「祐真」のち「––––––」
彼女は走った––––––。
その身を挺して自分の存在を証明するかの様に……
まだ出会って数時間の彼女は俺のことを特別と呼び、誰よりもこの心を理解しようとしてくれた。だから思えたんだ、他の誰かとしてではなく俺は俺自身として生きたいと…
でも、彼女は死地に飛び込んで行った。誰よりも早く覚悟を決め、誰よりも早く動いた。
身体が動かない、起き上がる事が出来ない…俺は守られてばかり、ありもしない力に溺れて…このままじゃ本当に只の道化じゃないか。
『––––お前はそれでいいのか?』
嫌に決まっている…
『なら、変えてみろよ…お前の運命だろ?』
そうしたいさ、でもどうしたらいいんだ…
『また、人に聞くのか?』
それは……
『お前は誰だ?』
俺は…誰でもない、誰でも––––––。
……彼女の思う特別でありたい…誰でなくてもいい、俺はリリスと生きる特別になりたい。
『お前は…誰だ?』
俺は––––エリヤだ。
「えりやくん……良かった…無事で」
「リリス、ありがとう俺は君のおかげで独りじゃない、俺に存在する意味を与えてくれた君を絶対に守る」
エリヤは異形の放った閃光を片手で防ぎながら振り向きざまにリリスへと語りかける。
「えりやくぅん…カッコよすぎるよぉー!私もぅ離れられないよ?」
「あぁ、俺もリリスを離さない」
リリスが赤面して頭から湯気を立ち上らせ倒れる「「「ッチィ」」」盛大に後方から舌打ち。
エリヤの全身から闇色の光が溢れ出し、凄まじいプレシャーを異形に向けて放つ。
「俺から尽く大事なもん奪っといてただで済むと思うなよ?」
「––––森羅崩壊(コラプス)。」
瞬間、異形の放っていた暗黒の閃光が何事もなかったかの様に消失する。
『その力はァ!!おのれェええ傀儡風情がァあぁああ!』
「俺はエリヤだ、化け物が」
異形は怒気を露わにし、黒い手をうねらせながらエリヤに襲いかかる。その猛攻を交わし、いつの間にか手中に顕現していた闇の光を纏う艶やかな黒刀で斬り伏せながら振り返らずに声を荒げる。
「おい、祐真。俺に言いたい事があるのはわかっている、本来なら命を持って償うべき事だと思う…だけど、俺は生きていたいと…思ってしまった」
「エリヤ…」
「だがまずは俺たちを弄んだこいつとの因縁にケリをつける」
「あぁ、そうだな…俺もこいつだけは許せない…だが、その前に俺にも今ここでケリをつける事がある」
「エステル、アルベルトさん、少しだけ…あいつと話す時間を稼いでくれないか?」
「はぁ、めんどくさいですねぇ…女の子に頼む事じゃないですよ?ゆうまさん」
「私も見ているばかりでは、張り合いが無いですからね。そろそろ老骨も役に立ちましょう」
「エステル、ゴメンな。アルベルトさんも有難うございます」
エステルと祐真は軽く相槌を交わすと、同時に走り出しエステルは異形に向かって『嵐刃(テンペストブレード)』を放ちながら瞬く間に黒い手を細切れにして行き、アルベルトの掲げた右手から凄まじい雷が迸り異形の本体を穿つ。
そして、祐真はエリヤに向かい走りながら全力でその顔面に拳を叩き込んだ。
「––––!?」
「えりやくん!何するんですか、祐真さん!今はそれどころじゃ––––」
「……ビッチは黙って」
いつの間にか隣にいたレインによってリリスの言葉は遮られる。
「び…誰がビッチですか?!き…キスしたからですか?!初めてですよ!生まれて初めてのキスです!」
「……ふっ…こども…私はゆうまと何度もしてる」
「レインさんの方がビッチじゃないですか!!」
ちなみにレインのキスとは黒猫時代の事なので『キス』かと問われると微妙な所ではある。シリアスな雰囲気をぶち壊すリリスとレインのやり取りを聞き流しながら祐真はエリヤに詰め寄り胸ぐらを掴み、その瞳を真剣な表情で覗き込む。
