第4話『初めての夜-前編-』
すき焼きを食べ終わり、風花は自分の家へ帰っていった。といっても、お隣なので帰るというのも不思議な感じがする。
後片付けも美優先輩がやってくれていて、今は温かい緑茶を飲みながら、ぼうっとした時間を過ごしている。脚を伸ばしながら窓の外の暗闇を見ていると、自分はここで暮らし始めるのだと実感してくる。
――プルルッ。
おっ、スマホが鳴っている。
確認してみると、俺の妹・
『お兄ちゃん。引っ越しの作業は一段落したかな?』
というメッセージだった。てっきり、俺がいなくて寂しいっていう内容だと思ったんだけどな。何だか寂しいな、俺が。
引っ越しの作業やあけぼの荘に住んでいる方達への挨拶などをしていたので、家を出発してから家族には今まで連絡を一切していなかった。美優先輩の家で、先輩と一緒に暮らすようになったことを含めて伝えておかないと。
『引っ越し作業は一段落したよ。ただ、色々と事情があって、引っ越す予定の部屋とは違う部屋に住むことになって。兄ちゃんの通う高校の女性の先輩と一緒に暮らしていくんだ。その先輩はあけぼの荘の管理人もしているんだよ』
そんな返信を心愛に送った。とりあえず、これで大丈夫だろう。心愛のことだし、気になることがあったら電話がかかって――。
――プルルッ!
心愛からさっそく電話がかかってきたよ。
「もしもし、心愛。メッセージ見た?」
『見たよ! 予定と違う部屋ってどういうこと? それに、高校の先輩の女の子と一緒に暮らすとか、管理人さんとか……もう訳が分からなくなってきた!』
『落ち着きなさい、ここちゃん』
『お姉ちゃんとして、ゆーくんが高校生の女の子と一緒に住むのは何とも言えない気持ちになるけど、ちゃんとした理由があるのよね?』
「ああ。実は管理人さんのうっかりが原因で、入居する部屋が二重契約になっていて。その相手が陽出学院に入学する女の子だから譲ったんだ。それで、家賃が同じくらいで、近くにアパートやマンションがないかどうか調べてもらったんだよ。でも、空きがもうないみたいで。そうしたら、うっかりした管理人さんの姪の方が、責任を取る形で一緒に住まないかって言ってくれたんだよ。それで、そのご厚意に甘えさせてもらうことにしたんだ」
『そういうことね。人間、うっかりやミスはあるものだからね。そういうことなら、とりあえずはいいでしょう。ゆーくんはここちゃんや私と一緒に暮らしてきたし、私達の友達と一緒にいるときも落ち着いていて、厭らしいこともしなかったもんね』
落ち着いていたと言っているけど、それは俺が着せ替えや朗読が嫌だと言っても、それを聞いてくれないと分かっていたからだよ、姉さん。厭らしいことをしようなんて考えたこともなかった。仮に変なことをしたら、着せ替えなんて可愛いと思えるほどのことをされそうで恐い。
『分かった。お姉ちゃんやここちゃんからそのことは伝えておくね。もし、大丈夫そうなら一緒に住んでいる人とも話したいな。できればテレビ通話で』
『変な人じゃないよね、お兄ちゃん』
「美優先輩は変な人じゃないよ。可愛らしい素敵な女性だよ」
「えっ!」
美優先輩の声が聞こえたので周りを見ると、両手に湯飲みを持った美優先輩が食卓の側に立っていたのだ。顔を真っ赤にしながら俺のことをじっと見つめている。
「えっと、その……素敵っていうのは……」
「妹から電話があって、一緒に住むことになった人は変じゃないよねって言われたので、素敵な女性だよって言ったんです」
「……そうなんだ。う、嬉しいです」
「2人がテレビ電話で話したいそうなので、並んで座りましょうか」
「う、うんっ!」
日本茶の入った湯飲みを置き、美優先輩は俺の隣に座る。
こっちから通話のモードを『テレビ電話』にする。すると、スマートフォンの画面には姉さんと心愛の姿が。
「綺麗な女性と可愛い女の子がいるね。彼女達が例の由弦君のお姉さんと妹さん?」
「はい。姉の雫と妹の心愛です。姉さん、心愛。こっちの姿見える?」
『見えてるわ。由弦が綺麗で可愛い女の子と寄り添っているのがバッチリと』
『お兄ちゃんの言う通り、素敵な女性だね! 初めまして、桐生由弦の妹の心愛です! 今度、中学生になります!』
『初めまして、由弦の姉の雫です。4月から大学2年生になります』
「初めまして、白鳥美優といいます。由弦君の入学する陽出学院高校の2年生になります。こちらの不手際で二重契約になっていたことが発覚し、その責任を取る形で管理人である私の部屋で一緒に暮らすことになりました」
『お兄ちゃんのことをよろしくお願いします。何だか、あたしまでドキドキしちゃうな。そう思わない? お姉ちゃん』
『そうね……』
姉さん、真剣な様子で俺達のことを見ているけど、何を考えているんだろう。姉として、弟が初対面の女性と一緒に住むことは許さないのだろうか。姉さんならあり得そう。
『これまで、可愛いゆーくんがお姉ちゃん達の手から離れるなんて考えられなかったけれど、あなたならゆーくんを任せることができそう。うん、ゆーくんと結婚していいよ、美優ちゃん』
「け、け、結婚ですかっ! あううっ……」
さっきとは比べものにならないくらいに顔が赤くなってるぞ、美優先輩。両手を頬に当てている。
「姉さんの言葉を真に受けなくていいですよ、美優先輩。気に入ってくれたんだと思ってくれればいいですから」
「う、うん。分かった。結婚のことはひとまず置いておいて……雫さん、心愛ちゃん。由弦君のことは、あけぼの荘管理人として、陽出学院の先輩として大切にお預かりします。高校生活を送れるように精一杯にサポートしていきますから!」
『ありがとうございます。お兄ちゃんのことをよろしくお願いします!』
『よろしくお願いします。うちの両親には私達からこのことを伝えておきます。ゆーくん、ご迷惑は掛けちゃうかもしれないけど、美優ちゃんが嫌だと感じることだけはしないように気を付けなさい。あと、色々と事情があって一緒に住み始めたけど、彼女に甘えすぎないように』
「ああ、分かってるよ。姉さんや心愛の姿を見て安心したよ。じゃあ、またね」
こちらの方から通話を切った。
姉さんと心愛が伝えてくれるそうだし、両親には電話を掛ける必要はないかな。何かあったら、さっきの心愛みたいに電話を掛けてくるだろう。
「素敵なお姉さんと妹さんだね」
「……自慢の姉妹です」
「ふふっ、由弦君に自慢って言ってもらえるなんて幸せだね。あと……」
美優先輩は俺のことをじっと見つめてきて、
「私にたくさん甘えてくれていいからね? 私はあけぼの荘の管理人で、学校の先輩で、ここに一緒に住んでいる年上の人だから……」
優しい声色でそう言ってくれた。その瞬間、先輩からより強く甘い匂いを感じたような気がした。彼女と腕が触れているけど、服越しでも確かな温もりを感じて。
「も、もちろんできることにも限度があるよ! できないときはできないって言うから」
「……分かりました。お気持ち受け取っておきますね。ありがとうございます」
「うん。由弦君は大人だなぁ」
美優先輩は柔らかい笑顔で俺の頭を優しく撫でてくれる。それもあって、年上らしい大人の雰囲気を感じられたのであった。
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