第122話

 カインは笑顔のまま広場の中央へとゆっくりと進んでいった。カインの姿を見た村人達は一斉に歓声を上げる。

 初めて参加する村の外の人々の数に比べれば少ないため、カインを知らぬ者達は会場の一種異様な空気に気付かずにいた。


 放たれた羊に無造作に近付くとカインは器用に羊を地面へと転がす。僅かな抵抗もなく横になった羊を脚で動かないように固定する。

 そのまま素早い手つきでハサミを毛の中へと進めていった。軽快に鳴るハサミが開閉する音だけが会場に響いた。


 左手と脚を使いながら羊をまるで人形のように操りながら、カインは瞬く間に羊毛狩りを終わらせた。

 その間、観客達はまるで声を漏らしてはならないと決められたように、静かにカインの手捌きに魅入っていた。


「な、なんと! もう終わりました!! 時間は……ちょうど一分です!!」


 司会の言葉に我に返った観客達は、今度はその場に居る全員で大きな歓声を上げた。

 毛を刈り取られた羊は何事も無かったかのように元気に立ち上がると、元来た場所へ駆けて行った。


 その体は素人が見てもほとんど無駄な毛が残っておらず、それだけ深くハサミを入れたのにも関わらずうっすらとした赤いシミひとつ無かった。


「すごーい。カインさん。他の人に比べて速すぎじゃ……あ! そうか。補助魔法で自分を強化したり付与魔法でハサミの切れ味上げたりしてるのね?」

「違うよ。ソフィ。お父さんはそんな事しないよ。それにあのハサミはみんなが使ってるのと一緒で、最初からお父さんの魔法がかけられているの」


「え? じゃあ、なんでカインさんだけあんなに速いの?」

「うーん。昔お父さんに聞いたんだけどね。お父さん村に来て、ちゃんと村の手伝いが出来るようになってからは、率先して大変で誰もやりたがらない仕事をやるようにしたんだって」


 サラとソフィ、そしてシャルルの目の前では、次の参加者の挑戦が既に始まっている。

 しかし、既に興味が尽きたのか、今観たカインの話に夢中だ。


「それでね。羊毛刈りって見た通り結構大変な仕事で。しかも時期が来ると一斉にやらなきゃならないでしょ? それをお父さんは一生懸命頑張ったんだって」

「長年の経験ってことか。なるほどねー。それにしても速いのに綺麗だし凄いね」


「ああ。それは、若干ズルがあるというか……お父さんの目、アレだからさ。羊毛と皮膚の境目が見えるんだって」

「あ、なるほどね。それは確かに他の人より優位かも」


 そんな話をしながら歩いている三人の後ろでは、負けず嫌いなルークがハサミを片手に最大級の羊と悪戦苦闘を繰り広げていた。


「マスター。がんばー! あ、ダメだよ! 羊を殴って言う事聞かせるなんて!! 動物虐待だよ!」

「うるせー! カインに負けるのだけは許せん! てめぇ、この野郎。大人しくその毛をよこせ!」



「いやぁ。今回の祭りはアントール商会様のおかげで盛況でした。村人も普段見ないほどの来客の多さに目を回しながらも喜んでいましたよ。ありがとうございます」


 祭りが終わり、村長の家で主要な村人達と今回の祭りの主催者であるシャルルが集まり、祭りの盛況さを肴に宴を開催していた。


「いえいえ。こちらこそ、わたくし共のお願いを快く引き受けてくださって、感謝しております。おかげで持ち寄った品はほとんど売り切れて、こちらとしても予想以上の売上に驚いています」

「それは良かったですな。この村もたまには賑やかなのもいいもんです。これが毎日では困ってしまいますが……」


 村長のウィルとシャルルが話している横で、カインはそのやり取りを嬉しそうな顔で眺めていた。

 元はと言えば、娘のサラが作った縁がこの村の未来を大きく変えた。


 それは必ずしもいい変化だけでは無いだろうが、少なくとも村人達が以前にも増して活気づいたのは間違いがない。

 以前のこの村を出た時は、冒険への執着心が先行してこの村の良さを棚上げしてしまったが、改めて戻るとこれほど居心地のいい村はそうそう無い、とカインは心から思った。


 夢だったS級冒険者になることも、予定とは大きく異なってしまったが、結果として成し遂げた。

 記憶を辿れば伝説と呼ばれ魔物との激戦を終え、一生に一度あるかの経験もした。


「それが、二つともカリラ婆さんの思い出の場所だってのが面白いな……」

「え? お父さん、なんか今言った?」


 隣でソフィと目の前の村にとっては豪華な食事に舌鼓を打っていたサラが、膨らんだ頬のままカインの方を向いた。


「いや。何でもないよ。ただ、この村はいいなぁってね」

「そうだね! 私も帰ってくるとなんかほっとするもの。ああ、私が帰る場所はここなんだなぁって」


「帰る場所か……」


 今度は隣のサラにすら聞こえない声でカインは呟いた。

 思い付きで村をでてしまったが、やはり自分の居場所はここなのかもしれない、とカインはぼんやり思っていた。


 留守の間、面倒を見てくれると言ってもらった畑の世話などもいつまでも甘えるわけにはいかないだろう。

 何よりも家の庭にある妻の花畑を捨てることなどできるはずもなかった。


「そうだな……もう十分に冒険は楽しんだか……」


 カインは手に持ったコップに注がれた酒の水面に、映るはずの無い様々な思い出を投影させていた。

 そんなカインの心中など気付くものはおらず、宴は夜遅くまで続いた。

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