「お前は操られていた、だがそれは言い訳だ…平和に暮らしていた彼らを脅かし、あまつさえその命にまで手を掛けた」
「あぁ、わかっている…ゴブリンの子供達に会ったんだ、彼らを見て初めて俺は自分のやった事の重みに気がついた…死んで償う事も考えた…でも出来なかった」
「俺だって、このセカイで力を持った以上大切な物を守るためには死を乗り越える覚悟を決めなきゃならないのは理解している…そう簡単に割り切れないけどな、ただお前のした事は違う…命を弄ぶ行為だ、お前が命を奪った行為は、罪は一生消えない。例え彼らが生きていたとしてもその事実は変わらない、その罪とそんな自分自身と向き合って生きる覚悟はあるのか?」
「生きている?どう言う意味だ?」
「彼等は死んでない、正確には生き返った。あのチンピラも……俺が生き返らせた」
エリヤは目を剥き祐真の言葉に耳を疑ったが、その表情から事実だと悟り唇を強く噛み締めてその表情をくしゃくしゃに崩す。
「そうか…良かった、本当に…よかった」
「なぁ、祐真」
「何だ?」
「俺、生きたいんだ…」
「あぁ」
「どうしようもなく、生きたいんだ…誰でも無い俺を、特別だと言ってくれた…あの子との時間を終わらせたく無い。リリスと生きてみたいんだ」
「どうしたらいいのか…難しい事はわかんないけどな、諦めなければなんとかなるんじゃないか?お前がリリスに言った言葉だろ?ちゃんと責任持て」
恥も外聞も無い、ただ込み上げてくる感情に任せエリヤは顔を片手で覆いその場で泣き崩れた、光る雫は荒んだ心を洗うように流れ続ける。
「えりやくん……うぅ、私も涙出ちゃうよ…こんな状況なのに」
「……ゆうま?」
レインが僅かに祐真の表情を訝しげに見つめる。
「後、彼等のことは俺の責任でもある…謝って許してもらえる事じゃ無いと思うけど、俺たちの精一杯出来ることを共に示していくしか無い、先ずはそれからだ。俺たちの肉体や今後の生き方は、アルベルトさんに相談すれば何かいい方法が見つかるかも知れない」
「祐真、本当にすまない…感謝する」
「もう、いいよ…お前も操られてたんだから、殴って悪かった…こんな事になった元凶にそろそろ引導を渡さないとな?」
祐真が手を差し出す、その手をエリヤが取った瞬間二人の間に眩い光が溢れその視界を一瞬で真っ白に染めていく。
だんだんと視界が色を取り戻していき、辺りを見回すとそこはさっき程までいた場所ではなく無機質で何も無い空間。打ちっ放しのコンクリートで囲われたような、冷たさと寂しさの漂う無音の場所。
隣には同じように立ちすくんでいるが、どこか安堵の表情を浮かべているエリヤと、豪気な面持ちで群青の甲冑に身を纏った短髪に無精髭を生やした大男が並び立っていた。
「ここはどこだ?あなたは……」
「まさか、この姿で相見える事になるとはな…我がギデオンだ、祐真そしてエリヤよ」
ギデオンは獣のような眼光を祐真とエリヤに向け薄っすらと口元に無骨な笑みを浮かべる。
「ギデオン?!あなたが…なんかイメージ通りだな、アルベルトさんの言ってた事がわかる気がする…それよりこの場所は?ギデオンがやったのか?」
「祐真よ、聞き捨てならんぞ!ここで奴の肩を持ってどうする!」
「…それが皆目見当も付かぬ、なぜ過去の姿なのか何故ここにおるのかもな…」
ギデオンは訝しむように顎に手を当て無精髭を撫でた後、唯一動じて居ないエリヤにその視線を向けた。
「エリヤよ何か知っておるのか?」
「あぁ、ここに俺たちを呼んだのは…『エリヤ』だ」
「何?!エリヤはお前だろ?どう言う事だ?」
