第8話 佐沼真は爬虫類が苦手

「俺は縦棒の右側」


「じゃあ私は左側」


 食堂を出て、俺とメアリーが走りながら役割分担を決める。


「わ、私は横棒で」


 遅れてシルビアも。まあ自動決定ではあるが。


 それぞれ素早く移動する。ジンチームは三人とも縦棒の右側に向かっていた。ローラー作戦だろうか。……冗談じゃない。


 縦棒はシルビアの言う通り、あちこちに通路がある。俺はジンチームの三人が入った場所から離れたところに入った。


 ……さて、と。


 もうすでに俺が頑張る必要はない。メアリーに見られていれば頑張る素振りくらいは見せるが、もはやメアリーが俺の様子をうかがう手段はない。はじめからプリンに興味はないのだ。


 俺は適当に散策することにする。走るでもなく、ブラブラ、ブラブラと歩いた。俺の歩いた通路には牢屋はほとんどなかった。どこか特別な部屋につながる道なのだろうか。


 しばらくすると突き当りが見えた。その突き当りにあったのは、倉庫だった。

 この監獄にあるほとんどの扉が鍵付きの開き戸であるのに対して、この倉庫の扉は引き戸になっている。

 引き戸を開けると扉に何かが当たったような音が聞こえた。見ると、空の段ボールが無造作に置かれている。さらに埃まみれの箒が一本転がっていた。


「こりゃ随分使われてないな」


 だからこそ、隠すのにはちょうどいいのかもしれない。一応探しておこう。どうせ暇なのだ。と、思っていたらすぐに見つかった。奥の方にある棚の一番下である。


「なんか、理不尽だよな」


 つい、そう独りちる。たいてい頑張れば頑張るほど成功からは遠のき、やる気のない人間が上手くいく。なんとなく、今までの経験からそう感じる。


 宝箱の前には『三回回ってワンと鳴け』と書かれた紙が置いてある。これがお題というやつだろうか。おばちゃんの話によれば、このお題をクリアすれば宝箱が開くんだったか。


 ……クル、クル、クル。


「ワン」


 カチッ、と鍵の外れたような音が聞こえる。一体どういう仕組みなのだろうか?


 ……ああ、考えるまでもなかった。魔法だ。


 宝箱をのぞき見ると、中には何も入っていない。そう上手くいくわけでもないらしい。


 気を取り直して、と言うか取り直すほどの気持ちは有していないが、とにかく散策を続ける。特に何も考えず、歩く。しかし何も考えていないと、何かを考えてしまうのが人間の性だ。


 ――ふざけやがって

 ――協力してやっただろ

 ――どうして裏切った


 それは、怨嗟えんさの声だった。


『利用価値がなくなったからだ』


 それは、俺の声だった。


 強者に取り入り、利用できるだけ利用し、価値がないと判断すれば切る。裏の世界で生き残るためには仕方がなかった。


 ……いや、言い訳か。もともと俺は悪党だったのだろう。窃盗欲求も言い訳かもしれない。俺が悪党だったから窃盗欲求なんてものが生じたのか、それとも窃盗欲求が生じたから悪党になったのか。卵が先か、鶏が先か。


 どちらにせよ、考えても仕方がないことではあった。こんなことを考えるなんて今さらだ。どうやらメアリーに仲間と言われて動揺していたらしい。


「きゃああああああ」


 その悲鳴で、俺の思考は止まる。おそらくはシルビアの声だ。しかしどうにも近くから聞こえた気がする。

 シルビアは横棒のところを調べていたのではなかったか?

 ここまで声が聞こえるのか?

