マンションの方へ歩いて行くと、エントランスからロングスカートにブラウスを着た大宮先生の姿が。先生は赤い大きなバッグを霧嶋先生に渡すと、一緒にこちらに戻ってきた。

 霧嶋先生が荷室を開けてバッグを置く間に、大宮先生は運転席へと座る。大宮先生も運転ができるのか。霧嶋先生も悪くなかったけど、大宮先生の方が安心感があるな。


「みんな、おはよう」

『おはようございます!』

「ふふっ、みんな元気そうで良かった」


 大宮先生がそう言っている間に、霧嶋先生が助手席に座る。何だかミニ修学旅行って感じがしてきたな。ただ、2年生と1年生の生徒がいるので、部活の合宿の方が近いか。


「これで全員が揃ったね。じゃあ、今回の旅行のきっかけを作ってくれた一佳ちゃんに、旅のスタートの言葉を言ってもらいましょう!」

「わ、私がですか?」

「みんな拍手ー」


 大宮先生がそう言うので、生徒4人で拍手をする。

 すると、霧嶋先生はこちらの方を向き、緊張した面持ちの中「こほん」と可愛く咳払いをする。


「みなさん。今日から3日間、楽しい旅にしましょう!」


 霧嶋先生は目を輝かせながらそう言った。もしかしたら、先生が一番楽しみにしていたのかもしれない。そんな先生に俺達は拍手を贈り、大宮先生は「よくできましたね~」と頭をたくさん撫でていた。


「それじゃ、今回の旅の目的地の茨城県御立市へ出発しましょう!」


 大宮先生の運転により、俺達の乗せた車はゆっくりと発進していく。

 全員が揃い、いよいよ2泊3日の旅行がスタートするのであった。

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