祐真がエリヤに疑問を投げかけると、それに応えるかの様に無機質な空間が歪み始め部屋の中央へと渦状に吸い込まれて行く。景色が一瞬にして移り変わり気がつけばそこは1DKの部屋、窓から心地よい風が入り込みカーテンを揺らす、一人用のソファーにローテーブル。壁際に20インチの液晶テレビが置かれ、その横には綺麗に整えられた一人用のベッド。備え付けのクローゼットに血の跡はなく、そこは凄惨な現場となる前の様相を留めた紛れもなく祐真の部屋。
『よぅ、お前ら並ぶとなんか気持ち悪いな?』
飄々とした声の主はダイニングに設置されたテーブルに腰掛け、腕を組み悪戯っぽい笑みを浮かべこちらに視線を送る。
ブロンドの無造作ヘアーに整った顔立ち、琥珀色をした鋭い鷹の様な眼光は心を見透かされている様な印象を与える。その面持ちはどこか眼の前に並ぶ『同じ容姿の二人』と似た雰囲気で––––。
「あんた…何者だ、それにここは俺の部屋じゃ無いか?!一体どうなってる」
『ここは俺の空間、お前らが話しをしやすい様に用意してやったんだ、有り難く思えよ?まぁとりあえず座れ』
納得がいかない様子を露わにするも、促されるまま席に着く祐真達、ギデオンは見慣れない空間に辺りを見回し落ち着かない様子だ。
『改めて、俺の名はエリヤ・バベル、あんたは聞き覚えがあるんじゃ無いか?ギデオン』
「バベル…だと、エリヤ……貴様、まさか?!」
『ご明察、あんたらの忌み嫌う馬鹿でかい塔を立て追放された『背信の王』とは俺の事だ』
ギデオンは額に血管を浮き立たせ怒気を発しながら『エリヤ』を睥睨し声を荒げる。
「目的は何だ!あの異形の者は貴様の刺客か?!事と次第によってはただでは済まさぬ」
『まぁ、落ち着けよ『破壊の英雄王』さん?先ずは話を聞け…とその前に、お前ら二人』
『エリヤ』は並び合う同じ顔の二人をジッと見つめニッと口角を上げる。
『名前が後紛らわしいから、お前が『白』でお前は『黒』な?』
「白って…犬じゃ無いんだから、それよりもこの状況とか色々説明してください、それにエステル達があの化け物と戦っているんです!早く加勢にいかないと」
『慌てるな、白。ここはお前達のいた場所とは完全に異なる空間、ここで体感する時間が例え10時間立ったとしてもあの場所では1秒にも満たない。それと今のお前らじゃ、十中八九<暴食の悪霊>には勝てない』
「暴食?化け物の事か……でも、そんなのやってみないとわからない!」
『暑苦しいんだよ、白!もう少し黒を見習え、ちゃんと良い子にしているだろ?』
「エリヤ、あんまり彼等を揶揄わないでやってくれ。ギデオンに祐真…過去に何があったかは俺にもわからないが、彼は信用できる」
「お前がそこまで言うなら…わかりました…話を聞かせてください。ギデオンもそれで良いよな?」
「……今は従うほか無いようだ」
ギデオンはあからさまに不服な面持ちで太々しく腕を組む。
『やっと、状況が理解できたか?そうだな…まず俺の事を話すか…』
『ギデオン、あんたの知っている歴史は概ね間違っていない、しかしそこにはあんたの知らない別の意思が働いている』
「別の意思だと?それはどういう意味だ?」
『まあ聞け……今から数千年以上前…元々その時代には獣人や魔人みたいな所謂(いわゆる)、亜人と呼ばれる人間以外の種族は存在していなかった』
ギデオンは一瞬眉を吊り上げその口を開きそうになるが、再び居住まいを正しジッと腕を組んで耳を傾ける。
『俺たち人間は神に知恵を授けられ、マナを与えられ、そしてこの地を治めていた。その数を増やし多くの国を人間は築いていく。しかしそれを面白く思わない種族がいた…それは人間が生まれる遥か昔より存在する、地の底に落とされし種族…悪魔だ』
