第49話 フリースクール1

館山はすっきりと晴れ渡った。寝室からベランダに出ると、館山湾が一望できたが、この日は横浜の方まで見ることができた。




別荘の周囲には、同じような建物が立ち並んでいた。即ち、敷地面積が広く、建物が大きく、塀で囲まれているような家だ。ゴミゴミしていない分、どこにもマスコミや不審な車を見ることはなかった。




車道には、杉本くんの車と磯崎さんの車が並んで停まっていた。ここからは見えないが、今日は綾子の車もあるはずだ。三人とも、適当な部屋を使ってもらっている。綾子は横浜で仕事がないときには、必ず館山に来てくれた。そして、全ての食事を世話してくれた。別にいい、と断ったが、聞いてくれなかった。




昨夜は、遅くまで漫画を読んだ。両親の部屋には、父が独り身になってから買い漁った漫画が積まれていた。よくも、これだけ集めたものだというくらい、専用の本棚まで買ってきて、大量の漫画を納めていた。












あれから、一週間が過ぎた。俺は毎日昼まで寝て、朝食を兼ねた昼食を摂り、午後のワイドショーを見ながら、電話をしたりお菓子を食べたりして、それが終わると大学の課題に取り組んだ。大学の教授陣には、特別に課題を出してもらい、それが通ったら単位免除ということにしてもらった。課題はレポートなので、インターネットで適当に調べて片付けた。本当は、しっかり授業に出て知識を蓄えたり、討論なんかをして思考力や判断力を高める方がいいのだと思うが、片付けることが多過ぎた。はっきり言って大学は重荷になっていた。俺は中原さんにお願いして、千葉総合大学に、十億円の寄付を申し出たが、しがない学校法人にとって、その金額は破壊力満点だったのだ。教授陣は、軒並み俺への特別課題を出してくれた。俺はレポートに感謝の手紙を添えて、一つ、また一つと片付けていった。




館山生活初日にユウナが妹のサナを連れてきた。サナはここのところ中学校に通えていない。荒れた学校でのストレスに押し潰されそうになり、体調に異変を来すまでになってしまった。俺はそんなサナの話を聞きながら、何かできることはないか考えたが、「暇なときには、ここに来たらいいんじゃない?」と提案すると、ユウナが嫌な顔をした。




「男ばっかりのとこに置いとけるか。」




確かに、綾子がいなければ、俺と磯崎さん、杉本くん、男が三人というむさ苦しい生活だった。サナは満更でも無さそうだったが、ユウナは検討すると言い、家に帰った。意外だったのは、ユウナが運転免許を持っていたということだ。




三日目には、祖母、介護士の田嶋さん、看護師の西さんを、船橋から呼んだ。遠かったが、珍しく祖母が行きたいと渇望したのだそうだ。うちの家族は、年末になると必ず館山で過ごした。それ以外では、俺は誘われても滅多に来なかった。部活をしたり、友達と遊ぶ方が遥かに楽しかったからだ。でも祖父母は、季節の変わり目やお盆など、何かにつけてここに来ていた。だからここは、祖父母にとって思い出の土地、第二の家なのだ。




祖母は午前中に来て、一緒に昼食を食べ、少ししたら寝てしまったので、俺は僅かに残っていた記憶を頼りに、館山市街にある料亭に、仕出しを頼んだ。年末に、正月料理や蕎麦、鰻などを頼んでいた料亭である。俺が電話口で名前を告げると、うちのことを覚えていてくれた。せっかくだから、今できる正月セットを頼むことにした。大将は、大したものはできないが、夕方には届けると言って電話を切った。そして夕方、実際に届いた料理を見て、田嶋さんと西さんは苦笑いをした。生寿司、天ぷら、牡蠣、鰻料理、蕎麦、重箱には蒲鉾、蛸足とキュウリの酢の物、海老の焼き物、煮物、だし巻き玉子、など、手はかかっていないが、かなり量が多かった。祖母は蒲鉾や煮物を食べ、懐かしいと涙を流した。しかし、それきりでもう箸を置いたので、田嶋さんと西さんが連れ帰った。俺は礼を言ったが、むしろ二人に感謝をされた。




