Blueberry Strawberry

ナビえ

1話目 Introduction

「斎藤起きてっかー?」


 この間延びした口調が基礎力学3担当の大澤先生の特徴だ.

 教室を巡回して突っ伏したまま寝ていた学生の所に来た時,チョークで突ついてそう問いかける.寝ていた学生なので分かるはずも無い.しかし問題を答えさせるという大義名分を得ていることもあり,嫌がらせの意味も込めて狙って聞いたのだ.


 それが合図だったかのようにガバッ!と斎藤が跳ね起きる.

「黒ごま面白担々麺っ!?」

「くだらんこと言ってないであの問題答えろー」

「痛てっ!」

 大澤先生が左手をポケットに突っ込こんだまま,ついでに大欠伸もしながら右手で脳天にチョップを食らわす.


 実は昨日、同僚と赤羽で夜通し飲んでいたせいで大澤先生も現在進行形で睡魔と戦闘中である.そのせいでさっきまで偉そうに講釈を垂れていたが、説明が支離滅裂で全く理解できないものだった.

 加えて問いは「2本の糸で横向に吊り下げられた(中心からRだけ離れた位置に重りが2つ載せてある)割り箸を天井から見てθだけ傾けて手を離した時の割り箸の周期T」を答えさせる超難問である.ちゃんと起きていた学生ですら唸ったり、友達と相談したりしていた.


「…T=2π√l/g?」

「ったく。大学入試じゃないんだぞ.次寝てたら背負い投げするからな」

 その頃,宮崎は隣で祈っていた.


  頼む!もっと怒られるんだ斎藤!!もっとオラに考える時間を!…いや,まてその前に教科書開くか.

 

 大澤先生はテキトーな教師だが,授業に参加することで点数が加点されるという理系の専門科目ではかなり優しい方式を採っている.もちろん参加したかどうかが基準なので問題が解けずとも発言すれば幾ばくかの点は加算される.しかし正解を重ねたほうが良い印象を与えられる.

 そうする事で60点(単位が取れるかどうかの最低ライン)を満たなくても「あいつはよく勉強してたからまあいいっか」的な扱いを受けられたり受けられなかったりするのだ.


 えーっと、この割り箸は円運動するはずだから…教科書によると回転運動の運動方程式は断面二次モーメントをI、θの二階微分をΘ、加わるモーメントをNとしてI・Θ=Nで与えられるらしい。そういえばそうだったなぁー。んでこっから時間tで積分して…ここをこうしてほいほいっと!

 やっぱムリだ!


 あまりの難しさに宮崎の脳がオーバヒートする.こいつのラジエータは高校時代にすでに故障している.

 この6月末のうだるような暑さのせいもあり汗がノートに一滴落ちる.それがじんわりと広がり文字を歪ませた.

 今はまだ6月末だと言うのにもかかわらず日差しが東京を焼いていた.


 まだ8月までは1ヶ月以上あるにもかかわらず,連日37度辺りをドヤ顔でたたき出していた.というように今年の季節はなかなかお茶目であった.


「そんなに暑ければクーラーをつければいい」と,思う人がいるかもしれないがきっとその意見は正しい.

 しかし実際は「つけない」のではなく,つけ「られない」のだ。don’t ではなくcan’t の方だ.この教室にクーラーは設置されていない。そもそもこの棟自体建設されたばかりだった.


 この大学は築地にある為敷地面積は250m四方程で、地方の大学と比べると小さい方なのだ.校舎は上から見るとコ字を上下逆さにした形で,正面から見ると架橋のような構えをしている。20階建なので高さはあり,実際に見ると結構大きく感じてしまう.


 余った敷地には樹齢77年の枝垂れ桜やイチョウの木,イロハモミジ,それから桃や林檎,蜜柑や栗の木なんてのものまで植えられている.

 満開になった桜の姿勢に関しては,中々神々しいものがある.特に樹齢77年ともなるとそれなりの名前や逸話も出てくる.この枝垂桜には『斎姫桜』という,どっかで聞いた事がありそうな名前が付けられている。他にはこの木の下で告白すると必ず成功するだとか、留年しないだとか,持病が治る,競馬に勝てる,商売がうまくいく,逃げた嫁が帰ってくるなど色々言い伝えられている.


 満開になる4月上旬には全国から老若男女が集まって来る.最寄りの地下鉄からは人が溢れ,バスの天井に乗ってまで拝みにくる人も沢山いた.


 学校側は『春の酒祭り』という祭りを学生と近隣住民を巻き込んで学校が始まる直前に4日連続で行う.まあただの花見である.


 名前からして大変外聞が悪いのだが近隣住民からは苦情は殆ど寄せられていない.因みに今年で50回目だった.それだけ回数をこなしていればもう慣れたものである.それにお酒やつまみ,屋台などは全て学費と地元の自治会の会費から捻出されている.単純にお酒が飲めて楽しく騒げる口実が欲しいだけなのである.


 1日の祭りの始まりには両腕を広げたくらい巨大な真っ赤な盃から酒を口上を述べてから飲む人が計4人登場する。この役割には20歳以上が選ばれて.大変名誉だという認識になっている.

 それぞれ先鋒、次鋒、副将、大将という役名が付けられていたりもする.

 この大役に女の子が選ばれれば工業大学らしく飛びっきり甘い対応になる。例えばジュースとか水だったり飲み物を選ぶ権利が与えられたり、少しの量で良かったりする.

 逆に男であれば飲み物に選択権はない.盃に波波注がれてそれを飲み干す他に選択肢は無い.しかし病院に搬送された者は今まで1人もいなかった。大学側の言い分によれば厳重の注意を払っているからしいが,具体的にどういう対策をしているのか明言していない.


 4人のうち3人はどういう人間が務めるかは50年の伝統として決定している事は有名な話である.しかし残りの1人は学生の中から完全にランダムで選ばれる.今年のランダム枠は運が良いのか悪いのかは置いておいて,宮崎が選ばれた.

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