『奴らは、神の側近であった天使が堕落しその姿形を醜く変えてしまった種族、奴らはこの世の神に愛される生きとし生けるもの全てに嫉妬していた。そして奴らは事あるごとに下級の天使をことば巧みに誘惑し人間に触れる事が許されていない自分達に変わって天使達を人間の女へ差し向け、その子供を孕ませた…そして人間という種族の血に混血をまぜ入れ不完全な異形へと変質させようとした』
『エリヤ』は真剣な表情で話を聞く二人を飄々とした感じで見下げ様子を伺う。
『頭パンクして無いか?白と黒』
「あぁ、問題ない続けてくれ」
『黒は賢いなぁ』
「お、俺も、大丈夫だ」
『白は後からもう一回聞け』
「なんか温度差すごくない?俺たち元々一つなんですけど?!」
『続けるぞ…』
騒ぐ白を押し黙らせ、話を再開する『エリヤ』
『だが、その策は失敗する。一種の者達は混ざり合う事で異常をきたし魔獣へと変質した者も出たが、殆どの者は人としての部分を大きく残し新たな種族として生まれ変わった。それが魔人族そして獣人族だ、ちなみにエルフ族やドワーフ族…他にもいるがそれらは最初の魔人族や獣人族からの派生と考えられている』
『悪魔は再び暗躍し、それぞれの種族に間違った教理や教えを与え、人間との争いを企て始めた…そんな時代に俺は生まれる、そして俺には力があった…瞬く間に人間の英雄として祭りあげられた俺は…戦った、人間のため…セカイの秩序の為と教え込まれてな…しかし俺は、ある女と出会って……愛してしまった。そいつは魔人族だった…そこを奴らにつけ込まれ、俺は間違った選択をする…この戦いを終わらせるには、俺の力を使って神に成り代わる必要があると唆されてな、自分の力に高慢になっていた俺は見事に道化と成り下がり…そこから先はあんたらの知っている通りだ。俺も真実を知ったのは全て終わった後、皮肉にも…俺を操っていた奴にご丁寧に説明されてな…』
『信じるかどうかは任せる、これが俺の知る事実だ』
「……思う所はあるが、ここで我等を謀る理由もなかろう…しかし事実だったとして、それと我等がどう繋がる?」
『俺も、神のお考えは分からない…何故わざわざセカイを分けたのか、俺を滅ぼさなかったのか…そしてお前の質問の応えだが、紅月祐真は俺の生まれ変わりってやつだ』
「なんだって?!俺があんたの生まれ変わり?俺は普通の人間だ、そんな力とか超常的な事とは無縁の…」
突き付けられた言葉に思わず動揺し立ち上がる白、しかし『エリヤ』は気にする事なく話を続ける。
『まぁその話は一旦置いとけ……話は戻るが、あの黒い奴は悪魔じゃない。力を有した人間が悪魔にその因子を植え込まれた後、闇に堕ちた姿……それが<暴食の悪霊>アイツは人間の肉体を捨て霊体となり、人の霊魂を食い漁る異形。そしてギデオン、あんたも名を聞いたことがあるはずだ。アイツが人間であった頃の名は……英雄アレクサンドラ・フォン・バベル』
「何だと?!バベル王国初代国王があの化け物だと言うのか!!ふざけるな!誇り高きバベルの王が、闇に堕ちたなどと––––」
『アイツが俺に執着する理由の一つ、あれは元々俺の弟だ』
ギデオンは先程までとは打って変わり、取り乱した様子で『エリヤ』に食い下がるが、彼の発言を聞き押し黙る。
『アイツは、俺にずっと嫉妬していた…俺を嵌めたのも実際アイツだ、俺は疑いもしなかった…そして俺から全てを奪い神敵の汚名を着せて、俺が惚れた女を自分の妃にする為に都合のいい解釈をでっち上げて種族平等を謳う国…バベル王国を創り上げた。ギデオン……あんたには酷かも知れんが、実際あの国はアイツの餌場でしかなかった』
「––––?!」
ギデオンは直立したまま拳を震わせ、歯噛みし視線を落とす。自分の信じて来た、命をかけて守って来た国が害悪の根城だったと聞かされたのだ、到底許容できる事ではない。
