姫からのご下命

「あらあら驚かしちゃってごめんなさいね。ポール、ご挨拶しなさい」

「バウッ」


 利口そうなゴールデンレトリバーだ。優しげなたれ目も可愛い。


「こ、こちらが、今回お世話、するであろう、ワンちゃんさまで、あられますですね」


 動揺して変な日本語になっている。いつもの先輩ではない。

 じつは今回の依頼はというと、ここで犬の世話をすること。期間は三日間だけ。

 なんでも、世話係の方の身内に不幸があり留守となるので、その間の面倒を見て欲しいというものだ。

 引き受けたはいいものの実は動物が苦手(僕も初めて知った)な先輩に代わり、実家ではミニチュアダックスを飼っていたこともある僕がお世話係として泊まり込むことになった。


「私がもう少し元気ならば面倒を見てあげられるのだけれど、足腰も弱くなってしまって散歩にも連れて行ってあげられないから」

「彼は実家で犬を飼っていたそうですし、ご安心ください」

「武者小路さんは犬がお嫌い?」


 あの反応を見ていれば、すぐにばれてしまうよなぁ。


「いやぁ、実は苦手でして。小さい頃、犬に追いかけられて噛まれたことがあって……」

「まぁ。それはつらい思い出ね。私は小さい頃から祖母の影響で犬が大好きなんですよ。ポールは噛んだりしないから、ぜひ仲良くなってもらいたいわ」


 直江さんと先輩が話をしている間に、ポールを手招きすると静かに僕の隣へやってきてお座りをした。頭を撫でてあげるとうれしそうに尻尾を動かしている。

 見た目通り頭もよさそうだし、よく躾けられているな。これなら世話をするのも楽そうだ。


「鈴木さん、よろしくお願いしますね」

「はい。こちらこそ、よろしくお願いします」

「お部屋は客間を用意してありますからそちらをお使いください。詳しいことは、城之内に聞いてくださいね」


 ここまで案内してくれた女性を改めて紹介してもらった。


「それはそうと、武者小路さんは謎解きがお得意なんですって? 善之助さんが自慢の孫だとおっしゃってましたよ」

「いやぁ、恐縮です」

「ポールのことは鈴木さんにお任せして、せっかくだからこちらの謎を解いて頂こうかしら」


 謎と聞いて先輩の目が光ったように見えた。

 直江さんが席を立ち、飾り棚の引き出しから折りたたまれた紙を取り出して戻ってきた。


「謎と言うほどのことでもないのだけれどずっと意味が分からなくて」


 差し出された便せんのような紙を先輩が広げた。

 僕も隣からのぞき込むと、黄みが掛ったそこにはこう書き記されていた。


 赤鬼の唄

 あの丸の 泡 花押より 菓子果汁


「私が小学生の頃に、赤鬼の唄と祖母が呼んでふしをつけて歌っていたんです。意味が分からなくて聞いてみると、『ここには秘密のお宝があるのよ』といつも笑ってはぐらかされました。結局分からずじまいだったけれど、祖母に書いてもらったその便せんは取っておいたんですよ」


 話を聞きながらも、先輩の表情がみるみる輝いていく。

 ポールを怖がっていたのと同じ人とは思えない。


花押はなおしって何ですか?」


 こっそりと先輩に尋ねたのに、直江さんにもしっかりと聞かれていたらしい。


「それは花押かおうと読むんですよ。今でいう印鑑の代わりになるサインみたいなものね。直江家でも代々の当主が花押を使っていたのですけれど、もうこのご時世ではねぇ」

「今でも閣議決定した際にする閣僚の署名には花押が使われているそうだよ」


 先輩のうんちくに、へぇとは思ったけれどだからといって文章の謎が解けるわけじゃない。

 一緒に古い便箋を覗き込んでいた美咲さんが顔を上げた。


「赤鬼の唄とありますが、こちらに代々伝わっている赤鬼にまつわるものがあるのですか」

「いいえ、そのようなものはないんですよ。だから、なぜそう呼んでいたのかも分からなくて」


 庭の途中で見たのは赤鬼じゃなくて仁王像だったし。

 さっぱり分からないなぁ。試しにひらがなへ変換してみても別に何かが浮かび上がってくるわけでもない。

 先輩はというと、手帳を取り出して愛用のモンブランでメモしている。


「あ、これ五七五になってますね。直江様のおばあ様の代に作られた歌……これに沿った見立て殺人が起きたりして」

「こらっ! そんな話は映画か小説の中だけだよ」「鈴木さま、不謹慎です」

「冗談ですよぉ。すいません」


 何も二人してそんなに怒らなくたっていいのに。まぁ調子に乗って言い過ぎたのは反省しますけど。

 頭を下げる僕へも「いいのよ、そんなこと」と直江さんは穏やかな笑みを浮かべてくれる。

 ポールはお座りしたまま首をかしげて僕の顔をじっと見ていた。


「確かに意味が分かりませんね」


 先輩がモンブランのキャップをしめて手帳を閉じた。さすがにそんな簡単に解けるわけはないか。


「唄の謎は解けたのですが、それが意味するものについてはもう少し調べる必要があります」

「えっ⁉ もう解けたんですか」

「もちろんだよ。なにせ私はただの探偵ではなく、名探偵だからね」


 驚いたのは僕だけじゃなく、むしろ直江さんが一番びっくりしていた。目を大きく見開いて手を口に当てている。

 美咲さんはと言うと、今回も驚きより尊敬のまなざしが強い。


「だってわずか十七文字の謎だよ。ヒントもあるし、解くのは簡単さ」

「それじゃ、もったいぶらずに教えてくださいよ」

「だから言っただろ。何を意味するのか、もう少し調べる必要があるって。おそらくあの辺りのことなんだろうけれど……」

「それでは、いつ教えて下さるの?」


 直江さんがそっと身を乗り出した。


「この後、事務所へ帰ってから調べればすぐにわかると思います。今回の依頼を終える明後日にはお話しできるかと」

「やっぱり善之助さんが自慢するだけのことがおありなのね。祖母の言っていた宝物が見つかるのかしら。明後日が楽しみになったわ」

「そういうことだから、鈴木くんも明後日までに解いてみてね」

「バウッ」


 僕の代わりにポールが答えてくれた。

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