 たとえ聞こえたとしても、もっと小さく聞こえるはずだ。


 疑問は絶えないが、とりあえず様子は見に行くことにしよう。来た道にひるがえり、大通りに出る。出た直後、身体に弱い衝撃が伝わった。


「……シルビア?」


「あ、サヌマさん」


 視線を下にやると、シルビアが転んでいた。俺にぶつかったのは彼女だったのだろう。右手を差し出し、立ち上がらせる。


「大丈夫か?」


「ありがとう、ございます」


 シルビアは腰についた砂をはたいて落とす。

 そろそろ気になっていることを切り出しても良いだろうか。


「さっきの悲鳴なんだが……」


「あ! そうです! ちょちょちょっと、手伝って下さい!」


 シルビアに手首をつかまれて縦棒右側の、ある通路に連れていかれた。しばらく進んでいると、シルビアの足が急に止まる。


「いてっ」


 後ろにいた俺はついシルビアにぶつかってしまう。


「あ、すみません」


「いや、こっちこそすまん」


 それからシルビアが俺に目配せをする。その瞳には純粋な恐怖が宿っていた。身体も震えている。何がそこまで彼女を怯えさせるのか。


 シュルシュル、と何かが地を這う音が聞こえる。俺はそちらに目を向けた。ごくりと息をのむ。


「あれを、捕まえて欲しいんです」


 全身には不気味な輝きを放つ鱗があり、眼光は鋭く、口からは鋭い牙が光っている。シュー、と息が吐き出され、うねうねとその巨体を地面にこすりつけていた。


 そこにいたのは、蛇だった。全長三十センチくらいである。


「あ、あれですあれ。宝箱の開封条件が蛇を捕まえることみたいで」


 要は俺にあれを捕まえて欲しいというわけか。あまり気乗りはしない、と言うか爬虫類はめちゃくちゃ苦手なんだが……。


 しかしシルビアの様子を見るに、彼女ができるとは思えないし、やらせるのも酷だ。仕方ない。


 俺はゆっくりと蛇に近づく。蛇は俺の方を向いているものの、あまり警戒はしていない様子だった。とりあえず、首だ。首をつかんだら噛まれないはず。

 そのまま蛇の背後に回る、足がすくみそうになるのを堪え、蛇に飛びついた。ヌメッとした感触が伝わる。顔が引きつるのがわかった。


「と、取ったぞ」


「ひー、ありがとうございます、サヌマさん」


「で、宝箱はどこにあるん……どおお」


 蛇が俺の腕に巻き付いてきた。やべえ、めっちゃ気持ち悪い。死ぬ死ぬ死ぬぅ。しかもめっちゃ威嚇いかくしてくる。シャー、と口を大きく開けている。怖すぎませんかね。


「あ、あ、あ、宝箱見てきます!」


 シルビアはそう言うと、少し奥に走って行った。しばらくすると、宝箱を抱えてこちらに戻ってくる。


「ど、どうした?」


 蛇、放しても良いの? ダメなの?


「宝箱空いてなかったんで、もしかしたら捕まえた蛇を宝箱の前に持ってこないとだめなのかと思って」


「それで、宝箱の方を持ってきたわけね」


 すると宝箱からカチッという例の音が聞こえる。鍵が開いたようだ。それと同時に蛇も煙のように姿を消した。これも魔法の産物だったのだろうか。


「あ、空ですね」


 ……さすがに少しショックだった。


「ま、仕方ないな」


「でも、さっきはありがとうございました。私にはどうにも出来なかったので。サヌマさん、カッコ良かったです。本当に、ありがとうございました」


 蛇捕まえてこんなに感謝されるとは思わなかった。思わず顔をそらしてしまう。 そう言えば、誰かに感謝されるのはいつぶりだろうか。確かにあったかもしれないが、それはもっと打算的で、感謝の形をした何かだった気がする。純粋な感謝を言われるのは、どうもむずがゆい。


「別にそんな……」


 俺は口にしかけた言葉を止める。後ろに人の気配を感じたのだ。


「へっへっへ、見つけたぁ」


 俺はそんな下品な笑い方はしないし、当然シルビアの声でもなかった。振り返る。そこにいたのはジンチームのメンバーの一人だった。彼は突然、俺らに襲い掛かってくる。


 武器は持っていないようで、素手で殴りかかってきた。何とか身体を反らし、攻撃を避ける。


「ちょっと待ってくれ。暴力はダメだろ、暴力は」


「あ? そんなルールなかっただろうが」


 マジ?


「いやいや、暗黙の了解的なものが」


 しゃべり終わる前に殴りかかってきた。暗黙の了解もないようである。


 ふとシルビアの方に視線を送ると、彼女は顔を青くしてぶるぶると震えていた。これはまずい。逃げるにしてもシルビアがこの状態だとやりづらい。潜伏を使えば俺だけは逃げることも可能だが、……後でメアリーに殺されそうだからやめておこう。


 俺は攻撃を避けながらシルビアの方へ少しずつ寄っていく。


「おい、大丈夫か?」


 シルビアの脇腹を小突く。するとハッとしたように俺を見た。


「す、すみませんすみません」


 大丈夫じゃないな、これ。


 そうこうしてるうちに容赦なく攻撃が撃ち込まれる。モーションが大きいため避けるのは比較的容易だが、当たったらひとたまりもないだろう。現に避けた拳が壁を砕きパラパラと破片が落ちている。これはひどい。


 ずっとかわしつづけるのも厳しいし、どうするか。


 仮に潜伏を使って男の不意を突いたとしよう。それでも俺が男に与えられるダメージはたかが知れている。それに潜伏状態の身体はダメージを与えられない、という仮定もある。と言うかそもそも俺はそこまで筋力があるわけではないし、体格差もありすぎる。


 相手は明らかに格上で、圧倒的に強者なのだ。ならば、するべきことは決まっている。

 俺は一旦男から距離を取って、息をつく。


「降参だ。あんたに協力するから見逃してくれ」

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