『アイツは歴代の王に取り付き至福を肥やして来た、しかしギデオン、あんたと言う存在がその力が奴を退けた』
ギデオンは俯く顔を上げ真剣な面持ちで『エリヤ』に問いかける。
「我が退けた?我はあの様な異形と相対した事は無いが…」
『アイツは依り代を取り込んで生きている、しかしお前の力は奴を知らずに拒絶し、傀儡にされなかった』
「…なんと、では我は一歩間違えれば彼奴の傀儡となり自国の民に手をかけていたのか…」
拳を強く握りしめ、異形に対する焦燥感を募らせ、全身から溢れる怒りの感情に傍に座っていた白は気圧される。
『あぁ、再び俺の前に現れたアイツがペラペラと語っていた事だ間違いない。しかし、始まりは歪んでいても、あんたはそこに暮らす民を立派に守り抜いた、その証拠に戦争を画策したのはアレクサンドラ本人だからな、そしてあんたは奴の目論見を見事に潰した。まさに…英雄だよ』
ギデオンは静かに『エリヤ』の話を聞き何かを納得した様子でその口を開く。
「エリヤ殿…先程の失言と無礼、撤回させて頂く…すまなかった」
ギデオンは『エリヤ』の言葉を聞き向き直って胸に手を添え、頭を下げた。彼を信じるに値すると見定めた様だ。
『気にする事じゃない。そして、黒、白お前らにも真実を告げるが覚悟はいいか?』
緊迫した空気が流れ、白はゴクリと唾を呑み手に汗を握る。隣に座る黒はどこか落ち着き払った表情、どんな過去でも言葉でも関係ない、自分の行きたい未来…その先しか見ていないと言った面持ちだ。
『お前たちは俺の生まれ変わりと言ったが、あれは言葉の綾(あや)だ…事実は来たるべき時にこの力と人格を継承し新たに生まれ変わる為に俺が創り出した『器』…だった』
「…ぇえっと、つまりどう言う」
「俺たちは、『エリヤ』が生まれ変わる為に作り出された受け皿って事だな…だった、と言うのは?」
「何!?…作られたってどう言う意味だよ!というか、エリヤは何でそんな冷静なんだ!!」
「何となく、察しはついてたよ…俺の記憶はお前と同じだが曖昧なところが多い」
『流石、クロォ。お前は出来た子だな!白は本当見習えよっ!』
「だから、何だよこの温度差!おかしいだろっ!」
『まぁ落ち着け、じゃぁ聞くが、白…お前の両親は誰だ?』
「それは、幼い頃に事故で…」
『あぁそうだ、そう言う設定だ……』
「設定…だと?やめろ、俺はお前に作られたんじゃない!ちゃんと両親から生まれ人間として––––––」
『顔は?声は…?記憶はどうだ?思い出は何かあるか?』
「それは…そんなはずない!そんなはずは……ば、ばあちゃんがいた、そうだ…俺は…ばあちゃんと」
『そうだな、そう言う記憶だ…お前と言う人格を作り出すために必要な環境、境遇、経験を俺は記憶として与えた…』
「嘘だ、嘘だ…うそだ、うそだあぁぁ!俺は紅月祐真だ!俺は普通の人間だった、それがいきなりこのセカイに巻き込まれただけで…」
『エリヤ』の言葉が重く心にのしかかりその心に爪を立て掻き毟る。
俺は…何者でも無いって言うのか?俺は…違う、俺はちゃんとしている…俺はまともだ、こいつが出鱈目を言っているだけだ…俺は…俺は。
『お前が…世界に存在したのは、レインと出会ったあの日からだよ』
彼の口から語られる許容しがたい事実に耳を塞ぎ、目を閉じ、必死に否定する。その表情は今にも発狂し叫び狂いそうな面持ちだ。
『おい、逃げんなよ…お前は誰だ?』
「––––!?」
「おい、ちょっとやり過ぎなんじゃ…」
『外野は黙ってろ』
両隣にいたギデオンとエリヤに突如座っていた椅子から蔦の様な物が伸び四肢と口元を塞ぎ、もの言えぬ傍観者となった。
