第119話

 振り上げられたジェスターの腕が頭上で止まる。

 その腕には帆を縛るために使われる縄が巻き付いていた。


「なんですかこれは」


 ジェスターが口を開いている間にも太さも長さも様々な縄がジェスターの身体の至る所に巻き付き締め上げていく。

 その力は恐ろしく強いのか、ジェスターが顔を歪め掴んでいたソフィを離す。


 自由になったソフィは痛む頭を押さえながらジェスターから距離を取る。


「手品、と言うんでしたか? 面白い技ですが、こんな貧相な縄ごときで本気で私を抑えられると思っているんですか?」


 まだ自由のきく左手の指を弾くと、ジェスターを拘束する縄の近くで空間が爆ぜた。

 どうやらその衝撃で縄を切るつもりだったようだが、ほつれすら起きず縄はジェスターをより一層締め上げていく。


 リヴァイアサンとの戦闘に向け船の細部までカインの付与魔法によって強化されていた。

 もちろん帆を縛るための縄も例外ではなく、表面をミスリルでコーティングされた上に付与魔法をかけられていた。


「な!? 馬鹿な! なぜたかが縄などにこれほどの強度があるのです!!」


 驚きの声を上げるジェスターは顔を残して身体のほとんどを拘束された。

 そこへゼロから飛び降りたサラが駆け寄り、手に持った短剣を勢いを殺さぬまま縄で身動きが取れない腹部に突き刺した。


 シバによって上手く刃の部分だけ隙間を開けられ、遮る物のないまま短剣は根元までジェスターの腹部に刺さっていた。

 短剣を握りしめているサラの両手に黒い血が滴る。


「まさか! ふざけるなぁぁぁぁぁ!!」


 怒りに顔を歪めたジェスターは大きく息を吸い込んだ。

 吸い込んだ空気によってジェスターの身体は膨らんでいき、縄は内側からの圧力によってみしみしと音を立てながらほつれていく。


「まずい! 皆海へ飛び込め!!」


 アオイが叫ぶと同時にサラとソフィは戸惑うことなく、海へと身を投げた。

 動けないカインを抱えてアオイも飛び込む。


 次の瞬間、ジェスターは溜め込んだ空気を一瞬で吐き出した。

 それは見えない破壊的な圧力となって周囲に崩壊をもたらした。


 カインの付与魔法で補強された船はその圧力に負け、木材の破片を撒き散らしながら崩れていく。

 海面は一度大きくへこみ、押しのけられた海水が戻る際に大きな乱流と波を発生させた。


 自ら足場を破壊したジェスターはそんな事など気にも止めない様子で、空中に浮かびながら海面を見つめていた。


「ついカッとなってやりすぎてしまいました……」


 そう言いながら目線を腹部に突き刺さったままの短剣に向ける。


「忌々しい。これがもし龍だけでなく鳥まで切っていたなら危ないところでした」


 刺さった短剣を抜くと、その色は青味がかった灰色がかったをしていた。

 抜いた後の傷口からは今も黒い血が流れ落ちている。


「今はこの傷の手当てが先のようですね。これだけ待っても上がってこないということは、死んだと見て問題ないでしょう」


 今度は顔を空へと向ける。


「先ほどのグリフォンの死に損ないが背びれを持っていたようですが、姿が見えませんね。なに、見つけるのはそう難しくないでしょう。それは犬にでも任せておけばいい」


 ジェスターは笑みを浮かべながらその場から姿を消した。



 ジェスターが去った海中で漂う複数の影があった。

 不思議なことにそれらはみな全身を泡に包まれている。


『皆、無事でよかった。どうやら居なくなったようだ。痛みが消えたからね』


 カインの念話を合図に泡は全て割れ、それぞれが海面へと泳ぎ上がっていく。

 浮上したカイン達は新鮮な空気を吸うため何度か大きく呼吸を繰り返すと互いに顔を見合わせた。


「危なかったねぇ! まさかあんな技持っているなんて」

「船が粉微塵だ。もしもの時のために逃げ出せる扉を作っておいて正解だったな」


 シバは浮かんでいた木片に捕まりながらそう言った。

 隣には腰の辺りをシバに支えられながらやっとの思いで木片にしがみついているコハンがいる。


「すいません。シバさん。せっかく作ってもらった船がこんなことのなるとは……」

「仕方がない。カインさんのせいじゃないさ。俺達は生き残った。それが全てだ。船はまた作ればいい。魔道核もこうやって無事だしな」


「それよりもじゃ! 生きているのはいいがどうやって戻るつもりじゃ。まさか泳いで、などと馬鹿なことを言うわけじゃあるまいな?」

「それは、正直どうしましょうね……ゼロもどこかへ逃げたでしょうが、先ほどの戦いで翼を怪我してしまったから、全員を運ぶのも難しいでしょうし」


「待って! この歌みたいなのはなに!?」


 サラの声に皆が耳を澄ます。遠くから歌のような音が聞こえてくる。

 それはここに来る時に聴いたセイレーンの歌とは違うものだった。


 やがてその歌声の主がカイン達の元へ姿を現した。

 それは一匹のバレーンだった。


 バレーンはカイン達の目の前で泳ぎを止めると、頭を海の中に沈めた。

 ちょうど背の辺りだけが海面から出ていて、全員が乗るだけの大きさがある。


『俺達に乗れと言うのかい? 岸まで運んでくれる?』


 試しに念話で話しかけてみると、バレーンはまるで合図するように潮を吹いた。

 カインの合図でみなバレーンの背に乗ると、バレーンは滑り落とさないように注意しながら、ゆっくりとカイン達を岸まで運んでいった。

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