残った料理を俺と磯崎さんと杉本くんで食べたが、食べている最中に綾子が食材を買って帰って来た。明日は焼き肉にするからなんとか、と、昨日の夜に言っていたのを全員が思い出した。綾子は俺たちを無視して冷蔵庫に食材を詰め、そのまま車に乗り込んで【すき家】に行ってしまった。初めて綾子を怒らせてしまった俺たちは、食べ物には細心の注意を払うようになった。












そういう感じで、館山での日々は過ぎていった。大介と丸山とは何度か電話をしたが、まずキャンディリングは無事に元町からのデビューが決まった。決め手になったのは、いうまでもなく十億の実弾だろう。綾子は、神谷建設の高瀬と、広告代理店ACEの中西恵理と綿密に協議を重ね、俺からのゴーサインがあればすぐに動き出せるところまで持っていった。俺はそこに、オフィス栄で会った、プロデューサーの甲斐を引き合わせようと考えていた。つまり、引き抜きだ。今、この身動きが取れない状況では動きようがないが、あのとき彼は確かに「韓流は嫌たが、上の方針には逆らえない」と言っていた。プロの手を借りれば、キャンディリングはどこまでいけるのか、それを見てみたかった。




ただ、問題は、反社会勢力の源藤会だった。源藤会は、キャンディリングのスキャンダルを握っていた。そのため、高瀬や中原さんは、デビューに関してはまだ様子を見た方がいいとアドバイスをしてくれていた。俺もそのつもりだった。しかし、彼女たちの旬の時期は、まさに今なのだ。年を重ねるほど、彼女たちの売りである瑞々しさが失われていくことは間違いない。なので、一刻も早くデビューさせる必要があった。そこで、俺は、源藤会会長、福浦藤五郎に直訴する計画を立てていた。そのことを岡本に相談すると、次の日には、なんと福浦藤五郎本人が、館山までやって来た。そして、俺の前で膝をついて頭を下げ、部下の非礼を詫びた。




「会長、誠に申し訳ございませんでした。この通りです。」




聞くと、藤五郎と祖父神谷光一は旧知の仲であり、源藤会会長になれたのも祖父のおかげであるらしい。祖父の葬儀にも来ていたといったが、俺の記憶にはなかった。とにかく、祖父の恩を仇で返してしまったことに、藤五郎は深く思い置き、自ら出向いて来たのだった。ヤクザの親分が来たことで、俺はすっかり震え上がり、考え付く最高級のおもてなしをした。そして岡本の話やデモの話、最近のことを話していると、藤五郎は涙を流した。会長もあの世で泣いていらっしゃると、どこかで聞いた台詞を言われた。とにかくこれで、キャンディリングは晴れてデビューが決まった。




もう一方の気がかりは、デモ隊だった。デモを始めてから二週間、デモ隊にもヤードにも動きはなかった。現状のヤード自体はすぐに根を上げたが、彼らは場所を変えて操業していたのだ。徹底抗戦の構えを見せた外国人勢力を、丸山たちはひたすら追い続けた。デモ隊は全て丸山に任せ、俺はひたすら金を吐き出し続けた。




そうしているうちに、きっちり一週間後、千葉県議会で、「ヤード運営に関わる特別法案」が通った。これは、産廃処理組合に加入していなければヤードの運営はできないという、事実上の二重認可制度だった。理事長には、県議会議員の加藤祥平が就任した。残りの理事三名は、与党県議会議員、県警OB、神谷建設OB、という人選になり、この四名によって篩にかけられた施設のうち、廃プラスチックを百パーセントリサイクルできる機械を持っている事業所のみがヤードを運営できるように変わった。つまり、焼却炉のみの施設は、千葉では運営できなくなった。これには反対の声もあったが、彼らの声は決して議会に届くことはなかった。また、廃プラのペレット化にいち早く着手していた神谷技研には、機材のリース料金として結構な額の臨時収入が約束されたのだ。