「俺の記憶は、価値観は全部あんたに作られた偽物だったていうのか?そんな事できる筈ない!家にだって住んでいたし、俺は仕事にもついていたんだ!あり得ないだろう?!どうやって…そんな事」
『お前達が使っていた力は俺の力の片鱗に過ぎない。そして俺の力はこの世の概念に干渉する事だ、力の大半を失ってしまったが、あの世界でそれくらいの事は造作も無い』
『なぁ、お前誰だよ?』
白は、ニヤついた表情の『エリヤ』を眼球の血管が裂けそうな程、力強くギリっとした眼光で睨みつけながら応える。
「だから……言っているだろう…俺は祐真だぁ!」
『バカかお前、祐真はコイツだよ』
『エリヤ』は黒の方に顎を差し向け、祐真だと告げた。
「は?!何をバカな事を、俺が本体の祐真だよ…そいつは俺から欠けた一部で––––」
『お前が一部の方だよ、哀れだな…お前』
彼の中の時が止まる、目の前の男が何を言っているのかわからない、瞳に映る鮮やかな景色がモノクロの砂絵になって行く様にその色彩が抜け落ちて行く…そんなはずがない、だって俺は…記憶がある…祐真として生きてきた記憶が…
『記憶なら、コイツにもある。なぁ、お前が祐真なら…お前を祐真足らしめる物は何だよ…お前の核は何だ?
コイツがお前の目から悪と思う事を働き、お前の価値観で善を、正義を、行なったからお前が本体か?笑わせんなよ…お前はただ、浸ってただけだろ?コイツが苦しみもがき、自分を見失う姿を見て安心していた。自分が本人だと…自分が祐真だと、だから上から物が言えんだよな?説教できるんだよな?コイツの存在がお前に余裕を与えてたんだよなぁ?哀れな奴を見下げて安心してたんだよなぁ?自分は良い子だって、選ばれたのは自分だってな』
「…違う、違う…ちがう、違う違う違う!だっておかしいだろ?コイツはやっちゃいけない事やったんだ…それを俺が救った、俺が助けてやったんだ…俺がやらないとコイツは悪人になっていたんだ…一部だから操られてたから…俺が助けたんだ!!」
『……そもそもあの時『蘇生(リザレクション)』を発動する為お前を切り離したのは誰だ?俺だよ……そして、二人組を生き返らせた。お前の役割は本来そこまでだ(・・・・)』
白の表情に焦燥が満ち、奥歯をギリっと噛みしめる。
『誰がお前を本体だなんて言った?お前が勝手に解釈して決めつけただけだろうが。そして、このセカイには魔獣と人との間に絶対的な差があるんだよ…お前も魔獣狩っただろ?』
「違う……俺は自分の意思で…そいつから離れたんだ…間違いを正すために!」
受け容れられない現実を真っ向から否定し叫び散らす、そのまま「それに」と言葉を続け。
「あの魔獣たちは敵意があった……ゴブリンとは違った」
『喋らなかったからか?人語を語れば命で、縄張りに踏み込んだ外的を襲う人語が話せない魔獣は悪か?お前に良い事教えてやるよ。確かにゴブリンは『温厚』だ争いを好まず…平和にあの山でひっそりと暮らしているよ。少しだけ…村のゴブリンが困らない程度に『人』を喰らってな…』
「––––そ、そんな……嘘だ!俺には襲いかからなかったし、エリヤにだって普通に話しかけて…」
『あぁ、奴らは弱いからな…それを自覚している、強者に真っ向から挑む様な真似はしねぇ…穏やかな口調で旅人を招き入れる、それがやり口だ…それにお前、今人間じゃねーだろ?』
『ゴブリンはこのセカイで『災害指定魔獣Eランク』の討伐対象だ、理由は奴らの主食が『人』である事、ただそれだけだがな…』
ただ白は愕然とエリヤの言葉を聞く、その瞳に先程までの勢いはない。色の抜け落ちた人形の様に––––
『お前のお偉い正義感溢れる行動は、魔獣共にとっては英雄だが、人から見ればただの狂人…どうだ?さぁ、お前の正義を語れよ』
