第34話『料理部-前編-』

 4月10日、水曜日。

 授業が始まって3日目になると、初回の教科はあまりない。それでも序盤なので、授業内容や課題がキツい教科はまだない。

 そういえば、1週間前はあけぼの荘でお花見があったんだよな。陽出学院高校に入学したから、1週間よりも前のことのように思える。


「由弦。今日は料理部へ見学をしに行くんだっけ?」

「そうだよ。美優先輩と花柳先輩とここで待ち合わせしてる」

「桐生は料理部に興味があるのか。そういえば、自己紹介のときに料理するのが好きだって言ってたな」

「料理ができる男子も魅力的だと思うよ、桐生君。潤も桐生君のことを見習って料理の勉強をしてみるのはどう?」

「料理はあんまりできないから、高校生になったのを機に勉強するのもいいかもな。でも、俺は奏の作った料理が大好きなんだ」

「……もう、潤ったら」


 橋本さんはデレデレとした様子で加藤のことを抱きしめる。今日も2人はとても仲が良かったな。微笑ましいカップルである。


「どんな料理を作ったのか、今日の夜か明日の朝にでも教えて。持ち帰れそうだったら、あたしの分を持って帰ってきて」

「も、持ち帰ることはできないんじゃないかな。何を作ったのか教えるから、それが風花の食べたいものだったら今度作るよ」

「ありがとう! じゃあ、あたしは水泳部の方に行ってくるね」

「俺達もサッカー部の方に行くか」

「そうね。桐生君、また明日ね」

「ああ、また明日。みんなそれぞれ部活頑張ってね」


 風花、加藤、橋本さんは3人で教室を後にした。彼らのように、どこか部活に入ると決めた生徒は既にクラスの半分くらいいる。あとは俺のように考え中の生徒もいれば、バイトをすると決めた生徒、とりあえずは帰宅部にすると決めた生徒もいて。それぞれが、放課後をのびのびと過ごせればいいんじゃないだろうか。


「由弦君、一緒に家庭科室に行こうか」

「行きましょ、桐生君」


 気付けば、教室の扉に美優先輩と花柳先輩がいた。美優先輩は俺に向かって小さく手を振っている。

 俺は美優先輩や花柳先輩と一緒に、料理部の活動場所である家庭科室に向かう。

 美優先輩達が部活をしているのを見るのは楽しみだけど、緊張もするな。もしかしたら、俺も作るかもしれないと美優先輩に言われているから。そのために黒いマイエプロンを持ってきた。


「2年生になってから初めての部活だから楽しみね、美優」

「そうだね、瑠衣ちゃん。今日は由弦君もいるし」

「……確かに、色々な意味で楽しみかも」

「色々な意味ってどういう意味ですか。そういえば、美優先輩は料理が得意なのは分かっていますが、花柳先輩はどうなんですか?」

「あたしは……美優のおかげで少しずつできるようになってきたわ。あたしは作るのよりも食べる方が好きかな。特に美優の料理は」

「私の家に泊まりに来るときは本当によく食べてくれるよね」


 自宅のリビングで、美優先輩と一緒に幸せそうに食事をしている花柳先輩の姿が目に浮かぶ。料理部に入部したのは、美優先輩の作った料理やスイーツを食べられるのが理由の一つじゃないだろうか。

 第1教室棟を出て特別棟へ。今日もチラシを持つ生徒がいたけど、先輩方が一緒だからか勧誘されることはなかった。

 3階の家庭科室の中に入ると、見事に女子生徒だけだ。その中の何人かはこちらをチラチラと見てくる。男子生徒が来たことが意外だからなのかな。


「美優ちゃんに瑠衣ちゃん、授業お疲れ様。あと、君達と一緒にいるかっこいい男子生徒は……もしかして、例の美優ちゃんと同居している桐生由弦君かな?」


 水色の髪をした背の高い女子生徒が落ち着いた口調でそう話すと、爽やかな笑顔を浮かべて俺達のところに向かってくる。スタイルがいいのもあってか歩く姿が美しい。胸ポケットに刺繍されている『H』の文字が黄色だから、彼女は3年生か。あと、彼女は昨日の部活紹介映像に出ていた部長さんだな。