最後に、肝心のインターネットテレビは、その翌週の放送の冒頭で、前回の内容に一部不備があったことを訂正して謝罪した。しかし、どの部分についての訂正なのか、よくわからない内容になっていた。また、ネットに上がった番組の再放送動画では、その謝罪部分はカットされていた。




俺と綾子は、とりあえずの勝利に乾杯したが、なんとも腹のたつ終り方だった。中原さんの指示により、俺はまたしばらくの間、館山に引きこもることになった。












6月2日(土)




この日は、ユウナの家族全員を、館山に招待した。ユウナには、旅行感覚で泊まりに来るよう伝えたのだが、家族全員が俺の好意をしっかり受けてくれた。綾子や磯崎さんたちは、車を買いに出ていて、今日は戻らないことになっている。今は、何かあるごとに彼らの車に乗せてもらっているので、会社の経費で大き目の車を買うようお願いしたのだ。




ユウナには、早めに来て準備を手伝ってもらうことになっていたが、到着した車には、お母さんも乗っていた。




「神谷くん、悪いわ、こんなの。無理しなくてもいいのよ。」




「そんな、こちらこそわざわざ来ていただいてありがとうございます。祖父が遺した物ですが、僕一人ではどうにもできないので、処分するんです。処分する前にこういう形で活用できて良かったです。」




お母さんは、申し訳ないという顔をしばらく崩さなかった。俺が、「浴場と食事と寝室の準備と…」、一気に色々言ったが、お母さんは頭の中で反芻し、どれから先に手をつけるか考えていた。




「とりあえず、僕、風呂洗ってきますね。」




「お風呂は帰ってかろ入るわよ。大丈夫よ。」




「あの、二階にあるんですけど、海が見えるんですよ。お湯に浸かるだけでもいいですので。」




そう言うと、さすがのお母さんも気になったらしく、




「じゃあ、焼き肉の準備はユウナに任せるわ。お母さん、神谷くんとお風呂見てくるから。」




と言って、ユウナを残して二階へ上がった。




「皆さん、泊まりますか?部屋は余っていますんで。」




祖父母の部屋、両親の部屋、俺の部屋、その他に洋室のゲストルームが三部屋、和室が一部屋、大部屋でも寝れないことはない。




「ちょっと、神谷くん、本当にいいの?夢みたい。」




お母さんは口元から、自然と笑顔がこぼれた。




「あの、僕以外で誰も使っていないので。何日でも泊まってもらっても大丈夫ですよ。」




「いいの?」




お母さんは冗談だ、と言わんばかりに笑った。気持ちの良い笑顔だった。




お母さんを浴場に案内し、俺はそれぞれの部屋を見て回ったが、綾子によって、すでに布団類は完璧に整えられていたので、焼肉の準備をするため、庭に出た。庭の雑草は、磯崎さんが綺麗に刈り取ってくれていた。綾子も磯崎さんたちも追い出してしまったことを、少し後悔した。




物置にあった、バーベキュー用のテーブルと椅子のセットを引っ張り出し、焼肉台の周りに適当に並べた。業者が段ボールの炭や網などを置いていってくれたので、あとは皆が来たらセッティングしようと思い、出すだけ出しておいた。そうこうしているうちに、ユウナの家族が到着した。お父さん、おばあちゃん、弟のダイスケと妹のサナ。




「神谷くん、ありがとうね。」




「こちらこそ、お忙しいのに来ていただいてありがとうございます。泊まっていってくださいね。」




お父さんに挨拶をすると、おばあちゃんが横から頭を下げて、俺を拝んだ。




「神谷さん、すげー!」




「ダイスケくん、ゆっくりしていってよ。」




ユウナの下準備も大体できたので、いきなり食事をすることにした。












俺たちは焼肉を食べながら昼から酒を飲み、途中でお母さんが沸かした風呂に自由に入った。二時過ぎには食材が尽きたので、夕食まで思い思いに過ごした。ダイスケは両親の部屋の漫画を引っ張り出してきて、ジュースを片手にソファーに座った。お父さんとユウナとサナは海まで足を伸ばし、おばあちゃんは和室で休み、お母さんは後片付けをした。