「し、知らなかったんだ…俺は知らなかった…だってあいつらは…まさか人を喰うだなんて、知らなくて」
『お前の『正義』も底が知れたな…そう、奴らは人を喰う、しかしそれ以外は温厚で平和な種族だ…必要以上に狩りもしない、ただ生きて行く為に必要な事をしているだけ…命が求めるままにな?それが人を喰うと知ったら途端に悪か?お前の正義を人に押し付けるな、正しいなんて、百人いたら百通りあるんだ、誰しもが自分の正義を守り剣を抜く、誰しもが相対的に善であり悪なんだ、お前に人を断ずる資格なんてないんだよ』
「やめろ、俺は間違ってない…それとこれは関係ないだろ?俺は祐真なことに変わりはない!そうだ、レインも俺を認めてくれた!!彼女はコイツを一部だと言ったんだ!レインが証明してくれる!」
『エリヤ』は白を一瞥し、虚空を見上げ再び哀れむ様な視線を送りながらため息混じりに口を開く。
『……いいだろう、それがお前の答えか、じゃぁ呼んでやるよ愛しの黒猫ちゃんを…』
そう言うと『エリヤ』は指を弾いた、パチンと弾ける音と共に座り込んだままのレインが、一瞬で現れる。
「……?!」
白は目を輝かせ愛しく彼女を見つめた、彼女が証明してくれる…自分の存在を肯定してくれる…縋るようにレインの方に手を伸ばしその名を呼ぶ。
「レイン、会いたかった––––」
「ゆうま……?…誰に…こんな事……大丈夫?」
レインは黒に駆け寄り愛しい表情を浮かべその頭を軽く撫でると、殺気立ち周りにいた全員を睥睨する。
「レイン?なにを…やってるんだ?俺が祐真だ…そっちじゃない…さぁ早くこっちへ」
「馴れ馴れしい…ゆうまの匂いが少しするからって調子に乗るな……あんたが…やった…死ね」
肯定してくれるはずの、愛しい感情を向けてくれるはずのレインがこちらに殺気を向けて––––。
違う…偽物だ…これは嘘だ…アイツが…アイツが…
「嘘だ、嘘だぁあああ!!コイツは偽物だ、お前が俺に見せている幻覚だ!!さっきはちゃんと俺を祐真だと認めてくれた…ちゃんと呼んでくれた!こんな奴はレインじゃない!」
『あぁーあ、御愁傷様』
『エリヤ』は視線を虚空に泳がせ口元に嘲笑の笑みを浮かべた。レインの瞳から色が消え無機質な殺意が白に向かって凄まじいプレッシャーと共に放たれる。
「おまえ…なんか…知らない…ワタシにとって…ゆうまは…たった一人…偽物はおまえ」
凄まじい勢いでレインは地を蹴り白の顔前まで距離を詰めその拳を大きく振りかぶる。
『はい、ストップ』
瞬間、動画を一時停止したかの様に空中で拳を振りかぶったままのレインがその時を止めている。
「は、はぁはぁ……これは、いったい…」
『この空間でも流石にコイツの一撃を食らったら消し飛んじまうからな、コイツは紛れもなく本物のレインだ』
再び『エリヤ』が指を弾くと、その弾ける音と共にレインの姿が一瞬にして消え去る。
『あいつが本物かどうかまで見失うとは、つくづく哀れだなお前、アイツは常に本質を見ている…故に外見には捉われないんだよ』
「なんで…さっきまでは確かに…それにゴブリンの時もギデオンは何も言ってくれなかった…」
『ギデオンは、もっと深いとこで物事を見ているからな…それにお前の行動が俺は別に悪い事だとは言ってない…ただ、お前はそれを誇示しひけらかした、何故か…リリスと言う自分に無いものを手にしたコイツに嫉妬したからだ、故に立場をわからせようとした。自分が優位である事を確認しようとした…言っとくが、お前らに元々どっちが本体かなんて無い』
「…ぇ」