 部長さんは俺の目の前に立つと、食い入るように俺のことを見てくる。


「……噂通りのイケメン君だね。真面目そうだし、美優ちゃんが一緒に暮らすのも分かる気がするよ」

「そ、そうですか。初めまして、1年3組の桐生由弦といいます。今日は料理部の見学をしにきました。美優先輩の誘いもありますが、自分も料理やスイーツ作りは好きなので」

「そうなんだ。いい子だね。僕は3年の汐見美鈴しおみみすず。料理部の部長をやっているよ。とりあえずよろしくね、由弦君」

「よろしくお願いします」


 汐見部長は俺とすっと握手をしてくる。初対面なのに名前呼びをしても自然な感じがするのは、彼女が自分のことを『僕』と言っているからだろうか。

 こうして目の前で見ると、汐見部長って端整な顔立ちだ。ただ、桃色のヘアピンを前髪に付けているからか可愛らしさも感じられて。男子から人気があるだろうけど、凛としている雰囲気もあるから女子からも人気がありそう。


「どうしたんだい、僕の顔をじっと見て。顔に何かついてる? それとも……僕に興味を持ってくれているのかな?」


 そう言うと、汐見部長は頬をほんのりと赤らめながら俺のことを見つめてくる。


「そ、そうなの? 由弦君」


 あううっ、と美優先輩は汐見部長よりも顔を赤くしている。


「先輩は素敵な女性だと思いますけど、こうして握手をしているんですから、自然と顔を見ちゃいますって」

「あははっ、そっか。料理やスイーツ作りが好きだって知ったから、僕は君に興味を持っているんだけどね」


 それにしては、俺の手を握り方が結構強い気がするけれど。あと、美優先輩は胸を撫で下ろしており、さっきよりも顔の赤みが引いていた。


「ところで、料理部を見学したり、入部を決めたりしている1年生って俺だけですか?」

「そっちに3人、女子生徒がいるよ。美優ちゃんも出演した紹介映像効果で、もっと男子が来るかと思ったんだけど。もしかしたら、今年は君だけになるかもしれないね」

「俺はまだ入部を決めたわけじゃないですが……そうですか」


 料理やスイーツ作りというのが男子にとってハードルが高いのかな。それとも、女性ばかりというコミュニティがそうさせているのか。料理やスイーツ作りに興味があるなら、性別は特に関係ないと思うんだけどな。女性のイメージは強いけれど。


「お待たせ……って、どうしたの? 美鈴ちゃん。桐生君の手を掴んで」

「素敵な生徒を料理部に引き入れたいので思わず。料理やスイーツ作りが好きだと知って個人的に興味も湧いて」

「ふふっ、そうなの」


 汐見部長はようやく俺の手を離した。


「そういえば、成実ちゃんは彼のことを知っているんですね。美優ちゃんや瑠衣ちゃんから聞いたんですか?」

「初めて知ったのは、先週の金曜日に2人が住んでいる話を聞いてね。それで、桐生君のクラスの担任である一佳ちゃんと一緒に土曜日に家庭訪問したの」

「そういうことですか。そっか、一佳ちゃんは由弦君の担任なんだ……」


 汐見部長、先生方のことを下の名前でしかもちゃん付けで呼ぶなんて。顧問の大宮先生は優しくて部活で関わっているからまだしも、霧嶋先生が許すとは。彼女も大宮先生繋がりで、時々ここに顔を出しているそうだけど。