夕食は、寿司職人とバーテンダーを招いた。皆、昼間の焼き肉が残っていたが、珍しいネタもたくさんあり、寿司も酒もどんどん売れた。




「何があるの?」




「なんでもありますよ!」




「とこぶしは?」




「ありますね。握ります?酒蒸しとかにします?」




「両方ください。」




「あいよ!」




威勢の良い職人だった。俺は、とこぶしがなんなのかわからずに、職人の手元を観察した。貝だった。お父さんは酒蒸しをペロリと平らげ、次々と寿司を注文した。




「お父さん、食べ過ぎじゃない?」




「こういうときは食べないと逆に失礼だろ。なあ。」




なあ、と言って俺を見た。




「そうっすね。ご飯全部なくなるまで食べましょう。」




ユウナとサナは、だいぶ前にリタイアして、バーテンダーにチョコレートをもらい、カプチーノを飲んでいた。おばあちゃんはすでに寝ていた。ダイスケと俺は、頑張ってお父さんについていっていたが、二人とも限界を迎えつつあった。お母さんは、ペースこそ遅いものの、結構な数を食べていた。俺は最後に、適当に海鮮丼にしてもらい、醤油をぶっかけて流し込んだ。ダイスケも同じ事をした。食べ終えたら、しばらく動けなかった。




「ダイスケくん、お風呂入った?」




「俺は入りましたよ。ちょっときついんで、横になります。」




そう言って、ダイスケはジュースを二杯手に取り、部屋に引き上げた。俺はデカいソファーに沈み込んだ。なんであんなに無理をして食べたのかと、少し後悔した。




「神谷くん、美味しかったわ。本当にありがとう。」




お母さんが、俺の隣に来た。お父さんはまだ食べながら、飲んでいた。




「ユウナと別れたんでしょ?あの子から聞いたわ。無理してない?」




こういう話を親にするものなのか、俺は少し恥ずかしい気持ちになったが、正直なところを伝えることにした。




「正直、僕はまだ好きなんです。でも、あんまりユウナさんに時間を取らなかったんです。酷いことをしました。」




「神谷くん、知っていると思うけど、ユウナはあなたのこと大好きよ。でも、きっと今は時間を置いたほうがいいのでしょうね。」




それから、他愛もない話をしながら、お父さんが終わるのを待ったが、なんとユウナとサナが復活して、お父さんの隣に座ったのだ。三人は、今日取れた鰺を捌いてもらい、鯵の握りで閉めた。




「いやー、食った!神谷くん、ありがとうな!」




お父さんは、ビールを片手に、フラフラになりながらソファーに腰を降ろした。ユウナとサナも来た。まだ八時にもなっていなかったが、俺は寿司屋とバーテンダーを帰した。バーテンダーは、最後にコーヒーを淹れてくれたので、皆でそれを飲んだ。微かに甘い香りがした。いつも飲んでいるスタバの、カフェベロナに間違いなかった。




「あの、サナちゃん、暇なときにこっち来ない?」




俺は満を持してサナを誘った。変な意味ではない。サナは困った顔を見せたが、家族は皆サナを見た。誰も反対しなかったのは、サナに決めさせようとしているからだ。




「まあ、俺はどうせここに籠って漫画を読んでいるだけだから、英語くらいなら教えれるし。気分転換にどう?」




「お母さんに聞いてみます。」




「サナ、お母さんは賛成よ。あなた家にいても寝てるだけじゃない。神谷くん、こう言ってくれてるんだから、チャンスなのよ。」




サナは少し下を向いた。嫌がっていると感じた。




「一樹、」




ユウナが何か言おうとしたが、俺は無視した。




「サナちゃん、前に友達も不登校になったって言ってたよね。その友達も一緒に来れば?」




そう言った途端に、パッとサナの顔が明るくなった。




「いいんですか?」




「もちろんいいよ。うちの大学から先生呼ぼうか?」




「いや、大丈夫です。自分で勉強します!」




サナは笑顔になった。良かった。












こうして、二日後の月曜日、サナとその友達が館山に来ることになった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る