『白いから善か?善が本体なのか?何ルールだよ。イレギュラーな事態にお前らの自我は分かれた、しかしどっちがどっちなんて明確な差なんて始めから無い、強いて言うならどちらも紅月祐真であり、どちらもエリヤだな。ただ唯一違うのは本質だ、霊と魂の差…しかしお前らは完全に分かれたわけじゃ無い。霊と魂を完璧に分かつなんてのは、神の所業だ…そして元々不安定だった存在同士が<触れ合った>事でまた混ざり合い…今はあいつの方が紅月祐真に近い、つまり何者でもない方は現在お前なわけだが……』
「嘘だ…やめてくれ、俺は祐真だ俺が祐真なんだ!ちゃんと記憶がある、俺は偽物じゃない…」
『紅月祐真というアイデンティティーを失った…お前は誰だ?』
「そんな…嫌だ、俺は祐真だ…じゃなきゃどうしたらいいんだ…こんなの、あんまりだ…」
『黒が、何故その存在をより祐真という形に近いものとする事が出来たかお前にわかるか?コイツは受け入れた…自分という存在が不確定な中で、言いようの無い孤独の中で…自責の念に溺れる事もなく、罪人としての自分から逃げる訳でもなく、向き合い…受け入れ、無力な自分を認めて尚、あの化け物に立ち向かい、自分と言う存在を勝ち取った』
「¬¬––––––」
『そして、コイツは祐真である事よりも、何者でも無い自分でいる事を望んだ…たった一人の女のために、自己愛では無い、あの女の為に生きたいと願った。その圧倒的な存在の本質にお前は負けた、だからお前は無くしたんだよ』
『エリヤ』は抜け殻の様になった白を睥睨し、黒とギデオンの拘束を解いた。
『おい、白…お前が祐真という存在であり続けたいと願うなら、足掻け、勝ち取れ』
「……どういう意味だよ」
「俺と戦えって事だろ?」
「エリヤ<黒>……」
『エリヤ』は再び指を弾く、途端に空間が歪み、果てのないどこまでも続く真白な空間へとその様相を変えた。
『その通りだ、お前ら戦え…そして勝った方がその存在を勝ち取る、分かりやすいだろ?さぁ、始めろ、互いの人格を掛けた真剣勝負だ』
白と黒、同じ容姿の二人が向かい合いその刀を抜く、黒は真っ直ぐ相手を見据えその瞳に迷いはない。
「なぁ、祐真…俺は別にお前でありたいとは、もう思わない。ただ俺は守りたい人がいる、その為に生きると決めた…だから負けてやるつもりは毛頭無い!」
黒は地を蹴り、漆黒の刀身を横薙ぎに振るいながら白へと斬りかかる。
甲高い音と共に、間一髪のところで黒の斬撃を純白の刀身で防いだ白が焦燥の表情を浮かべる。
「本気か?!エリヤ…いや、お前が祐真なんだろ?じゃあもうそれでいいじゃ無いか…俺はどうせ、何の意味も持たない––––」
「俺は、レインを女性として愛さないぞ?レインは大切だが……俺が人生を共にしたいのはリリスだ」
「何?!じゃぁレインはどうなる!アイツがどんな思いで俺たちを待っていたか知っているだろう?!」
「知っているさ、だが俺はその気持ちに報いる事は出来ない…俺はリリスを愛したからな!」
「テメェ!!ふざけるなぁあ!」
二人の剣撃は激しくぶつかり合い、漆黒と純白の閃光が火花を散らせ舞い踊る。
「エリヤ殿、貴殿も我と同じく相当に不器用な御仁の様だ」
『言うな…獅子は子を千尋の谷から突き落とすってな…』
戯けた様子で、ギデオンに返事を返す『エリヤ』だが二人を見つめる眼差しは真剣そのものだった。
「本当に依り代が目的であれば、わざわざ自我を宿す必要もない。ましてや教育など論外だからな」
『だから、いちいち解説するなよ。俺が…同じ奴が同じ事、何回繰り返しても結果は同じ…俺はもう変われない、だから後世に繋ぐ時なんだよ…俺もあんたもな…』
「その様だな、彼等には酷だが、生きて…紡いで貰わねばなるまい」
二人の覚悟はぶつかり合い、この歪な状態に決着をつけようとしていた。
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