「水曜日は文芸部の活動はないし、教えている教科の方での仕事もそこまで溜まっていないから、早く片付けば一佳ちゃんもここに来るって」

「そうですか。……ちなみに、去年は霧嶋先生ってどのくらいここに来てましたか?」

「文芸部と曜日は違うし、時期にもよるけれど……月に1度は必ず来ていたかな」

「そうなんですか」


 それだけ来ていたら、副顧問とも言えるんじゃないだろうか。ここに来たら新しい一面を見ることができそうで楽しみだな。


「新2年生と新3年生になった部員も揃っているし、そろそろ今日の活動を始めようか。ええと、今日来てくれた1年生の子は桐生君と……?」

「あそこにいる3人の女子生徒です」

「分かったわ。その子達も含めてみんなこっちに来て」


 大宮先生の呼びかけで、家庭科室にいる生徒が全員こちらに集まってくる。俺以外に男子がいないと、孤独感というか疎外感のようなものを感じてしまうな。


「みなさんは、今日は新年度になって最初の活動です。去年から部員として活動している子達は今年もよろしくね。そして、見学に来てくれた1年生の子達は、料理部の雰囲気を感じてください。それで料理部に入ってくれたら嬉しいです。自己紹介が遅れたね。あたしは料理部顧問の大宮成実です。家庭科を担当しているので、1年生のみんなは授業でも会うことになるかな。これからよろしくね」


 大宮先生のそんな柔らかい笑みを見ると、料理部に入ってもいいのかなと思えてしまう。


「僕が部長の汐見美鈴。3年生だ。よろしくね」

「副部長の2年・白鳥美優です。よろしくお願いします」

「部長さんと副部長さんの自己紹介が終わったところで、さっそく今週の活動を始めましょう! 3年生と2年生は分かっていると思うけど、今日作るのはオムライスです!」


 オムライスか。雫姉さんも心愛も大好きだから、実家にいる頃はよく作ったなぁ。


「見学期間ってこともあるし、1年生は料理を作っている様子だけでかまわないよ。桐生君は料理好きだって聞いているけれど、オムライスってどう?」

「実家でよく家族に作っていました」

「じゃあ、桐生君も作ってみようか。そちらの3人は?」

「料理はちょっとしか作れなくて。オムライスは何度か挑戦したことがありますけど、上手くできた例しがなくて」

「私もオムライスを作ろうとすると、卵が破けちゃいます」

「あたしは料理は食べる方がメインです! 作る方は全然です!」

「ふふっ、じゃあ今日はとりあえず、3人は活動の様子を見て、みんなの作ったオムライスを食べるって形にしようか。もちろん、やりたくなったらいつでも言ってね」

『はい!』


 料理のスキルは人それぞれか。ただ、個人的には料理というのは作るだけじゃなくて、食べることも含まれていると考えている。だから、食べることがメインであると元気に言えることは凄くいいなって思う。

 俺は大宮先生に指定されたテーブルで、料理部によるレシピを参考にオムライスを作り始める。そのときはもちろんマイエプロンを着て。


「いい包丁さばきね。料理慣れしているって感じがする」

「ありがとうございます」

「家では料理はしているの?」

「実家ではたまに作っていました。こっちに来てからは、最近になって、少しずつ食事を作るようになりました。美優先輩のお口に合うみたいで美味しいと言ってくれて。それがとても嬉しいです」

「へえ、そうなの」

「……ふふっ、私だって由弦君が私の作った食事を美味しいって言ってくれて嬉しいよ」


 そう言う美優先輩の包丁さばきはさすがだ。見ていて気持ちいいというか。楽しそうに料理をする美優先輩のことを花柳先輩がうっとりとした様子で見ている。


「美優ちゃんが男の子とこんなにも楽しく話すなんてね。先月までは信じられなかったよ。微笑ましい光景だ」


 汐見部長は落ち着いた笑みを浮かべながら、慣れた手つきで料理している。さすがに部長になるだけあって、部長もかなりの腕の持ち主のようだ。

 家のキッチンで作るのもいいけど、たまに他に作っている人のことを見ながら作るのもいいな。料理はとても楽しいと思いながら手を動かすのであった。

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